もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室 

鼻の先に小雪が一片舞って、思わず空を見上げた。
灰色の雲が低く垂れ込めて、冷えた空気を吐き出している。
雪が降りそうだったのを忘れていた。

傘、借りてくるべきだったかな。
首巻を引っ張り上げて、頭からひき被るようにする。

行きかう人々の中にも頬かむりや頭巾を被った人が多い。
これは冬場の定番で、二本差にも頭巾姿が結構多いのである。
頭巾を持っていなくとも私のように首巻を頭からぐるぐる巻きにして目だけ出している人も少なくない。

身元が危うい人間が徘徊しやすい季節とも言える。
誰が誰やら、敵やら味方やら判らない。
まあ、写真もテレビも無い時代のことだから、被り物をしていなくたって指名手配犯も普通に歩けるんだけど。

大刀の柄に雪がつかないよう、落とし差し気味にして羽織でかばい、手を懐に戻す。
懐手や落とし差しをして街中を歩くなど『お前にゃ10年早ぇ!』って、副長に見られたら叱られるだろうな。

「だって寒いんだも~ん」

って小夜なら言うんだろうな。
いや、

「だって、寒いしー!」

かな?
口真似して笑っちゃう。

・・・笑っちゃえて、良かったよなぁ・・・。


あの時はビビッたな。
倒れた雨戸の戸板に血溜まりが出来ていた。

副長が小夜の家に泊まった次の日は、彼が屯所に姿を見せるのを確認してから出かけるようにしていたのだ。
だいたい、副長の居る休息所に朝っぱらから押しかけるなんて周りからひんしゅく買いそうだし、仮に当人達がそう思っていなくとも、まるで私が小夜の貞操の無事を確認しに行ってるみたいじゃないか・・・!
・・・これって考え過ぎ?(赤面)
まあいい。

なのにあの日はなぜかいつものように壬生を出た。
何も考えず、途中で行き遇ったらそれもいいかな、と。
今思えば虫の知らせというヤツだったのかもしれない。


小夜の家に続く細道の角を入った時から、何かいつもと空気が違っているような気がして・・・。
背伸びをして垣根の向こうを覗くと、雨戸が半端に開いている。
木戸を入ってすぐ、家の中が荒らされているのに気がついた。

戸板の上の血溜まりは、既に端の方が黒く乾き始めていた。
半分開いていた雨戸からのぞく縁側は、白く灰を被っており、無数の足跡と血痕で汚れている。
最悪の事態が頭をよぎり、全身総毛立った。

「・・・小夜?!」

悲鳴になっていたかもしれない。
が、すぐに、

「幸か?」

耳慣れた声が聞こえ、今度は全身の毛穴から汗が噴き出した。
履物を脱ぐのも忘れて、声のする奥の間に向かうと、寝床の上にうつ伏せに寝かされた小夜の、血の気が失せて黄ばんだ肌の色がまるで蝋人形のように見えて。

足がすくんだ。
息をしているのか?
だが、心の中に湧いた恐怖の塊が忌まわしい単語に凝縮してしまう前に、静かだが揺ぎ無い声が耳に届いた。

「落ち着け。傷は浅い」

薄暗い部屋の奥に副長が居た。

「なんて面だ」

余程ひどい顔をしていたのだろう。
そう指摘することで、彼はきっと私に落ち着く間を与えようとしたのだと思う。
無理な微笑が痛々しかった。

「・・これはどういう・・・?傷は浅いってどれくらいなんですか?」

唾をごくりと飲み込んで、ようやく言葉が出た。
声が震えているのが、自分でも判った。

「俺が目を離した隙にこの有様だ。ザマぁ無ぇ。傷は左腕の手首の外側から肘までと、後から右袈裟に斬りつけられたようだが・・・運の良いヤツだ、右の肩先が多少深い程度で背中は全くのかすり傷。ただ・・・」

「ただ?」

「斬り下ろした切っ先がどういう加減か、左の脛に入っちまった。そこが一番傷が深い。出血もひどい」

息を飲む。が、それ以上のアクションが思いつかない。
訳も無く気が急く。

「およそ傷は浅い。だが、この体にはいかにも深手」

副長が小夜に視線を向けた。

彼女の体格は見た目にもほっそりしているのだが、実はもっとずっと華奢なのである。
上背があるし、着膨れているのでそうは見えないだけだ。
彼にもそれは判っているらしい。
体を鍛えた大の男なら浅手と言える刀傷でも、嵩の無い彼女の体には負担が大きい。

「出来れば医者に診せたいが・・・」

こんなところに名の通った蘭医を呼ぶのは無理だと言う。
ならば町医者・・・と言いかけて、思いなおした。
この時代、医者と名乗れば誰でも医者になれるのである。
そんなものに彼女の命は任せられない。

「町医者に心当たりは?」

「それさ。お前には山崎にこのことを知らせて欲しいのだ」

言わんとすることはすぐに判った。
町方の事情に詳しい山崎さんなら名医を知っているかもしれないのだ。
だが、

「判りました。ですが、医者を呼べばこの家のことを知る者が一人増えます。しかも外部の者。それでもあなたは構いませんか?」

私の返事が意外だったのか、副長はその真意を測るかのように目を細めてこちらを見ている。
だが、私の言っていることに同意しないではないはずだ。

「私はそんなリスク・・そんな危険を犯してまで医者が必要とは思われません。」

「医者に診せずとも構わぬと言うか?」

問われて頷くと、彼は不敵に笑って、

「どうやら落ち着いたと見える」

と私を気遣っていたことを窺わせながら、

「訳を聞こう」

刀傷の治療の危うさに疑問を持っていた私が訳を話すと、彼はすぐに了解してくれ、

「承知した。ではお前は床清へ行ってわけを話して戻って来い」


床清は新選組の出入りの回り髪結い、清蔵さんの店。
家族ぐるみで監察方の仕事を手伝ってくれている有難い存在で、山崎さん情報もここが確実。
清蔵さんには息子さんが三人いて、店には常に誰かいるはずなのだ。
事情を話せばすぐに動いてくれる。
ちなみに清蔵さんの一人娘が、小夜がいつも世話になっているお夏さん。

「私も山崎さんを探してきます」

その方が山崎さんを早く捕まえられると思ったのだが。

「いや、ヤツラに任せろ。お前はすぐに戻って来い」

「でも・・」

「コイツが目を覚ました時、お前が居た方が心強いだろう」


この人って、ほんとは優しいんだと思う。
でも、そう思われるのも嫌なのか、

「この散らかりようをなんとかするのもお前の役目なんだぜ」

と家の中を見回し、意地悪くからかってから、

「悪いが俺はまだここを空けるわけにはいかん。ここを襲った奴がまだ近くにいるやもしれん」


おそらくは自分で飛んで行きたかったんじゃないだろうか。
じっと待っているのは性分では無いはずだ。

だが彼がここを離れるのにはまだ安全が確保されていなかった。
悔しいが、私では万が一の時持ち堪えられない。

安全にするためには早く下手人を上げなくてはならない。
そのためには早く応援を頼まなくてはならない。
だが屯所に駆け込むわけにはいかない。
事情の判っている頼もしい味方は、今どこに居るのか判らない。

落ち着きかけていた心臓が、再び拍動の速度を増した。

「行ってきます」

「頼む。急いでくれ」

飛び出した背中に聞こえた声音には、抑え込んではいたが確かに焦燥感があったと思う。



冷え込みがひどい。

副長が小夜の家を出てからどれくらい経ったか聞いて来れば良かったな。
時間の見当もつかずに寒空に人を待つのは堪える。

見当はついてる、なんて言って出てきたけれど、ほんと言うと当ては最初からひとつしか無い。
小夜んちから歩いて十分。
こんな近くに副長のホントの妾宅があるなんてこと、いったい何人の人が知っているんだろう。
もしかすると、監察の山崎さんさえ、知らないのかもしれない。

いや、妾宅ならとうの昔に他人に知られていたのかもしれぬ。
あれは妾宅と言うよりは恋人の家に通ってるカンジだったもんなぁ。


恋人、と言っても実際にそんな場面を見たわけでもない。
その人の顔も知らない。
私が知っているのは、その人の小作りな白い右手と、あとはかすかな笑い声。

秋も終わりの夕暮れ時、平服で一人歩きしている副長を見つけ、面白半分に後を付けたのがそもそもの始まりで。
あの時、格子戸を開けて中に招き入れたその人の白い手が、ぽっかりと夕顔でも咲いているように見えたのを覚えている。
ころころと明るい笑い声が意外だった。
副長相手にあんなに柔らかく楽しげに笑えるなんて、いったいどんな人なんだろう。

副長はここに来ているのに違いなかった。

小夜をあの家から出そうなどと、彼自身不本意であろう話を本人相手にしたとあっちゃぁ、滅入るだろうからなぁ。
恋人に甘えたくもなるでしょうよ、うん。

ってか、さっき屯所に戻ってみて判ったけど、副長、ストレス溜まる仕事ばっかり背負い込み過ぎ。

近藤局長が江戸から連れてきた人数は、それでも足りないなんて言ってるけど、実は多過ぎたんだと思う。
急過ぎたというのかな?

新選組は倍近くに膨らんで、体裁を整えつつあるように見える。
でも、まとめきれていない気がするのは、私だけではないはずだ。
だって、既に新入隊者がそれだけで派閥になりかけているんだし。

今まで培ってきた新選組のアイデンティティーが保てなくなってきている。
これは副長にとっては何より気がかりなことではないのか?

おまけに、新参者の中で一番局長が気に入っている伊東甲子太郎という人物。
頭が良過ぎて口が達者で、慇懃無礼とまでは行かないけれど・・・、副長、嫌いなタイプじゃありませんか?
局長や部下への手前、傍目には上手くやってるように見せているけど、結構ストレス溜めてるでしょ?
局長の覚えめでたければ、これから新選組の運営に係わってくる人なのだろうが、副長としては気が進まない展開なはずだ。

屯所移転の話だって、そろそろ局長や山南先生に相談している頃合なのだが・・・。
伊東さんの存在でそれも上手くいっているのかどうか・・・。

いや、それより山南先生だ。

病気なのかどうか、部屋に閉じこもりがちだと聞いた。
近頃は副長と喧嘩することも無いらしいが、それって喜ばしいことなのか?

そして会津藩への発言権確保のためと思われる軍資金調達。
大坂の豪商達から莫大な金を借り受けて(ほんとに返せるのか?てか、返す気あるのか?)長州藩征伐の軍資金不足に悩む会津藩に提供し、貸しを作るという計画。
上手くいって、少しはほっとしたんでしょうけど、今度はこんな事件。
しかもほとんどプライベート。

気がかりは沢山ある。
そんな中で面倒な仕事は極力カットしたいという気持ちは判る。
判るんだけどさぁ。

昼寝する場所が無くなっちゃうのは困るんだよな。


足が冷たくてじっとしているのが辛い。
足踏みしながらどれくらい経ったろう。
寒さはもう限界に近くて、あきらめて帰ろうかと思った時だった、狙った家の格子戸が静かに開いた。
確かに出てきたのは狙った相手だったが。

笑った。
この寒いのに羽織を畳んで手に持っている。
そういえば、小夜んちに来た時、紋服だったな。
いつもなら着換えて来るはずなのに、きっと感情にまかせて飛び出して来ちゃったんでしょう。

こんな町外れのしもた屋に紋服で来ちゃあいけません。目立ちますぜ。
ってか仙台平の袴も不釣合いです。爆笑。
せめて紋所を隠そうという姑息なところがかわいいっすよ、副長!

羽織を着るところまでは泳がしてあげようかな。
カノジョの家から離れた方がいいしね。


一度物陰に隠れてやり過ごしてから追いかける。
足が速ぇの。
思わず小走りになると、すぐ足音に反応し、懐手を解いて大刀の鍔元に左手が行くではないか。
鐺(こじり)がクイっと上がるのが判った。

ひー!おっかねぇよー!
待ってくれー!私を斬らんでくれー!

仕方なく小声で名乗る。

「待ってください、私です」

相手の歩くスピードが緩んだ。
横に並ぶと、顔の向きを変えぬまま無言で睨んでくる。

「すみません。誰かにつけられているみたいなんです。一緒に歩いてくれませんか」

すると今度は返事もせずに、一歩下がってぴたりとついて来るではないか。
これは頼もしい番犬だなぁと思ったらやたら可笑しかったが、笑い出すわけにはいかない。

いくらも歩かないうちに、素早く路地に入る。
居るはずの無い追っ手など探されては困るのである。

副長も入って来るなり後ろの様子を窺っている。
私が大刀を抜き放ったのを認めて、

「真昼間から喧嘩をおっ始めようたぁ豪気だの」

と言ってから、急に眉間にシワを寄せた。

「お前、なんかオカシかねぇか?もういっぺん抜いてみな?」

・・・なんだか知らないけど、クレームついちゃった。
仕方ないのでもう一度、納刀&抜刀・・・。

「・・・あのなー、確かに長い刀を持てとは言った」

副長、溜息交じり。

「だが、扱えなきゃどうしようも無ぇだろ。身の程知らずもいいとこだ」

「斎藤先生にもそう言われました」

いつぞや副長に言われてから、長刀を持つのを目標にして来た。
もうそろそろいいかなと思って、小夜んちの納戸の刀箪笥から良さげなのを拝借したんだけど。
斎藤先生には扱うにはまだ早いと言われたんだ。

腰に差して歩く分には、体に慣らす分にはいいかな?ってことで持ち歩いてはいるんだけれど。
なにせ使わないことが大前提(爆)の二尺七寸三分。
副長の二尺八寸にはわずかに及ばないが、私の拙い技術力では抜刀でクレームがつくのも当たり前の長寸。

「小太刀は?」

扱い辛い大刀よりは脇差の方が私の臂力に合っていると考えたのかもしれない。

だが、

「竹光です」

副長が鼻を鳴らした。

「ばーか。そんなくだらねぇ言いつけばかり守りやがって」

ひでぇ。自分が言ったくせに!

「仕方無ぇ、俺のを貸してやる」

副長の脇差は小太刀とは呼べないぐらい長い。
二尺近くあって、ほとんど大刀。
この人はたぶんこれを屋内用に持って歩いてるんだよな。
屋内用、つまり屋内乱闘用だ(爆)。
用心深い人ではある。

その申し出を断ると睨まれた。
気を悪くしたのを隠さない。
なだめるのが大変。
こういうとこ、・・・小夜とおんなじ(苦笑)。

「だって始めから抜いときゃいいでしょう?居合いじゃないんだし。そんなことやってる暇無いんですから」

ふたりで河原漫才やってる暇に、雪は本降りになってきた。
やばい。
早いとこケリつけないとな。

「ほ、ほら!追っ手が・・」

釣られて副長が後を向き、無防備な背中をこちらに向ける。
そこをすかさず、

「動かないでくださいね」

首筋へ大刀をあてがう。
瞬間、相手は体を強張らせた。

「どういうつもりだ」

大声ではなかったが、語尾が鋭い。
この不調法に腹を立てているのは判っている。
私を信用して背中を見せたのだものね。

が、それには取り合わず、

「静かに。頚動脈がさっくりいっても知りませんよ」

「一体どういうつもりかと聞いている」

「おいおい話します。両手を上に上げて頭の上に置いてください」

背中を向いているので表情は見えなかったが、きっとこんな展開が面白くなくて、彼は動こうとしない。

「言うことを利かないと出血多量であの世行きです」

それでもしばらくは無言で抵抗していたが、こちらも無言で応じていると、諦めたのかゆっくりと両腕を上げた。

足払いを食わないよう、両手の自由を失った副長の背中を押して、目の前の板塀に体を預けさせる。
塀に押し付けられた顎の骨がゴリっと、音をたてた。
手荒なことはしたくなかったのでちょっとヒヤッとしたが、仕方ない。
こちらがそこまで本気だということも判ってくれるだろう。

返り討ちに遭うのも怖いので、

「すいません、ちょっとお腹引っ込めてくれませんか?」

後から相手の大刀の鞘を捻って天地を逆にする。
脇差も。

・・・なんかこういうの、楽しいかも(←結構鬼畜・笑)。

「ちょっとでも動くと切れちゃうので気をつけて下さいね」

刀だけ首筋ぎりぎりにあてがったまま、相手との間を一定距離開けてナシをつけにかかる。

「決して後を振り向いたりしないように」

ほんとは可笑しさにニタついてしまっている顔を見られたくなかっただけなんだけどね。

「追っ手というのは茶番かね?」

声の調子が平然としているのは、こういう状況に慣れているからなのか、単に相手が私だから見くびっているだけなのか・・・。
・・・きっと両方だな。

「そうです。こうでもしないことには逃げられちゃいますから」

「逃げる・・・とは?」

「談判の席から」

そうやって、小夜のとこからも逃げて来たんだろうからね。

「小夜にあの家を出ろと言ったそうで」

言い終わるか終わらないうちに、彼は鋭く舌打ちをした。

「誰に知恵をつけられた?アイツか、それとも山崎か」

「誰にも。あの二人は今私がこんなところでこんなことをしているなんて夢にも思っちゃいませんよ。山崎さんにしたところで、あの人があなたの意思に反するようなことをする人だと思いますか?」

「・・・・」

彼はおそらく反省中。

「話を戻します。小夜をあの家から出そうと思った理由は何ですか?」

我ながら意地悪な質問だ。
答えは既に判っているのに。

「あの家を出たがっていたのはあいつの方だ。望み通りになったというのに今更なんだと言うのだ」

巧みに論点をズラして来る。
惑わされる相手と思ってか。

「それは答えになっていません。小夜はあなたの妾になるのを嫌がっていただけで、自分の仕事は気に入っていました」

「仕事は遊びじゃねぇのだぞ」

そりゃそうだが・・・。
ここでうんと言ってしまえば相手に逃げ道を与えてしまう。

「それはつまり、何も知らない彼女が、新選組の仕事のために傷つくのを見るのは忍びない、ということですね?」

ふん、と彼は鼻を鳴らし、低く笑い声までたてながら、

「そいつはまた随分と買いかぶってくれたもんだな。この俺がそんなお人好しに見えると言うのかよ」

そんな憎まれ口を利いてもダメですよ。
私は知ってるんだから。
事件の翌日、仕事からようやく解放されたあなたが見舞いに来てくれたあの日、まだ熱が高かった小夜がうわ言であなたの名を呼んだのを。



用心はしたつもりだったがやはり消毒が完全なものではなく、しかもこの時代に抗生剤など有るわけも無く、小夜の体は高熱を発して傷口から入り込んだ化膿菌と戦っていた。

側についていたとは言え、私はただ手をこまねいていただけだった。
床清のお夏さんが来てくれた時に、手を借りて血で汚れた布団を取り替えたり、意識の無い彼女の着替えをさせたり。
一人で居る時は散らかった部屋の掃除をしていただけだったもの。
そうでもしていなければ、落ち着いて居られなかったというのもあったし。

熱が高かったので脱水症状が心配だった。
水分を摂らせたかった。
なのに点滴も注射も無いのだ。
水を飲ませようにも病人は意識が無い。

このままでは死んでしまうのかもしれないと思った。
目の前で小夜に死なれたら私はどうすればいいんだろう。
早く目覚めてくれと、そればかり願った。

一晩寝ずについて、さすがに疲れていた時だった。
来れないだろうと思っていた人が思いがけず来てくれた。
胸が熱くなった。
心強いとはこのことかと得心した。

「どうだ?」

青白い頬を風にさらして家に上がっていく副長の背中を追いかけ、

「状態は相変わらずです。ですが水を飲んでくれなくて・・・」

「判った」

即答されたが、何をどう判ったと言うのか腑に落ちないでいると、彼はすぐ小夜の枕元に置いていた水差しから水を口に含んで、口移しに飲ませ始めたではないか。
正直、ちょっと目のやり場に困った。
でも飲んでくれるのが嬉しくて、ずっと見ては居たんだけどさ。
小夜には言えないや(汗)。

何度か、結構な量を飲んでくれて、本当に助かったと思えた。
これで熱も下がってくれるだろうし。
脱水症状の危機は脱した。

水を飲まされて意識が戻りかけたのか、高熱で汗まみれになりながら一心に眠っていた小夜が初めてうわ言を言った。

始めは口元に耳を寄せても聞き取れないぐらい小さな声で。
ろれつも判然としない。
最初に意味が聞き取れたのが、

「くそー」

だ。

爆笑。

それからはっきり、

「死んでやるもんかー」

と来た。
副長と顔を見合わせて噴出しちゃったっけ。

「死ぬようなタマじゃねぇな」

と小夜を見下ろす副長は、やっぱり安心したのかうっすら笑顔になっていたのだ。

「・・・ちくしょー」

小夜の顔がゆがんだ。
私たちはまだ、それがただの悪態だと思い込んでいて、次に何を言うのか期待さえしていた。
なのに彼女の瞼には涙が滲み、

「早く来てよ・・・」

夢を見ているのに違いなかった。
苦しげに溜息をついて、汗ばんだ肌が一層汗を噴いたように見えた。

「助けてよぅ・・」

声はだんだん小さくなっていく。
小鼻がひくひくと動いて、滲んだ涙が瞼の外に盛り上がる。

「土方さ・・・」

小さな声ではあったが、確かにそう、名を呼んだ。

顔色を変えて副長が不意に立ち上がった。
その勢いで側にあった水差しが畳に転がり、残っていた水がわずかばかりの水溜りを作った。

怒りに上気した顔で、それでもまだ小夜の表情から目を離せないでいる。
見開いた目が釣りあがっていた。
こめかみの筋肉が動いているのは、歯噛みをしているからなのか。

小夜の血の気の無い瞼の上に溜まった涙が、目尻から流れて落ちた。

「あたし・・・死んじゃう・・・」

夢は事件の再現だったのか。
目覚めれば怖い夢からは解放されるのか。

「小夜・・!」

私が彼女を揺すろうとするのと、副長が部屋を出て行くのは同時だった。
体中に爆発しそうなほど怒気を充満させているのは、そのせわしない雪駄の足音で判った。

下手人はきっとあの勢いでミンチにされたんだろうな。


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