もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室 

11

「すまなかったな」

副長に謝られた。
小夜が寝かせられている次の間は襖と障子で閉め切られており、奥の間で行灯に簪をかざして見ている。

「いえ、副長が謝ることでは・・・」

副長はあの時、ここに座ったまま話を聞いていた。
私が間に立っていたせいで小夜の様子は見えていなかったはずだし。

「いや。まさかアイツがお前を撃つ事は無かろうと思って気を抜いていたのがマズかった」

「ですからそれは仕方のないことで」

副長は簪を膝元に置き、

「話の調子がおかしくなって来て慌ててな。お前の後に隠れながらすぐそこまで行ったんだが一足遅れちまった。大丈夫か。どこか痛めたんじゃないのか?」

「あー、階段で顎をちょっとぶつけた位で。大したこと無いです」

と触って見せたつもりが思いのほか痛くて、痣になってるなこりゃと凹みつつ、

「でも、あの体勢のまま小夜まで落ちてたら大変でした。副長が捕まえてくれて助かりました」

私が手(銃)を掴んでいたせいで小夜は頭から落ちる形になっていたから。
下手したら大きな事故になって居たかもと思うと肝が冷える。
ホント、副長には感謝しかない。


副長に確保された時、小夜は半分失神したような状態だったらしい。
朦朧として意識を失いかけていたと。
泣き声も聞こえなかったのはそのせいか(つい寝てしまったので良く判んないけど)。
多少熱が有ったようで副長の手持ちの薬を飲ませて寝かせたと聞いて、そういえば昼間外を歩きながら寒そうにしてたような、と思い当たる。
それで余計にあんな混乱した状態になったのかもしれない。

危ないので私の刀はこちらへ持って来て置いた、と副長が床の間の隅を見やる。
それに礼を言い、

「それにしても、小夜があんな事するなんて・・・」

私のせいかもしれない、と思い始めていた。
煽り過ぎたんだと。
アンタが羨ましいとかいっちゃったけど、それって良く考えたらスゴイ上から目線な言葉だし。
自分が沖田さんに対して出来なかったことを無意識のうちに押し付けようとしてしまったのかもしれない、と。

黙り込んだ私に気を回したのか、

「追い詰められて自分の頭が追っつかなくなってヤケになっただけだろ」

と、小夜の行動をあまり気にしていない風に副長は言ってくれて、

「調子に乗って身の程知らずに大それた事を考えたものの、お前に理詰めで責められてハッキリ無理と判ったんだからな」

やっぱりそういうことだよね。
と私は可哀想な事をしたと思ったのに、

「もともと思い詰める程の頭が有る訳じゃなし、吐き出せて良かったんじゃないか?己の身の程を思い知っただろ」

なかなか酷い言い様。

ていうか、吐き出したのは副長への想いだと思うんですけどー。
でも今それを言ったら怖い反応が返って来そうなので取り敢えずスルー(^^;

「確かに副長を拉致するなんて現実的じゃないとは判ったかもしれませんが、歩兵を大量に脱走させてしまおうという計画はまだ破綻してないと思います」

「破綻?そもそも破綻するようなモンなど何も始まってねぇだろが」

バッサリだわ(苦笑)。

そりゃそうなんスけど・・・。

と思ってから、副長が火鉢の周りの畳に視線を走らせながら、手拭であちこちちょこちょこ拭いているのに気が付いた。
それがどういう意味なのか、こちらもついそれを目で追いながら、

「それが、当初予定通りとは行かないまでも、さっき小夜が言ってた通り凌雲先生が乗り気らしいので。でも湯の川の収容施設に傷病兵を際限無く送り込むというのは無理な話だと思うんです。問題は溢れた分をどこへ逃がすかと言う事で。そう考えたら臨時に収容出来るというだけでも西洋船は都合が良いのではないかと」

「確かにそうだが」

と、こちらの言い分を驚きもせずに聞き、蒔絵の入った焼桐の火鉢と畳の境目の所を手拭を畳んだ角で潔癖そうにキュキュっと拭き込みながら、

「だが大量の傷病兵を運べる程の船、しかももう一隻追加したらしいが、そんなものを借りる資金もツテも病院に、高松さんや小野様にも有るとは思えんが」

うわ来た~!
やっぱそこだよね。
そこに引っかかるよね(窮)。
と、狼狽えてなかなか返事が出ない私を訝しんで?副長が話を変える。

「あの俵屋、いや、恵比寿屋の奉公人、ヤケに機嫌が良かったな。儲けになりそうも無い仕事を持って来た張本人に対して」

そこまで言ってキロっと目を上げこちらを見る。
かつて鬼と言われた人の眼力が突き刺さる(脂汗)。
潔く白状しなければどんどん嘘を吐き通すしかなく、結果自分の首を絞めるだけ・・・。
逃げるなんて無理筋。心臓バクバク。

「じ、実は。船の借入金は・・・小夜が持つことにしたみたいで」

相手の顔が見れない。
ゴクリとのどが鳴ってしまう。
小夜を頼むって言われて返事をしたのは・・・つい一昨日の事(凹)。

副長の沈黙の「圧」に負けて(否、針の筵に耐えかねて)つい喋り出してしまう。

「わ、私も驚いたんです。どうやってそんな大金を、と。そしたら」

「西洋船を借りる程のカネだ、ただの女中奉公では一生かかっても返せねぇだろうな」

言いながら畳を拭くのを止め、手にした手拭をパタパタと折り返して茶道具の乗ったお盆の上に置いた。

・・・判ってる。
この人はもう気付いてるんだ。

そう思ったら、全身から汗が噴いた。

「本当に驚きました。大量に脱走兵が出るよう仕向けて戦争を出来なくすると聞いた時も恐ろしくて肝が冷えましたが、そんな事あの子に出来る訳が無いと思いましたから、取り敢えず計画だけ聞いて置いてどんな行動に出るか把握しておけば諦めさせる手立ても有ると思ったし・・・」

「高松さんが味方に付いちゃあな」

ふふっと微笑う。
さも可笑しそうに目尻に皺が寄った。

「黙って居て申し訳ありません。私もどうしようか迷って居て」

畳に手をついて頭を下げた。
もうほとんど土下座。

「小夜の計画は無謀としか思われませんでしたが、凌雲先生がその考えを利用して傷病兵を移送すると言うならまた話が変わって来ると思って。それなら副長に敵対することにはなりませんし、小夜の話に乗るフリをして野戦病院の手伝いをすれば良い訳なので」

「なるほど。そうだな」

鉄瓶から湯呑に白湯を注ぐ音がしてそちらを窺いながら目の前の畳を見つめ、

「でもその為に小夜が俵屋の戎三郎さんの・・・庇護下に入ることについては、私としても全く以て青天の霹靂で」

副長を前にしてまさか「手掛け」「妾」と言う言葉は使い辛い。

「最初は混乱しました。やめさせようと思ったんです。でも・・・これはズルい考えなのかもしれませんが、もしかしたらその方が安心かもしれないと・・・今は考えていて」

たとえ叱られても言わなくてはと思っていた。

意に反して副長は黙って聞いている。
屋根を打つ雨の音ばかりが耳に付く。

「この戦が終わった後のことを考えたら経済的に不安が無いだけでも助かると思って。それに俵屋さんなら人手も有るし何が起きても助けて貰える。そんな所に小夜を預かって貰えるなら・・・安心だし」

副長は静かに白湯を啜って、無言。

「逃げてるわけじゃないんです。副長が居なくなった後も小夜の行く末を見守ろうとは思っています。でもこの先、終戦のドサクサの中で私1人で彼女を支えて行けるか不安じゃないと言ったら・・・嘘になる」

戦が終わった後どう生活して行けば良いかなんて判らないし、最悪新選組の関係者と認定されて西軍の尋問に遭ったりする可能性だって有る。
それに、

「小夜がまともなら良いんです。でも見たでしょう?今でさえあんなに不安定なのに、あなたが居なくなったらどうなると思います?」

呆然自失で廃人みたいになったらどうするんだ。
二人で相談して事に当たることも出来なくなったら。

「戦が終わってこの先ふたり、食べて行くだけで精一杯かもしれない。そんな中で精神的に不安定な小夜を支えて行くなんて私に出来るかどうか。そう思ったら戦の後の混乱期だけでも俵屋さんで面倒を見て貰えるならと・・・」

生活する場を確保するまでの間だけでも小夜の事を診てて貰えたら。
すると溜息が聞こえて、

「判った。もう良い。顔を上げてくれ」

言われて体を起こしながら続けた。

「何より小夜が自分で納得して決めて来た事で無理強いするわけじゃない。仮に本意では無く渋々受けた話にしても借金を踏み倒して逃げ出すとも思えない。相手が戎三郎さんなら小夜も気ままに暮らせると思いますし。それに」

副長に話すというより自分に言い聞かせてるみたいだな、と思いながら、

「私とふたり、顔を突き合わせて暮らすよりも良いかもしれないと・・・」

おやっという感じで副長が視線を上げ、こちらを見た。
でも黙ってる。
自ら吐き出せということか。

「私の顔を見るたび、忘れたい辛い思い出もいちいち思い出してしまうかもしれないじゃないですか。そんな状態で気を遣わせて暮らすのは酷な気がして」

ていうか・・・お互い?
私もそんな小夜から逃げたくて?
言ってるそばから判らなくなって来た。
現実から逃げ出したいのは・・・私なのかも。

「だからつまり、小夜が戎三郎さんのお世話になるのは何かと好都合だと思って・・・」

・・・ズルいな。
自分がズルくて許せない。
なんでいつもこうなんだろな。
努めて冷静に理性的に合理的に考えて判断しようとして、たぶんそれが一番良い手段で正解だとも思うのに。
情けなくて・・・自分が嫌になってイライラする。

「どうした?」

ハッとして、黙り込んでいたのに気付く。

「すみません」

咄嗟に俯いていた顔を上げ笑顔を取繕ったつもりで、でも強張ってしまった感じもして。

「全部小夜のせいにしてる自分に気が付いただけです」

モヤモヤして居るのを抑えかねて口にしてしまう。

「死ぬのを覚悟しているあなたを前に、ただ手をこまねいて居るのがいたたまれないのは私も同じです。この先あなたが居なくなったらどうして良いか判らないのも同じ。小夜と二人顔を突き合わせて暮らしたら、辛い思い出を引きずり続けてしまうかもしれなくて不安なのは・・・小夜ではなくて私の方」

そうだ。
きっとそうなんだ。
まるで沖田さんを亡くした時の自分を見てるみたいで。

「それを全部小夜のせいにして、自分は大丈夫と自分自身に言い聞かせ、さも物分かりが良い風にあなたの覚悟を立派と納得し、乱心する小夜に上から物を言い、自分は大人です、とあなたとこうやって話して居るのが・・・そういう自分が滑稽で情けなくて腹が立っただけです」

ここでこんな事をさらけ出して見せたって、副長はきっと迷惑だよな。
と、話す途中から気付いて、涙が出そうになったのを無理やり飲み込み、

「すみません。私もだいぶ混乱してます」

副長がリアクションに困ってる。
無言でこちらを見ている目が訝しんでる。
おそらく、これまでの私なら口にしていなかったであろう己のネガティブな心の内まで吐き出してしまっているから。

それはこの雨音のせいなのか、それとも。


「ここにこうして居ると、なんだか京の休息所に戻ったみたいじゃないですか?」

副長と、小夜と私と。
あの空間が箱館に現出したような。

急に話を変えたので副長がちょっと困惑しているように見えた。
相変わらずひとつも表情は変えていないけど。
それが可笑しくてつい頬が緩んで来る。

「いつも不思議に思ってたんです。あの休息所に来る人は皆、長く居れば居る程何かしらぶっちゃけて良くも悪くも本性を現して、それで何か角が取れて帰って行くんですよね。毒気が抜けるっていうか。なので私はあそこを魔物の棲む家だと思ってたんですが」

副長の瞳が動いて、私の背後の襖を見やった。

「きっとたぶん今ここがそんな状態になって居るのかと。魔物は寝てますけど」

また小夜のせいにしちゃった。

「お前の喋りが止まらないのもそのせいだと?」

こちらに視線を戻した副長のツッコミに笑ってしまいながら、

「そうかもしれません。普段こんなに喋ることは無いですもんね。時間が有るからなのかな?ここに来る前何日かは寝る間も無かったですし、その反動かも」

毎夜のように小夜が感情的になるのもそのせいかも。
昼間紛れているものが、夜になって時間が出来るとあれこれ考えてしまって。

「ここに居るとまるで時間が止まっている感じで、いろいろ考えてしまうのかもしれません」

夜の闇に雨の音。
行灯のオレンジ色の灯りに油煙の匂い。
炭の燃える匂い。
眠っている小夜の気配と目の前の副長の存在感と。
箱館の街の一角に、異世界が出来上がってる。

明日になったら副長は五稜郭へ行ってしまい、いつまた会えるかも判らない。
最悪、もう永遠に会えないのかも知れず。

あの人の居ない明日なんて要らない。

と小夜が言ってたのはこのことだ。
この恐ろしい現実のこと。
この夢のような時間が覚めてしまうのが恐ろしいんだ。

「あなたの居ない世界が来るのが怖くて小夜は自分を終わらせようとした。馬鹿と言って欲しくて馬鹿な真似をしたんだと思います」

「馬鹿と言って欲しくて、か」

独り言のようにそう繰り返して、副長がこちらに手を伸ばした。
それが何の意味か判らずにその視線の差す自分の手元を見ると、いつの間にか無意識に畳の上のゴミを拾っていて。

それは黒っぽい粒状の・・・良く見たらなんとアヘンの錠剤だった。

「急須に仕込む時に零したんですかね?」

と手渡すと、

「ぶちまけたんだ」

え?

「結構な暴れ様でな」

ふっと思い出し笑いをしてピルケースに錠剤を戻す副長の、伏し目になった睫毛の陰が濃い。
その辺にもっと落ちて居ないかと言われて、薄明りの中を探しながら様子を窺うと、菱繋ぎ縞文様の浴衣の肩口から襟元の色がちょっとだけ暗く濃く見えるのに気が付いた。
目を凝らして見て、それが濡れて居るのだと辛うじて判る。

「コイツを全部飲む勢いで呷りやがって、すんでの所で止めたが手から零れて中身をぶちまけたのさ」

そんな・・・。
あれからまたそんな事を?
首筋に冷汗が湧くような心持がする。

「力は無いが手足が長いから押さえ付けるのに手間取ってな。その間に畳の上をかき回して急須と湯呑をひっくり返しちまって」

なるほどそれでさっきから畳を拭いて居たのか。
でも、浴衣の濡れ方はそんなにびしょびしょな感じではない。

ピルケースの蓋の飾りに視線を落としながら、ふと副長が溜息を吐いた、気がした。
ため息とも判らぬ程そっと息を吐いたというか。

「コイツはお前が持っておけ。病院で使うよう高松さんに帰しておいてくれ」

差し出されたものを預かった。
懐に仕舞おうとして思い当たる。

「これはどうしましょう?」

まだ1発弾が込められたままの2連発銃を懐から出す。
行燈の灯りを映して、銃身に刻まれたアラベスク模様が美しい。

今度はハッキリと溜息を吐いた副長が眉根に皺を寄せて、

「それもお前が持っとくしかねぇだろ。当分の間はな」

「ですよね」

護身用なので小夜が持っていない事には意味が無いんだけど、あの様子じゃ仕方ない。
落とさぬようピルケースと一緒に手拭に包んで懐に仕舞って居ると、

「最前の、恵比寿屋に面倒見て貰う件だが。俺もお前の考えが妥当だと思う」

見るともなく私の手元を目で追いながら続けた。

「お前の負担も考えずにアイツの事を押し付けちまって悪かった」

前髪が一筋二筋、額に零れて落ちた。
その影のせいか顔色が暗く沈んでいるように見える。

「押し付けるだなんて、そんな言い方しないで下さい。小夜の先行きが心配なのは私も同じですし・・・」

自分の声が大きくなってしまったのに気付いて、背後の襖の向こうを気にしつつ、

「というか、そんな言い方は心外です。小夜にだって失礼です。私はただ自分の力足らずで小夜に負担をかけてしまうかもしれないから第三者が関わってくれた方が安心だと考えただけです」

そう言ってから、これじゃ私の事まで心配させてしまうかもと気が付いて付け足した。

「だって事情を知り過ぎている者が傍に居ると、気を遣ってしまう事って有るでしょう?見張られてるみたいで」

一般的に説明しようとして出た言葉に、もしかしたら小夜もそうだったのかもと、迂闊にもこの時初めて気が付いた。


連れ戻そうと蝦夷地まで追いかけて来たら、副長が以前と違って見えて。
何か吹っ切れて、目の前の仕事を楽し気にこなして、人間らしく生き生きとしていているのに気が付いて。
もしそこに過去の記憶を背負ったままの自分が出て行ったら、置いて来た辛い思い出を思い起こさせてしまうかもしれない。

きっとそれが嫌だったんだ。
そっとしておきたかったのかも。
だから意識的に距離を置いて。

でも。
それでも見て居たかったんだね。
土方歳三という人を。

距離を置いても目が離せなくて今日まで来たのを、私ったらただ「傍に居たいから今まで何もしないで時間を引き伸ばしたんだ」みたいに言っちゃって。
酷いこと言ったな。
謝らなくちゃ。


「そうだな。それは俺にも良く判る」

副長の言葉には何かしみじみとした響きが有った。
聞き返す勇気は無かったけど、それが何を指すのか判る気がした。

数名の古参の隊士を除き、新選組から距離を置いているように見えるのもそういう事なんだろうし、その古参の隊士からも距離を置いてここで静養しているのもそういう事なんだろう。

・・・って。

「だとしたらここに私等が詰めちゃってるの、もしかして迷惑でした?」

「今更何言ってんだ」

即答&鼻で笑われちゃったよ(凹)。

「スイマセン」

副長は湯呑から白湯を啜りながら、

「お前等のどこが俺の『事情を知り過ぎてる』と言うんだぇ?本気でそう思っているなら自惚れが過ぎる。そもそも迷惑ならとっくにツマミ出してる」

それって少なくとも迷惑にはなって居ないってことで、邪魔じゃないってことで、もしかしたら傍に居ても気にならないってことデスカ?(嬉)。

「ありがとうございますぅ」

とニッコリ笑ったつもりだったのに、嫌そうに顔を顰められてしまう。

「なんだ。気色の悪いヤツだな」

呆れたように笑い、それから何か思い立ったように立ち上がって床の間の脇に置かれていた行李の中から何かを持ち出す様子。

「取って置け」

再び目の前に胡坐を掻いて畳の上に置いた物。

お金だった。
しかも切り餅二つ。
びっくりした。

「こんなもの頂けません」

断ったら案の定不機嫌そうに、

「贋金じゃ無ぇぞ?そもそも箱館では小判なぞ吹き出せんからな」

って、冷汗が出る。

「アイツは恵比寿屋に世話になるにしろ、お前の暮らしはどうするんだ。カネは有って困ることは無かろ?」

「私の事なら自分で何とかしますから。御心配には及びません」

小夜にならともかく、私がそんな大金を貰う理由が無い。
なのに副長は口をへの字に曲げ、

「お前の固ぇのは誰譲りなんだ全く。カネなんぞいくらあっても困らねぇだろ。要らんのならアイツの借金の払いに使えば良し。それが嫌だとゴネるなら病院のやりくりにでも・・・」

あ、そうか、だから切り餅なんだと納得し、

「なるほどそれなら有難く頂いておきます」

相手がまだ喋り終える前に即行懐に入れたもんだから副長が可笑しがって笑う。
っていうか懐重っ。

「それにしても、私等にまでこんな大金くれてたらキリが無くないですか?他にもお金は要り用でしょう?」

って貰っているのにこの言い草(^^;

「知り合いの両替商から拝借して来た。御用金で処理出来ると言われたんでこちらも遠慮無く」

ん?御用金って?

「御用金と言っても今回市中から集めたカネとは別物だ。戦が終われば西軍の奴等とて遊ぶ金欲しさに押し借りに来るに決まってるからな。このカネもそっちへツケておいてくれるとさ。つまり薩長どもの御用金を俺が前借りしてやったという訳だ。」

副長ドヤ顔(汗)。

「無論これは俺の手元のカネ。歩兵どもにバラ撒く分は大店から徴収させといた方」

え?させといた・・・って。
昼間、萬屋のご主人が御用金徴収は副長の知らぬ事と言ってたような、と思って訊いてみたら、

「んな訳有るか。俺と永井様とで図ったことだ。バカ正直にあの場でバラす訳無ぇだろ?少なくともここに居る間はあの御仁には俺を好漢だと思わせて置かねぇといけねぇからな」

副長ニヤニヤ。
こちらはドン引き。

「じゃじゃじゃあ・・・」

すると私が狼狽えるのを見苦しいとばかりに眉を顰め、

「あのな、毎度毎度カネをタカって来る奴に大金をせがまれて、はいそうですかと出すバカは居ねぇんだ。これまで苦労して町方の味方して来たから多少の無理も利くんだろ?」

・・・思い出した。
蝦夷地に来て丸くなったと思ってたけど、この人もともと目的のためには手段を選ばない人だったー!(怖)。

「このまま戦に負けて歩兵どもが鉄砲持ったまま逃げ出してみろ。小夜の言う通り奥地に逃げりゃあアイヌが災難に遭うかもしれんが、大方は蝦夷が島からの脱出を図る。だがそれには船が要るし乗るにはカネが要る。箱館の大店は放火されて火事場泥棒に遭うのが関の山だ。それを未然に防げると考えりゃ先に金を差し出しといた方が利口だろ?被害は少なくて済む」

御用金=被害ですね。判ります(汗)。

「船が用意して有るなら奥地へ逃げる輩も減らせるだろう。そこは良く考えたな」

私の背後の襖に目をやりながら副長が言った。
きっと寝ている小夜へ向けて。

「アイヌへの被害を訴えて船持ちの戎三郎さんを抱き込んだのも、なかなかな作戦ですよね」

最初は突飛で驚いたけど、小夜の目の付け所を副長に褒められるのは不思議と誇らしい。

「高松さんを抱き込んだってことは、脱走兵の輸送を負傷兵の移送に紛れ込ませる了解を得たということだろ?」

さすが副長、理解が早い。

「本物の傷病兵だけで船が満杯になりそうだと言ってましたから、どちらかと言ったら小夜の方が凌雲先生に利用されてそうですけどね」

「良いんじゃねぇか?負傷兵も脱走兵も歩兵の数に入らねぇって事では一緒だ」

非戦闘員ってことね。

ていうか、良いんじゃねぇか・・・って。

「副長、もしかして小夜の味方してます?」

突っ込まれて、一瞬言葉に詰まった副長が可愛らしくて顔が笑って来るのを抑えられない~。
勢い込んで反論しようとして、でも諦めて溜息を吐き、

「まだ戦は終わってねぇからな。歩兵が居なくては戦えないことは確かだ。だが生きるか死ぬかの戦いの最中に脱走して寝返られたり、やる気も無く戦場で逃げ回るばかりでは困る。兵は選びたい」

なるほど、大掛かりに戦線を広げる必要が無いなら兵は精鋭に絞りたいということか。

「西軍を迎え撃つに当たって昨年来有象無象を歩兵として雇い入れたからな。それ以前に自前の歩兵だとて所属の隊によって能力も戦う目的も違う。戦場で命がかかって来ればそれがどのように影響して来るか判らん。つまり」

「抜けたい奴は抜けてくれた方が戦い易いと」

「そういうことだ。逃げる手段もカネも無く、仕方なく留まり続けるヤツも多くてな。食い扶持を稼ぐ為に歩兵になったような、端から命が惜しい奴らに命を懸けろと言っても聞かないのは当たり前。せめて自分で抜けてくれりゃあこちらもカネを使わずに済む」

それが本音か。

「今回集めたカネは決戦の前に歩兵どもにバラ撒く為のものだ。そうすりゃ逃げたいヤツは勝手に抜けてくれるだろうと考えたんだが、お前等がそそのかして早めに抜けてくれるならだいぶカネを節約できるからな。願っても無い」

願っても無いって。
身も蓋も無い程ぶっちゃけてるし(汗)。

ていうか、最後は少数精鋭で戦うとは「20人が3人になっても」という小夜の予測は当たっていたという事なんだろうけど。

「小夜が借金してまで船を借りたのはあなたを生かしたいからなのに。それを利用してあなたは最後の戦いを有利に進めようというんですね」

さすがに小夜が不憫で恨み事を言ってしまう。

だが咎める私の口調を副長は意に介さず、

「有利かどうかは判らんがな」

「それならその御用金で小夜の借金を肩代わりすることは出来ないんですか?」

小夜の計画に便乗しようというならそれぐらいしてくれても良いじゃないか。
そうすりゃ何も戎三郎さんの手掛けとして年季奉公なんてしなくて良いのに。

「悪いが既に使い道が決まっている。五稜郭に知れているカネなのだ。これで歩兵どもの脱走を促そうとは気づいちゃいめぇが」

アッサリと事務的な返し。

「肝心の榎本さんが徹底抗戦か降伏かでまだ迷ってる。尤も皆、腹の中では負けると思っては居るんだろ。しかしいつ降伏するのかが決められねぇ。最後のひとりまで戦うとか御大層な覚悟の御仁がまだわんさか居るからな。榎本さんも気持ちが判るだけに説得し切れねぇ。あの人も気の毒な役回りだ」

懐手をしてまるで他人事みたいに言う。

「無論、俺は徹底的に戦うつもりだぜ?とはいえ榎本さんが降伏すると言うなら従うまでだが」

「え?どういうことですかそれ」

今の今、抗戦派を鼻で笑うような言い様だったのに。
訳が判らない。

「それまでに歩兵の数を減らす。この状況で徹底抗戦などただの自殺行為だと嫌でも判るようにな。どんな有様になるか、最後の1人までなどと夢みてぇなこと言ってる奴等に現実を叩き付けてやる」

憮然と言い放った。
自分に言い聞かせているようにも見える。

「このまま時間が過ぎればどんどん傷口が広がって取り返しがつかなくなる。そうなる前にやめなければ」

と、だんだん独り言のようになって行き、

「この期に及んで一万両も集めたんだ、この街を温存しなければ申し訳が立たない。俺達は蝦夷地を潰しに来た訳じゃないはずだ」

当初予定では箱館を拠点に開拓を進めて徳川家の旧家臣団を入植させるのが徳川脱走軍の目標だったと聞いた。
それがこんな終わり方をするとは。
しかし無念は判るが現実を見ろと副長は言いたいんだろう。

箱館の街を温存しなければ、って結局良い人なんじゃん副長ってばーvと思ったけど、黙ってた。
きっとそんなの指摘されたら照れ隠しにスネるに決まってるし。
それからやっぱり心の熱い人なんだって判って嬉しかった。

それはさておき。

「えーと、つまり目的は微妙に違うけど小夜の計画には乗ったって事で良いですね?」

五稜郭の内情説明なんかで誤魔化されないぞ。
すると副長はまたすぐにむくれっ面になり、

「お前、意外としつこいな」

やっぱ誤魔化す気だったか(笑)。

「小夜はあなたが最後の1人になるまで戦うと思ってます。もう自分が何をしたって止められないと。だから」

「恵比寿屋の妾にはならんと、船を借りるのもやめるかもしれんと言うんだろ?」

あ、そうか。そういうことになるのかと言われてようやく気付く(迂闊)。
副長、もしかしてその手で小夜を解放しようと考えてる?

小夜はどうなんだろ?
もう何をどうしても副長は戦を続けると判って。
自分の身を犠牲にしてまで脱走兵のために船を借りるなんて無理はやめてくれるのだろうか。

「仮にそうだとしても、自分たちで返せるだけのお金をつぎ込んで船は借ります。幸いこのお金も有りますしね」

歪に出っ張った自分の懐を撫でて見せると、副長は顔を顰め加減で、

「オイ待て、そいつは今後のお前等の暮らしのために・・・」

それを遮り、

「判ってます。それはありがたいですけど。船を借りるのはこれ以上死傷者を出したくない為でもあるので。この戦を今すぐにでもやめさせたいのは私も同じです。小夜だって病院で看護しながら毎日戦をやめろって怒りまくってます」

ふん、と副長は鼻を鳴らし、

「誰も死なせず怪我もさせずに戦をするのが無理なだけだ。すまんな」

戦を続けるのを責められたと感じたのか、貰ったお金の使い道を私が強引に決めたのが気に入らなかったのか(多分両方)、口元をへの字にして茶々を入れた。
構わず続ける。

「なので少なくとも傷病兵を移送することはそのまま進めると思います。凌雲先生も期待してるし」

「カネも出さずにか」

鼻に皺を寄せた。
そこも御不満らしい(笑)。

「小夜はまだそこまで詳しい事情を話してないと思うので凌雲先生を悪く言わないで下さい。それにお金に余裕があるならまずは薬や食料確保に使わないといけないし。懐事情を知っているだけに責める気にはなれません。でもそれでお願いがあるんですけど」

「なんだ」

同調せずに凌雲先生の肩を持ったのでちょっとぶっきらぼうに返事が返った(笑)。
そこで、誰に頼まれた訳ではないけれど個人的に気になって居たことをお願いしてみる。

「現在高龍寺に収容されている傷病兵は自力で歩けない人がほとんどです。なので、また戦が始まって負傷兵が大量に運ばれてくる事を考え場所を空けるには、船で湯の川へ送るか少なくとも山ノ上町の本院に移さないといけない訳ですが、それには人手が足りな過ぎる」

医師達は治療に手を取られているし事務方も数名しか居ない。
手伝いに来てくれているのは女性が多いし、後は高龍寺と近隣の寺の手隙の坊様達くらい。
寺男を含めても移送に動員できるのは10人居るかどうかという所。

「なるほど。新選組を使えないかということか」

「そうです。これはまだ私の独断なんですけど、屯所を引き払うならその前にぜひ手を借して欲しいんです。現在本院に収容している者は近いうちに自力で湯の川に行かせるという事なので、空いたらすぐにでも」

本来なら人足を雇う所だけど、戦火から避難して街に人の少なくなった中で充分な人手が集められるか判らない。
そもそも人を雇う程のお金が有るのかも判らない。
もし既に病院側で人足を手配出来ていたとしても、それに新選組の人達が加わってくれるなら仕事が早いわけで。

「良いだろう。どうせ今屯所にしている称名寺は分院として使えと高松さんに申し出るつもりだったのだ。隊長に話をしておく。但し、こちらも警備区域に出張っている者までは動員出来んが」

「そこまで無理は言いません。でも良かった。ありがとうございます。おぶったり戸板に人を乗せてあの坂を往復するのは重労働ですし、船を使うにしても最悪雑魚場まで運ぶことになると思うので頑健な人達が来てくれるなら助かります」

弁天台場から七重浜方面まで断続的に敷設されたという水雷のせいで、高龍寺前の桟橋から弁天台場を回って大森浜に出るには水中に張られた縄を掻い潜らなければならず危険と思われた。
同じ理由で地蔵町の船溜まりに繋がれている船も出せないし、雑魚場の磯船でも借りて少人数ずつ運ぶしかない。

「それで」

「まだ有るのか?」

と言われて初めて、だいぶ長話をしていたのに気が付いた。

「あ、すみません。明日は早いんですよね?」

「まあ、日が昇ったら迎えに来るようには言ってある」

夏至も近いし夜は短い。
雨が夜を長く感じさせるとしても。

「お前等も明日はすぐ病院へ戻れ。これ以上長居はするな。そしてもうここへは来ない方が良い」

なぜ?と訊き返す前に、

「奉行所や屯所を引き払い警邏する者が居なくなったら町方は制御出来ない。こちらへの反撃が始まるかもしれん」

箱館の街は全部敵!って小夜が言ってたっけ。

「ここに出入りしているお前等は誰に顔を覚えられているとも知れず、何をされるか判らん。くれぐれも病院からは出るなよ?」

様々にプレッシャーをかけ続けて来た箱館の人達からの恨みが今回の御用金の徴収でリミットを超えると判断して、街から兵を引くという事なんだろうか。

もしも住民達との間でゲリラ戦が始まってしまったら街が戦場になってしまう。
しかも開港場である箱館の街を灰燼にしてしまったら、徳川脱走軍は正真正銘のただの悪党の集団と国内外に認識されてしまうだろう。

「判りました」

「で?まだ何か有ったんだろ?」

そうだった。
夜も遅くなったからこれを〆にしようと思ったんだv
というわけで、

「先程から気になって居たんですけど。副長、浴衣に鼻水付いてますよ?」

言っちゃった。
副長は一瞬目を見開いて即行浴衣の襟元の濡れた跡をつまんで確認。
顎の下に皺を寄せ、必死に自分の襟元を引っ張って見てる。

引っかかったv
でも結構時間が経っちゃったので実はもう乾いてしまってて。

「嘘です」

慌てっぷりが面白くてうっかり追撃(笑)してしまったけど。

「・・・」

ゆっくりとこちらを向く。
細めた目から冷凍ビームでも出てるんですか?ってぐらい、睨まれると震え上がっちゃうんだなコレが。
おまけに眉間にガッツリ縦皺を寄せて、

「てめー、カマかけやがったな」

あれ。自分から白状してるv

「やっぱりそれ、小夜の鼻水ですよね?」

笑っちゃう。

「鼻水言うな。汚ぇだろ」

「スイマセン。じゃあ涙ってことで」

やっぱり笑っちゃう。
下唇を突き出してへの字口の副長の顔が子供っぽくて可笑しくて。
堪え切れずに声が出そうで必死で下を向いて口をつぐむ。

「仕方ねぇだろ。宥めるのにこうするしかなかったんだ」

そうですか。
暴れる小夜を押さえ付けて大人しくさせて、それから胸に抱いて泣かせてあげた、とv

「別に咎めてるワケじゃありませんよ。それで小夜が落ち着いて言うことを聞いて薬飲んで寝たんならそれで良いと思います」

言いながら顔を上げたら、

「なら笑うな」

って噛みつくように言われたけど(怖)。
渋い顔が赤くなってて悶絶モノ。
我慢するのはほとんど拷問。

って。
笑い過ぎるのも可哀想だからいい加減緩んだ頬を締めなくちゃ。

「それと、明日病院に帰ったらまた狭い所で寝なきゃいけないんで、今夜はこちらの立派な座敷で独り悠々と寝てみたいんでs・・・」

「お前何言ってんだ」

言い終わらないうちに突っ込まれた。
また笑いそうになったけど、ここで負けてはいられない。

「副長は五稜郭内の宿舎で畳に布団で寝れるんでしょ?良いなぁ。私等はまた板の間にごろ寝かなぁ」

「文句を言うなら高松さんに言え。今夜はそっちの部屋で寝たら良いだろ。何なんだ」

面倒そうに次の間の襖に向けて顎をしゃくる。

「えー?夜中に小夜が起きたらどうするんですか。やっぱり私が面倒みなきゃいけなのかなぁ。今夜くらいぐっすり寝たかったんだけどなー」

と、聞こえるように独り言(笑)を言ったらようやく気が付いてくれたみたいで、

「ほう。俺に一晩中アイツの子守をしろと?寝かしつけただけでは足りんと言うのか?」

なんか子育て夫婦の会話みたくなってるのが可笑しかったけど、それには答えず頑張ってじっと見つめたまま念を送って居ると、

「だからこれ以上俺に何をしろと言うんだ」

ますます顔を顰める(笑)。

「今夜くらい傍に居てあげて下さいよ。もうこんな機会は無いかもしれないのに」

小夜を嫌わないであげて欲しい。
いや、嫌ってる訳じゃないのは判るけど。

副長は文句有り気に黙ってる。
口をつぐんでは居るけれど、薄暗い行灯の灯りの中、瞳の動きに合わせて睫毛が小刻みに動くのがはっきり見て取れ、何か考えて居るのは判った。
雨はまだ弱まることも無くサーサー音を立てて降っている。

「今夜一夜俺が傍に居て、それに何か意味が有るのか」

そう言ったのが何か新鮮な気がした。
気のせいかもしれないけど、目を伏せたままだったのがちょっとだけ自信無さげに見えて。
なので、

「意味が無いとダメですか?」

ただ居てくれるだけで良いと思うんだけどな、小夜は。

副長が目を上げたので、微笑んでみた。
それを無表情のまま(何か考えながら?)しばらく見ていたが、最後に溜息を吐きながら、

「お前が期待しているようなことは何も起こらんぞ?」

だって!
笑っちゃった。

「何も無くたって良いんですってば。意味が無くても良いんです。傍に居てくれたら」

困惑したような納得の行かない顔をして眉間に皺は寄ったけど、

「それくらい別に構わんが」

「ありがとうございます。私はこっちで耳栓して寝るんで大丈夫。ご安心ください」

って言ったら途端に不機嫌な顔つきになって、

「お前結局俺に何をさせたいんだ」

あ、なんか勘違いしてる?
耳栓して、ってのが気に入らなかった?

「え?いや、違いますって。朝までぐっすり寝たいんですよォ。小夜がまた夜中に起きたりしたら気になって眠れないですもん。なんでそういう方向に持って行こうとするかなぁ。副長こそ変な気起こさないで下さいよ?」

逆にツッコミ入れたらそっちも眼を剝いて、

「当ったり前ぇだろ!人様の所へ妾に行くと決まってるヤツに俺が手ェ出すとでも思ってんのか。見くびるのもいい加減にしろ。大体俺があんなガk・・・」

「判りました失礼しましたすみませんごめんなさい声が高いです。悪口言うと起きちゃいますからー」

口に人差し指を立て、背後の襖の向こうに耳を澄ます。
雨の音が邪魔で、そっと襖に身を寄せ耳をそばだてる。
ちょっとだけ襖を開けて覗いてみる。
枕元に置かれた箱行灯の薄明りに、仰向けに寝ている姿が見える。
そおっと襖を閉め直し、

「大丈夫。ぐっすり寝てます」

息を殺していたらしい副長が溜息を吐いたのがなんだか可愛く思えて、つい悪戯っ気が湧き、

「襦袢姿でしたけど」

着物&帯が傍らにキチンと畳まれてあったので突っ込んでみた。
すると期待通りに怒った声を潜ませて、

「帯付きで寝かせられねぇだろ」

そりゃそうだ。
でも気が利いて優しいのが副長らしくて和んだので、更に追撃。

「着物を脱がせるのがお上手で」

「ああ慣れてるからな・・・とでも言わせてぇのかこのクソガキが!」

思わぬノリツッコミに噴き出しそうになって、でも声を出せずに苦しくて喋れずに居ると、

「調子に乗ってねぇで。寝るなら支度しろ。お前風呂は使わずに良いのか?」

と言ったので、私の軽口に付き合って遊んでくれたんだと判った。

副長、優し過ぎ。
薄っすら笑みの浮かんだ表情が、なんていうか優しさダダ洩れ?
うっかり惚れそう(え)。

「そうですね。明日からまた風呂無しなんで、ちょっと行ってきます」


火を落とした風呂を立て直すには時間がかかるので体を拭くだけでも良いかと、自分の着替えと荷物を小夜の寝ている部屋から運び出し、寝床も整えてから風呂へ向かった。
雨はまだ降って居たので荷物にならないよう浴衣に着替え、手拭一つ持って。

階下に下りると店の土間のからキューンと鼻を鳴らす音。
持っていた手燭をかざすと、黒々と瞳を光らせてリュウが尻尾を振っている。

「おやすみリュウ。朝まで大人しく寝てるんだよ」

ひとしきり撫でてから、下駄を履いて裏口に向かう。
途中2カ所程小さな陶器の燭台(タンコロと言う)が灯してあって、夜中でも最低限なんとか手燭無しでも歩けるくらいの明るさは確保して有る。

奥へ進むと裏口の手前に二階に上がる階段があって、その上は奉公人の寝所になって居る。
囲炉裏の有る居間が天井まで吹き抜けになっているので、店の二階と裏の二階は繋がっていない造りだ。

シンとした階段の横を通り裏口を開けると、屋内に吹き込む風に一瞬手燭が消えそうになって立ち止まる。
が、風は強くはない。
雨も強いという程でもなかったが、海面を打つ音が立ち並ぶ蔵の間に響いて結構な雨音だった。
他には何も聞こえない。波音さえ。

出来るだけ濡れなうように三段跳びで風呂場の庇の下に入り戸を開けた時、自分を取り巻く空気の中に何か違和感を感じて耳を澄ました。
が、やっぱり雨音の他は何も聞こえない。
振り返ると・・・目の前に井戸。

まさかホラー系?(怖)。
ドキッとしながらしばし様子を窺うけど・・・変わった事は何もない。
オカルトっぽい感じもしないし考え過ぎか(ヤバい時は気配で判る)。

手燭を風呂場の壁に掛けてから湯船からお湯を汲もうとして、他人の入った残り湯で体拭くのもなんだかなぁと思い(冬場だったら諦めるけど)、井戸から水を汲むことにする。
手桶を持って恐る恐る井戸を覗き込むが霊感的なものは働かないので、さっさと水を汲んで風呂場で体を拭いた。
やっぱり水では冷たかったけど、我慢出来ない程ではない。

それより先程からの違和感の方が気になって居て、風呂場から出た後手燭を持って蔵の庇に雨を避けながら岸壁に出てみたが、暗いし雨に煙って海上の見通しは利かない。
相変わらず雨音以外何も聞こえないし。

そういえばこの雨でも七重浜の夜襲は行われているのかしらん?と思い、
雨に当たって火が消えないよう炎の上に手をかざしながらそろそろと岸壁を伝って進み、居留地の端のところまで出てみた。
そして我が目を疑った。

対岸が燃えている。

方角的に真北、七重浜だ。
雨の中にハッキリと火の列が見える。
撃ち合いで陣地が燃えているという規模ではない。
いつから燃えているのか、あの規模ではもしや村は全焼?
どちらが火を掛けたのだろう。
住民は逃げられたのか。

副長に知らせなくては、と急いで岸壁を戻りながら、同時に「うわぁ。今邪魔したらダメじゃん」と頭の中に逆の考えが浮かんでしまって。
裏口から土間を通る間に手拭で濡れた顔を拭きながら「どうしよう。見なかったことにしちゃおうか」とか考える。

抜き足差し足で階段を上り、取り敢えず奥の間に入る。
浴衣が濡れてしまっているのを今更思い出したが、びしょ濡れという程でもないのでこのまま寝るしかないかと諦めた。

このまま寝る?
このまま寝て、夜中に屯所から誰か報告に来たら私がこちらの部屋に居るのはマズくないか?
やっぱり副長に事情を話して部屋を替えた方が良いのか。
どうしよう。副長、もう寝ちゃったかなぁ。
ってか、やっぱ邪魔したくないしなぁ。
見なかったことにして朝を待つか・・・。

ひとりであれこれ考えながら、取り敢えず火鉢の火に灰を被せ、明日目が覚めたらすぐに部屋を移動できるように自分の荷物を枕元に集めていた時、隣の部屋の障子戸が敷居を滑る音がした。
さては厠か(爆)と思い、手燭を持って廊下に出ると、

「どうした。眠れんのか?」

「あの、七重浜村が燃えてます」

いきなり言ってしまった。
副長は一瞬おやっという顔を見せたが、驚くという程でもなく。

「すみません。岸壁から見えたので。でももうお休みかと思って・・・」

報告をせずに居たのを察したのか、

「判った」

咎める事無く踵を返して階段へ向かうのを追いかけ、手燭を差し出すと、

「要らん。早く寝ろ。夜明けには誰か来る」

やっぱりそうだよね。

「あの・・・小夜の様子は」

「ああ、熱は下がったようだな。あの調子なら朝までぐっすりだろ」

朝まで寝ちゃうかー。
夜中に起きても良いんだけどなー。勿体ない(何)。
とか考えてたら、

「なんだ。期待外れか?だが念のため耳栓はしとけよ?」

ニヤッと、妖怪みたいな笑いを見せて階段を下りて行った。

副長が冗談(?)言うとか・・・!
いろんな意味で置いてけぼり喰らって廊下に立ち尽くし・・・。

あっ、もしかして笑った方が良かったかも!(爆)と気が付いたが後の祭り(悔)。


まさか耳栓はしなかったけど、幸い?雨音はだんだん強まって来てるし他に何も聞こえる心配はない。
考えることが多過ぎて頭が疲れてたのか、その夜はアッサリ眠れた。

夜中に何度かリュウが鳴いてた気がする。






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