もう50年ほど前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。




が、それにツッコミを入れたら(機嫌を損ねて)洗髪のチャンスを逃しかねない。
おとなしく従うことにする。

仰向けになりながらそっとタライに頭を沈める。
温か~い。

「あ~、気持ち良~い♪」

思わず目を閉じる。
気持ち良過ぎてこのまま眠っちゃいそうなくらい。

と、はしゃいだ空気が判るのか、それまで火鉢の脇に背中をつけて寝そべっていたフクチョーが畳の上をひたひたと歩み寄って来た。
不思議そうな面持ちでタライの縁の匂いを嗅いでいる。
頬を舐めてくるのがくすぐったかったり。

そうしているうちにも土方さんは、茶の間の畳の上に寝そべる形になった私の脚に布団をかけてくれ、その上ナント!鏡台から櫛を探し出して来て、湯の中で髪を梳いてくれるではないか!

いったいどういう風の吹き回しだろう。
あまりのことにその顔を凝視してしまうが、相手は何とも思っていない風に普段通りの無表情。

それに、・・・そもそもそんなことなんかどうでもいいぐらいに超極楽な気分だったしっ!

気持ち良過ぎっ!
サイコー!

・・・と叫びたいくらいだったが、相手の気に障ってしまうと、この幸せな時間が即座に終わってしまう可能性大なので必死に我慢。


「髪、抜けるでしょー?」

三日洗ってないからなー。

「ああ・・。針刺しのひとつも出来そうだな」

言ってる側からくるくると巻き取った黒い塊を、傍らに置いた懐紙に除ける様子。

あちゃー。

「汚くてごめんなさい」

それには答えず、

「京女というヤツは髪なんぞめったに洗わんそうだぜ?」

・・・それって、もしかして慰めてくれてるんだろうか?

土方さんの目はこちらを見ていない。
作業に集中しているのかも。

こんな間近でこの人の顔を見ているのも変な感じ(しかもさかさま・笑)。
飴色に染まった天井板をバックに、白皙に伏し目がちの睫毛が・・・きれいだと思った。
それから、何よ、オヤジのくせにさ!って(笑)。

目の中に映っているのを、鏡代わりについ見ちゃう。
水の中で髪を櫛削る手元を。
バカみたいに半分口を開けてこっちを見ている自分の顔も(--;。

「目・・」

彼の唇が僅かに動いた。
耳元で響く水音でなんだか聞き取れない。

「え?」

と訊きかえしてから、独り言だったのかとも思った。
それだけ手元に集中しているように見えたのだ。

なので無視されるかと思ってたら、

「瞑ってろ」

ああ、そうか。
そうだな。
何もじっと見つめてることはないよな(^^;

「うん」

と、目を閉じる。

でもさー、目を瞑ると気持ちよくて寝ちゃいそうになるんだよな~♪
と深呼吸したのもつかの間、ふん、と鼻で笑う声に目を開けてしまう。

「まるで墨流しだ。硯でも洗ってるようだな」

タライの中は私の髪でいっぱい。
つまり真っ黒って言いたいワケだな。

コンプレックスを刺激されてしまう。

「もうちょっと柔らかい色だったら良かったよねー。幸みたいにさぁ」

あの軽い感じがいいやね。
風に揺れるふわふわ髪って憧れだなー。

「幸?」

黒目がちの瞳が動いて一瞬目が合った。
それからまた視線が戻って行く。

「あの髪は結えねぇぞ。結髪するには髪文字やら何やらで細工しねぇと無理だ。すぐに崩れちまう」

「そうかな。でもさー、アタシみたいに真っ黒で厚くて重くて硬い髪より全然良いよねー」

口を尖らせたら、逆さの顔が微笑んでいるように見えたんだ。
にっこり笑い返したら・・・無視された。

今度こそ気のせいだったな(^^;


その時だ。
突然、横からフクチョーのヤツが(たぶん私の髪を梳く仕草を遊んでると思ったのかチョイチョイと白い手(前足です)を伸ばしてじゃれて来てたんだけど)いきなり顔の上に乗っかって来て、

「ぶわ・・っ!」

慌てて押さえたけど、そのままタライに飛び込みそうな勢いで暴れ出した。

「ちょ、ちょっとやめ・・・っ・・大人しくしなさいってば!うぷ!・・・もー!やだぁ~!乙女の顔にそんなもの押し付けるな!コラ!」(←フクチョーは男の子です・爆)。

ふはは・・と、頭の上で笑い声が聞こえた・・気がした。

毛むくじゃらの猫の腹が顔の上にあって、笑った顔を確認できなかった。
確かに笑ったのかどうかも・・。

でも吊られて自分でも笑い出してしまって・・・。
おまけに仰向けになりながら笑ったものだから痰の絡んだ咳が出て。

唐突に、猫が居なくなった。
土方さんが手にした櫛を部屋の隅に放ってやったらしい。

「待ってろ」

と立ち上がり、視界から抜けて行く。
庭から直に風が来て、その間も咳は止まらない。
じんわり汗をかくぐらい。

洗髪用の大判手拭い(お手製ですv)が風呂場に用意してあったのを彼は知っていて、それを手にして戻って来た。
濡れた頭をぐるぐる巻きにしながら、ひょいとばかりに私の体を起こす。

「今日のところはこれで我慢しろ。風呂には入るな」

ホントはお湯を替えてもう一度やってほしいところだけど、それを言ったらまた小言を言われそうなのでやめておく。

ようよう咳も治まって、髪を拭いている間に、土方さんはたらいのお湯を庭にぶちまけた。

明日の朝は霜柱が立つかも、と思ったら洗い髪に冷たい風が沁みた。
日が暮れかけていた。

「もう行くぞ。床に入れ。いいか、風呂は使うなよ」

襷がけを解いてこちらに放る。

せわしないのはいつものことだけど、きっと予想外に時間を食ったことに気付いたんだな。
刀を差し直し、羽織を着直しながら足早に出て行った。



結局あの人は何しに来たんだろ?
様子を見に来ただけなのかな?

それにしてもほとんど2ヶ月ぶりに会ったワケだからな。
喧嘩しなくて良かった。
いろいろツッコミ入れたかったけどね。

ていうか、お礼言いそびれちゃったな。
あんなに親切にされたの、初めてだったのに。


・・・なんで?

動きを止めた櫛には好奇心が湧かないのか、フクチョーが退屈顔で戻って来た。
顎を掻いてやると、ゴロゴロ喉を鳴らして背中を擦り寄せて来る。

「ま、いいか・・・」

妙に機嫌が良かったってだけだよな・・・?


入るな、という言いつけは当然無視して、三日前に水を汲んであった風呂に火を入れる。
どうせチクる人間もいないし、実際、風邪は治ってるんだもの。
咳がしつこく残ってるだけだもん。


風呂が沸く頃、屯所から夕餉が届いた。

早っ!

が、開けてびっくり、おかゆでしたー(大涙)。

ヒジカタトシゾーのばかやろー!病み上がりなのに体力つかんやないかコラ!
と、言いつつ食べましたけどね。
フクチョーの分もあったの。ねこまんま。
そっちの方が旨そうやんか!(爆)

でも一個だけ大福がついてて超ウマでした。
(きっと沢山よこすと一気に食べるだろからってんで、一個しかよこさなかったんだ。それもヒジカタトシゾーの差し金に違いない・涙)




  
すっかり暗くなってしまい、余りに冷え込んできたので結局温まるためだけに湯に浸かった後、茶の間の長火鉢に抱きつくように座り込んで、私は髪を乾かしていた。

浴衣の上にどてら(京都では夜具はふとんなんだけど、どてらじゃないと寒くて眠れないっていう人がいて(=ヒジカタトシゾー・笑)を着込み、ヒザの上にはフクチョーが丸くなっている。

それでも洗い髪を乾かす手先は凍りそうなほど冷たくなり、治りかけた風邪がまたぶり返すかもしれないと、ちょっと後悔などもして、早いとこ寝床に入ってしまおうと思いかけた時だった。

外で足音がする。

手を止めて、様子を窺う。

トントントンと・・・足音ではなさそう。
何かを叩く・・・。

外ではない!と気づいた瞬間、全身の毛穴が粟立つような心持がした。

音は納戸からしている。
ネズミなどではない、明らかに規則正しい・・・ノックの音。
土方さんだ!と思った。

納戸の奥の隠し戸から入って来るなんて何かあったのか?
追っ手がかかっているのか?

世情不穏。
彼がここへ姿を見せることが少なくなったのもそのためだとは、世間の事情に疎い私でさえもうすうす気付いていた。

そういう訳なので、何の疑いも持たずに急いで納戸の板戸を開けたのだ。

湿って冷たい空気が塊となって押し寄せる。
一瞬のうちに体が冷え切る。
板敷きの床が氷のようだが躊躇している暇は無い。

納戸の奥のタンスの引き出しを取り除き、観音開きの隠し扉を開けてやると、入ってきたのは、

「誰?!」

飛び退いた。

土方さんではない!





箪笥の奥から両刀を携えて半身を現した男は、黒っぽい頭巾を被っていた。

その姿を認めた瞬間、私は今入ってきたばかりの板戸の所まで飛び退っていた。
座敷に戻り、戸を締めればなんとか逃げ切れそうだと思ったからだ。
脳ミソをフル回転させ、表通りまでの逃げ方を頭の中へシュミレーションしているところへ、

「私です・・・」

意外な程、若いテナー。

納戸の中だ、灯りは届いていない。
咄嗟のことで箱行灯も手元に無い。
でも。

「私だ、小夜さん」

この声はもしや・・・。

頭巾を取ると闇の中に白っぽく月代が見て取れた。
ぼんやりと窺える顔の陰影が・・・。

「斎藤さん・・・なの?」

ゴジラみたいに真っ白な息を吐き出しながら、・・・彼はたぶん隠し扉を元通りに閉めてこちらに向き直った。
真っ暗でほとんど見えなかったが、まあ、そんな間合いだったのだ。

「驚かせてすまなかったが・・・」

と言いかけて足元に視線を落とす様子。
泥だらけなのだとは見ずにもわかった。

「ちょっと待ってて」

たらいにお湯と手拭、それと灯りを持って出直す。
くしゃみが何度か立て続けに出た。
鼻水も。

斎藤さんが居住いを整える間に、茶の間の火鉢の前に戻り、どてらを着なおして洟をかむ。
座布団に座ると、凍えたつま先がお尻に当たって冷たいのなんの。

「風邪を引かせてしまったな。大丈夫か?」

黒の紋付羽織に仙台平の袴。
夜の空気も一緒に纏って来たようで、羽二重の光沢が湿って重い。

「大丈夫。もう治ってるんですけど、咳だけ・・・残っちゃて・・。寒かったでしょ?あたって下さい」

と咳き込みながら、座布団を勧める。

彼は立ったまましげしげと私を見、

「寒そうなのはあんたの方だな」

絹づれの音をさせながら、火鉢から少し離れた所に座布団を敷き直して腰を下ろした。
遠慮してるのか。

刀を脇に置く。

そうする間にもこちらから視線を外さない。

へへへ・・と私は笑うしかない。
自分がどんな格好してるか判っているので。

「足、崩しちゃってよ。楽にして」

斎藤先生はいつも正座、と幸が感心してたっけ。
乱れたところは見たことが無い、と。

火鉢にかけておいた鉄瓶から湯呑みに湯を注ぐと、湯気と一緒に香りが広がる。

「生姜湯?やっぱり風邪か」

うふっと笑ってしまう。

「治ったんですってば。寒いから暖まろうと思っただけ」

フクチョーがまた膝の上に乗ってきた。

「今、斎藤さんの分もお茶淹れるからね。あ、お酒の方がいいか。でもごめんなさい。支度するから暖まるまでちょっと待って」

生姜湯をすすって、少し落ち着かないと。
実際、完全に湯冷めしてしまって歯の根が合わないのだ。

湯呑み茶碗で手を暖めていると、

「酒は遠慮しておくさ。寝るところを邪魔しちゃ悪かったな」

座敷に布団を伸べてあるのを見やりながら懐手をする。
側に寄るのを遠慮している風。

でも冷たい手を懐に入れるのは辛いだろう。
なので私の方が火鉢から離れ、ちょっと下がって火にあたるのを促すと、

「いや、いい。俺はここで」

「ずいぶん遠慮するのね」

火にあたらないだけじゃなく。

「斎藤さんがお酒飲まないなんて・・」

笑いかけたら咳が出た。
どてらの袂で口を押さえて、落ち着くまでしばしかかる。

「大丈夫か?」

本当に心配してくれたみたいで、彼はズイっと膝を進めた。

「大丈夫大丈夫。ホントに咳だけなんだから」

咳が治まり、フーっと溜息をつくと、そうか、と今度は体を戻そうとした。
隙アリ!
その手を捕まえた。

「ほーら、こんなに冷たい!火にあたりなさいってば」

うろたえているのか、目を見張ってちょっと赤くなった。
案外色白だから直ぐ判る。
かわいいの。

行灯の元、傍で良く見ると彼は少しやつれて見えた。
月代や髭は綺麗にあたってあり、結髪にも特に乱れは無いが。
九枚笹の紋服にキラキラと水滴が光っている。

「あれ?雨降ってました?」

彼の手を無理やり押さえて火鉢にかざしながら(笑)尋ねると、彼は観念したように溜息をつき、側に座り直してゆっくりと、でもビックリするような力で私の手を解いた。

自ら火鉢にあたり始める。
もう赤くなってもいない。

「先程。霰でした。すぐ止みましたが」

目を見ずに言う。
硬い表情が他人行儀に思えた。

まだ遠慮しているのだと思った。

上司の妾相手で。
しかも・・・久方ぶりに会った相手で。

「ちょっとぉ・・。やだ、ナニ取ってつけたように、・・・他人みたいに喋ってるの?斎藤さんてば」

吹き出しながら言うと、彼はようやくこちらを見る。

眼が一重だ。
眉が動いて、ちょっと照れたように薄っすらと笑う。

「相変わらずなんだな」

「?」

何が?

「いや・・」

まつげが濃いので伏目が優しげ。
一重なのに目に表情があるのは睫毛のせいかな・・。

「相変わらず可愛らしくて困る」

「!」

・・・真顔でこんな事を言われたら誰だってどぎまぎするでしょー?

「な、・・・ヤダ何言ってんの?からかわないでよー」

咳き込んじゃったよ。
ぬるくなった生姜湯を飲み干すふりして誤魔化したけど、内心焦って席を立った。

っていうかこんな・・・どてらで着膨れしてるってのに、何を言う!
・・・って、咄嗟におちゃらけも言えなかったな。
不覚。

・・・と言うより、やっぱりそんな雰囲気じゃなかったんだよな。
今思えば。



勝手口の板戸が風でガタガタ言い始めた。
隙間風が足元を吹き抜ける。
霰が降ったというくらいだから、今夜は荒れるのかもしれない。

「ウチ、お酒飲む人居ないから。いいお酒かどうか判らないですよー。普段煮物にしか使ったこと無いし。不味かったらどーしよ?」

台所から徳利にお酒を移したのを二本と、大き目の猪口をひとつ、お盆に乗せて戻る。
肴はあいにく昆布の佃煮しかない。
夕餉の食べ残しの千枚漬けと(←嫌いなので残しちゃった)。

「燗つけちゃっていいですよね?」

「ああ」

酒は遠慮すると言ったくせに、断らないのが可笑しかった。

火鉢の上の鉄瓶の蓋を取り、徳利をとぷんと浸す。
行灯の灯りを映して、湯気が虹色に渦巻いて天井に消えて行く。

「手をどうした?」

右手に晒を巻いているのを見咎められた。
隠し通そうと思っていたのに、うっかりしていた。

「火傷」

と手の平を見せ、舌を出す。
一瞬、相手が息を飲んだので、慌てて続ける。

「あ、でもたいしたこと無いんです。ちょっと赤くなっただけ。すぐ冷やしたし薬も塗ったし・・」

「どうしてそんなところを・・・?」

「焙烙をね・・」

と説明するのはやっぱり恥ずかしい。
手をどてらの袖に引っ込める。

「風邪引いてのどが痛いから・・・。いつも土方さ・・・土方センセーがネギ焼いて巻いてくれるんだけど、臭くて嫌じゃないですかー。それで塩にしようと思って。焙烙で炒ってて、バカだから熱いのに素手で柄のとこ握っちゃったの」

へへへ、と笑いながら咳が出た。
土方先生などとよそ行きに言い馴れない言葉を使ったら汗も吹き出た。

真顔で聞いていた斎藤さんは、

「髪を洗うのは難儀だったろう?」

さりげないんだもんな。

「大丈夫。洗ってもらったから」

「誰に?」

おまけにテンポもいい。

一瞬答えかけて、ようやく誘導尋問に引っかかったことに気づく(--;

やばいじゃん!そんなこと喋っちゃあ。
絶対叱られる!

が、喋らなくても悟られた(--;

「ふーん」

何故か憮然とする斎藤さん。

「ま、誰にも言わんさ。あの人があんたのことをそんなに大事にしてるなんてな」

は?
髪を洗ってもらったのが大事にされてるってことなのか??
それは何?江戸時代基準?

思考の飛び様について行けなくて困惑したが、それ以上に相手の不機嫌が気になった。
言葉に刺が有るような・・・。
なんでだろ?

「私、余計なこと言っちゃった?」

「余計なこと?・・・そんなことはない。その手当てをしたのもあの人なのだな?」

目ざとい。
私が片手でやったにしちゃ、晒しの結び目がきっちりしてるのに気がついてる。
隠しても無駄か。

「自分じゃこうは行かないし・・・」

「ふん」

爪の手入れの行き届いた手が、徳利の口を弄んで加減を見ている。

「あ、もういい?斎藤さん、温燗がいいの?人肌?」

「燗がつくのを待つより、飲んだ方が早いからな」

つまり待ちきれないってことか。
酒は遠慮するって言わなかったっけ?(笑)。

鉄瓶から徳利を引き上げた。
入れ違いに新しい徳利を沈めて。
酌をしようと思ったのに、上げた徳利の底を布巾で拭う間に、

「いいよ」

取り返された。
独酌を始める。
不安になった。
もしかしてやっぱり、

「怒ったの?」

「・・・?」

そうではなかったようだ。

「いや、その手では大変そうだから」

と、真っすぐこちらを見た目が、すぐ泳ぐ。
それから徳利を置き、また溜息をついた。

「どうも気を使わせているようだな。俺には構わんでいいから。また咳が出ないうちに寝るといい」

・・・って。

ウーン、言ってることはまともなんだけどさー。

「あのー、聞いてもいいかな?」

ようやく一口酒を口にした斎藤さんは、私の突然の質問に、ゴクンと喉を鳴らしてそれを飲み下した。
尖った喉仏が行灯の薄明かりの中ではっきり上下した。

「うん?」

まだ気づいていない。
可笑しかった。

「あのさー、斎藤さんさー、ウチに何しに来たの?」

言われて初めて気が付いたのだろう。
凍りついたように固まった相手の様子が可笑しくてゲラゲラ笑い出してしまい。
それからまた咳き込んで彼を慌てさせてしまった。

「ごめんなさい。訊かないでおこうと思ったけど、夜中に突然やって来て、俺に構わず寝ろってさー、それ絶対可笑しいよ」

斎藤さん赤面!

可笑しくて堪らないのは日頃の彼には有るまじき失態だからで。
笑いも咳もなかなか治まらない。
しかし彼は“おかしい”の意味を“道理が通らない”と受け取ってしまい、

「ああ、悪かった。あんたが何も訊かないので失念していた。すまない」

最初から正座していた膝を殊更正す。

「違うの。そういう意味じゃなくてさ。いいんだけどさ。また他人行儀な口調になってるよ、斎藤さんてば」

さっきから何か考え事してたもんね。
喋りながら、時々上の空だった。

ってか、時々沈み込んでたな。

「俺がここへ来たわけは・・」

「待って」

とそれを制したのは、自分の膝頭を掴む彼の手に力が入っていたから。

「最初に言っとくけど、言いたくないことは言わなくていいよ。大体想像はつくし」

事情(わけ)アリなんだという想像は。



こうして彼と言葉を交わすのは半年振り、いや、それ以上だった。

この年の三月、彼が伊東甲子太郎一派と共に新選組から出たのだとは、先日幸から聞いたばかりだ。
みんな私に黙っていたから。

私自身、彼のことには関心が向かなかったというのもある。
沖田さんの病気が目に見えて悪くなってきて、それに気を取られていたということもあるし。

だから、私の中で斎藤さんは何も変わっちゃいなかった。
それはさっき、久しぶりに顔を見た時もそう。

でもそれだけに、以前と違う雰囲気は言葉を交わしてみれば判る。



「土方さんに言われて来たんでしょう?」

彼がここにこうして腰を落ち着けているなんて、そんなことを勝手にできる人ではない。
それは判るのだが。

「でも・・・それならどうして?どうしてここに来れたの?どうしてあの人の命令なんて・・。あなたは伊東先生と新選組を出てったんでしょ?」

新選組を出て行ったのなら命令系統は別のはずじゃないか?
つまり、土方歳三に言われてこんな所へ来るなんてことはそれこそ道理に合わない。

すると彼はとんでもないことをさらりと言ってのけたのだ。

「逃げてきました」

「へ?」

顔色ひとつ・・・変えていないのか変わらないのか。
その引き締まった顔の筋肉を動かさないで居るのは、余程の意思か鍛錬が必要だと思うのだが。

「伊東の所を脱走して、今日で七日程になりますか。市中某所にかくまわれていたのですが、急に呼ばれまして・・」

「かくまわれていた?・・・」

ってことは、それはつまり土方さん(もしくは新選組上層部)の手によって、ということじゃないのか?

それってつまり、

「じゃあ計画的に・・ってことなの?」

かくまって、呼んで、ここに来させた。
全て承知の上。

斎藤さんは命令を受けて脱走したということになる。

「どうも・・・。相変わらずそういうことばかりは鋭いな」

苦笑した。
重く引き締められていた口角が上がった。

でも、ちょっと待ってよ。
命令系統が新選組にあるということは・・・斎藤さんは分派なんかしてなかったってことになるじゃないか。
行動は伊東派と共にあって、しかも命令系統は別?

「てことはもしかして、分派の時からの・・・・謀(はかりごと)じゃあないでしょうねぇ?」

スパイの日本語訳が咄嗟に思いつかずに、婉曲な表現になったのだ。
あるいはそれが遠慮がちに聞こえたかもしれない。
白状しないかと思ったら彼はあっさり、

「まぁ、そういうことです」

認めた。

そうなのかよ!
つーか、それって幸は知ってるのか?
彼女も騙されてる?
それとも全部知ってて・・・言わなかった?

あ!

だから私には誰も言わなかった?
結末がこうだから?
彼が結局帰ってくる人だから?
出てったとは言わなくても良かったってこと?
私が混乱するからってこと?


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