もう50年ほど前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。
・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。
ご笑覧下されば幸いです。
・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。
本当言うと、先は見えていなかった。
何をどうすればいいのか、さっぱり見当がつかなかった。
ただ、テルちゃんを手放したくないという気持ちだけが、心の中を埋めていた。
沖田さんのことなんてもうどうでもいい。
あんな冷たいヤツのことなんか考えてやるものか!
女の子はね、家族と一緒に居るより、好きな人と一緒に居たいものなんだ。
そんなことも判らないなんて。
全く男ってヤツは!
・・・ていうか幸も!(アイツはホントに女なのか!)
命に限りがあるなら、尚更そうだろうと思うのに。
みんななんて冷たいんだ。
そんなの悲しいじゃないか。
私は絶対見捨てない。
絶対絶対。
家まで走って五分だった。
それでも危うく逃がすところだった。
表通りの角を曲がると、細い路地いっぱいに紋付が幅を広げているのに出くわした。
懐手をした羽織の袖が、風を孕んで翻っているのだ。
紋所は左三つ巴。
進路を塞いだ私を睨んでいる。
・・・否。
アゴを引き、口をへの字に結んで、しかも眼光鋭いので睨んでいるように見えるのだ。
この人はこれが普通の顔。
臆することはない。
「話があるんです」
と言ってからようやく、この間の騒動を思い出した。
そういえば・・・あれから初めて会うんだった。
・・・忘れてた(--;
普通の顔じゃなくてやっぱり不機嫌な顔なのかも(爆)。
案の定、
「お前と話すことなど無いな」
無愛想にそれだけ言って脇をすり抜けようとする。
向かい風を受けて、髷先がバラけている。
それを気にする様子も無い。
そういえば、まだ謝ってもいないんだった。
いかにもうかつな自分に舌打ちでもしたい気分。
「待ってください」
何時に無く下手に出てしまうのはたぶんそのせいだ。
「俺は山崎からの報告を待つ。お前の話は聞かん」
こちらを見もしない。
なんだその態度は~!ムカツク~!
この間殴ったのが尾を引いてるのか~。
悪いのは私なのか~。
コイツと談判なんてできるのか~!
ていうか、したくない~(--;
くそー!
どうする小夜!このままみすみす逃がしてしまうのか!
諦めるのか!
自問自答の答えが出たわけじゃない。
とにかくこちらからアクションを起こさなければ始まらないと思ったのだ。
引き止めなくては。
何をどう話すかは、そこから考えろ!
ぱっと振り返りざま、風に翻る羽織の裾を掴んだ。
・・・つもりだったのだが。
「・・あ・・・っ・・」
手の中にあったのは梨地朱塗りの大刀の鐺(こじり)(--;
しまった!と自分でも思った。
あとで幸に言ったら、よく無礼討ちに遭わなかったなと脱力されたっけ(汗)。
歩いて行くのを後から掴んだものだから、勢い引っ張る形になっちゃって・・・。
振り向いた土方さんの顔は・・・物凄かった(滝汗)。
目を吊り上げて小鼻を広げて、目尻からこめかみの辺りが朱を刷いたように赤くなっていく。
まるで赤鬼だよ!
刀の柄に手が行ってる!
「うわ!・・・まままま待って!ごごめんなさいごめんなさい!違うの。そういうつもりじゃないの!」
なんせ相手は刀を抜こうとしてるのだ。
それを阻むのには・・・こっちが手を離したらまずいじゃないか!
鐺を掴んで引っ張りながら、相手の向きに合わせて右へ左へ回り込んで逃げるしかない。
だって斬られるのは嫌だもん!
必死こいてぐるぐる逃げ回ってたら、
「おい!何しやがんだ、この馬鹿!放さんかっ!」
相手は目を回しかけてた(爆)。
背中を無理矢理押しやって庭に押し込め、後手に木戸を閉める。
不本意に押し戻されたことで、普段から尊大な表情をますます不機嫌そうに強張らせて、彼は家には上がらずに私の前に仁王立ちになった。
「何なんだ!どういうつもりだ。どこに行っていた。山崎とは会わなかったか」
ギラついた目を三角にして・・・人を喰いそう。
ちょっとうんざり。
「待って。喉渇いちゃった。家に上がろ。順番に話すから」
落ち着こうよ、とにかくさ。
と、カッカしている相手を見てたら自分は妙に冷静になれたりして。
羽織の脇をすり抜け、台所の水瓶からひしゃくで直に水を飲みながら、
「山崎さんには会ったよ。でも、先に帰って来ちゃった。自分で話さないといけないと思ったから」
相手はまだ庭に居る。
話を聞く気にはなったみたい。
「それしか方法は無いと思ったし。・・・上がったら?」
風が時折ガタガタと障子戸を鳴らした。
土間の隅に置いてある猫用の茶碗のまわりに、ご飯粒が散らかっている。
見回しても、フクチョーの居る様子は無い。
朝ご飯食べてからどっか出かけたのか。
近頃あんまり家に居つかないのはオス猫だから仕方ないのかな。
茶の間の火鉢の猫板に湯呑み茶碗が下げてあった。
薄手の、白い地に夏模様の湯呑み。
そういえば秋の柄のに替えるのを忘れていた。
幸の後をつけて山崎さんが現れたということは、幸がお茶を淹れて出た後に、山崎さんが下げてくれたということなのかな?
見ると、土方さんはまだ庭に居る。
腰に刀を帯びたまま。
ってことは、家に上がる気は無いってことか。
「話、長くなるかもよ?すぐ戻んなきゃいけないの?なんか他に用事でもあった?」
舌打ちが帰って来る。
「いいから早く話せ」
じゃあ遠慮なく、と自分だけ火鉢の脇に腰を下ろす。
ああ、暖かい。
走って来たら手が冷たくなっちゃってた。
「この間はごめんね」
ふん、と鼻を鳴らした。
「それはもういい。話とは何だ」
もういいのか。
じゃあ本題に行きましょうかね。
「私ねぇ、照葉さんのこと盗んで来ちゃったの」
火鉢で手を焙りながら、軽いノリで報告。
「なにィ?」
「沖田さんをそそのかして、幸に手伝ってもらって。そしたら案外上手く行っちゃってさ。今、市内某所に隠してるんだー」
笑って見せるとようやく草履を脱ぎ捨てて、座敷に上がってきた。
「お前!なんてことしやがるんだ!」
脇に立って怒鳴っている。
平服にしている墨色の無地の袴の、木綿にしちゃ折り目がきっちり入っているのが着ている人物の性格を現していて可笑しい。
「だって沖田さん、島原に出入りできなくなったでしょ?」
「外で逢わせようという魂胆か」
歯噛みをしている。
そんなにイヤミなつもりで言ったんじゃないんだけどな。
「そう。それにタダでゆっくり逢えるじゃない?」
馬鹿!といきなり怒鳴られた。
唾が飛んで来そうでよけちゃった。
「アイツに肺病が伝染ったらお前のせいだからな!」
それがどうした。
そんなことは別に嫌でもなんでもない。
「いいよ。そういうことにしておいて」
そういうつもりじゃなかったけど、ナマイキに聞こえたかもしれない。
胸倉を掴まれた。
正座していたお尻が浮いた。
十センチと開けない目の前に顔があった。
黒目がちの瞳に被さった長いまつ毛が男のくせにキレイだなぁと、私はつい上の空だ。
力み返る相手のテンションについて行ってない。
彼は勢い込んで何か悪態をつこうとし、それからふいに思い留まったみたいだ。
力の入ったこめかみが、ふと緩んだのが判った。
「お前、それで度々留守にしていたのか?お前と幸でその女の面倒を診ていたんだな?」
「そうだよ。だって私等しか居ないじゃん」
馬鹿!と再び怒鳴られた。
今度は逃げられない。
たっぷり唾を浴びましたさ(--;
「伝染ったらどうするつもりだ!」
伝染んないよ、と言いたかった。
私も幸も、沖田さんにしたって、そんな心配は要らないんだ。
でも、それは言えない。
胸倉を掴まれたまま、着物の袖で顔を拭う。
「ごめんなさーい。すいませーん。気をつけてますから大丈夫・・・」
「気をつけてどうなるってんだ!お前、自分が何をしているのか判っているのか!」
うわ。また唾が・・・(--;
ああもう!
こんな至近距離で怒鳴るな!鬱陶しい!
「判ってるわよ!うるさいわよ!怒鳴らないでよ!もうっ!」
「判ってるだと?何が判ってるってんだ、ええ?死にてぇのかてめぇらは!」
「死なないったら。私等はそんなことじゃ死なないの!」
そう言い切ったのを不思議に(不審に?)思ったのか、相手の勢いが緩んだ。
その隙に無礼な手を引き剥がして、座り直す。
乱れた襟元を手探りで直していると、
「お前等のやったことは立派なかどわかしだ。本来なら奉行所に突き出してやるところだが、総司が絡んでいるんじゃ事は公にはできない。後始末はこっちでする。お前らも役人どもに嗅ぎつけられないように、大人しくしておくんだな」
想定の範囲内はへいへいと聞いた。
が、
「とりあえずしばらくの間ここから出るな。見張りをつけておくからそのつもりで居ろ」
え?
「なにそれ?私をここに軟禁するってこと?」
「そういうことだ」
想定外。
横暴。
くそー。
「ああそう。じゃあ早いとこ見張りを呼びに行って来たら?その間に逃げてやるから」
んべー、と舌を出したら、相手は下まぶたをひくひくさせて今にも怒鳴り出しそうだ。
可笑しくて、ちょっとだけ許してやろうかと思った。
「いい加減座ったら?代わりの誰かが来ない限り、あなたは私と居るしかないでしょ?」
新しくお茶を淹れよう。
仕舞い忘れたメダカの柄の夏茶碗にではなく、ちゃんと秋色の湯呑みを出して。
そう。
ちゃんと話をしなければならない。
話せないこともあるにせよ、この人だって何かしなくちゃいけないんだもの。
沖田さんのために何かしてあげなくちゃいけない。
今は意味が判らなくとも、そのうちきっと思い当たることもある。
後で後悔しないよう、ちゃんと出番を作っておかないとね。
「沖田さんはテルちゃん・・・照葉さんを帰そうと言ってるんですって。さっき幸が言ってた」
「話は聞かんと言った」
座布団を使わずに、土方さんはぺったりと畳に胡坐を掻いている。
大小二本の刀は脇に置いてある。
この人の脇差は長いので、差したままでは邪魔で座れないんだよね(笑)。
「別に聞いてもらわなくてもいいよ。私の独り言だもん。勝手に喋ってるだけだからぁ~!」
わざと庭に向って叫んでやった。
彼は鼻を鳴らし、うんざりしたような顔を作って、膝前に置かれた湯呑みに手を伸ばした。
「島原の、照葉さんのお店の人達が捜し回ってて・・」
「そのようだな」
聞かないと言った側から合いの手が入ったぞ(^^;。
「あれ?知ってた?」
「山崎が顔を見せて開口一番、屯所周りで素人が目明しの真似事をしていると。沖田に引っ付いていやがったか」
「すごーいvv山崎さんには判るんだぁぁvvv」
さっきは素直に歓迎できなくて悔しかったけど、やっぱり山崎さんは大好きだ。
でへへ~と鼻の下が伸びちゃったのを横目に見咎められてた。
慌てて頬を締める。
「照葉さんを捕まえて懲らしめようというのなら誰も帰したいとは思わないんだけど、そうでもないみたいで・・・」
お茶、ちょっと渋かったね。
でも、掌に湯呑み茶碗の温かさが嬉しい季節になったなぁ。
庭から吹き込む風が冷たくなってきた。
「本人も周りを心配させたくないみたいで。だから帰した方がいいって幸も言ってるんだけど。・・・私は嫌なの。せっかく友達になったのにさぁ、もう会えなくなるわけでしょう?」
私も軟禁されるってんだからな。
「ともだち?」
聞き返された。
あれ?友達って現代語だっけ?
「友。友人。朋輩。ともがき?なんていうか、まあそういう意味。せっかく仲良くなったのに、幸ってば冷たいの。冷たいって言えば沖田さんもあんまりなの。そりゃあさ、昔からの知り合いに心配かけてて気の毒なのは判るけどさ、身請けしようとまで想った人をそうあっさり諦められるもん?」
答えない。
風に鳴る障子戸を見やっている。
「それをだよ、幸はいいと思ってるわけ。思いやりがあって優しいとか、そんな風に思ってるんじゃない?でもそれってさぁ、あんまりだよね?誰も駄々こねないんだよ?帰るって言ったら、みんな『さあどうぞどうぞ』だよ?照葉さんと離れたくないっていう人間がひとりぐらい居てもいいと思わない?」
「それでお前が『駄々こねてる』ってのかぇ?」
足を崩して手にした湯呑みを弄んでいる。
京焼の、砂色地に金彩で柄は女郎花。
道端の女郎花を自信満々で花粉症の花!(=セイタカアワダチソウ)と言って幸に思い切り馬鹿にされたのは去年の秋だっけか。
「そういうわけじゃないけどさ」
けっ、と土方さんは溜息をついて、湯呑みに残ったお茶を一気にあおった。
「馬鹿馬鹿しい。アイツが自分の女をどうしようと、お前の口出す筋では無ぇだろ?」
「でも、友達だもん」
おや?という風にこちらを見た。
一瞬見合った。
「気になるでしょう?これからどういう扱いされるかとか、ちゃんと沖田さんに愛されてるのかとか捨てられちゃうのかとかさー。それでなくったって・・・何時まで生きてられるか判らないなんて・・・」
言ってるうちに腹が立ってきた。
「沖田さんは無責任だよ。半端に情をかけて、半端に希望を持たせて。しかもあんな状態の人に。女をなんだと思ってるんだろ?」
人の顔を面白がって見ているコイツにも責任はあるんじゃないか?
「あなたの教育が悪いんじゃないのー?」
睨みながらお茶を一口。
ジロリと睨み返された。
「だってそうでしょう?だから嫌われるんでしょう?足元見られて五百両もふっかけられて・・・」
そうだ、それもあった!
「ここだから言うけどさぁ、もう商品価値の無いものに対して五百両払えって言われてるんだよ?腹立たないの?」
「仕方無ぇな。本人の借金だからな。払えなきゃしょうがねぇ」
鼻で笑った・・・。
コイツはアホか!
「何言ってんの?馬鹿じゃないの?それって雇われてる人間の借金じゃなくて、経営者の借金でしょ?回収できなくなるぐらい馬鹿みたいに投資するのが悪いんでしょ?雇う側の商才が無いだけでしょ?それを買い手に押し付けてるだけでしょ?」
素人だってそれぐらいは判るぞ(怒)。
なのに今ひとつピンと来てないヤツがすぐ横に。
ああもう!
「照葉さんが負うべき借金じゃないでしょって言ってるの!判る?採算取れなくて抱えた借金を価値の無くなった商品に背負わせて、それを買えって言ってるんだよ?それって何よ。舐められてるだけじゃん。自分の部下が舐められてるんだよ?あんた腹立たないの?それでも『はいそうですか』って退散するの?」
私がムキになるのが変なのか?
「馬鹿馬鹿しいから盗んでやろうと思ったのよ。あんまり憎たらしいから。誰も何にもしないから。大人しく引き下がっちゃったオジサン達があんまり情け無いからさー」
上司もろとも連帯評価だ。
挑発するつもりで呆れたように肩をすくめて見せると、ようやく反応が返って来た。
「面白い理屈だな。だが、そもそも俺はその女を身請けさせるのには反対だったんだ。お前に非難される筋合いは無い」
・・・そうだよね。
沖田さんに病気が伝染るのが許せないんだものね。
切ないけれど、まさか事実は話せない。
でもさ、
「ひとつ聞いてもいい?」
掌の中の湯呑み茶碗に残ったお茶は、既に冷たくなっている。
それをくるくると揺すると、底に沈んだお茶の葉の澱が渦を巻いて浮き上がって来る。
「おゆうさんが労咳になったら、あなたはもう逢いに行かないの?」
鋭く、視線がこちらを向いたのを感じる。
圧迫感がある。
「引き離されたら諦めちゃうの?」
これを殺気と言うのかな。
殺気を感じちゃったよ。
しかもこんな質問で。
ふふっと笑いがこみ上げて来た。
「でもそしたら今度は私が通うから。その時は文句言わないでね」
冷たくなったお茶は苦かった。
そちらに顔を向けると、まだ睨んでいる。
いや、普段の顔なのかも。
万筋の着物に黒半襟が似合ってる。
「お前、何が言いたい?」
何が言いたいのか、自分にもまだ良く判らない。
「何を言いに来たんだ?」
何を言いに来たんだろ。
テルちゃんを帰すと言われて、たまらずここへ来たのは何故なんだろ?
この人に会いに来たのは・・・なんでだっけ?
「照葉さんを助けたい・・・」
そう。
それがひとつ。
「それと、沖田さんと一緒に居させてあげたい」
「それは無理だな」
その答えを聞くまでも無く、この二つの問題を一度に解決するのは無理だと思えた。
二つが絡み合っているのがいけない。
照葉さんを助けるだけならなんとかなるかも・・・。
そう、淡い期待を持ったとたん、
「労咳は死病だ。助けられない。そんな病を患う者と沖田は一緒にはさせん」
全否定か。
出来ることは何も無いのか。
「何とかならないのかしら。状態は良くなって来てたのよ。元の場所に戻したらまたすぐ悪くなるに決まってる。何十年もというのじゃないの。できるだけ長く、生きてて欲しいだけなの」
「俺に訴えられてもどうしようも無ぇな」
気の無い返事をし、所在無げに、落ち葉の吹き寄せられた庭を見やる。
知らぬふりを決め込む様子。
でもそれでは困るのだ。
なんとか引っ張り込まねば。
この人を動かさねば。
「そんなことないでしょう?あなた偉いんでしょ?偉い人なんでしょ?いいお医者さんだって知ってるんでしょ?照葉さんを身請けできるでしょ?今のまま暮らせればいいんだから。ちゃんと身請けすれば彼女のお店の人達だって、誰も心配しないんだから」
「ほぉ。五百両もの大金、どっから持って来るって言うんだぇ?」
せせら笑う。
その場にゴロリと横になった。
蹴飛ばそうかと思った。
「何寝ぼけたこと言ってんのよ!五百両なんてどうせ適当にふっかけた金額じゃない。そんなの真面目に払う必要なんて無いじゃん」
「踏み倒せってか。大した鼻息だな」
薄笑いで大仰に驚いてみせるのが・・・腹の立つ!
「五百両、御用金として献金させれば済む話でしょう?」
「なんだって?」
こっちを見た。
真顔なのは私の話に驚いたってこと?
「向こうだってふっかけてるんだから、こっちだってふっかけりゃいいのよ。それでチャラにすりゃいいじゃない。どうせハッタリでつけた値段なんだもの。交渉するだけで済む話だわ」
ひとの顔をじーっと見てるんですけど・・・。
「なに?まさか出来ないなんて言うんじゃないでしょうね?大坂の大店から二千両も押し借りしたくせにぃ~」
「おい!」
ずけずけ言われて気に障ったのか、半身を起こした相手に尚も挑発。
「なによ!ナンカ文句ある?事実でしょ?それともナニ?役立たずでもここまで言われりゃ気に障るんだ?」
「役立た・・!?」
不本意だったらしい。
嫌悪感と驚愕の入り混じった、見たことも無いような素っ頓狂な顔になった。
「役立たずでしょう?身請けの交渉にしたって、医者の事にしたってあなたが動いてくれりゃいいのに。そしたら全部上手く行くのに。なのにあんたみたいに何もしないで手をこまねいてるのは『役立たず』って言うのよ」
「おい!ちょっと待て!」
起き上がった。
「何度も言うが、俺は身請けには端から反対なんだ。こんなところでお前の妙な理屈に丸め込まれてたまるか。そもそも沖田からは何も言っては来ねぇ。お前一人のお節介でこんな・・・」
「沖田さんがあなたにそんなことを頼めるとでも思ってるの?」
土方さんの顔色がさっと変わったのが判る。
気がつけば、至近距離で言い争っていた。
「あの人は自分のことで他人の手を煩わせるようなことはしないでしょ?心の底で自分が何をしたいと思ってるかなんて、絶対誰にも言わないでしょ?」
思い当たることは沢山あるに違いない。
私なんかとは比べものにならないくらい、付き合いは長いんだろうから。
「だから、こんなメチャクチャな頼み事も私が代わりに言うしかないでしょう?」
きっと、私の言っている意味は伝わったんだと思う。
次の言葉を口にする前に、微妙な間があった。
「仮にそうだとしても、残念ながら俺はそんな甘ったれた願い事を聞くような人間じゃ無い。お前は俺を知らん」
黒目がちの瞳は、僅かに下を向くだけで感情の疎通を遮断する。
映っているものが侮蔑なのか脅しなのか、憂いなのか怒りなのか諦めなのか、端からは見て取れない。
そもそも、私なんかには。
私の周りの人間は気を使って何も教えてくれないけれど、この人の噂は耳に入って来てはいた。
鬼だの蛇蝎だの血が通っていないだの。
好悪で詰め腹切らせるの、闇討ちにされるのって。
他にあくどい事も沢山してるみたいだし。
私の目の前で起こったことじゃないし確かめる術も無いけど、たぶんそれは全部本当の事なんだろうと思う。
事象はどうあれ印象は。
それでも幸はこの人を悪く言わない。
山崎さんや監察の人達、沖田さんも斎藤さんもみんなシンパだし。
しかもおゆうさんみたいな人が、この人の恋人だっていうんだから。
私の好きな人達が、みんなこの人のことを好きなんだよ。
それってどういうことなんだろうって、ずっと考えてた。
信じてもいいのかなぁって、ずっと考えてたんだ。
だからたぶん、最後にここに来た。
確かに私はこの人のことなんて何も知らない。
それでも、
「あなたしか居ないんだもの」
黒々した瞳がこちらを向く。
「私にはあなたしか居ない。もちろんあなたの言う通り、私はあなたのことなんて何も知らないわけだけど、でも私、・・・それでも私、あなたしか知らないんだもん。私が知ってるこの世で一番偉い人はあなただし、あなたに頼るしかないんだもの」
と、そこまで言ってしまってから・・・物凄くしおらしい言い草になっていることに気付いて内心あたふた(汗)。
「だだだだから、あのう・・ええと・・・ほら、沖田さんが何も言い出さないからって見ないふりするのはズルイでしょ?」
いきなり憎まれ口になっちゃったよ(汗)。
やばい。
方向変換!
「っていうか、こんなことはもう無いかもしれないでしょ?」
ああこれもダメだ!
バラしてしまいそうになるじゃないか。
パニクりながら言葉を選んでいるうちに、
「いいか、もう一度言う。お前の話を聞く気は無い。女は帰す。沖田自身がそう決めたなら他に問題は無い。お前のやったことは大罪だが、沖田に免じて大事にならんよう始末をつけてやる。それだけだ」
ゆっくりと揺ぎ無い口調に突き放されてしまう。
何をどうすればいいのか、さっぱり見当がつかなかった。
ただ、テルちゃんを手放したくないという気持ちだけが、心の中を埋めていた。
沖田さんのことなんてもうどうでもいい。
あんな冷たいヤツのことなんか考えてやるものか!
女の子はね、家族と一緒に居るより、好きな人と一緒に居たいものなんだ。
そんなことも判らないなんて。
全く男ってヤツは!
・・・ていうか幸も!(アイツはホントに女なのか!)
命に限りがあるなら、尚更そうだろうと思うのに。
みんななんて冷たいんだ。
そんなの悲しいじゃないか。
私は絶対見捨てない。
絶対絶対。
家まで走って五分だった。
それでも危うく逃がすところだった。
表通りの角を曲がると、細い路地いっぱいに紋付が幅を広げているのに出くわした。
懐手をした羽織の袖が、風を孕んで翻っているのだ。
紋所は左三つ巴。
進路を塞いだ私を睨んでいる。
・・・否。
アゴを引き、口をへの字に結んで、しかも眼光鋭いので睨んでいるように見えるのだ。
この人はこれが普通の顔。
臆することはない。
「話があるんです」
と言ってからようやく、この間の騒動を思い出した。
そういえば・・・あれから初めて会うんだった。
・・・忘れてた(--;
普通の顔じゃなくてやっぱり不機嫌な顔なのかも(爆)。
案の定、
「お前と話すことなど無いな」
無愛想にそれだけ言って脇をすり抜けようとする。
向かい風を受けて、髷先がバラけている。
それを気にする様子も無い。
そういえば、まだ謝ってもいないんだった。
いかにもうかつな自分に舌打ちでもしたい気分。
「待ってください」
何時に無く下手に出てしまうのはたぶんそのせいだ。
「俺は山崎からの報告を待つ。お前の話は聞かん」
こちらを見もしない。
なんだその態度は~!ムカツク~!
この間殴ったのが尾を引いてるのか~。
悪いのは私なのか~。
コイツと談判なんてできるのか~!
ていうか、したくない~(--;
くそー!
どうする小夜!このままみすみす逃がしてしまうのか!
諦めるのか!
自問自答の答えが出たわけじゃない。
とにかくこちらからアクションを起こさなければ始まらないと思ったのだ。
引き止めなくては。
何をどう話すかは、そこから考えろ!
ぱっと振り返りざま、風に翻る羽織の裾を掴んだ。
・・・つもりだったのだが。
「・・あ・・・っ・・」
手の中にあったのは梨地朱塗りの大刀の鐺(こじり)(--;
しまった!と自分でも思った。
あとで幸に言ったら、よく無礼討ちに遭わなかったなと脱力されたっけ(汗)。
歩いて行くのを後から掴んだものだから、勢い引っ張る形になっちゃって・・・。
振り向いた土方さんの顔は・・・物凄かった(滝汗)。
目を吊り上げて小鼻を広げて、目尻からこめかみの辺りが朱を刷いたように赤くなっていく。
まるで赤鬼だよ!
刀の柄に手が行ってる!
「うわ!・・・まままま待って!ごごめんなさいごめんなさい!違うの。そういうつもりじゃないの!」
なんせ相手は刀を抜こうとしてるのだ。
それを阻むのには・・・こっちが手を離したらまずいじゃないか!
鐺を掴んで引っ張りながら、相手の向きに合わせて右へ左へ回り込んで逃げるしかない。
だって斬られるのは嫌だもん!
必死こいてぐるぐる逃げ回ってたら、
「おい!何しやがんだ、この馬鹿!放さんかっ!」
相手は目を回しかけてた(爆)。
背中を無理矢理押しやって庭に押し込め、後手に木戸を閉める。
不本意に押し戻されたことで、普段から尊大な表情をますます不機嫌そうに強張らせて、彼は家には上がらずに私の前に仁王立ちになった。
「何なんだ!どういうつもりだ。どこに行っていた。山崎とは会わなかったか」
ギラついた目を三角にして・・・人を喰いそう。
ちょっとうんざり。
「待って。喉渇いちゃった。家に上がろ。順番に話すから」
落ち着こうよ、とにかくさ。
と、カッカしている相手を見てたら自分は妙に冷静になれたりして。
羽織の脇をすり抜け、台所の水瓶からひしゃくで直に水を飲みながら、
「山崎さんには会ったよ。でも、先に帰って来ちゃった。自分で話さないといけないと思ったから」
相手はまだ庭に居る。
話を聞く気にはなったみたい。
「それしか方法は無いと思ったし。・・・上がったら?」
風が時折ガタガタと障子戸を鳴らした。
土間の隅に置いてある猫用の茶碗のまわりに、ご飯粒が散らかっている。
見回しても、フクチョーの居る様子は無い。
朝ご飯食べてからどっか出かけたのか。
近頃あんまり家に居つかないのはオス猫だから仕方ないのかな。
茶の間の火鉢の猫板に湯呑み茶碗が下げてあった。
薄手の、白い地に夏模様の湯呑み。
そういえば秋の柄のに替えるのを忘れていた。
幸の後をつけて山崎さんが現れたということは、幸がお茶を淹れて出た後に、山崎さんが下げてくれたということなのかな?
見ると、土方さんはまだ庭に居る。
腰に刀を帯びたまま。
ってことは、家に上がる気は無いってことか。
「話、長くなるかもよ?すぐ戻んなきゃいけないの?なんか他に用事でもあった?」
舌打ちが帰って来る。
「いいから早く話せ」
じゃあ遠慮なく、と自分だけ火鉢の脇に腰を下ろす。
ああ、暖かい。
走って来たら手が冷たくなっちゃってた。
「この間はごめんね」
ふん、と鼻を鳴らした。
「それはもういい。話とは何だ」
もういいのか。
じゃあ本題に行きましょうかね。
「私ねぇ、照葉さんのこと盗んで来ちゃったの」
火鉢で手を焙りながら、軽いノリで報告。
「なにィ?」
「沖田さんをそそのかして、幸に手伝ってもらって。そしたら案外上手く行っちゃってさ。今、市内某所に隠してるんだー」
笑って見せるとようやく草履を脱ぎ捨てて、座敷に上がってきた。
「お前!なんてことしやがるんだ!」
脇に立って怒鳴っている。
平服にしている墨色の無地の袴の、木綿にしちゃ折り目がきっちり入っているのが着ている人物の性格を現していて可笑しい。
「だって沖田さん、島原に出入りできなくなったでしょ?」
「外で逢わせようという魂胆か」
歯噛みをしている。
そんなにイヤミなつもりで言ったんじゃないんだけどな。
「そう。それにタダでゆっくり逢えるじゃない?」
馬鹿!といきなり怒鳴られた。
唾が飛んで来そうでよけちゃった。
「アイツに肺病が伝染ったらお前のせいだからな!」
それがどうした。
そんなことは別に嫌でもなんでもない。
「いいよ。そういうことにしておいて」
そういうつもりじゃなかったけど、ナマイキに聞こえたかもしれない。
胸倉を掴まれた。
正座していたお尻が浮いた。
十センチと開けない目の前に顔があった。
黒目がちの瞳に被さった長いまつ毛が男のくせにキレイだなぁと、私はつい上の空だ。
力み返る相手のテンションについて行ってない。
彼は勢い込んで何か悪態をつこうとし、それからふいに思い留まったみたいだ。
力の入ったこめかみが、ふと緩んだのが判った。
「お前、それで度々留守にしていたのか?お前と幸でその女の面倒を診ていたんだな?」
「そうだよ。だって私等しか居ないじゃん」
馬鹿!と再び怒鳴られた。
今度は逃げられない。
たっぷり唾を浴びましたさ(--;
「伝染ったらどうするつもりだ!」
伝染んないよ、と言いたかった。
私も幸も、沖田さんにしたって、そんな心配は要らないんだ。
でも、それは言えない。
胸倉を掴まれたまま、着物の袖で顔を拭う。
「ごめんなさーい。すいませーん。気をつけてますから大丈夫・・・」
「気をつけてどうなるってんだ!お前、自分が何をしているのか判っているのか!」
うわ。また唾が・・・(--;
ああもう!
こんな至近距離で怒鳴るな!鬱陶しい!
「判ってるわよ!うるさいわよ!怒鳴らないでよ!もうっ!」
「判ってるだと?何が判ってるってんだ、ええ?死にてぇのかてめぇらは!」
「死なないったら。私等はそんなことじゃ死なないの!」
そう言い切ったのを不思議に(不審に?)思ったのか、相手の勢いが緩んだ。
その隙に無礼な手を引き剥がして、座り直す。
乱れた襟元を手探りで直していると、
「お前等のやったことは立派なかどわかしだ。本来なら奉行所に突き出してやるところだが、総司が絡んでいるんじゃ事は公にはできない。後始末はこっちでする。お前らも役人どもに嗅ぎつけられないように、大人しくしておくんだな」
想定の範囲内はへいへいと聞いた。
が、
「とりあえずしばらくの間ここから出るな。見張りをつけておくからそのつもりで居ろ」
え?
「なにそれ?私をここに軟禁するってこと?」
「そういうことだ」
想定外。
横暴。
くそー。
「ああそう。じゃあ早いとこ見張りを呼びに行って来たら?その間に逃げてやるから」
んべー、と舌を出したら、相手は下まぶたをひくひくさせて今にも怒鳴り出しそうだ。
可笑しくて、ちょっとだけ許してやろうかと思った。
「いい加減座ったら?代わりの誰かが来ない限り、あなたは私と居るしかないでしょ?」
新しくお茶を淹れよう。
仕舞い忘れたメダカの柄の夏茶碗にではなく、ちゃんと秋色の湯呑みを出して。
そう。
ちゃんと話をしなければならない。
話せないこともあるにせよ、この人だって何かしなくちゃいけないんだもの。
沖田さんのために何かしてあげなくちゃいけない。
今は意味が判らなくとも、そのうちきっと思い当たることもある。
後で後悔しないよう、ちゃんと出番を作っておかないとね。
「沖田さんはテルちゃん・・・照葉さんを帰そうと言ってるんですって。さっき幸が言ってた」
「話は聞かんと言った」
座布団を使わずに、土方さんはぺったりと畳に胡坐を掻いている。
大小二本の刀は脇に置いてある。
この人の脇差は長いので、差したままでは邪魔で座れないんだよね(笑)。
「別に聞いてもらわなくてもいいよ。私の独り言だもん。勝手に喋ってるだけだからぁ~!」
わざと庭に向って叫んでやった。
彼は鼻を鳴らし、うんざりしたような顔を作って、膝前に置かれた湯呑みに手を伸ばした。
「島原の、照葉さんのお店の人達が捜し回ってて・・」
「そのようだな」
聞かないと言った側から合いの手が入ったぞ(^^;。
「あれ?知ってた?」
「山崎が顔を見せて開口一番、屯所周りで素人が目明しの真似事をしていると。沖田に引っ付いていやがったか」
「すごーいvv山崎さんには判るんだぁぁvvv」
さっきは素直に歓迎できなくて悔しかったけど、やっぱり山崎さんは大好きだ。
でへへ~と鼻の下が伸びちゃったのを横目に見咎められてた。
慌てて頬を締める。
「照葉さんを捕まえて懲らしめようというのなら誰も帰したいとは思わないんだけど、そうでもないみたいで・・・」
お茶、ちょっと渋かったね。
でも、掌に湯呑み茶碗の温かさが嬉しい季節になったなぁ。
庭から吹き込む風が冷たくなってきた。
「本人も周りを心配させたくないみたいで。だから帰した方がいいって幸も言ってるんだけど。・・・私は嫌なの。せっかく友達になったのにさぁ、もう会えなくなるわけでしょう?」
私も軟禁されるってんだからな。
「ともだち?」
聞き返された。
あれ?友達って現代語だっけ?
「友。友人。朋輩。ともがき?なんていうか、まあそういう意味。せっかく仲良くなったのに、幸ってば冷たいの。冷たいって言えば沖田さんもあんまりなの。そりゃあさ、昔からの知り合いに心配かけてて気の毒なのは判るけどさ、身請けしようとまで想った人をそうあっさり諦められるもん?」
答えない。
風に鳴る障子戸を見やっている。
「それをだよ、幸はいいと思ってるわけ。思いやりがあって優しいとか、そんな風に思ってるんじゃない?でもそれってさぁ、あんまりだよね?誰も駄々こねないんだよ?帰るって言ったら、みんな『さあどうぞどうぞ』だよ?照葉さんと離れたくないっていう人間がひとりぐらい居てもいいと思わない?」
「それでお前が『駄々こねてる』ってのかぇ?」
足を崩して手にした湯呑みを弄んでいる。
京焼の、砂色地に金彩で柄は女郎花。
道端の女郎花を自信満々で花粉症の花!(=セイタカアワダチソウ)と言って幸に思い切り馬鹿にされたのは去年の秋だっけか。
「そういうわけじゃないけどさ」
けっ、と土方さんは溜息をついて、湯呑みに残ったお茶を一気にあおった。
「馬鹿馬鹿しい。アイツが自分の女をどうしようと、お前の口出す筋では無ぇだろ?」
「でも、友達だもん」
おや?という風にこちらを見た。
一瞬見合った。
「気になるでしょう?これからどういう扱いされるかとか、ちゃんと沖田さんに愛されてるのかとか捨てられちゃうのかとかさー。それでなくったって・・・何時まで生きてられるか判らないなんて・・・」
言ってるうちに腹が立ってきた。
「沖田さんは無責任だよ。半端に情をかけて、半端に希望を持たせて。しかもあんな状態の人に。女をなんだと思ってるんだろ?」
人の顔を面白がって見ているコイツにも責任はあるんじゃないか?
「あなたの教育が悪いんじゃないのー?」
睨みながらお茶を一口。
ジロリと睨み返された。
「だってそうでしょう?だから嫌われるんでしょう?足元見られて五百両もふっかけられて・・・」
そうだ、それもあった!
「ここだから言うけどさぁ、もう商品価値の無いものに対して五百両払えって言われてるんだよ?腹立たないの?」
「仕方無ぇな。本人の借金だからな。払えなきゃしょうがねぇ」
鼻で笑った・・・。
コイツはアホか!
「何言ってんの?馬鹿じゃないの?それって雇われてる人間の借金じゃなくて、経営者の借金でしょ?回収できなくなるぐらい馬鹿みたいに投資するのが悪いんでしょ?雇う側の商才が無いだけでしょ?それを買い手に押し付けてるだけでしょ?」
素人だってそれぐらいは判るぞ(怒)。
なのに今ひとつピンと来てないヤツがすぐ横に。
ああもう!
「照葉さんが負うべき借金じゃないでしょって言ってるの!判る?採算取れなくて抱えた借金を価値の無くなった商品に背負わせて、それを買えって言ってるんだよ?それって何よ。舐められてるだけじゃん。自分の部下が舐められてるんだよ?あんた腹立たないの?それでも『はいそうですか』って退散するの?」
私がムキになるのが変なのか?
「馬鹿馬鹿しいから盗んでやろうと思ったのよ。あんまり憎たらしいから。誰も何にもしないから。大人しく引き下がっちゃったオジサン達があんまり情け無いからさー」
上司もろとも連帯評価だ。
挑発するつもりで呆れたように肩をすくめて見せると、ようやく反応が返って来た。
「面白い理屈だな。だが、そもそも俺はその女を身請けさせるのには反対だったんだ。お前に非難される筋合いは無い」
・・・そうだよね。
沖田さんに病気が伝染るのが許せないんだものね。
切ないけれど、まさか事実は話せない。
でもさ、
「ひとつ聞いてもいい?」
掌の中の湯呑み茶碗に残ったお茶は、既に冷たくなっている。
それをくるくると揺すると、底に沈んだお茶の葉の澱が渦を巻いて浮き上がって来る。
「おゆうさんが労咳になったら、あなたはもう逢いに行かないの?」
鋭く、視線がこちらを向いたのを感じる。
圧迫感がある。
「引き離されたら諦めちゃうの?」
これを殺気と言うのかな。
殺気を感じちゃったよ。
しかもこんな質問で。
ふふっと笑いがこみ上げて来た。
「でもそしたら今度は私が通うから。その時は文句言わないでね」
冷たくなったお茶は苦かった。
そちらに顔を向けると、まだ睨んでいる。
いや、普段の顔なのかも。
万筋の着物に黒半襟が似合ってる。
「お前、何が言いたい?」
何が言いたいのか、自分にもまだ良く判らない。
「何を言いに来たんだ?」
何を言いに来たんだろ。
テルちゃんを帰すと言われて、たまらずここへ来たのは何故なんだろ?
この人に会いに来たのは・・・なんでだっけ?
「照葉さんを助けたい・・・」
そう。
それがひとつ。
「それと、沖田さんと一緒に居させてあげたい」
「それは無理だな」
その答えを聞くまでも無く、この二つの問題を一度に解決するのは無理だと思えた。
二つが絡み合っているのがいけない。
照葉さんを助けるだけならなんとかなるかも・・・。
そう、淡い期待を持ったとたん、
「労咳は死病だ。助けられない。そんな病を患う者と沖田は一緒にはさせん」
全否定か。
出来ることは何も無いのか。
「何とかならないのかしら。状態は良くなって来てたのよ。元の場所に戻したらまたすぐ悪くなるに決まってる。何十年もというのじゃないの。できるだけ長く、生きてて欲しいだけなの」
「俺に訴えられてもどうしようも無ぇな」
気の無い返事をし、所在無げに、落ち葉の吹き寄せられた庭を見やる。
知らぬふりを決め込む様子。
でもそれでは困るのだ。
なんとか引っ張り込まねば。
この人を動かさねば。
「そんなことないでしょう?あなた偉いんでしょ?偉い人なんでしょ?いいお医者さんだって知ってるんでしょ?照葉さんを身請けできるでしょ?今のまま暮らせればいいんだから。ちゃんと身請けすれば彼女のお店の人達だって、誰も心配しないんだから」
「ほぉ。五百両もの大金、どっから持って来るって言うんだぇ?」
せせら笑う。
その場にゴロリと横になった。
蹴飛ばそうかと思った。
「何寝ぼけたこと言ってんのよ!五百両なんてどうせ適当にふっかけた金額じゃない。そんなの真面目に払う必要なんて無いじゃん」
「踏み倒せってか。大した鼻息だな」
薄笑いで大仰に驚いてみせるのが・・・腹の立つ!
「五百両、御用金として献金させれば済む話でしょう?」
「なんだって?」
こっちを見た。
真顔なのは私の話に驚いたってこと?
「向こうだってふっかけてるんだから、こっちだってふっかけりゃいいのよ。それでチャラにすりゃいいじゃない。どうせハッタリでつけた値段なんだもの。交渉するだけで済む話だわ」
ひとの顔をじーっと見てるんですけど・・・。
「なに?まさか出来ないなんて言うんじゃないでしょうね?大坂の大店から二千両も押し借りしたくせにぃ~」
「おい!」
ずけずけ言われて気に障ったのか、半身を起こした相手に尚も挑発。
「なによ!ナンカ文句ある?事実でしょ?それともナニ?役立たずでもここまで言われりゃ気に障るんだ?」
「役立た・・!?」
不本意だったらしい。
嫌悪感と驚愕の入り混じった、見たことも無いような素っ頓狂な顔になった。
「役立たずでしょう?身請けの交渉にしたって、医者の事にしたってあなたが動いてくれりゃいいのに。そしたら全部上手く行くのに。なのにあんたみたいに何もしないで手をこまねいてるのは『役立たず』って言うのよ」
「おい!ちょっと待て!」
起き上がった。
「何度も言うが、俺は身請けには端から反対なんだ。こんなところでお前の妙な理屈に丸め込まれてたまるか。そもそも沖田からは何も言っては来ねぇ。お前一人のお節介でこんな・・・」
「沖田さんがあなたにそんなことを頼めるとでも思ってるの?」
土方さんの顔色がさっと変わったのが判る。
気がつけば、至近距離で言い争っていた。
「あの人は自分のことで他人の手を煩わせるようなことはしないでしょ?心の底で自分が何をしたいと思ってるかなんて、絶対誰にも言わないでしょ?」
思い当たることは沢山あるに違いない。
私なんかとは比べものにならないくらい、付き合いは長いんだろうから。
「だから、こんなメチャクチャな頼み事も私が代わりに言うしかないでしょう?」
きっと、私の言っている意味は伝わったんだと思う。
次の言葉を口にする前に、微妙な間があった。
「仮にそうだとしても、残念ながら俺はそんな甘ったれた願い事を聞くような人間じゃ無い。お前は俺を知らん」
黒目がちの瞳は、僅かに下を向くだけで感情の疎通を遮断する。
映っているものが侮蔑なのか脅しなのか、憂いなのか怒りなのか諦めなのか、端からは見て取れない。
そもそも、私なんかには。
私の周りの人間は気を使って何も教えてくれないけれど、この人の噂は耳に入って来てはいた。
鬼だの蛇蝎だの血が通っていないだの。
好悪で詰め腹切らせるの、闇討ちにされるのって。
他にあくどい事も沢山してるみたいだし。
私の目の前で起こったことじゃないし確かめる術も無いけど、たぶんそれは全部本当の事なんだろうと思う。
事象はどうあれ印象は。
それでも幸はこの人を悪く言わない。
山崎さんや監察の人達、沖田さんも斎藤さんもみんなシンパだし。
しかもおゆうさんみたいな人が、この人の恋人だっていうんだから。
私の好きな人達が、みんなこの人のことを好きなんだよ。
それってどういうことなんだろうって、ずっと考えてた。
信じてもいいのかなぁって、ずっと考えてたんだ。
だからたぶん、最後にここに来た。
確かに私はこの人のことなんて何も知らない。
それでも、
「あなたしか居ないんだもの」
黒々した瞳がこちらを向く。
「私にはあなたしか居ない。もちろんあなたの言う通り、私はあなたのことなんて何も知らないわけだけど、でも私、・・・それでも私、あなたしか知らないんだもん。私が知ってるこの世で一番偉い人はあなただし、あなたに頼るしかないんだもの」
と、そこまで言ってしまってから・・・物凄くしおらしい言い草になっていることに気付いて内心あたふた(汗)。
「だだだだから、あのう・・ええと・・・ほら、沖田さんが何も言い出さないからって見ないふりするのはズルイでしょ?」
いきなり憎まれ口になっちゃったよ(汗)。
やばい。
方向変換!
「っていうか、こんなことはもう無いかもしれないでしょ?」
ああこれもダメだ!
バラしてしまいそうになるじゃないか。
パニクりながら言葉を選んでいるうちに、
「いいか、もう一度言う。お前の話を聞く気は無い。女は帰す。沖田自身がそう決めたなら他に問題は無い。お前のやったことは大罪だが、沖田に免じて大事にならんよう始末をつけてやる。それだけだ」
ゆっくりと揺ぎ無い口調に突き放されてしまう。
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