もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室 

ていうかそんなカッコ付けてる間に今からでも追いかけて止めなきゃ!

と思ったけど留守番頼まれてる・・・否、引き受けたんだった。
なので勝手に無人にする訳にも行かず。

どうしよう?どうすりゃ良いんだ!とグルグル考えながら、洗濯物を干し終えて、ついつい風呂掃除までして、居間と通り土間を箒で掃いて(ちなみにそこまで記憶がおぼろ・苦笑)。
そのうち、そういえば!と二階に上がって副長のスリーピースに火熨斗を・・・掛けたいけど、火熨斗ってどこに在るんだろうかとウロウロしてみたり(我ながら落ち着きが無い)。
せめてブラシで埃を払いたいと思ったけど、やっぱり洋服用のブラシなんて有る訳が無く、仕方がないのでようやく日が差して来た窓の障子戸を開けてバサバサ払ったり叩いたり。

盛大に埃が舞って咳き込みながら、ポケットに何か入ってないか確認すると、ジャケットの内ポケットの中に更に小さなポケットが付いているのに気が付いた。
念のため指で探ると、小さな紙きれが出て来た。
ハッとした。
それが何かすぐに判ったから。

沖田さんの戒名を書いた紙片だった。
私が副長に届けたものだ。
あの時ジャケットの内ポケットに仕舞い込んだまま忘れていたのか、それとも肌身離さず身に着けておこうという事なのか。

「副長・・・」

もしそうだったら、と胸が締め付けられそうになったのに、三つ折りの紙片に何か糸くずみたいな黒い物が挟まっているのを見つけてしまい。
ゴミだと思って引っ張り出してみて、ちょっと引いた。

「うわ。何だこれ」

髪の毛だ。
5、6本、もつれた長い髪をテグスみたいに丸めてある。
真っ黒で太くて硬くて1本1本存在感のある・・・。

軽いから落ちもせず紙と一緒にポケットの奥に収まってたんだな。
そう思った時には既に、それが誰のものでどうしてここに有るのか、見当がついていた。


蝦夷地に渡る前、石巻の渡し船の上で小夜から話を聞いて、もしやと気づいて本人に問い質そうとして・・・やめた。
まさかね?と思って。
それからずっと忘れていたけど、でもやっぱりそうだった。
小夜のもつれた髪を解くふりをして、切り取って懐に収めたんだ、と。

今生の別れの思い出に?
何やってんですか副長。
何てことしちゃってんですか。

再び切ない気持ちになりかけたのに、寝起きで雀の巣みたいにもじゃもじゃになった小夜の頭が容易に頭に浮かんでプッと吹き出してしまって。
お守りにするにしたってこれを選ぶかー!と思っちゃって。
それから、きっとたぶん副長もこれを見て笑って居たかったのかなーと思い・・・。

嬉しいっていうか哀しいっていうか。
堪らなく切ないんだけど変に安堵したっていうか。
良く判らないけど・・・涙が出そうになった。
それから、お互いこんなに想い合ってるのになんでベクトル真逆かなぁと嘆息し・・・。

あの二人、似てますよねぇ。

って言ったのは、沖田さんだ。
しみじみ呟いた笑顔が妙に嬉しそうで。

はぁ?って思ったのを覚えてる。
見た目はもちろん性格も、気難しくて腹黒くて(!)目端の利く副長と、能天気で大雑把でいい加減な小夜のどこがー?と思って。
向こうっ気の強いとこは似てるかも(だからすぐケンカになる)と思ったけどそれだけじゃあねぇ。

でも。
と、思い返す。
近頃時々本当に、なんだか似てるかもと感じることがある。
そう。まるで父娘か兄妹みたいに(髪質が似てるってだけじゃなく)。

なんて言えば良いのか、うーん・・・と考え込んでいると、階下で足音がした。
誰か帰って来た!と我に返って毛玉をもとの通り紙片に挟んでジャケットの内々ポケットに収め、衣裳盆に畳んで階段を下りた。


萬屋さんの若い衆(名前を和助さんと言った)が山から戻ったのは昼前だった。
留守番を代わってすぐにでも病院へ手伝いに戻らなくちゃとは思ってたけど、副長の洋服のアイロンかけだけはやって行きたかったので、和助さんに火熨斗を貸してもらって居ると、副長も帰って来て、

「幸、お前に頼みがあるんだが」

髪を切ってくれと言う。

蝦夷地で初めて見た時には短髪だった副長の髪は、後はもうほとんど肩まで伸びて、髪油で撫で付ければ普通に総髪を下ろしてる程になっていて。
でも考えたらこんな時期に髪を切るってことはつまり決戦前に身なりを整えたいってことで。
なんだか最期の準備っぽくて、返事をしながら思わぬ大役に背筋が伸びたっけ。

そんなわけでアイロンがけは後回しになり。
茶漬けで軽い昼餉を摂った後、和助さんは釣竿を持ってどこかへ出かけて行った。
魚が手に入らないから自前でってことなのかも。

私は散髪とアイロンがけを済ませてから病院に戻ることにしたので、その分時間は有るし再び留守番を引き受け、天気が良いことだし切った髪の毛が落ちても良いように外へ椅子代わりの踏み台を置いて副長の髪を切ることに。
とはいえ散髪用のハサミが有る訳も無いから月代用の剃刀を借りてレザーカットにするしかないんだけど。

勝手口を出てすぐの井戸端に踏み台を置こうとしたら、もっと眺めの良い所が良いと言われて、夕べ夜襲の音だけ聞いた岸壁に移動。
抜けるような青空、ではなくちょっと薄曇りになって来ていた。
それでも意外と日差しが強かったけど、時間的になんとか隣の蔵の影に隠れる感じになってて助かった。
海からの風が涼しく感じられる。

左手=北側は隣のお店の蔵(こちらの岸壁より出っ張ってる)や居留地の建物の陰になって、視界が遮られているお陰で七重浜方面さえも見えずに戦争の気配が目に入らなくてホッとする。
一方右手側は巴湾(箱館湾)の最奥の材木置き場や造船所が見え、地蔵町の弓なりに曲った海岸線に囲まれた船溜まりに、和船が沢山係留されているのが見える。
一様に帆を張ったままなのは弾除けのつもりであるらしい。
飛んで来るのが弓矢なら効果も有るかもしれないけど、涙ぐましいとはこのことか。

正面の鶴岡町方面は築島の向こうの海岸線に連なる街並みまで良く見えて、目を凝らせばその更に向こう、一本木に設けられた関門の辺りまで見通せそうだった。
視界に入る内海は穏やかで、今朝方敵艦の急襲で大騒ぎしたとは思えない程。

造船所の後には武蔵野楼の3階部分が見えている。
屋根の造りが瀟洒な感じだし、あの辺りでは一番高い建物なのですぐ判る。
先程まで副長が訪って居ただけあってまだ人が居るんだろう、障子窓を開け立てする様子が見て取れる。

あそこって周りがグルリと見渡せて眺めが良いんだろうなぁ。
手漕ぎ船が行き来してるみたいだしまだ営業出来てるのかな?

藍微塵の着物の襟に手拭を掛け、懐手をして座っている副長の髪を借りた梳き櫛で梳りながら、懐手をしていると首から肩にかけての筋肉の盛り上がり加減が着物越しに見て取れてカッコイイよねーvとか考えていると、

「小夜はどこ行ったぇ?」

と訊かれて、

「あー、・・・病院へ戻りました」

焦ってドキドキ。

「これが終わったら私も戻ります。今頃きっと人手が足りなくて大変だと思うんで」

顔が強張っているのが自分でも判る。
って声に出て無いと良いけど(冷汗)。
ともあれ顔が見えない位置関係で良かったー!と副長の後頭に拝みたい気持ちになったり。
さっさと仕事に集中して動揺を抑えないと、とこめかみ辺りの髪を一房すくって剃刀で削ぎ始めた時、

「今朝な」

と副長が話し出した。

「珍しくお前が寝過ごしたのを何の気なしに口に出して言っちまってな」

ふふっと笑い出し、

「エライ剣幕でアイツに文句言われちまったわェ」

笑うと微妙に体が揺れるので、その都度作業はストップ。
ていうか、

「『病院でこき使われて疲れてるんだから寝かせといてー!』ってな」

副長が小夜の口真似し出してびっくり。

「雑用を言い付かるのは判るが、お前は手先が器用だから良いように使われてるって言ってたぜ?医者のするような仕事までさせられてるっつって『昨日なんか傷口の処置させられてて両手が血塗れになってさーもう信じらんない!』」

ぶっ。
笑った。
副長、小夜の口真似上手過ぎ。

「ほとんどボラ・・ナントカみたいなもんなのに人手不足だからってそこまでさせるなんて!って力んでたな」

ボランティアか。
興奮して現代語のまま言ったんかい。

「お前は何してるんだと訊いたら両手を広げて見せて、朝から晩まで洗濯させられて『おかげで手なんかもうボロボロですけどー』だとさ」

顔は見えてないけど声が笑ってる。
小夜の口真似してる副長、なんか楽しそう。

「お前がお人好しで断れない性格だからとかなんとかブツブツ零してたぞ」

剃刀を使う間、櫛を口で咥えないといけないので会話の間が空く。

「申し訳ありません。そんなこと考えてたなんて知らなくて。副長に文句言ってもしょうがないのに小夜ってば」

重傷者を先に助けるのは当然のことで、医師達だって一生懸命だった。
順番待ちの怪我人をただ見ていられなくて、自分に出来ることはやろうと思って自分から手を出しただけなんだけど。
それに病院のことは凌雲先生の支配で副長に責任が無いのは小夜だって知っているはず。

「いや、たぶん俺に言いたかったんだろ。こんな『怪我人製造大会』いつまで続けるのかと訊かれたからな」

げっ!
小夜ってば副長相手に何てこと言ってんの!

「それとも最後の一人が死ぬまでやるのかと。病院も医者も既にいっぱいいっぱい。町方は商売できず食い物も滞る有様。それでも続けるってことはこの町と無理心中するつもりなのかと」

ドキリとした。
無理心中とは痛烈な。
私が、いや私ばかりではない、この街の誰もが不安に思っていることをこんなにハッキリとダイレクトに徳川脱走軍幹部にぶつけることが出来るなんてと慄くと同時に、アイツだからかと即行で納得が行ってしまったり。

「さっきから何を遠慮してるんだ。さっさとやってくれ」

手が止まっていた。
言われて我に返り、

「あ、すいません!遠慮してるんじゃなくてあの、ちょっと静かにしてて貰って良いですか」

こっちは素人なんだし失敗したらやり直しが効かないんだから集中させて欲しい。

「お、おう」

驚いたようなおどけたような返事が返ったので失礼な言い方だったかな?とヒヤッとしつつ、でも可笑しくてちょっと緊張が緩む。

「すみません。髪切るの初めてなんで。月代剃るのは何度かやったことは有るんですけど・・・。」

本当ならヘアピンで頭頂部と側頭部の髪を持ち上げつつ内側から切って行くのが手順としては普通なんだろうけど、ピンなんて無いから勢い上から切ってくしか無いので。
しかもレザーカットなんてやったこと無い。
上手く行くかプレッシャーなんだよなぁ。
相手は副長だし失敗したら大変!ってか想像したくもない(怖)。

「髪なんて伸びた分切れば良いんじゃねぇのか?」

って勝手なこと言ってますけど。

「でもカッコイイ方が良いでしょう?気が散って散々な髪形にしちゃったら取り返しがつかないので・・・」

って言ったら黙り込んだv
副長、髪が硬いからあんまり短くしても立ち上がりそうだし=髪油で撫で付けても言うこと利かなそうだしなー。
ある程度長さをキープしつつ、邪魔にならない程度に切るって難しい。

剃刀の扱いに慣れるまでは緊張したけど、櫛で何度も梳かしていると、漆のように真っ黒で質感も小夜の髪と同じなことに改めて気づき楽しくなって来て、

「そういえば髷はどちらで切ったんですか?」

と何気無しに訊いてしまった自分の言葉ではっと気づいた。
もしかして副長の髪、ただ切っちゃいけなかったんじゃないか!?と。
なので慌てて、

「その髷、取って置いたんでしょ?」

言ってからまた、マズイ!そんなこと訊いたらいかにも・・・!

「遺髪にか?」

って聞き返されて凹む(--;

「す、すみません。あの・・・」

しどろもどろになっているのを、副長は笑い、

「洋髪とは不便なものだな。切った髪はコマ切れで遺髪の用も成さん。アイツ等には遺髪という考えそのものが無いのかもしれんな」

アイツ等というのは外国人のことを言うんだろう。
ってか肝心の髷は?

「まあ、心配せずとも所在は判って居る」

ハッキリとは答えてくれなかったけど取り敢えず、

「良かった~」

「捨ちまっても良かったんだがな」

独り言のように呟いたのが聞こえてしまって。
切った髪を取っておく、その意味は何なんだろうなと思い。
死にゆく人が形見として残していくのが遺髪なら、戦地に向かう人達が身内の女性の髪を持ち歩いたりするのって。

「そういえば女の人の髪を持ち歩くのって、アレ、お守りってことなんですかね?」

そ知らぬふりで訊いてみるv

「髪?下の毛じゃなくてか?」

え?

「生娘の下の毛が弾除けになるとか言うんだろ?」

うっそ!ヤダどうしよ。
何てこと訊いてんの私。
アワアワしているのが判ったのか、

「お前、知らなかったのか」

「すいません・・・」

すると目の前の手拭掛けの両肩が小刻みに震え出した。
笑い出したんだな。
赤面したのを見られなかったのがせめてもの救い(凹)。

「タマに当たらんから生娘のってことなんだろうが、昔から博打の守りに女郎の下の毛が効くとは聞くな。生娘とは逆に何回ヤってもスリ切れんからだとか・・・」

副長、笑いながら普通に下ネタかましてくれてますけど。
一応私、女なんですけどね。

「女の髪の毛ってのは旅の守りってことだろ。身内の女の髪の毛を守り代わりにするってぇのは・・・」

ふと言葉を切った。
肩の動きもピタリと止まり・・・。
ヤバイ。気が付いたかな?

「お前、俺のシャツを洗濯してくれたらしいが・・・」

と振り返りそうになったので、咄嗟に頭を押さえてしまう(ひぃー!)。

「じっとしてて下さい!危ないので。か、剃刀使ってますんで」

頭を押さえられた副長がどんな顔してるとか想像したくない~!!
と内心冷や汗ダラダラ。

「あ、あの、服だけじゃなく長靴も磨いておきましたよ?あれってちゃんと副長のサイズ・・・足の大きさに合わせてあるんですね。異国人用の大きいのを作り直したわけじゃないんですね?」

意外と幅広で感心したのだった。
ってか必死に話を逸らしてるだけ↑

頭を押さえられて怒るかと思われた副長は、意外と素直に言うことを聞き、まっすぐ前に向き直り、

「ああ。餞別代りに誂えて貰ったのさ。松本法眼にな。その足でこれから蝦夷地に行くなら必携だろうと。あのお人は顔が広いから、ああいう物を作る人方とも知り合いで。受け取ったのは仙台でだが会津で熱出して寝てる間に足型取られたんだぜ?試作品だと言ってな」

初耳。
歩兵が使っているポシェット等の革製品は全部舶来物だと思ってた。
エライ人達の軍服の羅紗生地とかも舶来だもんね。
下っ端はやっすい木綿だけど。

「異人の履物は和人には合わんからな。獣の革を扱うならばあの人等の出番だ。良い稼ぎになると思うぜ。この先ますます左団扇じゃねぇか?」

よし!
別の話題に移って良かったーv
とサクサクと耳にかかる髪を切り始めた時だった。

「合わんな」

へ?

「何か?」

「いや、こちらの腹を覗き見したクセに己の腹を明かさねぇのはズルくねぇか?と思うんだが」

ひゃー。
全然話は逸らせてなかった(汗)。
っていうか、

「私の腹って・・・」

ヤバイ!勘づかれた?
冷汗ダラダラ。
自分が何かやらかして小夜の企みを隠してるのがバレたと思った。・・・のに。

「墓の中まで持ってくつもりか」

言われた瞬間、息が止まる。

沖田先生の最期の姿が目の前にフラッシュバックして声が出ない。

「今なら聞き流せるぞ。なんならお前の代わりに俺が墓まで持って行っても良い」

副長の声が遠い。

手にした剃刀の、磨かれた刃が空を映してる。
まるであの時の刀の刃先のような・・・。

「いや、持って行ってやる。お前が嫌でなければの話だが」

何を言ってるんだこの人は。
持って行ってやるって、いったい何を?

「別に何も。何も有りませんよ。持って行くものなんて。ホントに何にもないんです。本当です。何も残ってないんですから」

不意に手首を掴まれて、ハッと我に返る。
目を上げると副長の顔が。

いつの間にか剃刀を凝視していたようだった。
掴まれた右手が、まるで自分の物じゃないみたいにふるふると震え出した。
副長はその手から剃刀を取り上げ、

「手元が狂ったらどうする」

「す、すみません。緊張して震えちゃって。休めば治りますから。あの、手を放してください」

座ったままこちらに向き直って見上げる副長の目が、怖い。
視線を合わせるのが怖くて、でも瞑ったら動揺を気取られそうで(既に気取られているのも気付かぬ程動揺しているのに自分で気づいてなかった)。
放して貰ってもまだ震えが止まらない右手を握ったり開いたりしていると、

「その手で切りたいのは己の首かぇ?」

ちがう。
そんなんじゃない。
頭の中でそう叫んでいても、声が震えて来そうでただ頭を振った。

忘れていれば良いんだ。
小夜とバカ話をして、怪我人の看護に必死になって・・・。
そんなことに夢中になって居ればきっと大丈夫。
何も怖い事なんかない。
落ち着け幸。
考えても答えは出ない。

「何か勘違いなさってませんか?墓の中に持って行くとか。そんなこと言い出して、まるで死に急いでるようにしか聞こえませんからね。副長らしくも無い」

ふう、と心の中で溜息を吐く。
笑顔で喋れた。
副長の圧の強い目を見て話せた。

「さあ、そっちを向いてちゃんと座って下さい。もう手も大丈夫ですから。動いたから髪の毛がホラ・・・」

着物の袖に零れた黒い髪を手で払って。
副長も大人しく再び海の方を向いて。

「もう少しで終わりますから。剃刀をこっちに・・・」

返して下さいと言うのに被せて、

「何を気にかけているのか知らんが、お前を苦しめるようなことをアイツがするとは思えんがな」

地獄耳、とかつて呼ばれた人の指摘を咄嗟に返せず。

「なぜそう思うのか、と訊きたいかぇ?それはお前が何も言わんからだ」

沖田さんが亡くなる前後の詳細は、蝦夷地に渡る前に一通り報告してある。
が、副長の言う意味は判る。
肝心のことを何も言ってないから。
つまり、沖田さんの亡くなったその時のことを。

「ですから、何も無いと申し上げております。もう話すことは何もありません」

何か残してくれたなら、問われずとも語って聞かせるものを。
家族と同じに過ごした者の最期を知りたくない人間など居るはずがない。
苦しんだのか安らかだったのか、語り残した言葉は無いか、たとえ言葉にならなくとも、何かを伝えたい様子は無かったか。

でも、いくら考えても知り得る訳も無く。

「・・・私も、知りたいくらいです」

頭の上でカモメが一声啼いた。
妙なタイミングで、まるで嘲笑ってでも居るかの様。

「私は沖田先生の最期を見ていません。お顔さえ拝めておりません」

副長が息を止めたのが判ってしまう。
それ程にショッキングなことではあるんだ、やっぱり。

「私は何のために先生のお傍に居たんでしょうか。私は何故あの時、先生の傍から離れてしまったのか・・・」

いくら考えても、答えは出ない。
この絶望の淵に落とし込まれていくような気分は未だに慣れないな。

目の前の肩が深呼吸するのが滲んで見える。
うっかり無言で立ち尽くして居たら、気不味くなったらしい副長が言葉を継いだ。

「そうか。何か訳があるのだろうとは思っていたが、そういうことだったとは。すまな・・・」

すまなかったと言われたくはなかったので、

「いえ。話すことが無いのは私が至らなかったせいなので。普通なら誰もが一番に知りたいはずのことをお伝えすることが出来ずに、いえ、お伝え出来ない訳さえも話せなくて。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

それでこの話は終りにするつもりだった。
上手く終わらせたと思ったのに、その魂胆は見透かされていて。

「おい」

キッと肩越しに振り返りった副長の目が睨んで来る。

「それで終わりかよ。それで俺が納得するとでも思うのか。お伝え出来ない訳も話せなくてだと?だったら今からでも話せば済むことではねぇか。聞いてやるからちゃんと報告しろ。その訳とやらも洗いざらいな」

そう言って再び海の方に向き直った。

目の前の切りかけの散切り頭をぼんやりと見つめながら、こんな真昼間、こんなところで話せるか、と口をつぐんで。

頭の上を飛んで行くカモメの声を2、3度聞き、どれだけ時間が過ぎただろう。
ずいぶん長い事かかった気もするし、ほんの5分やそこらだった気もする。
悔しくて泣きたくなるような惨めな気持ちになって、歯を食いしばってなかなか言葉が出なかった。

このまま逃げ出そうかと思い始めた時、痺れを切らした副長が口を開いた。

「あのなぁ、話す話さんはお前の勝手だ。だがな、自分のせいでお前がそんなことになってると知ったら総司は嘆くだろうよ」

「嘆くくらいなら、あんな死に方しなくたって・・・!」

思わず言葉が出たのを副長は逃さず、

「ほう。死に顔は見てないのに死に方は見たのか」

意地悪な言い方だった。
わざと、とは判ってる。
怒らせて反論するのを待ついつものやり方だ、とは。

でも、正直鼻白んだんだ。
副長にそこまでさせてしまってる自分に対して。
そこまで意固地になってる自分に対しても。

「見てません。お顔は」

だから、もう誰にどう思われようと事実は事実、仕方のない事なんだと思えたのかもしれない。
事実だけなら伝えられる。
それが何を意味するのかはそれぞれの受け取り方が違うかもしれないけれど。

「見たのは・・・」

手だ。

刀の柄を握った右手だけ、納屋の外に出ていた。
見た瞬間、沖田さんの手だと判り、しかもそれは生きている者の手ではないと確信した。
確かめてはいない。
確かめれば良かったのかもしれないと後から思ったが、何度思い返してもあれは生きている人間の手では無かった。



それまで借りていた植甚のお屋敷の離れから、植木を育てる畑を挟んで広い敷地の隅にある物置小屋に床を移したのは上野の戦のすぐ後のことで、沖田先生ご自身の提案でした。
市中に潜伏している敗残兵探しのため、薩長の兵士達が街中だけでなく周辺の集落までうろつくようになったんです。

植甚のご主人はそんなところに沖田先生を寝かせるわけにはいかないとかなり反対したんですが、万が一自分がここに居ると薩長に知れたら迷惑がかかるからと聞かなかった。

物置小屋と言っても結構大きなちゃんとした建物で、入口を入ったところはそのまま物置として資材や道具類を置いて中が見えないようにし、奥に6畳程の床を造作して畳を敷き、私もそこに寝泊まりして看護を続けました。

その頃にはかなり食も細くなって、度々熱を出したり咳が治まらず背中が痛むと訴えて眠れなかったり、喀血も続いたりはしていましたが、たまに、本当にたまに調子が良い時が有って。
そんな時は食欲も出て咳も収まってよく眠れて機嫌も良くて。

あの日もそんな感じだった。
久しぶりに気分が良いと言って寝床から起き上がって。
獣の肉ももしかしたら喉を通るかもな、と笑って、滋養のためと何度か試みては挫折した猪肉を食べてみようかと言ってくれて。

植甚さんのお屋敷は敷地にぐるっと立派な塀が回してあるんですが、私は人目を避けるためいつも物置小屋の裏の塀をよじ登って飛び越えてました。

沖田先生を一人置いて行くのは不安だったので、もちろんお屋敷の人にも言い置いて、一番近くのももんじ屋へ猪肉を買いに行ったんです。
片道半時もかからない距離だったけど、街にはダンブクロがウロウロしていたので思ったより時間がかかってしまって。
朝遅くに出たので帰り着いたのは昼を過ぎて。

出る時と同じようにまず荷物と腰の物を塀の中に下ろし、それから塀をよじ登って中に飛び降りました。
先に下ろした大刀を腰に差し直し、それからその向こうに落ちていた肉の包みに手を伸ばした時でした。
目の端に何かが見え、その瞬間、そちらを見れなくなったんです。
目の前の包みに視線を向けている、その視界の端に何か異様なものが映っていて。

手でした。
刀を掴んだまま地面に置かれた手。
ピクリともせずただ地面に転がっているだけの、骨張った青白い右手。
紛れも無い沖田先生のものだと判り、それと同時に確信したんです。
あれはもう生きてはいない人間の体の一部だと。

何がどうなっているのか理解できなかった。
沖田先生の手なのに、生きていないってどういう事だと。

ちゃんと見て確認しなければと思う程、恐怖で身動きが取れず視線も動かせず。
心臓だけが早鐘のように鳴って。
恐怖だけが津波のように押し寄せて、嫌な汗が体中から噴き出して。

頭が真っ白になり気が遠くなって、手を伸ばした体勢のままその場に尻もちを突いた。
そこまでは何とか覚えています。
が、そこから先の記憶が無い。
後から思い返しても何かぼんやりとしか覚えていない。
その場から逃げ出したことしか。
恐怖に駆られ、必死に塀を登って必死に走って私はその場から逃げました。

気が付いたら向島に居ました。
何故そんな所に居たのか自分でも判りません。今でも。
大川の畔にぼんやり立ってた。
既に日が暮れようとしていて、やぶ蚊に食われた足を搔きむしって正気に戻ったんです。
アレ、私何やってるんだろうって思って辺りを見回すと陽が沈む方向にお城が見えて。

早く帰らなくてはと焦りました。
沖田先生があんな事になってたのに、確かめもせず逃げ出して来てしまった。

まだ亡くなってないかもしれないのに。
自分の早とちりだったら・・・。
頭が痛くなるほどそう願って。

千駄ヶ谷までは歩いてふた時ぐらいだったでしょうか。
本当はもう少し早いはずですけど。
月の無い夜でした。
昨日の夜みたいに。
だから時間がかかったというのもあるかもしれません。

帰る道々、思い返しても目に浮かぶのは生気の無い、痩せて骨張った右手。
違う。あれはきっと悪い夢だと何度も不安を打ち消しながら、でも心の奥底では絶望的に確信出来てた。
それを認めるのが嫌で。
足が止まりそうになる自分を宥めすかして。

蒸し暑い時分に急いで買い物へ行ったから、きっと暑気当たりで何かと見間違ったんだ。きっとそうだと自分を騙し騙し。
帰って確かめてみれば判る。
きっと「お前随分遅かったじゃないか」って、「私は待ち草臥れてろくろっ首にでもなりそうだったよ。浅草の見世物小屋にでも住まいを移そうかと思ってたとこでしたよぉ~?」とかボヤいて見せるに決まってるって。

四谷の大木戸を過ぎて内藤様のお屋敷の脇を通って。
普段なら裏の塀を乗り越えて行くのに、その時は表門へ回ったんです。
忌中の様子は何も見て取れなくてほっとしたのを覚えてます。

でも、考えたら判ることなんですけどね。
沖田先生を匿っている事自体、あの時は既にご法度なんですから、もしものことがあったとしても隠し通すに決まってますもん。
期待した自分が馬鹿でした。
そんなことも忘れ果ててしまうぐらい追い詰められてた。

植甚のご当主に叱られました。
叱られたっていうか、呆れられて。
二日もどこへ行っていたんだと。

そうなんです。二日経ってました。
その日のうちに帰り着いたと思っていたんですけど、二日も・・・。
道理で足は泥だらけで袴も着物もカギ裂きだらけだった。
どこで何してたんだろう、自分。

顔に点々と血が散っているのを植甚の奥さんに見咎められて。
よく見たら着物にもあちこち。
街中の番屋で見咎められなかったのが不思議なくらいで。
刀を見たら血曇りまで有って。
本当にどこで何してたんだか・・・。
ご夫婦とも優しい人達で何も訊かずに居てくれて助かりましたけど、この場に長居は出来ないなとは思いました。

風呂を勧められて判ったんです。
やはり沖田先生は亡くなったのだと。
生きているなら、二日も行方不明になってたんですから早く顔を見に行けと急かされたはずですから。

離れに小さな祭壇が設えてありましたが亡骸はもう在りませんでした。
前日の夜、つまり亡くなった次の日の明け方まだ暗いうちに、人目に付かないよう早桶で菩提寺の専称寺に運ばれたそうです。
祭壇も枕経を上げた時の物で、私が戻るまで片付けずにいて下さったようでした。

白木の位牌と遺髪と佩刀に線香を手向けました。
涙は出ませんでした。
ひたすら、自分は何のために沖田先生の傍に居たのか、そればかり考えて。

専称寺に行くならほとぼりが冷めてからにした方が良いと言われましたが、端から行くつもりは有りませんでした。
亡くなる瞬間に独りにしてしまったのに、亡くなった後になっていくら拝んだって・・・意味無いですよね。
取り返しのつかないことをしてしまったのに、謝る相手はもうこの世には居ないんです。

その夜はお願いして祭壇の在る部屋に床を敷いて寝かせて貰いました。
疲れているはずなのに眠れず、涙も出ず、沖田先生の幽霊さえ出る気配も無いまま朝になりました。

植甚さんで預かって置くはずだった沖田先生の遺品と白木の位牌を、庄内に居るお姉上に届ける役目は私が願い出ました。
せめてもの償いっていうか、それぐらいさせて貰わないとこのまま先生を恨むことしか出来なくなる気がして。
それに私にはもう行く当ても無い上、江戸には居られないと思いましたんで。

よりによって私が居ない時を見計らったように逝ってしまうなんて。
あんなに、朝から晩まで傍に居てお世話をしたのに。




「あんまりですよね?」

気付けば両目から滝のように涙が流れていた。
副長の肩から手拭を外し、付いた髪の毛をバサバサと払ってから顔を覆った。
髪油の匂いが、沖田さんの月代を当たった時のことを思い出させた。
無精髭も月代が伸びるのも嫌いな人だった。

「涙が出るようになったのは最近のことです。独りの時は考える時間が多過ぎて逆に泣けませんでしたから。懐かしい顔を見て安心出来たのかも。小夜とバカ言って笑ったり・・・」

涙を拭った手拭をもう一度パンっと払って目の前の肩に掛け直す。

「逆に死人や怪我人を多く見るようになったからかもしれないですけど」

肩越しに手を伸ばすとようやく剃刀を返してくれて、最後に残った襟足の髪を短く揃え、仕上げにオールバックになるように櫛を入れて全体の出来を確認した。

「前髪の長さ、あまり短くするとすぐ落ちて来ちゃうんでこれぐらいでどうですか?目の横の辺り、下向いた時邪魔にならないですかね?」

と、横から顔を覗き込んだら、副長がチロリと横目でこちらを見て、

「お前、担がれたんじゃねぇか?」

へ?

「あの男のことだ、有り得なくは無い」

そのままニタァーっと笑って見せる。
昔よく見た悪い顔v
ちょっと嬉しくなって、

「何がです?」

撫で付けすぎてペッタリしてしまった前髪をちょっと立ち上がらせようと思い、櫛を当てながら訊いてみると、

「お前を使いに出したのはわざとじゃねぇか、ってことだ」

己の死期を悟って私を遠ざけた、と。

「それも何度も考えました。でも、そんなに上手くタイミングが・・・そんなに上手く予測出来る訳無いだろうと思いますし。あの、でも、ありがとうございます」

「何だ急に」

「慰めてくれて」

お礼を言ったのに不機嫌になるのが副長らしくて、へへっと笑ってしまった。
するとそれが悔しかったのか、

「甘いな」

首をグリグリ回して言った。

「言ったろ?あの男の考えそうなことだと。やりかねねぇぜ?アイツなら。きっと己の無様な姿をお前に見せたくなかったんだろ」

「無様なんて・・・」

「いや、おそらくそうだ。苦しんでもがく姿を見せたくなかったのさ。そんなものを見せた所で誰も助けられねぇ。どうすることも出来ずに傍で見て居なくちゃならねぇなんて、そんな辛い思いをさせたくなかったんだろ」

言われながら思い出していた。
照ちゃんが亡くなった時もそうだった。
それまでの何日か付きっきりで看病していた私と小夜は、休めと沖田さんに言われて前の晩に帰されて。
結果的に私達は、壮絶だったであろう最期の瞬間から遠ざけられたんだった。

「師匠と尊敬されているなら尚更だろう」

と更に付け加えられて、再び後ろめたさがもたげて来る。

「私が傍に居ることで沖田先生に気を使わせていたんでしょうか」

それも、ずっと考えていたことだった。
いつも傍に居ることで息苦しかったんじゃなかろうかと。
私の手前、師匠として常に立派で居なければと気を張って居たのかと。
苦しくても我慢して居たんじゃないだろうかと。
私は邪魔ではなかったかと。

「ばか。お前が居たからアイツは自分で居られたんだろ?」

え?

「かつて京洛を震え上がらせた腕っこきが、戦にも出られず畳の上で死ななきゃならんのだ。しかもあの口から生まれたようなお喋りが咳のために喋れもせず、腹を抱えて笑うことも出来ず、旨いものさえ喉を通らねぇ。若い男が己の体の日に日に瘦せ衰えて行くのを感じながらただ死んでいくのを待つだけとは。その焦燥感たるや・・・」

副長は真っ直ぐ前を向いたまま、

「狂った方がなんぼかマシだろうさ」

憮然と言い放った言葉に胸が詰まって、また涙が湧いて来て。

「ですから、私など傍に居ない方が良かったんじゃ・・・」

私が側に居なければ狂ってしまえた。
苦しさを紛らわすことが出来たかもしれないのに。

すると副長は呆れたように溜息を吐き、イライラと早口で返して来た。

「そうじゃねぇだろ!京師で鳴らした剣豪も最期は哀れ乱心振りが目も当てられなかった、とでも言われてぇのかお前ぇは」

考えたことも無かった。
確かに極秘裏に匿われて亡くなったとしても徳川方、新選組の組頭で番方の御家人だもの。
後々調べられ、どんなネガティブな噂が立つかも判らない。

「アイツは案外『良いカッコしい』だからな。お前が見てる前で醜態を晒すなんて事ぁ死んでもしたくなかったろ。お前が居てくれて良かったんだ。お陰で正気のまま武士の面目も潰さず静かに死ねたんだからな」

副長の物思うような落ち着いた声の調子が、胸の中にゆっくりと沁み込んで行く。
涙が零れて何も言えない。有難くて。

それを察したのか、ぶっきらぼうに付け足した。

「お前のために言ってる訳じゃねぇぞ。俺が絶対そうだと思うから言ってるんだ」

照れ隠しもあったかもしれないけど、絶対そうだと思ってるってちゃんと伝わる。
ていうか、絶対そうだと思って居たい気持ちが。

なんだかんだ優しいんだよね副長って。
部下に愛される理由は判る。

「だから。最後にお前を傍から離したのはアイツの意地だろ。恨んでくれるな」

壮絶な最期を誰にも見せたくなかった沖田さんの気持ちを、誰をも苦しめたくなかったその気持ちを汲んでくれ、と言われて。

「はい」

声が掠れて思ったより泣いてしまっているのに気づき、袂で涙を拭う。
涙が引っ込むまでちょっと時間がかかったけど、副長は何も言わず身動きもせず、海風に吹かれて居てくれた。






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