もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

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あれから更に2日ばかり雨は続き、ようやく晴れ間の見えた一昨日、今度は朝から晩まで目の前の海で大砲の撃ち合いがあって(新政府軍の艦砲射撃を運上所前に自ら座礁して動かなくなった回天艦と弁天台場から応戦するだけの戦を「海戦」と言って良いのか判らないが)後から後から負傷兵が押し寄せ、やっぱり夕べもほとんど寝れてない。

私がやってることなんて軽症者の応急処置ばかりだけど。
無論重傷者は医師達が診る。
でもなにしろ負傷兵の数が半端じゃなかったので軽症者は手隙の者で何とかしなくちゃいけなかった。

昨日と合わせてざっと100人(!)ばかりも来院していた。
歩けない者を担いで負傷兵1人に数人付いて来るパターンも多く、建物に入りきらない位の人が押し寄せて足の踏み場も無いくらいの状態で・・・。


病院の建物は2棟あってどちらも2階建て。
もともと医学所として建てられたらしい洋風の下見板張りの建物には、院長室や事務室、管理人室、書庫や薬品室等が在り、現在病室として使われている講義室には輸入ものらしい金属製のベッドも置かれていて、主に重症者が収容されている。

一方、脱走軍が蝦夷地へ上陸してから高松凌雲先生によって新たに建てられた病棟は、急ごしらえとは言わないまでも簡素な造りで、病室は真ん中に通路を開け両側に1段高く畳敷きの小上がりが設えてあるだけ。
そこに布団を並べ、負傷兵達は通路側に足を向けてメザシみたいに並んで寝てる。
入院している負傷兵は大抵脚の怪我なので、こう言ったら失礼だけど傷の処置をするには都合が良い。

恐らく普段なら8人部屋なのかな?それが6部屋と、個室もしくは2人部屋くらいの広さの部屋が2室在る。
最初から病院として建てられたものだから診察室の他に受付と待合室と炊事場が在るし、この病棟の本来の適正収容人数はたぶん50人くらいだと思うんだよね。
医師の人数からしてもせいぜいそれくらいでMaxでしょ?

なのに先月からの戦闘で既に入院患者が超過気味だった所へ、更に100人来院だもの(申し訳ないけど高龍寺の分院がどうなってるかなんて考える余裕ナシ)。
ようやく雨が上がって洗濯物を外に干せるとはしゃいでいた小夜がブチ切れるのも致し方無かろう。
晴れると同時に怒涛の来院だったもんね。
洗濯物は山のように溜まって行くのに、晴れた空を横目に洗う暇も干す間も無かったもん。
しかもみんな雨後の泥濘を歩いて来た足(一応履物は脱いでくれてたけど)で歩き回るので忽ち床は泥だらけになって。
なのにそれを掃除する人手も暇も無いという。

どれも仕方の無い事でどこにも当たり様が無いし、発散出来ずに不機嫌オーラをバリバリ放ちながらブルドーザーのように無言で雑用をこなしていく小夜の迫力に皆慄いて声をかける者はない(少なくとも2日以上入院している者の中には)。

歩ける者は傷の手当てが済んだら即、湯の川の療養所に行けと半強制的に病院から出してやったけど、畳敷のスペースには普段の2倍以上の怪我人が雑魚寝している。
畳敷きの待合室も満杯で、廊下や玄関先に座り込んでる者も居た。
中には怪我人を運んできてそのまま休んでいるのも結構居たと思う。
そんなわけで病院は既に野戦病院状態だった。


新しく入って来た負傷兵は10代後半から年が行ってても30前後で、若いからなのか同じ船の乗員が多いからからなのか、手当が済んで落ち着いて来ると「痛い」と「腹減った」しか言わなくなる。

「痛い」のはしょうがない。
痛み止めなんて無いし、有っても重症者から先に用いるワケだし。
本当に「痛い」状態=重症なら口も利けずに唸ってるはずで、世話する我々手伝いの者(看護師ではないし正式な病院関係者でもない)にも従順だ。
問題はこの(境遇に甘えて)文句しか言わない元気な負傷兵達の食事の事だった。


この時代、入院患者の食事は各々が準備するものらしい。
付き添い人におさんどんをさせたり弁当を持って来させたりが普通だし、それにここは山之上遊郭がすぐ目の前だから仕出し屋や料理旅館も近い。
お金が有るなら出前も頼み放題・・・だったのだと思う。戦争前なら。

人が少なくなった今はほとんどが店を閉めてしまっている。
こう戦場が近くなっては度々山へ避難する必要に迫られるし、そんな時に妓楼で遊ぼうという者など居ないワケなので。
そもそも食料が不足していて商売にならないというのもあるし。

病院では残り僅かな備蓄米と、戦闘が激しくなる前に出入りの農家に運んで貰った野菜の残りと、周りの商家に頼み込んで恵んで貰った味噌醤油漬物の類で1日2回、粥を炊いてなんとか食い繋いでいた。


山に避難していた町の人の中には、雨に降り込められているのに飽いて病院の雑用を手伝ってくれる人も少なくなかったし、先日の火事で焼け出されて坂の上の芝居小屋に身を寄せている人達の中には毎日のように通って来てくれる人も居た。

彼等からすれば負傷兵達は自分たちの生活を脅かし続けている加害者だ。
何の助けもしてくれなくて当然、病院を攻撃して来ないだけでも有難いくらいなのに。

既に焼けてしまった弁天町辺りの人達は雨と人手不足のせいで焼け跡の片付けも思うように行かず、それ以外の人達もいつ戦によって家を焼かれるか判らない不安とで皆じっとして居られないのかもしれない。
忙しくして居た方が気が紛れて安心するということなのかもしれない。

そんなわけで病院の炊事場は自然な流れでご近所さんと共同のものとなり(但し院長の許可は取っていない。たぶん)、休業中の旅籠から鍋釜食器まで借りて日々をなんとか糊塗していた。


そんな事情を、自分達の信念のため賊軍の汚名を濯ぐために命を賭して戦って居ると自負する若い兵士達は・・・判っちゃいないんだろうな。

「また粥かー」

「飯が喰いてぇな」

どこからともなく溜息が聞こえて来る。
食事時間にはいつもの事で、食事を運んで来た小夜がそれを聞きつけ「てめーらナンカ文句あんの?」的な顔で部屋中を睥睨して黙らせる、というのがここ何日かのお決まりだ。

当然のことながら炊事場を手伝ってくれるおかみさんたちは病室には来ない。
彼女達からすれば作った粥を分けて貰えるから手伝っているだけの事で、脱走軍の兵士を助けるつもりはさらさら無いんだと思う。
むしろ顔を見たら憎しみが湧いて来るのかもしれず、それを避けたいから意識的に病室に近寄らないようにしているのかもしれない。
まあ、汗臭くて血に汚れた荒くれ者の集団なんて見るのも嫌!ってだけかもしれないけど。

「食べたくないなら食べなくて良いですよ~?むしろ有難いですー。その分食糧の節約になるワケだし」

笑顔で言いながら粥の丼を手渡して行ってるけど・・・小夜ってば目が笑ってないからコワイんだよ。
皆ビビッて黙りこくっちゃったし。

と思ってたら、粥を受け取った人達がなんかちょっと嬉しそうに丼に見入ってる?

「今日は玄米粥でーす。おまけに塩昆布付きー」

小夜が説明したら、おおーと低く歓声が上がった(笑)。


昨日、恵比寿屋の男衆が来てた。
ちょうど次々負傷兵が押し寄せて来たタイミングで、うまい具合にドサクサに紛れ、前日までに入院患者達から回収出来ていた分の銃を運んで貰ったんだけど。
米俵1俵担いで来てたんだよね。
ろくに話も出来なかったけど、おそらく戎三郎さんの指示だったと思う。


実はこの間、病院に戻る前に恵比寿屋に寄ってお金を置いて来ていた。
副長から預かった50両。
病院に持って行っても保管に困ると思って。
とはいえ傭船の代金(=小夜の借金)の足しにとはハッキリ言ってはいないけど。
その際、病院の食糧事情もポロっと喋ってしまった気もするので、たぶん気の毒に思って差し入れしてくれたんじゃないかと・・・。

いや、待てよ?
後できっちりお金を取られる可能性もあるかも・・?

ともあれ、今有る米があと何日持つか、五稜郭に訴えて果たして非戦闘員のために食料を分けてくれるのか(そしてそれがいつになるのか)、最終的に病院の自腹で街の米問屋から(高額で)買うしかないとしても、厄介者でしかない脱走軍の病院に売ってくれるのか、という不安から一時解放されてホッとした事は確か。

ただ、中身は玄米だったので精米するにも炊くにも時間も人手もかかる。

「いっそ砕いてそのまま炊けばお粥になるんじゃね?」

って言ったのは小夜だ。
そんな乱暴な、と最初は思ったけど、

「なるほど。白米よりビタミンB群摂れるし病人向けかも」

青物(ビタミンC)不足は如何ともしがたいけど、白粥(カロリー)オンリーよりはよっぽどイイ。
オマケに貰った塩昆布を付ければ塩分も補えるし。

玄米は白米よりも水を吸わせるのに時間がかかるが、最初から米粒を砕いてしまえば白米同様に水を吸うだろうし(たぶん)。

とはいえ人数分の玄米を砕く作業もなかなか大変だったと思うけど。
すりこぎを使ったのか他に何か方法が有ったか、私はそこまで見てないから判らない。

「アンタも食べたら?ってか、いつから休憩してないのぉー?いい加減にしないと倒れるよ?」

言われてもう日が高くなっているのに気が付いた。
窓の外は今日も晴れてる。
晴れてるのに何の音もしない。
昨日に引き続き今のところ海戦はナシか。

「んー。もう少しで終わるから・・・」

と、怪我人の包帯(代わりの木綿の布。古着を割いたりして作ってるので柄物の場合もある)を巻き直すため手元に視線を戻したら、

「そんな頑張ったってキリ無いから。夕べから寝ないでずっとでしょ?いい加減に食べて寝ろ!」

目の前に粥の茶碗が差し出されてビックリ。
見上げると、イライラでしかめっ面の小夜さんが見下ろしていた(コワ)。

いや別に負傷兵全員の包帯を交換しようって訳じゃないけど。
替えの包帯も無いし。
昨日、出血箇所を応急的に縛ったきりだったり雑に処置されてしまった怪我人は居なかったかと様子を見ながら、巻き直せる物だけでもと思って見て回っていただけで。

ていうか、差し出された粥の上にちょこんと乗せられた塩昆布の他にチラホラ緑の物が見えるのに気が付いて、

「あれ?今日は青菜入りなんだ。良く手に入ったね」

怪我人の足に巻いた包帯の端を割いて結び止めてから、そう言って見上げたら、

「そうなの。今朝和助さんが山菜持って来てくれてさ。山に避難してるのもヒマみたいでリュウとあちこち歩き回ってるみたい」

思い出したついでにちょっと機嫌が直ったみたいで、

「ていうかここじゃなくて向こうで食べたら?手も洗ってさ」

差し出した茶碗を引っ込め、顎をしゃくって部屋の外へ促した。

確かに。
包帯を巻き替えてただけなのに、血汚れで両手の指先が赤黒く染まっていた。
このまま食事するのは流石にちょっとね。


粥を配り終えて部屋を出る際、入院患者(新患)に向けて小夜が注意事項をひとくさり。

「毎度の事ながら粥の御代りはありません。食料が乏しいのでご理解下さい。足りないとおっしゃる方は、どうぞここを出て御自分で食事を都合なさって結構。但しその際は退院と見做しますので事務室に一声かけて行って下さいね」

自分で食い物を探しに行けるぐらいならさっさと出てけって事か。

「無断で病院を出て行った場合は当然の事ながら、入院時に預かった小銃、大刀、脇差、金品等々返却致しかねますので悪しからず」

負傷兵でごった返す混乱の中で、入院する者全員の名前と生年と所属と怪我の部位と程度等々それから病室の番号と、ちゃんと記録取って回った事務方の仕事ぶりに脱帽。
おまけに私物も記録して回収して保管した(これは小夜も手伝ったらしいけど)って事でしょ?有能過ぎる。

「ぶっちゃけここにはもう薬も無いしお医者の手も回らないし、食べる物さえ無いし、場所的にもこの先戦や火事で焼けるかもしれないので、歩けるなら湯の川の療養所に行った方がイイですお勧めです」

湯の川への勧誘ぶっちゃけ過ぎ(笑)。

「人手も足りなくてお世話も行き届かないので、申し訳ないけどお隣同士助け合ってね。熱出したりとか具合の悪そうな人を見つけたらすぐ知らせて。大きな声出したら聞こえるので。よろしくぅー」

病院で亡くなる人はほとんどが怪我からの感染症だ。
運ばれて来たばかりの頃は割と元気でも、傷の手当の予後が悪く時間を置いて状態が悪化することがある。
現在本館に入院している重症者達もほとんどそう。
ろくに薬も(消毒液さえ)無い現状では医師達も手の施しようがなく、隔靴搔痒の思いで居る事は想像に難くない。

ていうか小夜ってばもっとガミガミ言うかと思ったら意外と優しいかも(普通デス)と感心した瞬間、半分出かかった病室を振り返って、

「あっ!歩くの面倒だからって窓からオシッコする奴は容赦なく突き落とすからそのつもりで。喧嘩したり面倒事起こしても即刻出てってもらうので、歩けなきゃ湯の川まで這って行くしかないけどアタシャ知らんからガンバレ。以上」

最後はニッコリ笑顔で・・・やっぱいつもの小夜さんだった(汗)。



「アンタさー、みんな怪我して凹んでるんだからあんなに脅しつけないでもさー・・・」

お天気が良くて暖かかったし、何より血と汗の匂いが漂う病室から出て綺麗な空気も吸いたかったので井戸端にて粥を食す。

玄米粥、美味しく炊けてる。
塩昆布の塩気だけでも充分美味しい。
ていうか今日の粥は箸で食べれるし(笑)。
山菜だという青菜はちょっと苦味が有るけど、食料不足の今ビタミンCが摂れるのは有難い。

「大丈夫だって。あそこは1番怪我の軽いグループだし、若い奴等は慣れて来るとすぐ調子に乗ってワイワイうるさいから。重症で痛み止めも無くウンウン唸ってる人だって居るのにさー全くもう」

自分は炊事場で立ち食いしたからと、小夜は休む間もなく目の前で洗濯を始める様子。

「アタシだってねぇ、そんな腕だの脚だの切断手術したような人にあんな言い方しませんよ流石に」

井戸から汲んだ水を盥に空けて、病室から運んだ包帯の山を沈めてる。
この前まで襷も無く(怪我人の傷を縛るのに使ってしまってた)袂の端を帯に挟んで立ち働いてたけど、今日は古着を割いたような錆色の襷を掛けている。

溜まっていた生乾きの洗濯物を暗いうちから物干し竿に干し、それで足らずに本館と新館の窓に紐を渡して干し(雨の間は渡り廊下に紐掛けて満艦飾にしてた)、今日また新しく出た洗濯物を洗おうというのだ(ほとんど私が替えた血膿にまみれた包帯なので気が引ける)。

「ていうか小夜も少し休んだら?夕べは寝れたの?」

「まあグッスリとは言わないけど。薪置き場に潜り込んでちょっと寝た」

薪置き場は炊事場の外にあって、雨に濡れないよう簡易な屋根をかけて小屋のように囲ってある。
薪を使って空いた隅に、脱走希望の負傷兵(偽負傷兵含む)から回収した銃器を集めて隠してあるのだ。

「そんな所に?ネコかよ」笑。

だから結髪の髷がひしゃげてるんだな。
本人は気付いてないみたいだけど。

「だって人の居ない所じゃないと寝れないと思ってサ。昨日恵比寿屋さんが回収しに来てたでしょ?それで場所が空いてたから」

てへへと笑い、治りかけて黄色くなった額の痣の痕をポリポリ掻いてから盥に両手を突っ込んだ。


額の小さな痣。
副長が付けてしまったであろう痣。

あの時は前日の小夜の混乱ぶりが怖くて黙って居ようと思ったけど、後で考え直した。
消えてしまってからでは何を言っても信じないだろうと。
証拠をちゃんと見せておかねばと。
副長がどれだけアンタを大事に思っているかを(だからもう副長の目の前で「死ぬ」なんてやめて)。

忙しさにかまけて普段通りに見えるけど、小夜はまだあの時の事を引きずっているように思える。
だからもう少し、もうあと少し落ち着いたならちゃんと説明しようと思う。
でもその時にはたぶん痣は消えてる。

だから、そ知らぬふりで「額に傷みたいの有るよ?」って、本人に手鏡で確認させた。
小夜は心当たりも無く、触っても痛くない痣を不思議に思っていたけれど。


「何?」

じっと見つめてしまっていたのを怪訝そうに指摘されて咄嗟に話を変える。

「和助さんってリュウも連れて来てた?会いたかったな」

「ごめん。ちょうど私も炊事場手伝ってて幸のこと呼びに行く暇無くてさー」

包帯に浸み込んだ血汚れを落とすべく、体重をかけて揉み洗いしながら、

「でも和助さんがリュウを見てくれてて良かったわ。ちゃんと食べさしてくれてるみたいだし、ここに居るよりよっぽど待遇良さげー」

盥に視線を落としたまま笑う。
コンプレックスの「庇睫毛」の長さが良く判る。

「あ、そういえば」

と、小夜は作業の手を止め、手の水気を振り払ってから、

「これ見て」

襟元をつまんで引っ張ってこちらに見せて来る。
黒っぽい何かが襟の下から覗いてる。
自分の手は濡れているから私に取り出してみろって事なんだろうと思い、空になった茶碗を傍らに置いて手を伸ばす。
触れた時点で気が付いた。

「リュウのぬいぐるみ!忘れて来ちゃったヤツ持って来てくれたの。ていうかぶっちゃけ見るまで忘れてたけどね」

ぬいぐるみ、というか毛玉だ。
犬の毛の塊。
リュウの抜け毛(冬毛)と切った毛を集め、ギュウギュウに丸めてから潰したり引っ張ったりひねったり、凡そ犬の形に整えて小夜が作った。
真っ黒で掌位の大きさ。

「カワイイ。巧い事作ったよね」

小夜の割には、と茶化そうと日にかざして上から下から見ていたら、何かキラキラしたものが混じっているのに気が付いた。
明らかに犬の毛とは違う、でも同じく真っ黒な・・・。

髪の毛だ。
人の髪の毛・・・。
え?それって!

リュウの毛を刈ったのは副長の髪を切ったのと同じ場所。
そりゃあ、あの後ざっとは掃除したけど。
零れて気付かず地面に残っていた可能性大。

て事はもしかして散らかった犬の毛をまとめた時に一緒になった?

「何?」

息を飲んだのを気取られてしまったか、顔を上げた小夜と目が合った。

真相を言ってしまったら小夜はどんな反応をするだろう。
先日の萬屋さんでの出来事からまだ日も浅い。
忘れようと殊更忙しく立ち働いているのは明らかだったし、普段の自分を取り繕おうとしているのも。

動揺させるのは躊躇われた。
咄嗟の作り笑顔がバレないように気を付けながら、

「これ、アンタのお守りにしなよ」

このまま副長の髪を懐に入れて、守って貰え。

そう思って盥でじゃぶじゃぶ洗濯中の小夜の胸元に押し込むと、

「お守り?犬のぬいぐるみを?」

そのツッコミをどうかわそうかと内心アタフタしたのに、

「それってなんか安産のお守りみたいじゃんヤダー!」

ゲラゲラ笑われてホッとする。

「え?嫌?じゃあ私が貰っておこうかなー」

と再び手を伸ばすと、しゃがんだまま身を捩るように逃げるフリ。

「ダメー。これは私が作ったんだから私のー!」

笑。
そう言うと思った。

それでヨシv


「ご馳走様でした。これ片付けたら洗濯手伝うよ」

空になった茶碗を炊事場へ置いて来ようと立ち上がると、

「いいってば。幸もどっかで寝て来なよ。でも悪いけどその前に院長先生のとこ行って茶碗片付けて来てくんない?事務室のも。それだけお願い」

炊事場を手伝ってくれている女性達は病室に入らないけど事務室や院長室、つまり本館にも行きたがらない。
脱走軍に反感が有るからというのとはまた違った苦手意識が有るみたいで。
事務方や医師達に対してお堅いイメージでも有るのかも。

なので勢い本館での雑用はこっちに回って来る。

「凌雲先生戻ってるの?」

昨日から坂の下の高龍寺の分院で要手術者の処置してたはず。

「うん。さっき戻って来てたよ。たぶん夜通し手術して疲労困憊で仮眠取りに来たんじゃないかな」

手術とは言うものの、多くは被弾して体内に残留している弾丸やその破片の摘出手術か、開放骨折や粉砕骨折をした腕や脚の切断手術だ。
内臓、特に消化器官を損傷していたらほぼ助からないし、出血が多い場合も輸血が出来ないので手の施しようがない。

麻酔(モルヒネ)だってもう有るのかどうか判らないし、それを考えたら分院の状況がどんなものか想像に難くない。
医師とて人間だ。
そんな中で長時間負傷者の処置を続けるのは辛いに違いない。


お盆1枚持って本館へ片付けに向かった。
負傷者で溢れかえる新館と違って、本館はひっそりとしている。
重体に近い予断を許さない傷病者が集められて居るというから、そのせいかもしれない。
こちらには玄関先や廊下で寝ている者も居ないし。

1階に在る院長室の扉をノックしても反応が無かった。
寝ているのなら起こすことも無かろうと引き返そうとした時、隣の事務室の扉が開いた。
ここでは珍しい白髪の混じった丁髷頭が覗いて、事務長の小野様だと判る。

「お忙しい所をすみません。食器を片付けに参りました」

「ああ、こちらから入って」

事務室は院長室とドア1枚で繋がっている。
なので院長は廊下側の扉に鍵をかけて寝てるのかと思いきや、事務室の布張りの長椅子に横になって眠っていた。
見慣れた白衣ではなく濃紺の作務衣で、身頃の胸から腹にかけてと袖口辺りが黒々と血で汚れている。

もう一人、事務方の断髪洋装の男性が入口横の机に突っ伏して寝ていた。
机の上には大福帳みたいな横長の帳面が何冊かと算盤と硯箱。
粥が入っていたであろう茶碗と箸。

他には誰も居ない。
医師達は病室を回っているか分院に出ているのだろう。
でも事務方ってもう少し人数が居たはずだけど。
どこか現場に駆り出されているのかも。

寝ている二人を起こさぬよう、野袴に草履履きの事務長さんはソロソロと自分の机に戻って仕事を続けるようだ。
机の上にはメモ書きみたいに走り書きされた小さな帳面が何冊か開いて並べてあり、おそらくそれを清書しているのだろう、伸び加減の月代をこちらに向け、横長のぶ厚い台帳に細い筆で何か書き込んでいる。
外国製らしい大きく立派な机に座っているのが和装の小柄なオジサンなのがなんかほっこりする。

ってか、この方もともとは会津松平家の公用人で、京都時代は新選組とも面識が有った、というか新選組の上司みたいな立ち位置だったらしいんだよね。
それが今、脱走軍と一緒に箱館まで流れて来て、病院の事務長を務めているという・・・。

結髪は白髪交じりの胡麻塩で脱走軍幹部としては結構年が行ってる方だと思うけど、病院スタッフが少ない中「事務長」とはいえ現場仕事もこなさなきゃいけないし、激務だよなぁ。


院長室と事務室にあった食器を回収した後、

「白湯で良ければお持ちしますが」

と(小声で)声をかけてみた。
茶葉は何日か前に茶粥にしちゃってもう無いので勘弁して~と思いつつ。

「ああ、ありがとなし。だけんじょだんだん・・・」

書面に視線を落としたまま何か言いかけたけど聞き取れず。
何だろ?方言?と思う間に、本人も気付いたらしい。
咳払いをひとつして、

「もう間もなく客人がみえるのでその時に持って来て貰おうかな」

袴紐に下げた懐中時計を見ながら言い直した時、ふいに、

「ああもうそんな時分かね?」

傍らの長椅子で院長が横になったまま伸びをした。

きっと今の咳払いで起きちゃったんだな。
真面目そうな事務長さんのシマッタ顔が見れちゃったv


院長には白衣に着替えて貰い、汚れた作務衣と片付けた食器の乗ったお盆を持って本館を出ようとした時、誰かが先に外から玄関の扉を開けた。

「ごめん下さい」

言ってる途中ですぐにお互い気が付いて、

「あれ?島田さん?」

「これは幸さん」

客人とは彼だったかと安心したと同時に、病院に来るなんて何事かと思ったら。

「失礼するよ」

扉を開けた島田さんに先を譲られて入って来たのは、烏帽子、鉢巻、陣羽織、たっつけ袴で身を固めた、一目で高位と判る初老の男性。
どこかで見たこと有るようなと考えながら、身を引いて玄関の隅に畏まる。

「お奉行様ですよ」

と、扉の向こうから小声で?島田さんが教えてくれた。

そうか。平服でなら見たこと有る。
箱館奉行の永井様だ。

それが戦装束ってことは・・・?
と、伏目のまま考えて居る間に、お奉行様の足が上がり框で躊躇っているのに気が付いて、

「床が汚れております。お履物のままでどうぞ」

草鞋って脱ぐの面倒だもんね。
かく言う私もスリッパ代わりの藁草履を履いたままだし。

「ふん。居たのがお前で良かったぜ。恥をかかずに済んだ」

え?
この声!

顔を上げてみて驚いた。

「ふ・・!」

副長と言いかけて慌てて飲み込む。

「なんてツラしやがる。御用向きで来たんだが気ィ使わせたようで悪かったな」

キロっと横目で睨みを聞かせ、靴音をさせてお奉行様の後に続く。

「いえあのそんなこと・・・!」

機嫌を損ねたかと慌てて取り繕おうとする間に廊下を遠ざかって行く。

「大丈夫。幸さんの顔を見てからかいたくなっただけですよ」

後に続く島田さんが慰めてくれた・・・んだか追い打ち掛けられたんだか(凹)。




               






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