もう50年ほど前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。
・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。
ご笑覧下されば幸いです。
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「ねぇ・・」
ひとしきり泣き腫らした目に、行灯の灯と影のコントラストがキラキラ滲んで見える。
相変わらず窓が風に鳴っているが、寒くはない。
人の懐に抱かれて居るのはなんて温かいのだろう。
「もう帰ろうよ」
相手の肩に頬を乗せたまま言ってみた。
意味を図りかねたのか返事は無い。
「もう、離さないよ」
背中に回していた手に力を込めて抱きしめてみせると、ようやく相手が反応した。
首を起こして、たぶん私の様子を窺っている。
「やっと捕まえたんだもの。私ね、何しに来たんだと思う?」
まだ無言だ。
でも、私を抱えていた腕を緩めた。
なのでようやく、体を起こして相手の顔が見れた。
痩せた頬とダウンヘアのせいで、私の知っている人物よりはずっと若く見える。
洋装のせいかもしれない。
柔らかい行灯の光のせいかもしれない。
ちょっと戸惑うくらい優しげに見えた。
「あなたを連れ戻しに来たの」
驚いたように幾分見開いた目の表情も、なんだか以前より優しくなった気がする。
やっぱりこれは、私の知っている土方さんではないのかもしれない。
「帰ろう。おゆうさんが待ってるもん。私、約束したんだもん。あなたを連れて帰るって」
ふと、相手の目が潤むのが判った。
うろたえた。
とっさに目を逸らしてしまった。
「だから。もういいでしょ?あなたまで死ぬことは無いでしょ?あなたが居なくたって代わりはいくらでも居るでしょ?」
ふふっと鼻で笑うのが聞こえる。
恐る恐る視線を戻すと、
「言ってくれる」
口元に笑いを浮かべている。
目を潤ませて居たと思ったのは私の見間違いか。
「代わりはいくらでも居るだと?俺に逃げろと言うつもりか」
あ、怒ってるかも、と思った。
すかさず続けた。
「そうよ。代わりならいっぱい居るでしょ?昼間だって黒服着たオジサン達がいっぱい居たじゃない。あなたひとりくらい居なくなったってどうってこと無いわよ」
半分は本音、半分は挑発だった。
怒ってくれた方が、この人らしくて私には扱い易い。
怒ってくれた方が、この人らしくて・・・安心できた。
なのに・・・。
「そうだな。お前の言う通りかもしれぬ」
口元に浮かべた微笑を崩さぬまま、そう答えただけだった。
ムカついた。
嘘ばっかりだ。
適当に調子を合わせやがって。
そんなこと、考えても居ないくせに。
怒り出したのは私の方だった。
「ねぇ、もうやめようよ。おかしいよ。どうかしてるよ。怒ったらいいじゃない。どうして怒らないの?変だよ。そもそも私がここまで来た事だって、あなたは怒るべきじゃないの?」
くすっと、土方さんが吹き出す。
そりゃあ自分の言ってることがオカシイってことぐらい、私にだって判って居たさ。
「危ないまねするな!って、周りの迷惑も考えろ!って、怒って然るべきじゃないの?一緒に逃げようって言ったら、そんなことが出来るかバカモノ!って怒鳴ってもいいぐらいじゃないの?」
自分でもわけが判らないほどに、私は必死に怒ってた。
「どうして怒らないの?変だよ。そんなの、私の知ってる土方歳三じゃないよ!」
「お前は馬鹿だな」
くっくっくっと、彼は笑いを抑えかねていた。
痩せた頬に皺が寄った。
整った目元が明るく笑って、
「相変わらず、馬鹿なヤツだ」
めったに見たことも無い、屈託の無い笑い顔が眩しくて、ドギマギしてしまうのが腹立たしい。
それを打ち消すのに一番簡単な方法は、茶化された悔しさを怒りに替えてしまうこと。
「笑わないでよ!私は必死でここまで来たんだから。すぐ近くに居ても会いに行けなくて、今ようやくこうして逢えたのに!」
すると彼は笑いを飲み込み、ちょっと真顔に戻りかけながら、
「何故ここまで逢いに来た」
「何故ですって?言ったでしょう?おゆうさんと約束したの。あなたを連れ戻すって」
彼はふん、と鼻を鳴らし、それから勝ち誇ったようにニヤリと笑って、
「嘘だな」
「え?」
「嘘だろう?」
言い当てられて、ちょっと怯む。
確かに、おゆうさんと約束したというわけではなかった。
自分で勝手に、そう胸に誓って来ただけのことだった。
でも私の中では約束したのと同じことだから。
そんな私の幼い独りよがりを、彼はバッサリと一言で打ち消して見せたんだ。
「あれはそんな埒も無い約束などしない。そういう女さ」
笑いもせずに。
宙を見やって。
・・・たぶん、おゆうさんのことを考えている。
伏し目がちになると睫毛が頬に影を作るのは、以前と変わらない。
「・・・」
なんだか・・・どういうわけだかモヤモヤして来て。
面白く無い。
おゆうさんを都合のいい女と軽んじたように聞こえたからではない(むしろその方がまだ救いがあった)。
たぶんきっと、私には手の届かぬ深いところで、二人は繋がっているのだと気がついてしまったからだ。
まるで置いてけぼりを食ったような気持ち。
でもそれが嫉妬だとは、何が何でも思いたくなくて。
だから殊更、取り乱してしまったんだと思う。
「仮に私が約束してなくったって連れ戻しに来なくたって、あなたはおゆうさんのところへ帰るべきだよ。きっと待ってるよ。あなたがおゆうさんという人のことをどんな風に解釈してるか判らないけど、好きな人とは一緒に居たいに決まってるもん。それに・・・」
声がひっくり返ってしまっている。
「もうみんな死んじゃったじゃない。もうこれ以上死ななくていいじゃない。こんなのいつまで続けるの?もうやめようよ。やめて帰ろうよ。一緒に帰ろう」
切なくて、涙が出た。
頬に流れた涙を、土方さんの指が拭った。
「痩せたな・・」
と、伏し目になった表情は、まるで拒絶されたように読み取れない。
何を考えているのか判らない。
不安だった。
気が急いた。
「ねぇ、お願い。お願いだから一緒に帰ろ?ね?大丈夫。誰にも見つからないから。私が上手く隠してあげるから」
彼の、痩せて目立つようになった頬骨の辺りに、傷跡なのか薄紫に筆で刷いたような跡を見つけて、手を伸ばしてしまったのは無意識だったかもしれない。
「かすり傷だ」
問われる前にそう答え、首を傾げて触れられるのを避けた。
「どこで付いたか覚えても居らん」
それだけ触れられるのが嫌だったのか、詮無いことを言い募るとでも思っているのか、眉間にすうっと皺が寄った。
頑なな気持ちだけ、伝わって来る。
その気持ちを何とかしたいと思ったのかもしれない。
「ねぇ・・・。あのさ、街中さえ凌げば、あなたの顔なんて誰も知らないから。大丈夫。町方風に拵えて田舎に住めばいいよ」
自分の言っていることがどれだけ現実離れしているかなんて問題じゃなかった。
私はただ、彼に帰って来て欲しかっただけだ。
どこへ・・・とは、自分でも判っちゃいなかったけど。
「おゆうさんとあなたとふたり、ずっと隠しててあげるから。今までみたいに、私が隠しておいてあげるから」
すると一瞬、彼の動きが止まった気がした。
でもすぐ、しつこく頬に触れようとした私の手を辛うじて捕らえ、
「全く・・・」
何か思案するような間があった。
「馬鹿にも程がある」
言葉は静かだったが、真顔で見つめる目には僅かに苛立ちがあったと思う。
それから、まるで固く封印されたように、私には到底読み取ることの出来ない・・何かと。
何だろう?
いったい何を瞳の奥に隠しているというのか。
哀しみ・・・のようなもの?
いや違う、これは・・・。
と、何か判りかけたと思った次の瞬間、視界がくるりと回ったと思ったら仰向けに倒されていた。
え?
と、事の展開の速さに私の頭はついて行けてなかった。
真上から見下ろす土方さんの髪がまるでカーテンのように両脇に下りて、外界と遮断された空間いっぱいに彼の顔。
その黒々した瞳の中に、自分の顔が映っているのがはっきり見えた。
どういう状況に置かれているのか全然ピンと来ていない、ぽかんと見上げているばかりの・・。
「不可侵条約・・」
形の良い唇が動いた。
なに?
ふかしん・・・?
なんだっけ?それ。
と、ピンと来る前に、彼は実にふんわりと染み入るように(でもほんの僅かだけ)微笑んだのだ。
「破るぞ・・・」
囁くような声だった。
そんな声音は初めて聞いた。
そこで初めて、心臓がひっくり返るような想いをした。
声に注意が行っていて、耳にした言葉の意味を追えない。
だが、それに気付く前に顔が近付いて来て、嫌でも事態が飲み込めた。
あとはもう・・・反射神経の問題だった。
「血迷うな、バカァっ!」
在り得ねぇ!と思いながら、とっさに空いた片手で相手の顎をがしっ!と。
・・・掴んじゃった(汗)。
後から思うと、自分でもこの反応の仕方はどうかと思う・・(--;。
片手でも空いてたのが幸い。唇が触れる寸前だった!ヤバかった(肝冷)。
頬っぺたに相手の鼻先が触れていた。
危なかったぁ~・・・。
と、全身から汗が噴いて来る間もあらばこそ、ぐぐっと腕に重みがかかって来るではないか。
こ、こいつ、体重かけてきてるよ・・っ!
「ちょ、ちょっと!やめて!ふざけないで!」
片手じゃとても支えきれない!
せめて顔を逸らそうにも、首の後ろに回された相手の手が、まるでギブスみたいに固定されててそれを許さない。
私の体を引き寄せようとしている。
くそ!
だが、パニクるということは、脳みそがフル回転するって事でもあるらしい。
腕では支えきれない重さをどうやって退けたかというと・・・。
「痛ててててっ!」
思い切り爪を立てると、さすがの相手もたまらず体を離した。
「もうっ!何やってんのよ!」
どういうつもりなのか!
ここまで追って来たから抱いてやるということなのか。
哀れみなのか。からかっているのか。
私を馬鹿にしてるってことなのか!
引っ掻かれた顎を押さえて、相手はくくく・・・と笑い出している。
起き上がって弾んだ息を整える間に無性に腹が立って来て、
「何勘違いしてんのよバカ!あなたの相手は私じゃないでしょ?私をおゆうさんの代わりにしないで!そんなのは嫌・・!」
考える前に口が言ってた。
この言葉が少しく、誤解を受けるものだとはだいぶ後になってから気付いた。
「おゆうさんを抱きたいなら京へ戻って本人を抱いたらいいじゃない。それが出来ないからって何やってんのよ!情け無い!」
彼は何か言いかけたのだが、私は興奮していて聞く耳を持たなかった。
「女を抱きたいってだけならお金で買える女を抱いたらいいじゃない。そんなのどこにだって居るじゃない。人を馬鹿にするのもいい加減にして!」
「・・・おい、よせ」
彼が何を言おうとしたかなんて私には想像もつかなかった。
思い込みで突っ走るのは良くない癖だ、と幸にもさんざん言われていたのに。
「うるさい!言い訳なんか聞きたくない!戦をやめる勇気も無いくせに!惚れた女の側に居てあげる甲斐性も無いくせに!蝦夷地に逃げて行くくせに!」
「大きな声を出すな。表に聞こえる」
それは妥当な指摘だった。
こんなこと、他に聞かれたら大顰蹙だ。
殺されかねない。
相手の冷静さが悔しい。
ケンカもしてくれないのが・・・哀しかった。
「何よ!偉そうに。こんなに頼んでるのにっ!一緒に帰ってくれたっていいじゃない・・・」
また、涙が出た。
泣いてもどうなるものでもないのは判ってる。
でも泣けてくるんだから仕方ない。
憎まれ口しか言えない自分が哀しかった。
こうしてさめざめと泣くのも久しぶりのことだと、自分の涙と鼻水に溺れそうになりながら思った。
― 了 ―
ひとしきり泣き腫らした目に、行灯の灯と影のコントラストがキラキラ滲んで見える。
相変わらず窓が風に鳴っているが、寒くはない。
人の懐に抱かれて居るのはなんて温かいのだろう。
「もう帰ろうよ」
相手の肩に頬を乗せたまま言ってみた。
意味を図りかねたのか返事は無い。
「もう、離さないよ」
背中に回していた手に力を込めて抱きしめてみせると、ようやく相手が反応した。
首を起こして、たぶん私の様子を窺っている。
「やっと捕まえたんだもの。私ね、何しに来たんだと思う?」
まだ無言だ。
でも、私を抱えていた腕を緩めた。
なのでようやく、体を起こして相手の顔が見れた。
痩せた頬とダウンヘアのせいで、私の知っている人物よりはずっと若く見える。
洋装のせいかもしれない。
柔らかい行灯の光のせいかもしれない。
ちょっと戸惑うくらい優しげに見えた。
「あなたを連れ戻しに来たの」
驚いたように幾分見開いた目の表情も、なんだか以前より優しくなった気がする。
やっぱりこれは、私の知っている土方さんではないのかもしれない。
「帰ろう。おゆうさんが待ってるもん。私、約束したんだもん。あなたを連れて帰るって」
ふと、相手の目が潤むのが判った。
うろたえた。
とっさに目を逸らしてしまった。
「だから。もういいでしょ?あなたまで死ぬことは無いでしょ?あなたが居なくたって代わりはいくらでも居るでしょ?」
ふふっと鼻で笑うのが聞こえる。
恐る恐る視線を戻すと、
「言ってくれる」
口元に笑いを浮かべている。
目を潤ませて居たと思ったのは私の見間違いか。
「代わりはいくらでも居るだと?俺に逃げろと言うつもりか」
あ、怒ってるかも、と思った。
すかさず続けた。
「そうよ。代わりならいっぱい居るでしょ?昼間だって黒服着たオジサン達がいっぱい居たじゃない。あなたひとりくらい居なくなったってどうってこと無いわよ」
半分は本音、半分は挑発だった。
怒ってくれた方が、この人らしくて私には扱い易い。
怒ってくれた方が、この人らしくて・・・安心できた。
なのに・・・。
「そうだな。お前の言う通りかもしれぬ」
口元に浮かべた微笑を崩さぬまま、そう答えただけだった。
ムカついた。
嘘ばっかりだ。
適当に調子を合わせやがって。
そんなこと、考えても居ないくせに。
怒り出したのは私の方だった。
「ねぇ、もうやめようよ。おかしいよ。どうかしてるよ。怒ったらいいじゃない。どうして怒らないの?変だよ。そもそも私がここまで来た事だって、あなたは怒るべきじゃないの?」
くすっと、土方さんが吹き出す。
そりゃあ自分の言ってることがオカシイってことぐらい、私にだって判って居たさ。
「危ないまねするな!って、周りの迷惑も考えろ!って、怒って然るべきじゃないの?一緒に逃げようって言ったら、そんなことが出来るかバカモノ!って怒鳴ってもいいぐらいじゃないの?」
自分でもわけが判らないほどに、私は必死に怒ってた。
「どうして怒らないの?変だよ。そんなの、私の知ってる土方歳三じゃないよ!」
「お前は馬鹿だな」
くっくっくっと、彼は笑いを抑えかねていた。
痩せた頬に皺が寄った。
整った目元が明るく笑って、
「相変わらず、馬鹿なヤツだ」
めったに見たことも無い、屈託の無い笑い顔が眩しくて、ドギマギしてしまうのが腹立たしい。
それを打ち消すのに一番簡単な方法は、茶化された悔しさを怒りに替えてしまうこと。
「笑わないでよ!私は必死でここまで来たんだから。すぐ近くに居ても会いに行けなくて、今ようやくこうして逢えたのに!」
すると彼は笑いを飲み込み、ちょっと真顔に戻りかけながら、
「何故ここまで逢いに来た」
「何故ですって?言ったでしょう?おゆうさんと約束したの。あなたを連れ戻すって」
彼はふん、と鼻を鳴らし、それから勝ち誇ったようにニヤリと笑って、
「嘘だな」
「え?」
「嘘だろう?」
言い当てられて、ちょっと怯む。
確かに、おゆうさんと約束したというわけではなかった。
自分で勝手に、そう胸に誓って来ただけのことだった。
でも私の中では約束したのと同じことだから。
そんな私の幼い独りよがりを、彼はバッサリと一言で打ち消して見せたんだ。
「あれはそんな埒も無い約束などしない。そういう女さ」
笑いもせずに。
宙を見やって。
・・・たぶん、おゆうさんのことを考えている。
伏し目がちになると睫毛が頬に影を作るのは、以前と変わらない。
「・・・」
なんだか・・・どういうわけだかモヤモヤして来て。
面白く無い。
おゆうさんを都合のいい女と軽んじたように聞こえたからではない(むしろその方がまだ救いがあった)。
たぶんきっと、私には手の届かぬ深いところで、二人は繋がっているのだと気がついてしまったからだ。
まるで置いてけぼりを食ったような気持ち。
でもそれが嫉妬だとは、何が何でも思いたくなくて。
だから殊更、取り乱してしまったんだと思う。
「仮に私が約束してなくったって連れ戻しに来なくたって、あなたはおゆうさんのところへ帰るべきだよ。きっと待ってるよ。あなたがおゆうさんという人のことをどんな風に解釈してるか判らないけど、好きな人とは一緒に居たいに決まってるもん。それに・・・」
声がひっくり返ってしまっている。
「もうみんな死んじゃったじゃない。もうこれ以上死ななくていいじゃない。こんなのいつまで続けるの?もうやめようよ。やめて帰ろうよ。一緒に帰ろう」
切なくて、涙が出た。
頬に流れた涙を、土方さんの指が拭った。
「痩せたな・・」
と、伏し目になった表情は、まるで拒絶されたように読み取れない。
何を考えているのか判らない。
不安だった。
気が急いた。
「ねぇ、お願い。お願いだから一緒に帰ろ?ね?大丈夫。誰にも見つからないから。私が上手く隠してあげるから」
彼の、痩せて目立つようになった頬骨の辺りに、傷跡なのか薄紫に筆で刷いたような跡を見つけて、手を伸ばしてしまったのは無意識だったかもしれない。
「かすり傷だ」
問われる前にそう答え、首を傾げて触れられるのを避けた。
「どこで付いたか覚えても居らん」
それだけ触れられるのが嫌だったのか、詮無いことを言い募るとでも思っているのか、眉間にすうっと皺が寄った。
頑なな気持ちだけ、伝わって来る。
その気持ちを何とかしたいと思ったのかもしれない。
「ねぇ・・・。あのさ、街中さえ凌げば、あなたの顔なんて誰も知らないから。大丈夫。町方風に拵えて田舎に住めばいいよ」
自分の言っていることがどれだけ現実離れしているかなんて問題じゃなかった。
私はただ、彼に帰って来て欲しかっただけだ。
どこへ・・・とは、自分でも判っちゃいなかったけど。
「おゆうさんとあなたとふたり、ずっと隠しててあげるから。今までみたいに、私が隠しておいてあげるから」
すると一瞬、彼の動きが止まった気がした。
でもすぐ、しつこく頬に触れようとした私の手を辛うじて捕らえ、
「全く・・・」
何か思案するような間があった。
「馬鹿にも程がある」
言葉は静かだったが、真顔で見つめる目には僅かに苛立ちがあったと思う。
それから、まるで固く封印されたように、私には到底読み取ることの出来ない・・何かと。
何だろう?
いったい何を瞳の奥に隠しているというのか。
哀しみ・・・のようなもの?
いや違う、これは・・・。
と、何か判りかけたと思った次の瞬間、視界がくるりと回ったと思ったら仰向けに倒されていた。
え?
と、事の展開の速さに私の頭はついて行けてなかった。
真上から見下ろす土方さんの髪がまるでカーテンのように両脇に下りて、外界と遮断された空間いっぱいに彼の顔。
その黒々した瞳の中に、自分の顔が映っているのがはっきり見えた。
どういう状況に置かれているのか全然ピンと来ていない、ぽかんと見上げているばかりの・・。
「不可侵条約・・」
形の良い唇が動いた。
なに?
ふかしん・・・?
なんだっけ?それ。
と、ピンと来る前に、彼は実にふんわりと染み入るように(でもほんの僅かだけ)微笑んだのだ。
「破るぞ・・・」
囁くような声だった。
そんな声音は初めて聞いた。
そこで初めて、心臓がひっくり返るような想いをした。
声に注意が行っていて、耳にした言葉の意味を追えない。
だが、それに気付く前に顔が近付いて来て、嫌でも事態が飲み込めた。
あとはもう・・・反射神経の問題だった。
「血迷うな、バカァっ!」
在り得ねぇ!と思いながら、とっさに空いた片手で相手の顎をがしっ!と。
・・・掴んじゃった(汗)。
後から思うと、自分でもこの反応の仕方はどうかと思う・・(--;。
片手でも空いてたのが幸い。唇が触れる寸前だった!ヤバかった(肝冷)。
頬っぺたに相手の鼻先が触れていた。
危なかったぁ~・・・。
と、全身から汗が噴いて来る間もあらばこそ、ぐぐっと腕に重みがかかって来るではないか。
こ、こいつ、体重かけてきてるよ・・っ!
「ちょ、ちょっと!やめて!ふざけないで!」
片手じゃとても支えきれない!
せめて顔を逸らそうにも、首の後ろに回された相手の手が、まるでギブスみたいに固定されててそれを許さない。
私の体を引き寄せようとしている。
くそ!
だが、パニクるということは、脳みそがフル回転するって事でもあるらしい。
腕では支えきれない重さをどうやって退けたかというと・・・。
「痛ててててっ!」
思い切り爪を立てると、さすがの相手もたまらず体を離した。
「もうっ!何やってんのよ!」
どういうつもりなのか!
ここまで追って来たから抱いてやるということなのか。
哀れみなのか。からかっているのか。
私を馬鹿にしてるってことなのか!
引っ掻かれた顎を押さえて、相手はくくく・・・と笑い出している。
起き上がって弾んだ息を整える間に無性に腹が立って来て、
「何勘違いしてんのよバカ!あなたの相手は私じゃないでしょ?私をおゆうさんの代わりにしないで!そんなのは嫌・・!」
考える前に口が言ってた。
この言葉が少しく、誤解を受けるものだとはだいぶ後になってから気付いた。
「おゆうさんを抱きたいなら京へ戻って本人を抱いたらいいじゃない。それが出来ないからって何やってんのよ!情け無い!」
彼は何か言いかけたのだが、私は興奮していて聞く耳を持たなかった。
「女を抱きたいってだけならお金で買える女を抱いたらいいじゃない。そんなのどこにだって居るじゃない。人を馬鹿にするのもいい加減にして!」
「・・・おい、よせ」
彼が何を言おうとしたかなんて私には想像もつかなかった。
思い込みで突っ走るのは良くない癖だ、と幸にもさんざん言われていたのに。
「うるさい!言い訳なんか聞きたくない!戦をやめる勇気も無いくせに!惚れた女の側に居てあげる甲斐性も無いくせに!蝦夷地に逃げて行くくせに!」
「大きな声を出すな。表に聞こえる」
それは妥当な指摘だった。
こんなこと、他に聞かれたら大顰蹙だ。
殺されかねない。
相手の冷静さが悔しい。
ケンカもしてくれないのが・・・哀しかった。
「何よ!偉そうに。こんなに頼んでるのにっ!一緒に帰ってくれたっていいじゃない・・・」
また、涙が出た。
泣いてもどうなるものでもないのは判ってる。
でも泣けてくるんだから仕方ない。
憎まれ口しか言えない自分が哀しかった。
こうしてさめざめと泣くのも久しぶりのことだと、自分の涙と鼻水に溺れそうになりながら思った。
― 了 ―
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