もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室 

翌日は朝から空がどんより暗くて今にも雨が降りそうな天気だった。

朝早くにもうひとりの奉公人のおじさんが薬師山の仮小屋から雨具とお弁当を取りに来て戻って行ったらしく、和助さんが留守番に残っていたので、小夜とふたりで地蔵町の下宿屋に置きっ放しにしていた荷物を取りに行くことにした。
私等の荷物を置いたままじゃ下宿屋の御主人達も避難するのに気を遣うだろうと思って。

というか、この先も病院に泊まりきりになりそうな感じだし、自分等の使う日用品が無いと何かと不便だったので。
尤も今の箱館病院に私等の寝る場所なんか有るかも判らないんだけど。

「幸ってば散髪屋さん開業したら流行るんじゃない?」

と小夜にイジられながら、産物会所の前を通り内澗町を真っすぐ行って海岸線沿いに道が左にカーブする辺りからが地蔵町。

「ザンギリ頭の兵隊さん相手にさー。儲かりそうじゃん」

んな暇有るかい!と流そうとしたら、

「今だったら多少下手クソでも髪型の良し悪し判る人も居ないしお客さんは来ると思うけどな」

だって。
やっぱ下手糞だったかなぁ、と副長のカットの仕上がりを思い返して凹む。

昨日とは打って変わって湿った風が肌寒く、小夜は体を縮こめ両手で腕を摩りながら歩いてる。

「襦袢の袖、置いて来るにはちょっと早かったね。風邪引かないでよ?」

コイツ、気は強いけど体はあまり強くないんだよな。
体力が無いっていうか免疫力が弱いのか、京都に居た時も年に2回(秋口と春先)は必ず風邪引いてたし。

「歩いてればそのうち温かくなるし、荷物の中に替えの襦袢も有るし。着替えれば大丈夫」

自覚が無いのが余計心配になる。

クンクンと鼻を鳴らしながら後からリュウが付いて来ていた。
朝、顔を洗いに井戸端に出た時から、小夜の手の匂い(羆の油の匂い)に吸い寄せられて(笑)くっ付いて離れない。
そんなにこのニオイが気になるのか~!と、とうに油っ気の無くなった小夜の手で撫で回されて、喜んでそのまま付いて来ちゃった(笑)。

「クマの油、凄いよ!細かい傷とかヒリヒリする所も一晩で治っちゃったもん。ツルツルだし。病院に戻る時ちょっと貰って行こうかなー」

両手を広げて小夜が手の甲をこっちに見せて来る。

「手伝いの女子チームに全部取られちゃうんじゃない?」

「うわーそうかもー」

とか話しながら南部坂を過ぎてもう少し行くと左手に材木置き場、という辺りから道沿いに商店が並ぶ界隈になる。

炭屋桶屋タガ屋瀬戸物屋に金物屋、船具屋荒物屋太物屋古手屋等々。
新築島に近づくほどに八百屋や魚屋豆腐屋麹屋酒屋味噌醤油屋等の食品関係の店とか履物屋とか小間物屋とか薬屋とか、独特の石置き屋根が連なっている。
でも今は何処も表に戸を立てて居て。
何件かは通用口だけ開けていて、家の中に人は居そうだけど息を潜めて居る感じ。

新築島方面を見通すと、いくらか人が出歩いて居るのが見えた。
やはりあの辺りは営業している店も在るみたいだ。


下宿していたのは荒物屋の店の二階。
荒物屋と言っても船具とか金物とかも置いてる何でも屋って感じの、年配の夫婦二人で営む小さな店だった。

小夜と二人で蝦夷地に辿り着いた去年の冬、箱館の街は徳川脱走兵でいっぱいでどこにも泊まる所が無く、ようやく頼み込んで下宿させてもらった。
納戸に使われていた部屋の荷物を四苦八苦して片寄せ、二人分の布団を敷いて寝るだけのスペースを確保した。
布団の他には火鉢一つと鉄瓶と湯飲みを二つ借りただけ。
あ、あと売り物の湯たんぽも寒い夜には借りたりして。

天井が低く、吹雪の時は雨戸の隙間から雪が吹き込む、表通りに面した店の二階。
そんな物置みたいな部屋だったらタダでも良いと言われたけど、バイトの関係で私が朝早く出掛けたり小夜が夜遅く帰ったり、犬まで拾ってきちゃったし。

「迷惑かけた分ぐらいはお礼の意味でも家賃置いて行かないと」

「ていうか幸、お金有んの?」

「荷物の中にまだいくらか。でもそれを家賃に当てたらスッテンテンだけど」

実は家主の言葉に甘えて、家賃は払ったり払ってなかったり。
こんな状況下じゃホントはちゃんと清算して行きたいところなんだが。

「アタシ有るよ」

やの字に結んだ帯の間から巾着を引っ張り出し、どっかで見たような金色の小板をつまんで見せるので思わず足が止まる。

「ちょ!アンタそれ・・・」

「一昨日酒井先生から預かったヤツ。考えてみたら薬はちゃんと買ったんだし、これは私が貰っても良んじゃね?と思ってさ」

言われてみればその通り、妥当ではある。
ていうか、それであの時取り返しに戻って来たのか!
でももう病院に返して来たと思ってたのでちょっと呆れはした。

「家賃、そんな高いかな?」

言ってしまってから、ケチと思われたかもとちょっと後悔。

「お釣りの分で買いたいものが有るから」

何?と訊く前に、後ろからついて来ていたリュウが私等の横を走り去り、角を曲がって行く。

「あー!店開けてるぅ!」

カツカツと下駄を鳴らして追いかけて行った小夜が声を上げた。
もしかしたら既に家主がどこかに避難してしまった後かもしれず、店が閉まって居たら借りた部屋に入れず荷物も持ち出せず空振りも覚悟だったんだけど。助かった。

半分戸を開けた荒物屋の店先には何人かお客が入っていて、おじさん(もうお爺さんな年かも)は忙しそうに商売中だった。
奥でおさんどん中のおばちゃんに訊いたら、昨日の艦砲射撃で恐ろしくなって、大三坂上のロシア病院へ逃げ込んだけど人がいっぱいで、仕方なく南部陣屋の焼け跡(南部藩が引き上げる時自焼して行った)に一晩中居たらしい。

結局その後は戦闘は無かったし寝てないし雨が降りそうだから一旦帰って来たら、それを待ちかねたように縄だの莚だの蝋燭だの雨具だのを買い求める人がやって来て、結局店を開けたのだと。
リュウを放して行ってすまなかったと謝られた。

それは私等が置いて行きっぱなしで5日も帰らなかったのが悪いのだし、逆に心配させて申し訳なかったと喋って居たら、

「おじさん油紙って有る?有ったら有りったけちょうだい。あと渋紙。出来れば大判の。それとー・・・」

店の方で声がしてる。
いつの間に~?と思ってるうちに、

「あ、いいや。二階に有るの自分で持って来る」

トントントンと階段を上って行く音。
何をする気なのか気になったので、

「実はまたしばらく帰って来れないと思うので一旦引き払うつもりで来たんです。二階、片付けないと」

とおばちゃんに言い置いて小夜の後を追う。

「アンタ何してんの?」

薄暗いので明り取りに雨戸を開けて見れば、

「ここら辺にさー、有ったと思ったんだよねー」

部屋を借りた時片寄せた荷物(=ほとんどデッドストックと思われる)の山に取り付くようにして、小夜が一生懸命何か探してる様子。

「ていうか早く着替えて自分の荷物まとめなよ」

畳んだ布団の脇、二人座ったら埋まるぐらいの広さしか無い所で荷造りするのは大変なのに。

「有った!これこれ」

ゲホゲホとホコリにむせながら引っ張り出して来たのは、「泉州木綿」と上紙に書かれた晒木綿2包み。
紙から出ている端の所が黄ばんでるので、売り物にならずに残っていた・・・というよりたぶん、だいぶ昔に忘れ去られて仕舞いっ放しだった模様。

「2反あればかなり助かる。良かったー。これ貰ってこ」

そうか。病院で使える資材は無いか探しに来たってわけだ。

「油紙は判るけど渋紙って何に使うの?油紙の代用?」

「シーツ代わりに敷くの。だって血塗れとか血が止まらない人とか普通に畳に寝かしちゃっててさー。まあそうするしかないから仕方ないんだけど」

ハッキリとは言わなかったけど、重症患者を寝かせた後、血塗れになった布団とか畳とか、そのまま次の患者に使わせるのが気の毒だということなんだろう。
逆に言えば今病院はそういう状態に陥って居ると。

「畳でさえ何度拭いても隙間に入った血が取れないじゃん?敷布団なんかすぐ使えなくなるし。せめて渋紙敷いたら掃除も楽かなと思って」

小夜は持っていた着替えの中から襦袢だけ(ちゃんと袖の有るものに)取り替えて、着物は紬の袷のまま、去年まで着ていた着物は荷物から省いて、晒木綿と一緒にしている。

「それ、荷物に入れないの?」

と訊いたら、

「この着物、木綿だしもうボロボロだからバラして使おうと思って。雑巾にしても良いし」

熱心だな、と思った。
夢中になっているというか。

傷病兵たちのため箱館病院のために彼女なりに一生懸命になっていると感心する一方で、どうしても現実逃避めいて見えるのは・・・。
私自身がそういう目で見てしまうからなのか、実際小夜自身が最終決戦の迫る街の空気感を感じているからなのか。
いや、単に副長から送られた着物を着続けて居たいからだよな、と自分に言い聞かせて荷造りを続ける。

京都を出て来た時のままの風呂敷包みの3連結バックパック。
着替えと金子&その他日用小物と寝袋(夏布団を縫って作った)の風呂敷をそれぞれキャラメル仕様に包んで、真ん中を紐でくくって繋げておいて、上二つは風呂敷の端の上下を結んでリュックのように腕を通し、一番下は腰に結ぶ。
旅に出る時はこれに雨具(蓑だったり合羽だったり)と笠を被せて完成。

「あ、あと藁草履買って行かなくちゃ。無けりゃ草鞋でも・・・」

「確かにこの格好に下駄はちょっと・・・」

「幸ってば何ボケたこと言ってんの。病院の上履きにすんの!アイツ等入院した時のまま汚れた裸足で歩き回ったりそのまま寝床に入ったり、いつも床が砂だらけになってて掃除するの大変なんだから」

そういうことか(汗)。

「なんなら非常時に備えて草鞋履いたまま寝ろと言っとこうかな。歩けるようになったらそのまま湯の川に出してやれば良いんだしー」

小夜ってばいつの間にか鬼寮母さん化してる(笑)。

「あ!あと古手屋にも寄って行かなくちゃ。お金間に合うかな・・・」

「古手屋?古着買うの?」

置いて行かれそうになって慌てて雨戸を閉めながら訊くと、

「みんな汚れてテカテカボロボロの軍服着たままなんだよ?衛生面でまずアウトだし、動けるようになって湯の川まで移動するのに船で行ったって歩いて行くにしたって軍服着てたら敵に見つかっちゃうし撃たれる可能性大よ?そんなの治療した意味無くね?」

確かに。

「着物が足りなきゃ後は白旗揚げて歩くしかないけど・・・!そうだ!おじさーん!晒木綿ってもっと置いてないの?」

階段を2段ほど残して飛び降りながら、小夜が叫んだ(笑)。
張り切ってるなぁ。


結局、油紙を少しと渋紙をひと巻き(広げてみないと大きさは判らない)、不良品で死蔵品だった晒木綿2反(これはタダv)、藁草履10足と草鞋20足だけ手に入れて帰路に付いた。

家賃とそれらの代金を1分金で払ったらお釣りが無いと言われ(笑)、銭差(ぜにさし)を何本も持たされそうになった小夜が(「これ持って帰れって筋トレか!」と半ギレで)頼み込んで、お釣りの分を古手の着物で後から病院に持って来てもらうことにしたんだった。
まあつまり古手屋での買い物を体良く荒物屋のご夫婦に頼み込んだ形。
その他にも紙類と晒木綿は入荷次第持って来てくれと頼んでた。
支払いは病院側にさせるつもりらしい。

誰しも考えることは同じと見え雨具が売り切れていたので、霧が吹き付け始めた中を荷物を抱えて急ぐ道々、

「自分の荷物萬屋さんに置いたら私、病院に行って来るわ」

両手に晒木綿を抱き締めて小夜が言うので、こちらは懐に入れた油紙の束が落ちないように気にしながら、

「それなら私も行くよ。もう熱は下がったからって言えば仮病もバレないし・・・」

「良いから幸は休んでて。次はいつ休めるか判らないんだし、二人で行ったら萬屋さんに戻る理由が無くなっちゃうもん」

なるほどそういうことね、と理解はしたが、

「それなら小夜が休んで居れば良いんじゃない?今日は私が代わりに・・・」

「アンタが行ったら抜けれなくなるから言ってんでしょ?自覚しろよもう!」

怒られた(凹)。
前を歩いていたリュウが後ろを振り向きキューンと鼻を鳴らしたほどの剣幕で。

「もっとも、幸が居ると色々やりにくくなるってことも有るんだけどねー」

脱走兵援助工作か。
私が居るとやり辛いって。

「なにそれ心外」

小夜はフフッと意味深に笑って、

「じゃあ私の味方してくれる?」

う。
痛いとこ突いて来た。

「じゃあ放っといてくれるの?」

うー。
それも心配。

「まさかアイツの味方すんの?」(←声色変えた)。

歩みを止めてギロリと横目で睨んで来る。
うわぁおっかねぇ、と思いながら気付いた。
選択肢は3つなんだな、と。
2つじゃないんだ。
どっちつかずもアリなんだな。

「じゃあ~、様子見!」

と答えて歩き出したら、

「えー?まだぁ?」

だと。

「小夜だって私がどう出るか様子見するつもりだったでしょ?」

だから口止めするでもなく副長に反逆する計画を説明してくれた訳で。

どんだけびっくりしたと思ってんだ。
お陰で変な空気になってさ、と副長の背中を思い出す。

風に吹かれ、真っ直ぐ前を向いたまま何も言わず話を聞いてくれた・・・けど。
あれってまんまと喋らされただけのような気もしてて・・・(凹)。

人の気も知らず、小夜はペロリと舌を出し小走りに駆け出した。
リュウと競争しながら掛けて行く小夜のバックパックの両側に藁草履と草鞋の束がぶら下がってるのが腰蓑に見えて笑えた。


萬屋さんに戻ると彼女は自分の荷物を置くのももどかしく、手に入れた資材を病院に運ぶべく出かけて行った。
私には和助さんの昼飯の支度を手伝いなさいと言いつけて(苦笑)。
風呂敷包みを背負ってリュウを連れて(勝手について行ってるだけなんだけど番犬としては有能なのでこちらも安心)。


萬屋さんのご主人が避難していた仮小屋から戻ったのは昼頃だったか。

「はー、やれやれ。降ってきましたねえ」

気付かないうちに霧は霧雨に変わっていたらしく、濡れた蓑笠を使用人に預け溜息を吐きながら戸口を潜って来た。

濯ぎを持って行ったら、泥で汚れた足を洗いながら、

「西軍の船が有川辺りに何隻も来ていてねぇ。あれは食料やら何やら陸揚げしてるんだろうね。それが山の上から良く見えるんだよ。こちらは米味噌醤油も心許ないっていうのにね。羨ましい限りだ」

その心許ない食料を減らしてしまってすみません、と思ったのが顔に出たのか、

「ああ、あんた等の事を責めてるんじゃないんだよ。余計な事を言ったねスマンスマン。そういえばあんた、家の事を手伝ってくれていたんだって?女子衆が居なくて何かと手が回らなくて難儀してたんだ。有難いねぇ。それにあの揚げ菓子、あれは旨かったよ。疲れている時に甘いものは生き返るね。うどん粉こねて作るんだって?また食べたいなぁ」

子供と話してでも居るみたいにニコニコしてる。

「喜んで貰えて良かったです。材料さえあればもっと作れるんですけど・・・」

と答えたらうんうんと頷いて、足を拭き拭き、

「そうそう、西軍の船がそんな塩梅だから、雨も降りそうだし今日は戦は休みなんじゃないかと思ってね。こっちも昨日は恐ろしくて眠れなかったもんだから帰って休もうと思って山から下りて来たってわけだ」

今日は戦艦による攻撃は無いと見て家に戻って来たという。
雨模様だから戻ったわけじゃないんだな。

「土方様は二階かね?」

「いえ。朝から出かけてますが」

何処へとは言ってはいけない気がしてそこで止めた。
というか私も憶測でしか判らないけど、たぶん両替屋。
そろそろ休暇も終わりにして、要り用のお金を借りに行ったか借金返しに行ったか、そんな感じ。

「そうか。では私は着替えてちょっと休ませて貰いましょうかね」

和助さんに何か言伝て、奥の部屋へ向かった。
なんだろう、副長の居所を訊く時の萬屋さんの表情?声音?何かちょっと違和感があったな。


番傘を差して小夜が帰って来たのは午後も遅く。

「わぁー」

という声に驚いて表に出てみたら、畳んだ傘を手にした小夜が半身をびしょ濡れにして立っていて、

「せっかく傘差して来たのに閉じたとたんにコレだよもう」

濡れた体から水滴を振り飛ばしてご機嫌のリュウが尻尾振って寄って来たので状況把握。
吹き出してしまいながら押し留め、

「ごめんね。お前を中に入れるわけにはいかないんだ」

足も泥だらけだし、この家のご主人に許可を貰うまで(出ない可能性も有る)軒下の雨のかからない所に居て貰うしかない。
季節柄寒くはないし、仕方ない。

「ご主人、山から戻って来たんだ?」

状況を察した小夜の言葉に苦笑しながらリュウに、

「今、ご飯とお水持って来るからね」

すると、

「お昼ご飯、食べて来たよ」

と小夜。
戸を潜って中に入り、

「私もご馳走になって来ちゃったしーv」

と言いながら戸口の脇に立て掛けた番傘の柄の焼き印をこちらに向けた。
俵屋の名入れだった。

「今打合せしてきたとこv」

袖を掴んで帳場の暗闇に引きずり込み、小声になる。

「思ったより凌雲先生が計画に乗り気だから乗船する100人枠のほとんどは傷病兵になるかもしれないし、船を増やせないか訊いてみたの」

「そんなのすぐには無理じゃないの?」

「すぐにはね。でも用意できるかもって。それに100人と限ったのは行き先がはっきりしない時点で何日も乗ることを考えての人数で、詰め込めば200人以上乗れるってさ。近場に運ぶならそれで大丈夫だろって」

袂で濡れた顔を拭いながら話すのを聞いて、

「近場って。蝦夷地のどこかって訳には行かないでしょ?」

もともとこの計画は脱走兵を蝦夷地に拡散させない為のもののはず。

「本州のどこかで良いんじゃない?津軽とか南部とか」

「って、そこはもう西軍が押さえてんじゃん!」

「でも海岸線全部に兵隊が居るわけじゃないでしょ?」

「海岸線であればどこでも上陸出来る訳でもないけどね!」

気が揉めて来た。
大胆な計画立てる割には詰めが甘いっていうかほとんど詰めても居ないって言うか(疲)。

「じゃあもっと南の方でも良いじゃん。田舎の辺鄙な海岸とか。人の居ないような所であれば良いんでしょ?海の上で船を乗り換える手も有るって戎三郎さんが言ってたし。この時期ならあまり海も荒れないから大丈夫って。それと、五稜郭からの脱走者から武器を回収する方法とそれを運搬する方法を考えといてって言って来たし」

・・・うん。
判った。

それは全部俵屋さんに丸投げして来たってことだよね。
逆に安心したよ(爆)。

「あの人、まだ帰ってないの?」

小夜が奥の様子を窺いながら訊くので、夕飯の支度を手伝っていたのを中断して二階で話すことに。

雨が本格的になった割には風向きのせいなのか二階の窓には雨も当たらず、雨戸を閉めずに居た。
火鉢の火を熾し、水差しから鉄瓶に水を足す。

「萬屋のご主人は昼過ぎに戻って休んでる。山の上から有川の西軍陣地に物資を陸揚げするのが見えてたって。それで今日は戦は無いと踏んで帰って来たらしい」

小夜は出かける前に置いて行ったバックパックの中から手鏡を出して結髪の鬢を撫で付けながら、

「私も俵屋さんからいろいろ聞いて来たわ。向こうは食料も弾薬も補給し放題。こっちはどんどん干上がってくだけ。燃料の石炭なんか尻沢辺の異人が提供してるって話だけど」

退去勧告も聞かずに居座ってるとかいうイギリス人か。
屋敷近くに石炭を貯め込んでると聞いたけど、敵地に身を置きながら向こう岸の味方に燃料を供給するとか大胆不敵。
ってか図々しいにも程が有る。

「判ってて手も足も出ないんでしょ?外国人相手じゃねぇ。尤もこっちの軍艦はそんなに燃料喰わないから気にしてないのかもしれないけどさー」

味方には動ける艦船はもう2隻しか無く、その2隻も交互に故障しているような有様なのを小夜が鼻で笑う。
まあ明らかに舐められて居るわけだし文句も言えずに居るのも仕方無いとはいえ、不甲斐無いのも確か。
立待岬の台場から丸見えだろうにイギリス船に大砲を撃つわけにも行かず、石炭の輸送船が行き来するのを指くわえて見てなくちゃいけないんだから気の毒ではある。

「でもそんなことより」

手鏡を膝に置いて、小夜が眉を寄せた。

「奉行所から箱館の主立った商家に御用金供出命令が来てるんだって。はっきりした額は聞けなかったけど百両単位だって言ってた。多い所は千両も言いつけられたって。箱館市中取締の役人が取り立てに回ってるらしいけど、ここには来てないよね?ってか、もしかしてあの人自身が取り立ててるの?」

初耳だった。
が、

「いや、そんな様子は見たことが無いけど・・・」

私等の知らぬ間に萬屋さんとの間でやり取りが有ったかもしれず。
小夜が盛大に溜息を吐いた。

「もうさー、やってる事がヤ〇ザじゃん?ってか海賊?信じらんないよね?イキナリ船で箱館にやって来て戦争に巻き込んだ挙句に商売もさせず物流も潰して更にお金巻き上げて。どういうつもりなんだろ?勝ち目がないからせめて今のうちに箱館の街を喰い潰そうってことなの?」

箱館の街と無理心中する気なのか、と既に副長には言っちゃってるんだっけ。

「でもそんなの無理よ?箱館の人は全員そんなの嫌だと思ってる。元の生活を取り戻したいと思ってる、当たり前だけど。アイツ等と無理心中なんて断固拒否すると思うわ」

話しながら手鏡を仕舞い、意味深に目を細めて見せ、

「つまり、箱館の町は全部敵!」

「既に孤立無援だと?」

でもそれは副長も承知の事、と思ったが小夜はハッキリ言い放った。

「ううん、そうじゃなくて。全部『敵』なのよ。もう『助けてくれない』んじゃなくて『攻撃される』レベルってこと」

ギョッとしてしまう。
言い方を変えるだけで随分と強烈な印象になる。

「だから。あの人もう五稜郭に戻った方が良いと思う」

それって・・・。

「幸、食事の支度手伝ってたでしょ?大丈夫だった?」

「大丈夫って・・・」

「毒盛られてなかった?」

え。

「敵に囲まれてるんだもん。暗殺されるかもしれないじゃん」

考えてもみなかった。
最終決戦はもう間近だと感じて居ながら、いや、戦のことばかり考えていたから余計に、副長自身の身の危険がそこまで差し迫っているとは迂闊にも考えるに至らなかった。

「それにしてもここで出す食事に毒を盛るなんて・・・」

「私もそう思うけど。でも判んないわよー?商売も出来ずに毎日危険な目に遭わされて不満を募らせてるのはこの家のご主人だって同じでしょ?その上何百両も御用金要求されるとか。キレない方がおかしいと思うけど?」

不満を募らせているのは判る。
ここへ来た時からそれは感じてる。
でもあの温厚そうな話好きのご主人がまさか・・・。

ふと雨音に交じって下駄の足音が近づいて来るのに気づいた。
というか傘を打つ雨音の方がハッキリ聞こえる。
窓の障子戸を少しだけ開けて表を窺うと、歩いて来た人物はすでに窓のすぐ下に居た。
ここから見下ろすと傘しか見えないが、リュウが甘えてキュウキュウ鼻を鳴らしてるのが聞こえるので。

「副長、帰って来たみたい。下駄履いてる」

朝は雪駄で出て行ったはず。
傘のついでに下駄も借りたんだ。
屋号も山号も書いてない傘って・・・奉行所?

「犬嫌いな訳じゃないんだな」

しゃがみ込んで撫でてる模様。
なかなか中に入って来ない。
何気なしに呟いた私の言葉に、

「猫だって嫌いじゃないよ。誰も居ない所で可愛がってた。私が見てない時に」

鉄瓶の蓋を袂で持ち上げ沸き具合を見ながら、そう言う小夜の表情が何か物憂げで。

昼間忙しく過ごしているのはやはり元気を装っているだけなのだと思う。
彼女らしく思い切り良く副長に反逆し始めたけど、その実心の内には迷いが有って、裏切ってしまったという心の呵責も有るはずだし。
戦争をやめさせるために絶対に失敗できない計画をちゃんと実現できるのかという不安も有るだろう。
加えて、この何日かで徳川脱走軍に対する町方のネガティヴな空気感を肌で感じ、もっと根本的な所で迷いが生じているのかもしれない。
はたして副長という人を信じて良いのかどうかという。

自分が裏切ろうとしている相手を信じるかどうかなんておかしな話だけど、でも裏切る価値が有るかどうか判らなくなって来たんじゃないかって。
小夜の裏切りは副長を守ろうとする故の裏切りだから。
自分が守ろうとしている人が実は自分が思っていたような人物では無くて、独りよがりで自分の事しか考えてない、他人を踏み付けにして平気な男だったんじゃないかってきっと不安になってる。

否定は出来ない。
確証は無いから。

でも、私は信じてる。

「小夜の事も嫌いじゃないと思うけど?きっとあんたが気付かないように可愛がってる」

笑って欲しくてそう言った。
ホントの事だし。
すると物憂げな顔は一瞬でマンガみたいなしかめっ面になり、

「はぁ!?何キモいこと言ってんのよ?頭大丈夫?」

怒られて笑いながら退散。

「そろそろ迎えに出ても良いかな。リュウのことたっぷり撫でた頃合いだよね」


副長は萬屋のご主人が戻って居るのを知ると、食事の前に話があると面会を申し入れた。
濯ぎを使い、泥に汚れた足袋を(右足を庇うため下駄の時も常に足袋を履いている)すぐに洗ってくれと言い、副長自身は着替えに二階に行く様子は無く、袴の股立ちを直しただけで両刀を脇に置き紋付羽織のまま居間で待って居る。

盥に水を汲み、雨に濡れないように通り土間の奥で洗濯して居ると、しばらくして萬屋さんが姿を現した様子。

「お休みの所申し訳ない」

副長の声が聞こえる。
盗み聞きしているように思われるのが嫌で、わざと水音を立てて足袋を洗うものの、全神経を耳に集中。

和助さんがお茶を淹れて土間を行き来するのを待って副長が話し始める。

「明日、五稜郭に戻ることにしました」

手が止まりそうになって焦る。
でも考えてみればここへ来てもう3日目(時間的には丸2日ぐらいだけど)。
戦況が悪化する中、副長の役職を考えればかなり休んだ方かもしれない。

「実は所用有って今朝から知り合いの両替商の所へ顔を出しましてね。そこで話は聞きました。御用金の件、誠に面目無い。このような状況でこの上また迷惑をかけることになってしまい誠に心苦しい限りです」

萬屋さんの返事は声が小さいのか喋る向きのせいなのか水音に紛れて聞こえない。

「五稜郭とも話をしてこれ以上はやめさせるつもりだが、申し訳無いが今回ばかりは目を瞑って貰いたい。いや、無理を言っているのは判っております。だがこの先、これ以上戦況が悪化すれば覚悟の無い者は逃亡し始める。飢えて一文無しの武器を持った歩兵どもです。何をしでかすか判らない。それを抑えるためには・・・」

・・・副長、やんわり脅してませんか?それ(怖)。

「カネが必要、ということですな?」

足袋を洗い終えたので今度は萬屋さんの返事も聞こえる。

「難儀なことですな。ですが、まあこちらも出来るだけ懐が痛まぬように策を練っておりますので」

と、最初は言葉を濁しつつ、

「実は今年に入って出回り始めた二分金がどうも怪しいというので、・・・ああ、貴方様にはこのような失礼を申し上げるのをお許しください。・・・それで、箱館の大店仲間で奉行所にお調べを申し入れたのですが」

その場は聞き入れられたものの一向に返事も無く策が講じられない。
それならばと自衛のため奉行所には内緒で仲間と話し合い、近い将来こんなことも有ろうかと問題の贋金は商売には回さず貯めておいたと言う。
そういうわけでその二分金を今回の御用金徴収に回すつもりだったらしい。
他のお店も御同様。

「もともとそういう用途に作られたものならそれで十分でしょう。ともあれ全く懐が痛まないわけではない。だが出回った贋金を元に戻すと思えば気持ちも少しは軽くなるというわけで」

そんなこと、副長に喋っちゃって大丈夫なのか心配になってしまったが。
副長自身もそう感じたようで、どうして手の内を見せるのかと萬屋さんに問うた。
すると、

「土方様におかれましてはこれまでも何かと町方の事でお心遣い頂いた。それにこの御用金の話は土方様が出張っておいでの間に奉行所から言い渡されたこと。もしや貴方様のお耳には入って居られなかったのでは?」

そうか。
副長が二股口防衛戦で留守の間に五稜郭からの要請で奉行所が動いた結果ということか。

・・・ん?
なんか沈黙してる?
あ、ヤベっ!聞いてるの気付かれた?

慌てて盥の水を裏口から外へ捨て、洗った足袋を持って通り土間を帳場の方へ向かう。
必死にそちらを見ないように歩いてるのに副長の視線を感じて冷汗が出る。
帳場の方から二階に上ろうとしたら今度は階段の上から小夜の顔が覗いていて(しかも目から上だけ)びっくりして声を上げそうになったけど。
(オマエは妖怪か!)と階段を上りながら口だけ動かしてサイレントツッコミを入れる。

背中に副長の声が聞こえて来る。

「誠にお恥ずかしい話だが、仰る通りです。先の両替商から仔細聞き及び、驚いて箱館奉行に問い質し、既に主立った大店からかなりの額を徴収した後と知り、今後このようなことは無きようにと言い置いて参った次第。今更私の申し入れが何処まで通るかは判りません。しかし、この地の民心が離れてしまえば我々は孤立無援。自滅を早めるようなことをするのは愚かなことと・・・箱館奉行の永井様も判っては居るはずなのですが」

そこまで切羽詰まっているということなのだろう。

「お立場お察し致します」

と萬屋さんの返事が有り、

「お心遣い痛み入ります」

と副長が返すのが聞こえた。

外は雨だし足袋を干すところが無いので、奥の間の衣桁の左右の角に片方ずつ引っかけて・・。
振り向いたら小夜のヤツがまだ階段ホール?に顔だけ突っ込んで階下の会話に聞き入ってる。
ついつい自分も小夜と並んで下界の様子を窺う。

「民心なんてとっくに離れてるのに」

呟いた小夜の顔は不満げ。
でも御用金の件、副長が関知していなかったと判っただけでもきっとほっとしてるはず。

それに副長も脱走兵の暴発を懸念しているみたいだし。
このふたり、ベクトルが真逆でも考えることは=心配事は一緒なんだなと思って、ちょっとほっこりしちゃったことはナイショ。


「この分だと近く市街戦になるかもしれません。巻き込まれないようどうか早めに避難して頂きたい」

「早めにと言われましても・・・いつから始まるとは教えて頂けないんでしょう?」

微かに副長の笑い声が聞こえた。
ってか笑って誤魔化したんだな。

「火事になることも有り得ます。大事なものは蔵に納めるか安全な場所に持ち出しておくように。無論、火を出さないように努めたいが、命が掛かる場面では命令を聞かぬ者が出るやもしれず、火事にならぬとも保証出来ない。船から大砲が飛んで来るということも有り得ますし・・・」

「脅かさないで下さいまし。折角家に戻って来たのに恐ろしくて眠れなくなるじゃあございませんか」

「申し訳ないがそれだけは私にも如何ともし難いので」

にこやかに会話してる。

「箱館に来て半年余り、度々世話になりながら何もお返し出来ず心苦しい限り・・・」

暇乞いのような副長の言葉が気になったが、どうやら小夜はその前の会話に気が行っていたようで、

「命令を聞かない者が居ると火事になるってどういうこと?」

階段の下に視線を向けたまま聞いて来る。
ここからは声は聞こえても階下の様子は見えないのだが。

「退却する時、城とか街に火を放って行くって割と一般的だと思う。自分等が退却した後に入って来る敵に拠点を与えないため。不自由を強いるみたいな。南部陣屋が焼け跡になってるのもそんな事情。副長は、自分はそうさせないつもりだけど命令を聞かない者が出るかもって言ってる」

小夜は判りやすく溜息を吐き、

「ハァー、まだやってんのそれ?自分達が通った後を全部敵にしていくパターン」

まだやってんのって。

「押し返す時のことを考えてないでしょ?住民を敵に回したらダメじゃん。逃げるしか無くなる。一方通行。勝ち進めない。ここでそれやったら自ら袋小路にハマっていくだけじゃん」

小夜がこっちを見た。
っていうか、私が小夜の顔を見つめてしまってたんだけど。
まるで過去に経験しているような口ぶりだったので。

江戸で別れてから石巻で合流するまで、彼女が何を見て何を感じて来たのか私には判らない。

「だから副長的にはそんな愚かなことはやめさせるつもりって言ってるんでしょ」

と宥めるつもりで言ったら、小夜はそれでも何か不満げに、

「そうかしら。切羽詰まって部下が勝手に放火する分には責任負えませんって言ってるように聞こえたけどー?」

階段の上がり端の板目に頬杖をついてブーたれて見せる。

「なんでそうひねくれて取るかなぁ」

「幸こそなんでそんなにアイツの味方すんのよー!」

しかめっ面の応酬してたら、

「お前等聞こえてるからな?」

階段の下に副長が立っていて。

わぁぁ!と声にならない悲鳴を上げて飛び退ったら勢い余って次の間の畳の上にひっくり返ったり上から小夜が倒れ込んで来たり(痛)。

「盗み聞きしてる暇が有ったら膳の支度でも手伝ったらどうだ」

思わず正座してその場を取り繕う(出来てないけど)私達を、左手に両刀を持ち横目で睨みながら副長が廊下を奥の間に進んで行く。
羽織と袴の裾が濡れたままだったので一旦着替えに来た模様。

言われて当然の指摘だったので立ち上がろうとしたのに、小夜は何が気に入らないのか、

「私達看護人として来てるんだけどー」

そんな反抗期の子供みたいなこと言って副長を煽るな~!と焦る。
昔だったら速攻怒鳴られてた。
でも副長は床の間に刀を置き、羽織の紐を解きながら、

「ほう。それでお前はここに誰を看護しに来てるんだぇ?」

「・・・」

小夜さん言い返せません(失笑)。
副長は鼻で笑って、脱いだ羽織を衣桁へ掛けながら、

「人をダシに使って旨い飯が喰いたいだけ・・・」

言いかけたとたん、

「ああっ!そういえばリュウのお膳も用意しなくちゃいけなかったー!」

言うが早いかダッシュで階段を下りて行った。

「逃げた・・」

ていうかリュウのお膳て。
マンガみたいなリアクションが可笑しくて吹き出してしまう。
副長の困惑した顔が更に可笑しくて。

「相変わらず詰めの甘い・・」

袴を脱ぐのを手伝おうと近付いたら独り言が聞こえてしまった。
副長は自分で袴を脱いでこちらに手渡し、

「今夜中に荷造りしようと思っていたが濡れたもんは仕方ない。明日までそこに掛けててくれ」

端折っていた着物の裾を直し帯を結び直すまでの所作の速さに懐かしさを感じる。

「明日は洋服・・・戎服で?」

「ああ。この分では明日も雨模様だろうからな。羅紗の戎服は多少の雨なら弾くし長靴の方が足元が濡れなくて良い」

なるほど。

「すまんな」

え?
濡れた羽織が少しでも乾くよう、火鉢の位置を直していたらそう言われ。

「俺がここを出ればお前らがここに居る理由が無くなってしまう」

「それは仕方のない事です。逆にこの3日間、副長の看護人・・・もどきとして十分休養を取らせて貰いましたから。それに」

薄々気付いていたことを訊いてみた。

「屯所から誰も来ないのは副長がそう命じているからですよね?お陰で私も小夜も気を遣うことなく過ごせました」

その代わり、夕べあなたの部下にエラく睨まれましたけどね。

「ん?そうか?確かに誰も来るなとは言ってあったが。別にお前らの為という訳ではない。鬱陶しいから休養日にまで纏わりつかれたくなかっただけさ」

そう言いながら階下に下りて行ったが。
それって私等に纏わりつかれるのは構わないってことですか?(嬉)。
ってことはもしかして差し詰めここは移動休息所みたいなもん?

そう思いついたら昨日からの、小夜の口真似してみたり彼女のトンチンカンな受け答えやら暴言やらを何か楽しんでる風だったりしたのがストンと腑に落ちて。
さっきは(私達の見てない所で長い事)リュウを撫でたりもしてたしな。
これから先のことを思えば、戦場で溜め込んだ副長のストレスがこの何日かで解消出来ていたなら望外の喜びってヤツ。



夕餉の後、私と小夜とで洗い物を手伝っていた。
日が落ちてから雨が強くなっていたので、リュウを土間へ入れて。
萬屋のご主人は既に自室へ引っ込み、副長は風呂を使っており、次は小夜が入る番で、

「今夜もまたアイツの次かー」

と文句を言っている所へ、トントントンと戸口を叩く音がした。
雨の音に紛れて最初は聞こえていなかったのだが、リュウが低く唸り始めたのでそれと気付いた。

和助さんが戸口を開けるすんでの所でリュウを抑えて溜息を吐く。
飛び掛かられては堪らないので抱いて宥めて居ると、

「小夜さんにお客さんですよ」

傘を閉じ、入って来たのはパリッとした藍染めの印半纏を着た小柄な男衆。

「夜分に失礼致しやす。この雨の中をどうかとは思いましたが、昨日お急ぎの様子でしたので主人が持ってゆけと申しまして・・・」

和助さんに促され、雨に濡れぬよう大事に胸に抱えて来たらしい風呂敷包みを居間の上がり端に置いた。
尻絡げの下駄の足が濡れているのが、帯に差した小田原提灯の灯りで見て取れる。
半纏の背中の印が見たことの無い柄で、前襟に入っているはずの屋号も陰になって読み取れなかったが、

「うわ早!すいません。わざわざ持って来てくれるなんて。ありがとうございますー」

台所から小夜が飛んで来たので、相手が俵屋さんの使用人で、持って来たものが着物だと判った。

「こっちから取りに行っても良かったのに。ごめんなさい。ていうかこんなに早く出来上がるとは思ってなかった。びっくり」

「へえ。誂えたお着物はもう少しかかるようで。ご所望のお仕事用のものだけ先に・・・」

風呂敷を解いてふたつに畳まれていた畳紙を広げ、風呂敷は畳んで懐に入れる様子。

「それにしても私の丈に合わせるの大変だったでしょ?古手の身頃を別布で継いでも大丈夫って言ったんだけど・・・」

「何を仰います。旦那様が意中のお方に古手など用意する筈がございません。この着物だとて貴女様からどうしても木綿の単衣が欲しいとお願いされたので仕方なく用意させて頂いたので・・・」

オマエ着物用意して貰うのに注文付けてんのかい。
ってか意中の人って言った今?(驚)。

「えー?新しく縫ってくれたの?うそー」

って小夜が畳紙を開けて見る様子。

「え?あら?これって。ねぇねぇ来てみて」

手招きされた。
リュウがようやく落ち着いてご飯の続きを食べ始めたので、そちらへ行ってみる。
確か『〇に三ツ星』(お皿に乗ったお団子みたいな)印の俵屋さんの半纏の背中に見慣れない『〇にゑの字』が染め抜いてあるのを不思議に思いながら。

「これ、幸の分じゃない?」

小夜が持ち上げたのは濃紺の、おそらく野袴。
同じく筒袖の半着もある。

「血で汚れるから濃地の着物ってこと?」

そう顔を顰める小夜の着物も地味な藍細縞の着物で、襦袢も肌着も二人分有った。

「小夜ってば私の分までお願いしちゃった?」

「ううん。頼んだ覚えは無いけど・・・」

無いけど?

「幸の背丈は聞かれた。そういえば裄も」

その時点で気づけ(--;。

「どっちも私と同じくらいだけど身幅は私より有るかもって言っといた」

って確信犯か(呆)。

「すいません。私の分まで申し訳ないです。ありがとうございます。戎三郎さんにどうやってお礼をすれば良いのか・・・」

焦りながら言うと、

「そんなこと心配しなくて良いんですよ。ウチは小夜様に来ていただければそれはもう・・・」

小夜は歓迎されているようで、相手は相好を崩しつつ、

「本当なら私どもの店から病院へ通って下されば宜しいんですよ遠慮せずに。ちゃんとお部屋も用意してありますのに。お支度はまだですが、ご本人が居て下さればお好みも知れるし準備も捗りましょう」

そこまで話した時、私達が土間で立ち話しているのを見咎めた和助さんが居間へ上がるよう促した。
たぶんそれで自分が話し過ぎていることに気付いたんだろう、俵屋の男衆は暇を言い、帳場の暗がりに溶け込んでいたリュウに驚きながら(笑)戸口を潜った。
それを送り外へ出てから、

「ひとつ聞いても良いですか?」

傘を広げ雨を避けてから相手が振り返るのを待って、

「その半纏の『ゑびす屋』とは?」

話している間に、襟に白抜きで書いてあるのに気が付いていた。

「ああこれ、新しい看板ですよ。仕立て下ろしなんで」

揺れる提灯の灯りに照らされ、嬉しそうに笑った顔に皺が寄って翁の面みたいだ。

「実は貴女様の半着と袴もコレで誂えたんで」

声を潜めてそう言ってウフフと可笑しそうに笑う。
同じ生地を使ったのですぐ用意できたということらしい。

「では御免下さい」

「お気をつけて」

夜の雨の中、カツカツと下駄を鳴らし番傘の下で提灯の灯りが揺れるって、なんとなくバケモノじみててコワイなぁ(失礼)。
と思いながら家の中に戻り木戸の閂を掛けて振り返ったら、浴衣姿の副長が手拭を肩に掛け腕組&仁王立ちになって居るのが目に入って来て、バケモノより怖ぇーよ!と思ったり。

「ふうん。あちらさんにァ着るものタカってんのか」

「タカってるんじゃありませんー!同じ物着たっきりなの見て着物誂えてくれるって言うから・・・」

「甘えただけ、か。金持ちの道楽で施し受けられて良かったな」

言いながらスタスタと二階に上がって行くのを、畳紙を抱えた小夜が追いかけて行く。

「ちょっとそれどういう意味よー!失礼じゃない?」

あれ?と思った。
副長・・・ヤキモチ妬いてる?
普段小夜をからかう時みたいな余裕が無かったっていうか、イヤミを言いっ放しでソッポ向いて行ってしまった。
ていうか、あれは小夜に対してのイヤミじゃない!

聞き咎めた小夜が中っ腹になってるし(声で判る)。
わー、こりゃケンカになりそうだ!
慌てて追いかけようとして、傍らで置いてけぼりになっている和助さんに気付き(爆)、後は適当にやるから先に休んで欲しいと伝え階段を上って行くと、畳にペッタリ座った小夜の背中が見え、

「戎三郎さんのお店の船を出してもらうことになっててー」

ってバラしてるしー!(衝撃)。




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