もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室 

「ここからだと台場の中見えそう」

一昨日の火事で焼け跡となり、建物の無くなった坂の上から目の前の弁天台場を見下ろす。
海に向いた砲台がちょっとだけ見える。

陽が陰り始めた魚見坂を傾斜に任せて小走りに下っていたが、しばらくすると、

「さっきは何て?」

息が切れたらしく小夜が走るのをやめて歩き出した。
汗でこめかみに後れ毛が張り付いてる。

「なんだろ?ゼーウェイだったかな?中国語は你好(ニーハオ)と再見(ツァイチェン)と謝謝(シェシェ)しか判んないよ」

「アタシもー。っていうかそうじゃなくてさ。その前に英語でアーロンアーロン言ってたじゃん」

と、襟元を引っ張って風を入れながらチロリとこちらを見る。

「あー。ミスターアーロンじゃなくてアーロンって呼び捨てで良いってさ」

「へー。むっつりして強面だったけど、意外とそうでもない感じ?」

今度は掌でパタパタ仰いでる。

「アンタのこと気に入ったんじゃない?」

台場前の弁天社を右に曲がり弁天町通りを真っ直ぐ行くと、だんだんと蔵と大店の建ち並ぶ街並みに入って来る。
特に左手、海側には漆喰塗りの蔵が多い。

「えー?あんなに文句言ったのに?あの人絶対私の言ったこと判ってたよ?態度が軟化したのはあの煙草入れの効果だと思うわ」

いや、たぶんハッタリで強気に出たり小判を見せても興味無さげだったり、そのくせ大事な一分金はキッチリ取り返しに戻って来たりって辺りが面白くて、小夜のこと気に入ったっぽいけどな。
言わんけど。

「そうそう、あれにはびっくりしたわ。ほとんど初対面の清国人に戎三郎さんの大事な煙草入れ預けたりして。ボロクソ言っちゃってるし。まさかそのまま通訳できなくて焦ったー。ていうかそこまでの英語力無いしさ」

全く冷汗かいたわ。

すると小夜は溜息をついて、

「代金の一両、何とかしなくちゃ。最悪戎三郎さん本人にお願いして煙草入れ取り返して貰うしかないわ。今日は説明に行ってる暇無いけど」

「ていうか、本人店に居るのかね?もうどっかに避難してんじゃない?」

そう言う間にも俵屋さんの店の在る弁天町と大町の境の通りを横切る。
その周辺の家々も皆戸を立てて、路上に人気は無い。
尤も、空き家にしておくのも物騒ではあるので、誰か留守番は居るんだろうと思うけど。

大町に入り、沖ノ口通りに差し掛かって船番所を見やると、門は開いているようだがまだ灯りは見えない。
普段ならそろそろ篝火が焚かれている時分なのだが。
海から標的にされかねないからだろうか。

坂上を見やると新選組の屯所の称名寺。
もしかして街に残っているのは戦闘要員だけなのか。
いや、未だ明け六つ暮れ六つの鐘は鳴るから、お坊さんたちは残っているはず。
それでも、人気の無いガランとした街に戦争前夜の緊張感は否めないけど。

いつの間にか小夜も黙り込んでる。

箱館山の陰が伸び始めた箱館の町に下駄の音をさせて、旅籠町から15分程も歩いたか、築島の外国人居留地を過ぎれば副長が宿舎にしている萬屋さんはすぐそこだ。
運上所と居留地の丁度真ん中ぐらい。
同じような見た目の蔵店が並んでいて、蔵印を見てないとうっかり行き過ぎそうになるけど。

萬屋さんの店の印は「丁サ(チョウサ)」と言うんだそうだ。
丁の字の左下にサの字を入れて一文字にした感じ。

この辺りの店は大概大通りから岸壁まで一続きの敷地になっていて、蔵が縦に並んでいる。
それぞれの店専用に岸壁が造られていて、更にそこから伸びる桟橋に艀を着けて直接荷揚げできるようになっているためだ。
浅くて船が入れない場所は岸壁を伸ばす=せり出して作るため、海岸線は凸凹になってる。
真っすぐにしなくちゃいけない縛りは無いみたいで、そういう所に頓着が無いのは面白いと思う。
個人でお金出して自分ちの前の岸壁を作るんだから好きにしろってことなのかな。

萬屋さんは蔵の列が3列在って大店の部類だと思う。
両側を蔵に挟まれて真ん中の、大通りに面した建物が居宅になっていた。
住居の屋根が石ころ葺きなのに漆喰塗りの蔵の屋根がちゃんと瓦葺きなのは防火のためなのかな。
どうせなら家の屋根も瓦にしたら良いのにね。

夏至が近く日も長く高くなって夕日が街に入り込んで来る時期とはいえ、蔵の街並みには既に箱館山から伸びた陰が暗く迫っていて、切妻屋根の端っこに乗せられた天水桶が西日に照り残されて光って見えた。

閉め切られた屋内はもう灯りの必要な時分頃だと思うけど、外からは見えない。
副長が宿に借りてる店の二階の客間も。
一見人が居るようには見えないけれど、副長がここに帰って来ていると言うからには居るんだろう。

隣を見ると、小夜が二階の窓を見上げたまま動かない。
急いでここまで来たはずなのに。
怯えてる?

「小夜?」

と、声を掛けると、

「ああ、うん。ごめん」

我に返って歩みを進め、表の板戸に切られた通用口の引き戸をハタハタと叩いた。

ここまで来て臆す彼女の気持ちは、痛いほど判る。
自分の気持ちを整理する余裕が欲しいんだ。

時間が止まれば良い・・・とまでは思わない(こんな状態では)。
でももうこれ以上、時間の進むスピードが加速しないで欲しいと思う。
これから迫り来るはずの厳しい現実に圧し潰されそうになって、正気が保てなくなるんじゃないかと不安になり、自分が壊れやしないかと更に不安が増す。
解決する術が見当たらずに焦り、何も出来ない自分の無能さ加減に嫌気が差して逃げ出したい衝動に駆られる癖に、目の前の大事な人の傍からは一瞬たりとも離れたくは無くて・・・。

でも、否応無しにその時は来る。
だから。
副長の仮宿を訪う小夜の屈めた背に思わず念じる。

踏ん張れ。
怯むな。
怖気付くな。
そして、逃げるな。
なんなら全力で行け。
逃げようったってもう逃げられはしない。
そしてたぶんもう、ためらう程の時間は無い。

「こんばんは。こんな時分にすみません。病院から来ました」

丁サ印の半纏を着た若い男衆に招き入れられ店に入ると、帳場の灯りは落としてあったけど、奥からは灯りが零れていて。

土間を進むと帳場の裏側に囲炉裏の切ってある居間が在った。
天井が高くて、部屋の幅いっぱいに作り付けられた大きな神棚が目を引く。
神棚も両脇の恵比寿大黒の木像も煤で?黒光りしている。

「山ノ上町の病院から?」

萬屋さんのご主人は40代前半位の温厚そうな人物で、普段着らしい細縞のお対に衣擦れの音をさせて上がり框まで出て来てくれた。

「院長から手紙を頼まれて来ました。それと・・・薬を届けに」

「薬?」

と聞き返しながら小夜が差し出した手紙を受け取ると、すぐに読み始め、

「ああ、土方様のだね。判りました。どうぞ上がって」

促されて上がろうとした時、先程の若いお兄さんが水の入った桶と手拭を持って来たので、こんな立派な家に上がる時は汚い足は洗わないとダメなんだっけ、と気付いてちょっと可笑しかった。
まあ、確かに歩き回って埃っぽくはあったけど。

「遅くまでご苦労様だね。病院の方も大変なのではないかね?弁天町の岸壁からだいぶ怪我人が運ばれていたようだったが」

と、萬屋さんが言った。
社交辞令で言ってくれてるんだと思ったら、話し相手が欲しかったようで、足を洗っている横にピッタリ座って来て、

「昨日の戦は酷かったからねぇ。朝から海の向こうからドンドン音がし出したと思ったら、くるーっと鍋の弦を辿るように有川の辺りまで。大砲の音が恐ろしい位だった。夕べなんか一晩中火を焚いているのが、裏の岸壁からすぐそこに見えててね」

土間の奥(=岸壁の方)を指差して、恐ろしげに首をすくめて見せる。
こんな非常時でも青々と月代を剃り上げているのが、いかにもお金持ちっぽいなと思った。
鬢付け油の良い香りがする。

ふと、いつもだったらすかさず反応する小夜が無言で足を洗っているのに気付いた。
話が耳に入っていない様子。
なので私が。

「ご主人はまだこちらに残ってらっしゃるんですか?避難はせずに?ご家族は?」

「ああ、女子供は半月ほど前から鯵ヶ沢の知り合いの家に世話になってるよ。佐井の知り合いに掛け合ったら今はダンブクロでいっぱいで剣呑だから他を当たってくれと言われてねー。青森辺りも同じだそうだ」

津軽海峡を挟んで(津軽半島は言うに及ばず)お向かいの下北半島や陸奥湾までも敵でいっぱいってことか。

「男衆は、年の行ったのは湯の川に行かせて、私と幾人かの若い衆はお向かいの薬師山の中程に仮小屋を設けてね。なに、毎日山の上から戦の様子を窺って危なげないなと思ったらこうして家に帰って休むという寸法だ」

なるほど、それで艦砲射撃の様子も良く見えたと。

「この辺りの町衆は皆、昼は薬師山から御殿山辺りまでにも隠れて居って、夜になると街に戻って来る。夜は軍艦も動かないからね。そういうことだから一昨日の火事騒ぎの時もここに居て。いやー助かったよ」

ここへ来る時は街の中に人影は無かったけど、みんな家の中には居たんだな。

「昼は晴れていたら海での戦が良く見えるからね。この間まで千畳敷の辺りは見物人が結構出ていてね、聞いた話によると煮売り屋まで出たとかなんとか」

戦争やってる側と見てる側のこの温度差よ。
酷い、とは思わない。
大阪だって江戸でだってこんなもんだった。
逞しいなと思うだけ。
そして、したたかだなとも。
徳川脱走軍の幹部の宿舎になってはいても、大事な家族は津軽の鯵ヶ沢=新政府軍側に預けているんだから。

何と返して良いか判らず、

「へー、そうですか」

あいまいに相槌を打った時、すいっと小夜が立ち上がって、

「失礼します」

と小声で断ってから帳場の奥の階段に向かって行った。
もっと何か話していたかった体の萬屋さんがおや?と振り返り、

「ああ、土方様はつい先ほどお休みになられたところだよ」

小夜も寸の間立ち止まる。

「八つ時頃こちらにみえられて、馬方の人になにやら用事を頼んで帰した後、風呂を使って食事をとって休まれたからね」

まだそれほど時間が経っていないから起こさない方が良いということか。

相手が言い終えるのももどかしそうに会釈をし、小夜はすぐに暗い階段を昇り始めた。
灯りの無い帳場の奥の階段は暗がりと言って良いくらいで、小夜の後に続こうとした私は引き留められ、先程の若い衆に手燭を渡された。

「副ちょ・・・土方先生のご様子はどんな感じでした?どこか具合が悪そうとかありませんでしたか?」

「さすがにお疲れのご様子でしたが特段そのようなことは。膳の物も普通に召し上がっておられました」

そんなやり取りをしただけの、そのほんの少しの間。

二階は、階段を上って突き当りから表通りに面した窓際へ廊下を回してあるが、寝ている人の邪魔しないようにとの配慮か窓には雨戸が閉めてあった。
小夜は階段を上がってすぐ左手の障子を開け、おそらく副長の姿を探してそのまま次の間を突っ切って行ったのだろう。
襖で隔てられた奥の間へもう入って行ってた。

障子も襖も開けっ放しで、急いでいたんだと思う。
奥の間からは行灯(有明行灯?)の弱い灯りが漏れている。
手燭をかざし、自分も入って行こうとしてハッとした。

小夜が。
立ったままピクリとも動かず目の前の寝床を、眠っている副長を見ている。

床の間に頭を向けて布団が敷いてあり、枕元の有明行灯には羽織が半分掛けてあって光量が加減してあった。
薄明りに照らされて、寝乱れる事無くきちんと仰向けに眠っている副長の痩せた頬に影が出来ているのが、小夜の肩越しに見えている。

そんなやつれた姿にショックを受けて居るのだろうか。
私が入って行っても気が付いた様子もない。
表情は見えなかったが後ろ姿が、立ち尽くしているというよりは立ちすくんでる感じで。
泣くでもなく安堵するでも怒るでもなく、座り込むわけでもなく。

そっと歩みを進めて様子を窺うと、茫然と?愕然と?半ば魂が抜けたみたいに目を見開いて、傍らに横たわる人をただ見下ろしている。
見たことも無い顔だった。
無表情というのではなく・・・無感情?

何か背中が寒くなるような違和感を覚え、思わず声を掛けようとした時、ハッとして副長を見た。

・・・眠ってる。

ただ静かに眠って居る。
なのに、この違和感!

そう。
小夜の表情よりも副長の寝姿の方に余程の違和感を感じ愕然とする。

小夜が(足音に気を付けながらも)結構な勢いで階段を上って、障子を開け畳を突っ切って襖を開けて。
今、その後を追って私も部屋に入って来たのに。
その気配に気付きもせずに、副長が眠ってるって・・・!

思えば、階下で喋っている声さえ二階に聞こえて来ないはずはない。
なのにいくら熟睡しているとはいえ、副長に限って・・・。
それほど疲れ果てているのかと思い当たり、私だとて胸が詰まった。

そんなことを考えている間も、小夜は未だ副長を見下ろしたまま。
このまま永遠に動かないのではないだろうかと不安になる程無感情な面持ちのまま、瞬きもせず立ち尽くして居る。

普段笑ったり怒ったり変顔頻出で気が付かないけど、彼女はもともとアッサリ顔の憂い顔。
固い表情で居られると胸がキリキリ締め付けられるような心持がして、

「小夜・・・?」

そっと声を掛けるとようやく我に返ったようで、ふーっとひとつ息をつき、こちらを見ないまま、

「今夜は帰った方が良いみたい」

無理やり笑ったので余計哀しい顔になった。

「起こしたら可哀想」

俯きながら踵を返し小さな声でたぶんそう言って、そのまま先に部屋を出て行った。

つられて後を追おうとして襖を半分閉めかけてから、思い直してもう一度副長の様子を窺う。

規則正しく布団が上下している(呼吸が乱れてはいない)。
汗をかいたり苦し気な様子ではない(熱は無さそう)。
本当は額を触って熱の確認はしたいところだけど、さすがにそれでは起こしてしまう。
とりあえず今夜は帰って大丈夫そうだと自分を納得させ、襖を閉めようとして、床の間に何か鈍く光るものが置いてあるのに気が付いた。

副長愛用の黒のロングブーツ。
僅かな灯りに照りが見えて、綺麗に磨いてあるのが判る。
もしかして、自分で磨いた?
そうであればそれはいつもの副長らしい習慣で、メンタルの心配は要らないのかな、と安堵した。
常勝軍が中途撤退させられるなんて(会津戦争の頃は知らないけど)京都の頃だったらきっと怒り狂ってイライラして周りに当たりまくって手に負えなかったろうに。

ブーツの横にはホルスターに入ったピストル。
その奥の刀掛けには大刀が。
暗さに慣れた目でよく見ると、部屋の隅の衣桁に服が掛けてある。
いつも軍服として着てる黒ウールの一揃いと・・・綿のシャツ。

あーっ!アレ洗いたい~!(←本能の叫び)。
汚そー!(失礼)もとい、汚れてそー!
も1回忍び込んで取って来ようかなー?

そんな企みが頭を過った時、階段の方から何やら話し声が聞こえて来て断念。
ダメだ、今夜はもう帰らなくちゃ。小夜のことも気になるし。
明日また早めに来て洗濯しよう。副長が着替える前に。
そうすりゃもう1日休めるかも(←副長がね)。

もう外は暗くなったかなぁ?
今夜は新月だし日が沈んだら星明りだけ。
避難勧告の出ている中、家々も(たとえ人が居たとしても)閉めっ切りで灯りも漏れない。
しかもこのところ毎晩のように夜霧が発生するので、つまり夜は真っ暗。
途中で日が暮れたら困る。提灯持って来なかったから念のため借りて行った方が良いかも。

と抜き足差し足階段を降りて来たら。

囲炉裏の傍にお膳が2つ、整えてあるのが目に入った。
それまで萬屋さんと話をしていたらしい小夜が、困ったような顔でこちらを振り返った。

「それどうしたの?」

手燭の火を吹き消し、尋ねると、

「泊って行けって。食事も風呂も寝床も用意するからって」

小夜の肩程しかない小柄な萬屋さんが傍らでにこにこしてる。

「ありがとうございます。でも病院があんな状態じゃ・・・。人手が足りないしすぐ帰らないと。明日だって早いし」

するとご主人は懐から先程の手紙を出して、広げながら、

「凌雲先生のご指示だよ。二人とも疲れているからゆっくり休ませてくれと」

小夜と顔を見合わせる。

「でも病院の先生方も昨日から寝てないしあの、夜番の交代要員が居ない・・・」

「そのようだね。人手が足りないのでこちらの病人には看護人が回せない、二人にお願いしたいと書いてある」

「ホントですか?」

って小夜が手紙を覗き込んでる(←筆文字は読めないんだケド)。

あ!もしかして酒井先生があの時意味深に笑ってたの、このことかー!
ていうか、・・・副長にでなく萬屋さんに手紙って辺りで気づけよ自分!
あー、頭働かねー。疲れてんのかなやっぱ(凹)。

安心したからなのか、いい匂いが漂ってきたからなのか、盛大に腹が鳴ったり・・・(恥)。

「わ!ヤダ幸ってば恥ずかしい・・」

っていうアンタこそ言い終わらないうちにグーグー(ゴーゴー?)言ってますけど?(笑)。
良く考えたら、朝からほとんど何も食べてなかった!


ってことで、御馳走にありついてますv
お膳には既に白飯と昆布巻きと自家製塩辛がセッティングしてあって、そこへ焼きたての塩鮭と白身魚のアラ汁・・・ってもうね。
恥ずかしながらガツガツ行ってますよ。はい。

「青菜も豆腐も手に入らなくて。飯も冷えてしまって申し訳ないね」

我らの喰い付きっぷりに若干引き気味でご主人が言うのへ、

「いえ、近頃急に患者が増えたのに物売りも来ないし雑魚場も閉めてるし、食べるものに事欠いてましたから。お粥ばっかり食べてたのでご飯が美味しいです」

湯漬けも旨いですよ、と給仕をしてくれていた小父さんが茶碗に鉄瓶のお湯を注いでくれて、2杯目(!)からは塩鮭と塩辛で。

「ああ幸せーv」

って小夜が呟いてるのを聞いて、食べながら笑ってしまう。
鮭の切り身が分厚くて、有るとこにはあるんだなぁと羨ましく思いながら掻き込んでたら、

「蔵はほとんど空いてるんだがね、自分たちの分だけは残してあるので何とか食べていけるんだよ」

あんなに蔵が在るもんね。

「ウチの場所ではもうナマコ漁が始まってる。このひと月のうちにはキンコ(干しナマコ)を集荷して蔵に入れないといかん。来月には昆布漁が始まるし、夏には蔵が埋まって来て、秋はアキアジ・・・」

萬屋さんって俵屋さんと同業だっけ?場所請負人?

「だがこの調子だと船も出せないし蔵に荷が揚げられない。出荷も出来ない」

そっか、海上輸送が出来ないってことか。
あんなに軍艦だらけじゃなあ。
っていうか、海上封鎖中だし目の前の海が戦場になってるし。

「この辺りの海じゃあ今頃はもうニシン漁の時期でね。本当なら鳴り物禁止のはずなんだよ。それがこの騒ぎで全然だめだ。それに本来なら毎年今頃は北前船が入って来る頃なんだがね。それもこんな調子じゃ当分無理だろう。この先どうなることやら頭が痛いよ」

「心配ですね」

「全くだ。早いとこ終わってくれないもんかねぇ。このままでは商売上がったりだ。この上目の前でドンパチ始められたらもう堪らんよ。蔵が壊されないか気が気じゃない。夜もろくろく眠れやしない」

小夜がまた、黙り込んでる。
口元まで持って行ったアラ汁の椀の中を箸で突きながら、目がお膳の上を泳いでる。

「あの、明日も早くから山へ避難されるんでしょ?もう休んでください。ここは私等が片付けるので。教えて貰ったら風呂も自分達でたてますから」

「ああ、そうだな。アンタ等に愚痴を言ってもしょうがない。すまんね。私は休ませてもらいますよ」

よっこいしょと萬屋さんは立ち上がり、座敷の方へ向き直りかけて、

「明日は様子を見て日が昇らないうちに山の仮小屋へ行くかもしれないから、アンタ等はゆっくり寝てて構わんよ。どうせ誰も来んからね。昼間もここで好きにして居たら良い。留守番を一人置いて行くから。食事の用意もさせておくし」

「ああ、それは自分達でやりますから大丈夫です。こちらの台所を使っても構わないなら、ですが」

「そうかね?そりゃ構わんよ。男衆に聞いておくれ。ではお先に」

「おやすみなさい」

奥の座敷へ引っ込んで行った。
給仕をしてくれていた小父さんが後に続く。

悪い人じゃないとは思うんだけど、相当ストレスを溜めてる様子。
ってか、こんな状態では商売をやっている人達のストレスにならない訳が無い。
つまり、この箱館の町に戦争を持ち込んだ者達に対する嫌悪感が有るということ。確実に。

萬屋さんだけではない。
箱館で商売をしている人達・・・否、箱館に住んで居る人達のほとんど全部が徳川脱走軍(『徳川脱藩家臣団』と自称している)を厄介者としてしか見ていない。
消費するのみで自ら生産することをしない=扶養家族がやたらと増えただけだから。
いや、頼みもしないのに突然やって来て、言われも無く高い税金を徴収する辺り、ヤ〇ザ者が寺銭取るのとどこが違うかという話で・・・。

箱館は内地との流通があって成り立っている街だ。
商売相手と戦争されては困るんである。
毎日食べる米さえ内地からの輸入なのに、その流通を絶たれては一気に干上がってしまう。
衣食住、金銭、すべてを箱館という街に依存しながら、(自ら望んだ形ではないにせよ)内地との流通を絶ってしまっているのでは、この先どうなるかは目に見えている。

嫌悪感が敵意に変わるのに時間はかからない。
それに気付かぬ副長ではないはずだ。
どういう気持ちで何を考えているのか、不安に駆られるのは小夜だけではない。私も同じだった。


皆が寝静まった中、こそこそと台所で片づけをし、裏の風呂場で久しぶりに汗を流した。
小夜が髪を洗いたいなんて言い出すもんで、アク(灰)を貰って盥にお湯を汲んで。
湯舟のお湯がすぐ無くなるので、井戸から水を汲み足し汲み足し、風呂もどんどん焚きっ放しで。
すぐ傍に井戸があって助かった。
ここ箱館で敷地の中に井戸があるなんて、さすが大店だなーと思う。

2人して交互に洗髪と水汲みと風呂焚きをしてたら一刻程もかかってしまい、夜もとっぷり暮れてしまった。
私達のヨレヨレの着物を哀れに思ったのか(いや、たぶん汚い着物のまま寝床に入られたら迷惑ってことで)萬屋さんの家族のものなのか使用人のものなのか、浴衣が二人分用意してあったんだけど、

「どうせなら女物を対丈で着た方が丈は合うんだけどなぁ」

見た目で判断してくれたのか男物をあてがってくれたのは良いんだけど、裄も丈もつんつるてん。
小夜は白地に千鳥の柄のを対丈に着て足首がちょっと出る位。
裄は短くて7分袖になってるけど。

「でも、幸が女だって判ってるみたいだったよね。男姿でも気にしてなかったけど」

手拭で洗い髪を拭きながらクスクス笑ってる。

「いろんな人がいるからねぇ箱館には。特段驚きもしないんでしょ」

西洋人も清国人も見慣れてるんだろうし。
五稜郭にはそれこそ男装の麗人が居るらしいし。見たことないけど。
築島辺りでドレス着た芸者さんは見たことが有る。
箱館は和人地なのでアイヌの人は居ないけど、萬屋さんなんかは自分の請負場所で見慣れてるんだろうし。

「人妻も島田結って眉も剃らず鉄漿も付けずに居るしね」

独身女だと思って人妻に言い寄ったとかで、昨年中は兵卒が訴えられる案件が多発したとかしないとか(笑)。
箱館の女の人がほとんど全員、長屋のおかみさんまで島田髷結ってるなんて内地の人間は知らなかったもんね。
紛らわしいからしょうがない。

風呂の火を落とし母屋へ戻って、寝床を用意してくれてるという二階の副長の隣の部屋へそろりそろりと階段を上って行ったのはもう夜更けも良いところ。

風呂を使う間、失くさないように階段の上がり端に置いておいたピルケースと手書きの用法書とその他私物を回収して、寝床に滑り込んで体が横になったらもう眠気が。
昨日から何時間勤務だったろう(疲)。
ようやく寝れる~。しかも布団で~(何日振り?)。

「おやすみ」

小声で言って手燭の火を吹き消そうとした時、

「誰か居るのか」

ギョッとして飛び起きた。
同じく起き上がった小夜と目が合う。
だが彼女は不安げな表情で見てくるばかりで動く気配が無い。

「すみません!起こしてしまいましたか」

小夜の寝床を飛び越して襖を開けた。

行灯の薄明りの中に、副長が半身を起こしかけてた。
その動きが止まって、

「・・・お前等」

驚いたような声の調子だった。
暗くて表情が良く見えない。
何しに来た!と怒鳴られるんじゃないかと咄嗟に思って、

「凌雲先生から言い付かって薬を届けに来ました」

「薬?」

と、思った通りそちらに注意が向いた様子で、ホッとして後はゆっくり目に、

「痛み止めの薬を」

副長の寝床の足元に腰を下ろした私に、小夜が手を伸ばしてピルケースを渡して寄こす。
何故か自分は敷居の向こうから入って来ようとしない。
それを不思議に思いながらも、

「こちらのご主人に副長は既にお休みだと伺ったので一度病院に戻ろうと思ったのですが、もう日が暮れていたので。御厚意で泊めて頂くことになって・・」

「俺は薬なんぞ頼んだ覚えは無ぇが」

副長はただ疑問に思って口に出しただけだろうに、小夜が突然口を挟んで来て、

「凌雲先生が萬屋さんに手紙を届けろって言うから来たの。そしたらその手紙に私達2人もここで休ませてくれって書いてあったらしいのよ。アタシ等が頼んだわけじゃないからね」

いきなり口調がケンカ腰!

「夕飯ご馳走になってお風呂使わせて貰って、今ようやく寝るところよ。そしたら邪魔が入ったってわけ」

長い髪を下ろした姿で自分の寝床に座って、後ろに置いた手燭の灯りで逆光になって顔が見えないのがお化けっぽい(ヤメロ)のに口ばっかりイライラで訳が判らない。
小夜にとっては久しぶりの副長との邂逅だろうに。

何と取り繕うか焦ってオロオロしていると、クスっと副長の笑い声がした。
小夜の物言いなど意にも介さず受け流し、

「なるほど、高松さんか」

思い当たることがある様子で苦笑いしている模様。
水をくれと手を伸ばした先のお盆の上に土瓶(水差し?)と湯飲みが宛がって有ったので、ピルケースをそこに置き、取り敢えず水だけ注いで手渡すと、

「まさか阿片じゃあるまいな?」

ゴクゴクと喉を鳴らして水を飲みながら横目で睨んで来るので、行灯に掛けられた羽織を外して、

「まさか阿片そのものじゃありませんけど。水薬よりは飲みやすそうですよ。アメリカ製の薬だそうで」

少しだけ明るくなった部屋の中でピルケースを開けて見せる。
中に錠剤が見えるはず。

「先の内戦で負傷兵に使われた薬だそうです」

「俺は飲まんぞ。会津じゃエライ目に遭ったからな」

眉間に皺を寄せて、空になった湯呑みを返して寄こす。

ん?何それ初耳。
と、思いながら湯呑みを受け取ってお盆に置き、

「そもそも痛むところなど有りはせん」

と言う副長の足元に回る。

「では失礼」

掛け布団を捲り上げると、

「わ!何すんだ!」

副長が慌てるのは予測通り。

「足を診るんですよ。何のために来たと思ってるんですか」

「要らん!てめー、ちっとばかり病院の手伝いやったぐらいでもう医者気どりか!」

そこでジタバタと副長の抵抗に遭ってると、それまで黙って見ていた小夜が手燭を持ってすすすっとやって来て副長の横に座り、声を潜めて叱りつけた。

「ちょっとばかりですって?もうひと月はやってるわよ?ここ3日位は寝る間も惜しんでやってんの。アンタみたいな聞き分けの無い患者が居ると無駄に時間食って大迷惑なの!大人しくしなさい」

小夜ちゃん仕事に(患者に?)揉まれて近頃ますます凄みが増した気がする(汗)。
だが、それで黙る副長でも無い訳で。

「なんだと!」

腹の底から唸るような声で、きっと新選組の人なら震え上がる位なんだけど。

「う・る・さ・い。もう夜中なんだから!階下でみんな寝てるんだからちょっと黙ってて!」

まあ、コイツに効く訳無いんだよね(嘆息)。
ていうか、最後の「黙ってて」のところが超不機嫌そうでドスが効いててどっかの組の姉御みたい(^^;。

そっちで龍虎の戦いみたいになってる隙に(笑)手燭をかざして、足先の傷を見る。
左足の甲の傷痕はケロイド状になってはいるが、もう赤みが消えて来て白っぽくなっている。
薬指が根元から欠損しているのは、去年の江差攻略戦の後、凍傷のため箱館に戻ってから切断手術を受けたためだ。
その縫合痕はまだ赤いまま。
小指の先から足の縁にかけての肉もちょっとえぐれている。
小指は切ってしまうと歩けなくなるからと切断まではしなかったみたい。凌雲先生が。

宇都宮城戦で受けた左足先の弾傷は会津で治したはずで、それは確かだと思うけど、冬の蝦夷地ではおそらく雪道を行軍する際に傷痕周辺の血行障害があって凍傷に罹ってしまったんだと思う。
軽症のうちにちゃんと治療をすれば切らずに済んだかもしれないって聞いた。
ブーツを愛用してるのも傷痕の保護からだと思うし、蝦夷地平定以後、移動には出来るだけ馬を使っているのもそういう理由からだと思う。

これを知った時はショックだった。
今でも副長の極々側近(と箱館政権幹部)しか知らない事だ。


ブーツを履きっぱなしで不潔になって爛れてるかも、と思ってた傷跡はきれいに乾いていて、触った感じ熱っぽくも無い。
むくみを見るためスネの骨を押してみるも窪まず。
それにしても相変わらずスネ毛が無くて白くてつるっとした脚だv
オッサンのくせに!って小夜が言う意味は判る(笑)。

「傷は大丈夫みたいだけど、若干むくんでるかなぁ。左足の甲が」

やっぱりちょっと血行が悪いのかもしれない。
甲高で指が長くていかにも運動神経の良さそうな形の良い足だが、左右の厚みが若干違ってるような気がして触ってみていると、

「オイ、くすぐるなよ?」

って捲り上げた掛け布団の向こうから言って来る。
笑っちゃった。

「んな子供みたいなことしませんよー。左足だけ下に座布団でも入れて高くして寝るとか、あるいはマッサー・・・熱い湯で絞った手拭で温めながら揉んだら良くなるかも」

「要らん。それぐらい一晩寝りゃ治る。それよりコイツをなんとかしろ」

副長の足を寝床に仕舞い布団を元に戻すと、副長はすっかり寝かされて、つまり枕に頭をつけてた。
なんとかしろと言われた小夜は心外そうに口を尖らせてこちらを見ていたが。
副長の布団の胸の辺りを両手でギュウギュウ押し付けている。
両腕を突っ張って体重掛けて。
何やってんだ?

「小夜?」

それでも副長が撥ね除けられない程の力ではないはずだが?何か、おかしかった。
それが何なのか判らずに押し倒されている方を見やると、そちらも困惑したような、助けを求めるような?表情でこちらを見返して来るではないか。
もう一度、小夜の顔を良く見る。
心外そうに見えた顔。
微妙にしかめられて目を見張って口元をぎゅっとつぐんで(尖らせてたんじゃないつぐんでたんだ)。
その眉がみるみる寄せられて行く・・・?
って、泣きそうになってる!?

「大丈夫!副長は大丈夫だから」

きっとそういうことなんだろう。
そう思って言った言葉に、副長本人が反応して体を起こそうとした。
その途端、

「だめ!起きちゃだめ!寝てなきゃ!」

とうとう小夜の方が副長の布団の上に突っ伏してしまう。
布団の襟元を押さえ付けるみたいに両腕を広げて。
長く広がった髪が布団の上を埋めてしまいそう。

「何するんだ。退けろ」

「だめ!今日は寝てなきゃだめ!このまま寝てなきゃ。このまま今夜だけは。お願い!お願い!お願いします!今夜は寝て。寝なきゃだめ。お願いだから」

瞑った目に涙は見えなかったけど、こんな風に副長に縋りつく小夜を見るのも初めてだったけど、彼女の気持ちは判る気がした。

混乱してるんだよね。
笑ったり怒ったり黙り込んだりはしゃいだり、怯えたり茫然としたり。
どうして良いか判らない。
怖くて緊張して頭が真っ白になってさ。
ギリギリなんだよね、心が。
理性が上手く働かなくなる。
疲れてる今は特に。

夕方、副長の寝顔を見た時よっぽど怖かったんだな、と思ったら可哀想で仕方なかった。

凍傷で足指を切断したと知った時のことを思い出したのかもしれない。
先程なかなか部屋に入って来なかったのもそのせいだったかと思い当たる。
怒ってるように見えたのも、心配で怯えた気持ちを隠そうとしてたのか。

今も子供みたいにぎゅっと目を瞑って、ぎゅっと口を結んで、まるで悪夢をやり過ごそうとでもしてるみたいに必死に布団を押さえてる。

彼女に(布団越しに)抱き着かれて副長も半ば諦め、天井を仰いで溜息をついていたが、やがて観念したように目を閉じた。
さすがの鬼副長も降参したか。

寝るなら灯りの加減をしようと、小夜の髪を踏ん付けないように気を付けながら行灯の方へと立ち上がりかけた時だ、ふと気付いてしまった。
いや、こんな場面でなんでこんな事に気付くのか自分でも可笑しかったけど。

この二人、性格も似たところが有るけど、それ以上になんとなく見た目も似ている気がしたんだよね。ずっと前から。
顔形とか体格とかもちろん全然似てないからそれが何故だか判らなくて、雰囲気なのかな?と思っては居たんだけど。
今、判った。

髪だ。
髪の質感が同じなんだと気が付いた。
真っ直ぐと言いながらちょっとうねっていて、硬くて重くて真っ黒で分量も多い(=厚い)。
行灯の灯りに照らされたツヤ感も同じ。

こうして2人くっついてると良く判る。
一体感がある。
一塊に溶け込んでる。

なんだか父娘か兄妹みたい・・・。
って、アレ?
もしや小夜ちゃん寝てますね?(^^;
さっきは何?もしかして眠くてぎゃーぎゃー騒いでた?
オマエは赤ん坊か!
結局、副長も寝ちゃったみたいだし、私も寝よー(アホくさ)。

浴衣のまま副長(の布団)の上にほとんど大の字に覆い被さって寝ている小夜に、隣の部屋の寝床から布団持って来て掛けてやる。
近付いて見たらやっぱり涙が一筋、痕を残してた。



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