もう50年ほど前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。
・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。
ご笑覧下されば幸いです。
・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。
四月に入ると、照葉さんの容態はもういけなかった。
激しい咳の発作が四六時中ある上に、肺の機能の低下のために話すこともままならず、食事も満足に摂れなくなり、睡眠は浅く昼も夢うつつ。
ほんの時折、不意に意識が明瞭となることはあっても、長くは続かない。
まるで死を待つような時間が重ねられて行った。
彼女がそんな状態であっても、沖田さんは普段と変わらずに職務をこなしていた。
新選組は参謀の脱退やら屯所の新築移転やら(それからこれはまだオフレコらしいけど、幹部の幕臣採り立てとか)で何かとバタバタしていた時期だったし、もとより女のために仕事に穴を開けるような人ではない。
何時、死神が迎えに来るとも判らない照葉さんを残して、彼は毎日仕事に出て行く。
そのくせ事態を重く見ていない訳ではなくて、毎日ちゃんと戻って来ては夜にもろくに眠らずに看病をし続け、周囲に心配をかけていた。
自分の身体のことも考えろ、という周りの忠告を聞くような人ではないのである。
私が照葉さんのところへ詰めっきりになったのはそんな訳だ。
おさんどんの世話をしていたオバサンは通いにしてもらって、とにかく一日中、二十四時間、私が詰めた。
沖田さんの負担をいくらかでも軽くするにはそれしか方法が無かったのだ。
他の人間がつくことを、彼が嫌ったから。
仕事仲間をプライベートに使うことを彼は嫌ったし、さりとて雇い人に任せるのは不本意だとは判りきったことだったから。
・・・と、最初は思っていたのだが。
実のところはもっと他にあった。
ちょうどこの時、新選組では脱走や切腹等、血生臭い事件が相次いでいたのだ。
なので沖田さんは極力、私を屯所に近づけたくなかったものらしい。
しかもそれらは全て伊東甲子太郎一派の脱退に絡むものであったので、監察の下で連絡係に使われようとしていた私を、彼は自分のプライベートに拘束することで保護しようとしてくれたのだ。
これは後になって事情が判るにつれ得心がいったことだった。
大分後になってから本人に訊いてみたけど、買被りだと笑われただけだったな。
思えば、それを認めるような人ではなかったけど。
照葉さんの容態が悪くなってからは、島原からの見舞い客も怖気づいたと見えて足が遠のいてしまっていたが、その分、小夜が来てくれていた。
副長が諸事に忙殺されているのをいいことに、彼とどう談判したものか、沖田さんが出掛けている間は例え夜中までも一緒に詰めてくれていた。
「だってひとりじゃ不安でしょ?」
先日の一件が効いているらしい。
まるで自分の方が経験値が高いとでも言いたげな口ぶりだった。
判り易いヤツ(笑)。
でも確かに彼女はあれ以来、もう何が起こっても取り乱すようなことは無かったんだ。
夜中に照葉さんが激しく咳き込んで喀血しても。
病人を抱きかかえて自分の胸元が鮮血に濡れるのも意に介さずに背中をさすり続けたこともあった。
「大丈夫だよ。心配しないで。我慢しないで全部吐いちゃっていいからね」
まるで小さな子供に言い聞かすように、苦しむ照葉さんを抱きしめながらそう言って、溢れ出る真っ赤な血を自分の身体で受けていた。
あの時はさすがに感心したっけ。
ふっきれていたんだよね。
だから、骸になった彼女を目の前にしても、呆れる程泣いてはいたけど取り乱してはいなかったんだと思う。
その晩、沖田さんはその前の二晩程をほとんど眠らずに過ごした私達を気遣って、半ば無理矢理に帰した。
それが彼の手だったということには、後から気付いた。
疲れ切って、降り出した雨にも気付かずに寝呆けていた私達を呼びに来たのは山崎さんだった。
彼は照葉さんの落籍の時以降、この件について自ら動くことは無かった。
私が思うには、たぶん丁子屋の松蔵さん以下の関係者に様子を見させていたんだ。
自分が動けば、沖田さんが負担に感じると知っていて。
その彼が来たことが、まるで一連の「事」が済んだ証しのように思われて。
これから明らかにされるであろう事実を、無言のうちに悟ることができた。
小夜もまた、全てを悟ったようだった。
「今、参ります」
気を遣ってか門外から呼ばわっていた山崎さんをそのままそこに留めて、手早く身支度を済ませ、バリバリと音をたてて傘を開く様子は、意外な程落ち着いていた。
声には威厳のようなものさえ有った。
そこまで覚悟ができていたかとその変貌ぶりに正直戸惑ったが、家を出て三歩も歩かぬうちにぐすぐすと鼻をすする音が傘を打つ雨音の合間から聞こえて来て、彼女らしさにほっとしたっけ。
先を行く山崎さんは何も言ってはいないのに、目的地にたどり付く前に小夜は既に号泣していた。
泣きが激しくなる程に足取りも早まって、傘を閉じるのももどかしく線香の煙たゆたう家の中に転げ込み、白布を掛けられて静かに横たわっている遺体に覆いかぶさるように抱きついた。
部屋には島原から既に何人か人が来ていたのだが、小夜の勢いに驚いて声も無い。
「テルちゃん!」
と叫んで遺体に取りすがった小夜の背中越しに、もうひとつ寝床が延べてあるのに気がついてぎょっとする。
沖田さんが臥せっていた。
「そんなとこで何やってんの?」
泣きながらもすかさずツッコミを入れるあたりは、小夜はやはり落ち着いていたんだ。
遺体に取りすがったまま片手を伸ばし、奥の寝床の上の人の手を握った。
「それが・・・。頑張り過ぎちまいまして。申し訳ない」
ケホケホと咳をするのが聞こえている。
彼はこんな風に人の集まるような状況の中で床に伏したままで居るような人ではない。
余程体の自由が利かなかったのだ。
照葉さんの臨終に居合わせて、無理をしたのに違いなかった。
照れたような声音が、彼の心情を物語っているのに気がついたのかどうか。
「なに笑ってんのよ。死んだ人と枕並べちゃって。自分まで北枕にしちゃってさ」
言う小夜の声が笑っている。
涙声にも、笑い声にも聞こえる。
笑い飛ばしてもらえて、沖田さんはきっと格好がついたろう。
同情されるなんて彼は死んでも嫌だろうからな。
小夜のツッコミに救われている。
「顔、見てやってくださいよ」
言われてようやく遺体の脇に座り直し、顔に被せてあった白布を取ってみた。
きれいな死に顔だった。
痩せてやつれて青白く、既に黄味がかってもいたけれど、意外にも穏やかな表情だった。
近頃はずっと見ることの無かった、安らかな寝顔。
髪を三つ編みのお下げに結んでいたままだったから、まるで無垢な少女のようで。
「ね?」
奥の寝床から沖田さんがにっこりと微笑んだ。
満足げな笑顔だった。
「ようやく、楽になったんだねぇ・・・」
鼻先を赤く紅潮させて大粒の涙をぽろぽろこぼしながら、小夜が笑い返した。
もっと苦しんだかと思った。
咳の発作で呼吸困難になったのかと・・・。
臨終の様子はどうだったのだろうと考えていた時、脇に視線を感じた。
山崎さんと目が合った。
それだけのことだ。
彼は直ぐ、何事もなかったように目を伏せた。
それだけのこと。
まさかね。
と、思った自分に驚いた。
まさか・・・何だというのだろう。
亡くなるとしたら咳の発作が起きた時だろう。
激しい咳で呼吸困難になったなら、きっと苦しむだろう。
そう、思い込んでいたことが外れただけじゃないか。
穏やかに臨終の時を迎えられたなら、それは不幸中の幸いというものだ。
夕べ、沖田さんは一人だった。
ひとりでは照葉さんの世話は無理だと留まろうとした私を、半ば叱り付ける様に追い出した。
照葉さんはもう意識もなく、何時目を落としても不思議ではないぐらいだった。
なのに、私達の体調が心配だからと、一度帰ってちゃんと寝ろと。
自分のことは棚に上げて。
そして今朝、我々を迎えに来たのは山崎さんだった・・・。
それだけのことだ。
照葉さんの死に顔は穏やかだった。
それだけのこと。
彼女の死を看取ったのが沖田さんであってくれて、小夜は満足していることだろう。
何も不思議に思うことはない。
何もおかしいことはない。
そう、自分に言い聞かせていたのについ、空恐ろしいと感じるのは仕方の無いことなのか。
照葉さんを苦しませずに逝かせてやりたいという気持ちは皆の共通意識だった。
満足に呼吸もできない苦しさから早く開放してやりたいとは、あの発作を見たことのある者なら誰でも思う。
小夜でさえ、彼女が楽になれたことにほっとしているではないか。
本人だって・・・。
「なかなか死なれへんいうのンも、ほんまにしんどいことどすなぁ・・・」
三日前の晩、襖で仕切った隣の部屋から聞こえてきた照葉さんの言葉が蘇る。
夜中に戻ってきた沖田さんに遠慮して隣室に寝床を移して間も無く、激しく咳き込んだ照葉さんが彼に介抱されながら息も絶え絶えに呟いた。
一時的に意識が明瞭になったのか、そんな状態でありながら続けて冗談を言ったのだ。
「今度また生まれて来るんやったら、そん時は沖田はんの仇に生まれとぅおす」
どうして?と問う相手の言葉は聞こえなかった。
否、言わなかったのかもしれない。
後に続く言葉の想像がついたんだ。
「沖田はんにばっさり斬ってもろたら、こんなしんどい目ぇに遭うことも無いやろし、きっと夢心地であの世に行けますやろ。うち、沖田はんの手ぇにかかって死んでみたい・・・」
彼はどんな気持ちでそれを聞いたのか。
寝床の上で胸が詰まった。
まさか斬り殺しはしないだろうが・・・。
と思ってしまってから、それを打ち消す。
例えそうであったとしても誰もそれを責められぬ、とも思ったのだ。
だから、考えるのはやめにした。
眠るように穏やかに、目の前に横たわる照葉さんが満足しているならばそれでいい。
離れを提供していた農家が、自分の家から他人の葬式を出すのを嫌ったので、仏事は全て寺を借りて行われた。
とはいえ、ごく身内だけでひっそりと執り行われたのだったが。
沖田さんはそのほとんどに顔を出すことができなかった。
照葉さんが亡くなった時の無理が尾を引き、臥せっていたのだ。
・・・というのは表向きで、たぶんきっと彼のことだから照れ隠しに姿まで隠したんだろうとは思っていたけど。
だって照葉さんの葬儀の件については大揉めに揉めたのにも拘らず、彼は根気良く(とは言え葬儀日程には間に合わせたわけだけど)副長(&局長)を説得して自分の意思を通したんだから。
そんなこと病人にはキツイよな。
照葉さんには身寄りが無かった。
だから例えば島原の遊女のまま亡くなったのなら置屋で密葬にでもして共同墓地に葬られたのだろうけど、身請けしたのだから沖田さんがその全ての面倒を見るのは道理。
沖田の名前で墓を立てると、彼は譲らなかったのだった。
だがそんなことを副長が・・・というより近藤局長が許すはずも無かった。
沖田家代々の墓は当然ながら江戸にある。
しかもそこに身請けした遊女など入れられるわけが無いのは言わずもがな、と頭ごなしに反対された・・・らしい。
全ては局長の休息所で話し合われたことなので、私がそこに同席できる筈もなく、後から山崎さんに教えてもらったのだ。
ちなみに沖田さんは自分の休息所を引き払って、醒ヶ井にある局長の休息所でそのまま今も療養中。
で、結局どうなったかというと、表面的には沖田さんが全面的に譲った形。
だが後から本人に聞いてみれば、彼の逆転勝利の可能性を残したと言ってもいいぐらい。
お墓はとりあえず立てないで、位牌とお骨は寺に預かることになった。
これは沖田さんの親代わりのツートップ(=局長&副長)の思惑通り。
沖田さんの妻としてではなく、ただの「縁者」という肩書きで過去帳にも記されることになってしまったし。
そんな結果に終わったことに小夜はぶつくさ文句を言っていたのだが、
「いいんですよ」
と、梅雨の晴れ間の蒸し暑さにぐったりしながらも、寝床の上の沖田さんは顔をほころばせた。
「私は夫と呼べるようなものではなかったですから。夫じゃないなら妻も無いでしょ?それに、どうせ私も追っ付け逝くんだし。そしたら一緒のお墓に入れて貰うように寺には話してあるんです。それまで骨(こつ)を預かって貰って・・・」
枕元に座って団扇で仰いでやっていた小夜の手が止まった。
何を弱気なことを言うんだと、彼の物判りの良さを責めるのかと思った。
その予測を気持ちよく裏切って、彼女は静かに、まるで倒れ込むように、仰臥している沖田さんをハグ。
脇に座っていた私のところから、結髪の元結の裏まですっかり見えて。
甕覗き(かめのぞき=薄い青色)の絽の着物とのコントラストが目に沁みるようだと思った。
「ありがと」
と、かすかに涙声が聞こえた。
「なんで小夜さんが礼を言ってるんですかね?」
抱きつかれた沖田さんが照れ隠しに苦笑した。
男と女という形で、愛し合ったというわけではなかったかもしれない。
少なくとも沖田さんは、照葉さんに「惚れて」いたわけではなかったと思う。
でも、彼にとって彼女は、同じ病を戦う「同志」であったのだ。
一緒に戦う者同士の「情」が、そこには確かに有ったのだ。
同志を亡くした痛みと、彼女を悼む情を、小夜は彼の中に感じ取ったんだろう。
・・・ね?
沖田さんってそんなに薄情な人じゃないんだよ。
照葉さんのお骨を託した寺が山南先生の眠る光縁寺だってことも、その証拠じゃないか。
きっと、照葉さんをよろしく頼むと、自分もじきに逝くからと、ずっと一緒に眠るから待っていて下さいと、そう心に誓っている。
私にはそんな風に思えてならない。
普段口にはしなくとも、この人の胸の中から山南先生が消えることは無いんだ。
普段の帯結びでは色無地の後姿があまりに寂しく、文庫に結んでやった黒帯だったが、そうして伏しているとまるでカブトムシの羽みたい(笑)。
初七日の法要の帰りだった。
近藤局長のお手掛けのお孝さんは、切れ長の目の大人っぽい京美人で、物静かだけど取り澄ました感じは無く、思いのほか気さくで優しい人だ。
蒸し暑い中を壬生から歩いて来た私達に清めの塩と水を宛がってくれ、その後も水出しのお茶だの水菓子だのを自ら世話してくれ、挙句に、気を遣って私達三人だけにしてくれた。
しかもいつの間にか気付いたらそうなっていた。
沖田さんの療養先をここと決めたツートップの判断は正解だったな。
こんな人の家に居候するなら、沖田さんも楽だろう。
何より、局長が様子を見に来るのに気兼ねが無いしね。
「うちに来てくれたら良かったのに」
という小夜への返答が、更にダメ押しだったな。
「とんでもないですよぉ。小夜さんちへなんか行ったら、私は半日で笑い死にしちゃいますよぅ?カンベンしてくださいよぉ」
この時は冗談として笑って流したけど、半分は本当の話で。
笑った後には咳が来る。
笑いをきっかけに咳が止まらなくなるんである。
笑うことが病身には禁物だなんて、沖田さんには殊更やるせない話だろう。
そのことは小夜も経験上知っていて、今年に入ってからは照葉さんの前でもバカ話もしなくなっていた。
その代わり、毎日子守唄のように何かしら唄っていたっけ。
照葉さんはそれをいつも嬉しそうに、不思議そうに聴いていた。
ハモると目を丸くするのが可笑しくて可愛いらしくて、私も一緒になって唄ってたな。
ばか笑いこそしなかったけれど、それでも毎日楽しかった。
いつかはこうなると判ってはいたけど、覚悟も充分有ったけれど、一緒に居て楽しかった仲間が居なくなってしまった寂しさはどうしようもない。
どうしようもないから、この寂しさこそが現実なんだと自分に言い聞かせて、後はそれに慣れるしかない。
あの、見ているだけでもいたたまれないような苦しみから解放されて、テルちゃんはきっと今頃あの世でほっとしているだろう・・・と、そう思い込むしかない。
残された者が現実に適応するには思い込みも必要なんだ。
そうでなければやりきれない。
そうでなければ、生きてはいけない
激しい咳の発作が四六時中ある上に、肺の機能の低下のために話すこともままならず、食事も満足に摂れなくなり、睡眠は浅く昼も夢うつつ。
ほんの時折、不意に意識が明瞭となることはあっても、長くは続かない。
まるで死を待つような時間が重ねられて行った。
彼女がそんな状態であっても、沖田さんは普段と変わらずに職務をこなしていた。
新選組は参謀の脱退やら屯所の新築移転やら(それからこれはまだオフレコらしいけど、幹部の幕臣採り立てとか)で何かとバタバタしていた時期だったし、もとより女のために仕事に穴を開けるような人ではない。
何時、死神が迎えに来るとも判らない照葉さんを残して、彼は毎日仕事に出て行く。
そのくせ事態を重く見ていない訳ではなくて、毎日ちゃんと戻って来ては夜にもろくに眠らずに看病をし続け、周囲に心配をかけていた。
自分の身体のことも考えろ、という周りの忠告を聞くような人ではないのである。
私が照葉さんのところへ詰めっきりになったのはそんな訳だ。
おさんどんの世話をしていたオバサンは通いにしてもらって、とにかく一日中、二十四時間、私が詰めた。
沖田さんの負担をいくらかでも軽くするにはそれしか方法が無かったのだ。
他の人間がつくことを、彼が嫌ったから。
仕事仲間をプライベートに使うことを彼は嫌ったし、さりとて雇い人に任せるのは不本意だとは判りきったことだったから。
・・・と、最初は思っていたのだが。
実のところはもっと他にあった。
ちょうどこの時、新選組では脱走や切腹等、血生臭い事件が相次いでいたのだ。
なので沖田さんは極力、私を屯所に近づけたくなかったものらしい。
しかもそれらは全て伊東甲子太郎一派の脱退に絡むものであったので、監察の下で連絡係に使われようとしていた私を、彼は自分のプライベートに拘束することで保護しようとしてくれたのだ。
これは後になって事情が判るにつれ得心がいったことだった。
大分後になってから本人に訊いてみたけど、買被りだと笑われただけだったな。
思えば、それを認めるような人ではなかったけど。
照葉さんの容態が悪くなってからは、島原からの見舞い客も怖気づいたと見えて足が遠のいてしまっていたが、その分、小夜が来てくれていた。
副長が諸事に忙殺されているのをいいことに、彼とどう談判したものか、沖田さんが出掛けている間は例え夜中までも一緒に詰めてくれていた。
「だってひとりじゃ不安でしょ?」
先日の一件が効いているらしい。
まるで自分の方が経験値が高いとでも言いたげな口ぶりだった。
判り易いヤツ(笑)。
でも確かに彼女はあれ以来、もう何が起こっても取り乱すようなことは無かったんだ。
夜中に照葉さんが激しく咳き込んで喀血しても。
病人を抱きかかえて自分の胸元が鮮血に濡れるのも意に介さずに背中をさすり続けたこともあった。
「大丈夫だよ。心配しないで。我慢しないで全部吐いちゃっていいからね」
まるで小さな子供に言い聞かすように、苦しむ照葉さんを抱きしめながらそう言って、溢れ出る真っ赤な血を自分の身体で受けていた。
あの時はさすがに感心したっけ。
ふっきれていたんだよね。
だから、骸になった彼女を目の前にしても、呆れる程泣いてはいたけど取り乱してはいなかったんだと思う。
その晩、沖田さんはその前の二晩程をほとんど眠らずに過ごした私達を気遣って、半ば無理矢理に帰した。
それが彼の手だったということには、後から気付いた。
疲れ切って、降り出した雨にも気付かずに寝呆けていた私達を呼びに来たのは山崎さんだった。
彼は照葉さんの落籍の時以降、この件について自ら動くことは無かった。
私が思うには、たぶん丁子屋の松蔵さん以下の関係者に様子を見させていたんだ。
自分が動けば、沖田さんが負担に感じると知っていて。
その彼が来たことが、まるで一連の「事」が済んだ証しのように思われて。
これから明らかにされるであろう事実を、無言のうちに悟ることができた。
小夜もまた、全てを悟ったようだった。
「今、参ります」
気を遣ってか門外から呼ばわっていた山崎さんをそのままそこに留めて、手早く身支度を済ませ、バリバリと音をたてて傘を開く様子は、意外な程落ち着いていた。
声には威厳のようなものさえ有った。
そこまで覚悟ができていたかとその変貌ぶりに正直戸惑ったが、家を出て三歩も歩かぬうちにぐすぐすと鼻をすする音が傘を打つ雨音の合間から聞こえて来て、彼女らしさにほっとしたっけ。
先を行く山崎さんは何も言ってはいないのに、目的地にたどり付く前に小夜は既に号泣していた。
泣きが激しくなる程に足取りも早まって、傘を閉じるのももどかしく線香の煙たゆたう家の中に転げ込み、白布を掛けられて静かに横たわっている遺体に覆いかぶさるように抱きついた。
部屋には島原から既に何人か人が来ていたのだが、小夜の勢いに驚いて声も無い。
「テルちゃん!」
と叫んで遺体に取りすがった小夜の背中越しに、もうひとつ寝床が延べてあるのに気がついてぎょっとする。
沖田さんが臥せっていた。
「そんなとこで何やってんの?」
泣きながらもすかさずツッコミを入れるあたりは、小夜はやはり落ち着いていたんだ。
遺体に取りすがったまま片手を伸ばし、奥の寝床の上の人の手を握った。
「それが・・・。頑張り過ぎちまいまして。申し訳ない」
ケホケホと咳をするのが聞こえている。
彼はこんな風に人の集まるような状況の中で床に伏したままで居るような人ではない。
余程体の自由が利かなかったのだ。
照葉さんの臨終に居合わせて、無理をしたのに違いなかった。
照れたような声音が、彼の心情を物語っているのに気がついたのかどうか。
「なに笑ってんのよ。死んだ人と枕並べちゃって。自分まで北枕にしちゃってさ」
言う小夜の声が笑っている。
涙声にも、笑い声にも聞こえる。
笑い飛ばしてもらえて、沖田さんはきっと格好がついたろう。
同情されるなんて彼は死んでも嫌だろうからな。
小夜のツッコミに救われている。
「顔、見てやってくださいよ」
言われてようやく遺体の脇に座り直し、顔に被せてあった白布を取ってみた。
きれいな死に顔だった。
痩せてやつれて青白く、既に黄味がかってもいたけれど、意外にも穏やかな表情だった。
近頃はずっと見ることの無かった、安らかな寝顔。
髪を三つ編みのお下げに結んでいたままだったから、まるで無垢な少女のようで。
「ね?」
奥の寝床から沖田さんがにっこりと微笑んだ。
満足げな笑顔だった。
「ようやく、楽になったんだねぇ・・・」
鼻先を赤く紅潮させて大粒の涙をぽろぽろこぼしながら、小夜が笑い返した。
もっと苦しんだかと思った。
咳の発作で呼吸困難になったのかと・・・。
臨終の様子はどうだったのだろうと考えていた時、脇に視線を感じた。
山崎さんと目が合った。
それだけのことだ。
彼は直ぐ、何事もなかったように目を伏せた。
それだけのこと。
まさかね。
と、思った自分に驚いた。
まさか・・・何だというのだろう。
亡くなるとしたら咳の発作が起きた時だろう。
激しい咳で呼吸困難になったなら、きっと苦しむだろう。
そう、思い込んでいたことが外れただけじゃないか。
穏やかに臨終の時を迎えられたなら、それは不幸中の幸いというものだ。
夕べ、沖田さんは一人だった。
ひとりでは照葉さんの世話は無理だと留まろうとした私を、半ば叱り付ける様に追い出した。
照葉さんはもう意識もなく、何時目を落としても不思議ではないぐらいだった。
なのに、私達の体調が心配だからと、一度帰ってちゃんと寝ろと。
自分のことは棚に上げて。
そして今朝、我々を迎えに来たのは山崎さんだった・・・。
それだけのことだ。
照葉さんの死に顔は穏やかだった。
それだけのこと。
彼女の死を看取ったのが沖田さんであってくれて、小夜は満足していることだろう。
何も不思議に思うことはない。
何もおかしいことはない。
そう、自分に言い聞かせていたのについ、空恐ろしいと感じるのは仕方の無いことなのか。
照葉さんを苦しませずに逝かせてやりたいという気持ちは皆の共通意識だった。
満足に呼吸もできない苦しさから早く開放してやりたいとは、あの発作を見たことのある者なら誰でも思う。
小夜でさえ、彼女が楽になれたことにほっとしているではないか。
本人だって・・・。
「なかなか死なれへんいうのンも、ほんまにしんどいことどすなぁ・・・」
三日前の晩、襖で仕切った隣の部屋から聞こえてきた照葉さんの言葉が蘇る。
夜中に戻ってきた沖田さんに遠慮して隣室に寝床を移して間も無く、激しく咳き込んだ照葉さんが彼に介抱されながら息も絶え絶えに呟いた。
一時的に意識が明瞭になったのか、そんな状態でありながら続けて冗談を言ったのだ。
「今度また生まれて来るんやったら、そん時は沖田はんの仇に生まれとぅおす」
どうして?と問う相手の言葉は聞こえなかった。
否、言わなかったのかもしれない。
後に続く言葉の想像がついたんだ。
「沖田はんにばっさり斬ってもろたら、こんなしんどい目ぇに遭うことも無いやろし、きっと夢心地であの世に行けますやろ。うち、沖田はんの手ぇにかかって死んでみたい・・・」
彼はどんな気持ちでそれを聞いたのか。
寝床の上で胸が詰まった。
まさか斬り殺しはしないだろうが・・・。
と思ってしまってから、それを打ち消す。
例えそうであったとしても誰もそれを責められぬ、とも思ったのだ。
だから、考えるのはやめにした。
眠るように穏やかに、目の前に横たわる照葉さんが満足しているならばそれでいい。
離れを提供していた農家が、自分の家から他人の葬式を出すのを嫌ったので、仏事は全て寺を借りて行われた。
とはいえ、ごく身内だけでひっそりと執り行われたのだったが。
沖田さんはそのほとんどに顔を出すことができなかった。
照葉さんが亡くなった時の無理が尾を引き、臥せっていたのだ。
・・・というのは表向きで、たぶんきっと彼のことだから照れ隠しに姿まで隠したんだろうとは思っていたけど。
だって照葉さんの葬儀の件については大揉めに揉めたのにも拘らず、彼は根気良く(とは言え葬儀日程には間に合わせたわけだけど)副長(&局長)を説得して自分の意思を通したんだから。
そんなこと病人にはキツイよな。
照葉さんには身寄りが無かった。
だから例えば島原の遊女のまま亡くなったのなら置屋で密葬にでもして共同墓地に葬られたのだろうけど、身請けしたのだから沖田さんがその全ての面倒を見るのは道理。
沖田の名前で墓を立てると、彼は譲らなかったのだった。
だがそんなことを副長が・・・というより近藤局長が許すはずも無かった。
沖田家代々の墓は当然ながら江戸にある。
しかもそこに身請けした遊女など入れられるわけが無いのは言わずもがな、と頭ごなしに反対された・・・らしい。
全ては局長の休息所で話し合われたことなので、私がそこに同席できる筈もなく、後から山崎さんに教えてもらったのだ。
ちなみに沖田さんは自分の休息所を引き払って、醒ヶ井にある局長の休息所でそのまま今も療養中。
で、結局どうなったかというと、表面的には沖田さんが全面的に譲った形。
だが後から本人に聞いてみれば、彼の逆転勝利の可能性を残したと言ってもいいぐらい。
お墓はとりあえず立てないで、位牌とお骨は寺に預かることになった。
これは沖田さんの親代わりのツートップ(=局長&副長)の思惑通り。
沖田さんの妻としてではなく、ただの「縁者」という肩書きで過去帳にも記されることになってしまったし。
そんな結果に終わったことに小夜はぶつくさ文句を言っていたのだが、
「いいんですよ」
と、梅雨の晴れ間の蒸し暑さにぐったりしながらも、寝床の上の沖田さんは顔をほころばせた。
「私は夫と呼べるようなものではなかったですから。夫じゃないなら妻も無いでしょ?それに、どうせ私も追っ付け逝くんだし。そしたら一緒のお墓に入れて貰うように寺には話してあるんです。それまで骨(こつ)を預かって貰って・・・」
枕元に座って団扇で仰いでやっていた小夜の手が止まった。
何を弱気なことを言うんだと、彼の物判りの良さを責めるのかと思った。
その予測を気持ちよく裏切って、彼女は静かに、まるで倒れ込むように、仰臥している沖田さんをハグ。
脇に座っていた私のところから、結髪の元結の裏まですっかり見えて。
甕覗き(かめのぞき=薄い青色)の絽の着物とのコントラストが目に沁みるようだと思った。
「ありがと」
と、かすかに涙声が聞こえた。
「なんで小夜さんが礼を言ってるんですかね?」
抱きつかれた沖田さんが照れ隠しに苦笑した。
男と女という形で、愛し合ったというわけではなかったかもしれない。
少なくとも沖田さんは、照葉さんに「惚れて」いたわけではなかったと思う。
でも、彼にとって彼女は、同じ病を戦う「同志」であったのだ。
一緒に戦う者同士の「情」が、そこには確かに有ったのだ。
同志を亡くした痛みと、彼女を悼む情を、小夜は彼の中に感じ取ったんだろう。
・・・ね?
沖田さんってそんなに薄情な人じゃないんだよ。
照葉さんのお骨を託した寺が山南先生の眠る光縁寺だってことも、その証拠じゃないか。
きっと、照葉さんをよろしく頼むと、自分もじきに逝くからと、ずっと一緒に眠るから待っていて下さいと、そう心に誓っている。
私にはそんな風に思えてならない。
普段口にはしなくとも、この人の胸の中から山南先生が消えることは無いんだ。
普段の帯結びでは色無地の後姿があまりに寂しく、文庫に結んでやった黒帯だったが、そうして伏しているとまるでカブトムシの羽みたい(笑)。
初七日の法要の帰りだった。
近藤局長のお手掛けのお孝さんは、切れ長の目の大人っぽい京美人で、物静かだけど取り澄ました感じは無く、思いのほか気さくで優しい人だ。
蒸し暑い中を壬生から歩いて来た私達に清めの塩と水を宛がってくれ、その後も水出しのお茶だの水菓子だのを自ら世話してくれ、挙句に、気を遣って私達三人だけにしてくれた。
しかもいつの間にか気付いたらそうなっていた。
沖田さんの療養先をここと決めたツートップの判断は正解だったな。
こんな人の家に居候するなら、沖田さんも楽だろう。
何より、局長が様子を見に来るのに気兼ねが無いしね。
「うちに来てくれたら良かったのに」
という小夜への返答が、更にダメ押しだったな。
「とんでもないですよぉ。小夜さんちへなんか行ったら、私は半日で笑い死にしちゃいますよぅ?カンベンしてくださいよぉ」
この時は冗談として笑って流したけど、半分は本当の話で。
笑った後には咳が来る。
笑いをきっかけに咳が止まらなくなるんである。
笑うことが病身には禁物だなんて、沖田さんには殊更やるせない話だろう。
そのことは小夜も経験上知っていて、今年に入ってからは照葉さんの前でもバカ話もしなくなっていた。
その代わり、毎日子守唄のように何かしら唄っていたっけ。
照葉さんはそれをいつも嬉しそうに、不思議そうに聴いていた。
ハモると目を丸くするのが可笑しくて可愛いらしくて、私も一緒になって唄ってたな。
ばか笑いこそしなかったけれど、それでも毎日楽しかった。
いつかはこうなると判ってはいたけど、覚悟も充分有ったけれど、一緒に居て楽しかった仲間が居なくなってしまった寂しさはどうしようもない。
どうしようもないから、この寂しさこそが現実なんだと自分に言い聞かせて、後はそれに慣れるしかない。
あの、見ているだけでもいたたまれないような苦しみから解放されて、テルちゃんはきっと今頃あの世でほっとしているだろう・・・と、そう思い込むしかない。
残された者が現実に適応するには思い込みも必要なんだ。
そうでなければやりきれない。
そうでなければ、生きてはいけない
スポンサードリンク
COMMENT FORM