もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室 

13

空になったお膳を持って階段を下りたら、帳場の隅でリュウにご飯を上げていた小夜と再び目が合った。
未だ結構な暗がりだったけど、でもすぐ目が合ったんだ。
だから待ち侘びていたと判る。

「島田さんは?」

と、声をかける。

「すぐ出てっちゃった。急いでたし」

リュウに抱き着いてこちらを見上げる視線が不安げ。
うん。聞きたいのはそんな事じゃないよね。

「弁天台場で事件が有ったらしい。でも大丈夫。副長は予定通り屯所からお迎えが来てから発つみたい」

そう言うと少し安心したようで、リュウが食べ終えた餌の器を持って立ち上がった。
下駄を突っ掛けて土間へ降りた私の後を付いて来る。

「私等も荷物まとめてすぐ病院へ行けってさ。敵の軍艦から砲撃が有るから避難しろって。戎三郎さんにも知らせておけって言われた」

「そんな急ぐ?朝ご飯食べてからじゃダメ?」

笑。

「どうだろ?もう明け六つの鐘も鳴ったし、すぐ知らせた方が・・・」

とはいえ病院に戻ったらまたいつ食事にありつけるか判らないしな。
二階も散らかしたまま行くわけにも行かないし。
泊めてもらったお礼に借りた浴衣も洗濯して行きたい所だけど、この天気じゃ干せないしなぁ。本当なら布団も干したい所だけどね。
せめて台所の洗い物くらいはして行かないと・・・。

だとすればとにかく時間が無い。
取り敢えず出来てる朝飯お腹に入れとこ(爆)。

台所でお膳の支度をしていた和助さんに事情を話して萬屋のご主人を起こしに行って貰い、台所の隅で朝飯の立ち食い(行儀が悪いけど)してたら程無く表の戸を叩く音。
今度こそ屯所からお迎えが来た。

未だ副長と顔を合わすのが気不味い様子の小夜に洗い物を任せ、御主人の身支度を手伝っているであろう和助さんの代わりに潜り戸を開けに出る。

「おはようございます。お役目ご苦労様です」

戸を開けると、薄暗い土間に外の明かりが四角く伸びる。

「失礼する」

細かな霧の粒子を巻いて戎服を着た小柄な兵卒が入って来た。
顔は良く見えなかったけど、この間の若者だとすぐ判った。
女如きと言葉を交わすのは不本意と見え、そのまま土間を進んで行く。

「ああ、只今濯ぎを・・・」

ぬかるんだ所を歩いて来ているのだ、泥足袋で上がられては困る。
すると帳場の奥から、

「要らん。すぐ行く」

とは副長の声。
刀とブーツを手に、既に階段を下りて来ていた。

「幸、二階の荷物を頼む」

こちらに歩いて来ながらそう言ったので、そうか、部下を二階に上げたくないんだなと合点した。
私等の荷物、まだ片付けてないしね(汗)。

「はい。只今」

この休養期間中、寝所(の隣)に女侍らせてたと思われちゃ大変だもんな。
とはいえそう思われてる可能性は有るはずなのでちょっと心配。
噂が立つか否か、そしてそれを咎めるか否か、あとは副長の裁量次第。
私は勿論、小夜だってどんな噂を立てられようが平気だけど。

二階に上がりついでに雨戸を開け、行灯の灯りを消し、忘れ物が無いか床の間や衣桁、茶道具周りも確認して、既に振り分けにパッキングされてあった副長の行李を持って(金子入りでやたら重いんだこれが)、急いで階下へ降りる。

上がり框に腰を掛けた副長が、広げた脚の間にリュウを座らせ撫でて居るのを見て慌てた。
やっべ!すっかり忘れてた!
見知らぬ人間に吠えだす前に確保してくれてた副長に感謝!

「馬に付けておいてくれ」

と、先程の兵卒にそう言ったのは、たぶん彼が犬嫌いなのを見抜いたから(笑)。
ビビッているのを隠すように、副長から(=犬から)離れた場所から多少及び腰でこちらに手を伸ばして来るのが可笑しかったけど、笑っちゃいけない。
プライドを潰さないよう(=目線が低くなるように)帳場の上がり框に正座してから、

「重いですよ」

見た目よりも重量が有るので手渡しながらなにげに言った言葉に、あからさまに不機嫌そうな顔をした。

若い。
ツルンとした童顔で散切り頭に寝癖が付いてる。
中学生くらいかな。
自分よりも大柄な女には敵意を持って当たる主義と見え(笑)、不愛想な顔をこちらに向けながら荷物を受け取り潜り戸から出て行った。

「すまんな」

と、その様子を見ていた副長が眉を下げて苦笑い。
まるで親戚の子供が無礼をしてスマンみたいなシチュエーションで、

「いいえ全然」

大好きな上司を4日も独占されて気分良いわけ無いからね。
と笑顔で返していたら、

「へぇー。あんな子供まで道連れにするんだー」

土間の奥から聞こえるようにイヤミを言うヤツが。

「ちょ!小夜!」

見てたんかい!と思って土間の奥を覗くも、既に台所に引っ込んだ模様。
今度は私が副長に平謝りする事に。

「良いさ。憎まれ口が利けるぐらいならもう心配することも無かろ。まぁ、お前も因果な役回りだが」

「私ももう慣れました」


居間の方で萬屋のご主人の話し声がするのを聞きつけて副長が立ち上がる。

腰に巻いた白い晒には脇差、上着の下のホルスターにピストルを吊って、右手に大刀を掴んでいる。
薄暗い中でも磨き上げたロングブーツの光沢が良く判る。
アイロン掛けした甲斐も有って、黒ウールの3ピースに襟隠しの白絹のスカーフが良く似合ってカッコイイv

起きたばかりで身づくろいもそこそこな萬屋のご主人に急な出立を詫び、見送りを断って、開け放していた潜り戸を出る副長の後に私も続く。
追いかけそうな素振りだったリュウは和助さんに確保して貰ったんだけど、ピーピー鼻を鳴らすのがちょっと可哀想だったな。

外では馬丁の忠助さんが馬に付けた荷物の上から掛物をしている所だった。
未だ霧は晴れず、荷物を濡らさないようにという事だろう。
忠助さん自身も蓑笠姿。
尻端折りから伸びた脚は日に焼けて、ふくらはぎの筋肉が瘤みたいに発達してていつ見ても感動する。
泥に汚れた草鞋履きの素足の甲高に筋張って、大地をガッツリ掴んでる感半端無い。

ウールの上着は水を弾くと副長は言ったけど、五稜郭までの道中いくら何でも濡れるんじゃないかと思って尋ねたら、まずは奉行所に行くと言う。
部下の前だと詳しい事は喋りたがらないけど、台場の件、お奉行の永井様と相談するって事かも。

・・・っていうか。

小夜がなかなか見送りに出て来なくて焦った。
副長はもう鐙にブーツを掛けて馬に乗るところだというのに。
アイツ、もしかして出て来ないつもりなのか。

七重浜村が焼けたならすぐにも亀田村まで戦線が迫って来るだろう。
このまま市街地での戦闘が始まったら、もういつ会えるか。もしかしたらもう・・・少なくともこの戦争が終わるまで会えない可能性だって有る。

「すいません。ちょっとだけ待ってて貰えませんか」

と忠助さんに小声で頼んで、潜り戸から小夜を呼ぶ。

「・・・見送り無用とか言ってたじゃん。めんどくさー」

とか奥でブツブツ文句言ってる。
いつまで鼻曲げてんだ。

あ!そうだ。

「帳場の奥に副長の雪駄が有るから持って来てぇー」

存在を忘れていたのを奇跡的に思い出したv

視線を感じて振り向くと、小姓の少年が怪訝な顔をしてこちらを見ていたので「副長」呼びがいけなかったかと反省。

「そういえば・・・」

と、馬上の副長が何か言いかけた。
が。

「幸ってば、もう少し遅かったらヤバかったよー」

前垂れ襷姿の小夜が手にした雪駄をこちらに見せながら出て来たので、皆そちらを向く。

「リュウの玩具になってましたー」

「ええ!」

良く見たら親指の当たる辺りに歯形が付いているような(汗)。

「ボロボロにされなくて良かったね」

左右の底を合わせて差し出したのを、

「それは私が」

と、忠助さんが受け取って懐に入れた。

笠の下でニッコリ笑った忠助さん(背は低いけどシュッと引き締まった顔つきで意外と男前v)の日に焼けた顔に白い歯がまぶしくて、さすがの小夜さんも寸の間ご機嫌模様。

「お馬さん、お行儀良いですね。近くで見るとモコモコでカワイイ」

とか御愛想言ってる。
いつものキャピキャピした感じではないけど。

洋鞍を装着した副長の黒鹿毛は遠くから見ても超カッコイイけど、近くで見ると確かに蝦夷地の馬らしく全体的に毛深い感じ。
そのフサフサした頬の辺りをふたりで触らせて貰ってたら、

「幸」

上着の襟を立てながら馬上の副長が呼んだので、そういえばさっき何か話しかけてたっけと馬から手を放して俄かに畏まる。

「夕べの高龍寺の負傷兵移動の話だが。こういう訳だから、悪いが力にはなれそうもない。すまんな。高松さんによろしく伝えておいてくれ」

余計な事を頼んだばかりにまた副長に謝らせてしまった、と恐縮。

「良いんです。高龍寺の件は私が勝手に考えたことですから、どうかお気になさらないで下さい。凌雲先生にも相談してみますので」

そんなやり取りの間にいつの間にか馬の鼻面を抱き着かんばかりに撫でまわしているヤツが(汗)。
邪魔にならぬようソイツを引き剥がし、

「どうかお気をつけて。ご武運をお祈りしております」

「うむ。病院の仕事も骨が折れるだろうが、兵卒どもをよろしく頼む。では」

と、部下の手前短めに&少しばかり余所行きのコメントをして、忠助さんに合図し、引かせた馬が2歩3歩動き出した時だった。

「もう街へは来ないの?向こうへ行きっぱなし?」

小夜が言った。

五稜郭へ行ったきり、称名寺の屯所(=箱館の街)にはもう来ないのかと訊いている。
この期に及んでそんな当たり前の事をとは思ったけど。

ポケっとして何か子供みたいな言葉つきで、皆ちょっと不意を衝かれた感じになり、副長もこちらを振り返って小夜の顔を見た。
馬の足も止まる。

ゆっくり瞬きをするほどの間小夜の顔を見、それから何か納得した様子で口の端を緩め、

「御用が有ればまた来るさ」

ごく当たり前にそう言ったのが・・・超カッコ良くてv

もともと普通に見た目のカッコイイ人ではあるけど、霧に煙る街を背景に馬上から首を巡らしてこちらに向けた、その柔らかい目線といい軽くこなれた言葉付きといい、溜息が出そうな程カッコ良かった。

殊更普段通りに言ったのは小夜の不安を払拭してくれようとしていただけかもしれないけど、

「そっか」

と、気の抜けたような小夜の返事もまた、何も考えて居ないような昔のままの素っ気無さで。
なので普段人前では言わぬような軽口を継いだのも副長流の気遣いだったのかもしれない。

「お前ェはちゃんと飯を喰っとけ。それ以上ガリガリになっても此処にはお前ェの立つような田圃は無ぇからな」

副長ってたまーに判りにくい冗談を言うんだよね、昔から。
そして言った本人だけ可笑しがるっていう(笑)。

キョトンとしていた小夜の顔が数秒置いて顰めっ面になって行き、

「アタシは案山子じゃなーい!そんなこと言うなら食いもん寄こせー!誰のせいで箱館中食料不足になってると思っ・・・!」

慌てて小夜の口を塞いだ(汗)。
馬の轡を持ったまま忠助さんがマンガみたいな顔で振り向いたのが可笑しかった。
お付きの少年兵が腰の刀に手をやるのへ「捨て置け行くぞ」と声を掛け、手綱を引いて促す副長の顔が笑ってた。
馬の歩調が速歩に変わり、少年兵も振り向くことなく小走りになった。

煽られて反射的にいつもの調子で怒鳴り返した割に、小夜はすぐに静かになり、霧の中を馬に揺られて行く副長の後ろ姿を見ている。
あるいは小夜も、普段と変わらぬ憎まれ口で副長を安心させようとしていたのかもしない。
口を塞いでいた手を放しても文句も言わず、ぼんやり立ち尽くす姿が心なしか儚げに見える。
恵比寿屋さんが用意してくれた藍細縞の木綿の着物は地味なだけに大人っぽく、小夜の細身の体には似合い過ぎた。

私の視線に気づいたのか、

「それにしても」

と、遠ざかっていく馬上の人を目で追いながら、

「全然叱られなかったわ。夕べも、今朝も」

独り言のようにそう言った。

意外だった。
二階から聞こえた「ごめんなさい」は叱られて言ったんじゃなかったのか。

「一言も叱られなかった。怒ってさえいなかったし」

薄っすらと苦笑いを浮かべた小夜の、まだちょっと腫れぼったい瞼のままの横顔が悲しそうに見えたのは、自虐と諦めが透けて見えたから。

馬鹿と言って叱って欲しかった、とは判っていた。

夕べ言ったはずなんだけどな。
馬鹿と言って欲しくてあんな事したんですよと、(自分としてはかなり勇気を出して)ハッキリと副長に言ったつもりだったけど。
それをどう感じてどう小夜に接するかまでは・・・。
さすがに指図めいた事は出来ない。
というか、それ以上は立ち入れない。

小夜には副長の仕事の邪魔をしないで欲しいと望んでいたはずなのに、いざ彼女が副長を諦める素振りを見せたら寂しくなる・・・って、私も相当身勝手だ。
それが後ろめたくて。

「副長が叱らないのはたぶん、叱るようなことをしたわけじゃないから、じゃないかな」

いや、理由は何にせよ普通に考えて自殺未遂は叱って欲しい所だけど。
叱ってくれないのは自分に関心が無いのと同じ事、と小夜が感じてしまうのも判るし。
でも、

「ちゃんと小夜の気持ちを判ってくれてるから怒る気にならないし、叱る必要も無いと思ってるんだよ。だって小夜、夕べは勢いであんな事しちゃったけど、あれは絶対やっちゃいけない事だと心の底では判ってたでしょ?」

既に本人が猛省している事を必要以上に追い詰めたりしないのは、副長が箱館で優しくなった・・・否、優しさを隠さなくなったからなんだと思う。
京都時代だったらきっと違ってた。

ていうか、何しろ小夜の暴挙の原因は自分だと判ってるんだし。
怒れないだろ、そんなの。

小夜に馬鹿と言わなくなったのだって、今の状況では自分の方がよっぽど馬鹿だと副長自身が思ってるからだ・・・と私は思う。

でもそれを小夜に言ってもきっと判ってくれない。
たぶん。今は。
実際私の話は耳に入っていない様子で返事も無い。

辺りは朝と言って良い程には明るくなり、霧は白くまだらに海風に流れ始めている。
急がなくてはと思った。
敵艦から砲撃が有ると言うなら、きっと霧が晴れるタイミングだろう。

「夕べ、副長に全部話しちゃった。船を借りる為に小夜が戎三郎さんの世話になる話も」

「そう」

小夜の瞳がチラと動いて、それから再び副長の行った方向へ目を戻す。
心ここに在らず。
それは仕方ない。

なので相手の反応に構わず、確認するつもりで続けた。

「でももうその必要は無いよね。アンタが犠牲になるなんて必要は」

副長の前では「脱走兵を逃がす計画は続行する」なんてカッコイイ事言ったけど、そのために小夜を恵比寿屋の手掛けにするなんて無茶は出来ない。

自分達の出来る範囲で傷病兵を湯の川へ移送する手伝いはする。
あくまで凌雲先生の手伝いとして。
それで小夜も異論は無いはず。

「取り敢えずすぐにも恵比寿屋さんへ行って話をしなきゃ。脱走計画の変更と小夜の話の取り消しと・・・」

もう一隻船の追加を頼んだって言ってたし、早いとこ断らないと本当に身売りでもしなきゃ払えない程の借金を作る事になる。

「それと戎三郎さんはすぐにでも避難しないと危ないって言って来ないと」

我々が病院へ戻るのはその後だ。



避難準備でバタバタしていた萬屋さんに断りを入れ、下駄を自分の物に履き替えて出る。
帳場の隅に立て掛けられていた俵屋の印入りの傘を忘れずに持って。
懐には副長から預かった金子も持った。

潜り戸を出ると小夜はまだ突っ立ったままそこに居た。
副長の姿はとうに見えないはずなのに。

胸が痛くなる心持がして「急ごう」と促すと、霧の中に視線を残しながらようやくゆっくりと踵を返す。

その顔に・・・何か違和感を覚えた。
顔というか髪?というか。

霧の合間から差した薄日に照らされて、小夜の前髪に差した南天の簪がキラリと光ってハッとした。

俯き加減の額の生え際、というか前髪の横、鬢の髪との間の分け目と生え際のぶつかる辺りに、良く見ないと判らないぐらいの赤い・・・傷?
いや、違う。何か痣のような。
夕べ階段でぶつけた?

・・・あっ!

今朝の情景が頭を過った。
小夜を胸に抱えた副長の丁度口元に当たる所・・・!

え?うそっ!コレってまさか!

キ、キスマークぅぅぅ??!(驚愕)。

と思い当たってちょっと心臓が止まりそうになる(ていうか足は止まった)。
え?なんで?こんなの朝からあった?
あ、家の中薄暗くて気付かなかった?
髪が厚くて前髪と鬢の分け目に隠れて見えなかった?
食事する時も(目を合わせずに)明後日の方向いてたから?
ていうかそんな事はどうでも良い!

ふくちょおぉぉぉ~っ!!!

何してんスかコレー!!(赤面)。

「?」

気配を感じたのか小夜が顔を上げたので、赤くなった顔を見られないよう必死に前向いてズンズン歩く(汗)。

あー!びっくりしたぁー!
ってかあんな所にっ!
副長ってばもう!
こんなの可愛過ぎでしょ!
ヤバイ!顔が笑って来ちゃう~v(タスケテ)。

と、頭の中がメチャクチャになりながら歩いてたら、

「私、昨日1度死んだから」

「え?」

空耳かと思った。

浮かれた頭が急速に冷えて行くのが判る。

空耳と信じたくて、後を振り返り小夜を見た。
新しい木綿の着物が体に馴染んでいないのか、それとも副長の言う通りまた少し痩せたのか、襷掛けしているという以上に脇に皺が寄り抱き幅がダブついて見える。

「昨日、1度死んだからさぁ・・・」

可笑しそうに目を細め、薄っすら笑ってそう繰り返した。
目線はゆっくり歩く自分の足元を見てる。こちらを見ない。
足並みを合わせてゆっくりと隣を歩くが、待っても話の後を継がない。

1度死んで、それで?と不気味に思いながら困惑していたら、ようやく話し始めたのだが。

「ずっと判らなくて考えてて。ていうか薄々判ってたのに認めたくなかっただけかもしれないけど・・・」

話を変えた?

「何が?」

と促すと、

「私がここまであの人を追って来たのって、おゆうさんのためだと言って来たけどさ・・・」

お!これはいよいよ副長への恋心を認めるのか?
と一瞬喜んだのに、

「ホントは腹が立ってたんだよね。なんで自分で来ないのかって」

・・・驚いた。

小夜、おゆうさんに反感持ってた?

「最初はなんかイライラモヤモヤしてるだけで判らなかったんだけど、だんだんこれって腹が立ってるんだと判って来ちゃってサ・・・」

自分でもショックだったらしく笑みが消え、

「好きな人が遠くへ行ってしまってもう会えないのかもしれないって時に、なんでみんな諦めちゃうんだろうって。なんで誰も追いかけないの?それで平気なの?って思ってサ」

確かにそうだけど。
でもそれはこの時代、女の人が遠方へ旅するのはとても大変な事だからで。

「もちろん女の旅が容易じゃないってのは判るけど。でも一人旅じゃないし。私等が一緒だって言ってるのに。おゆうさん一人暮らしで何も縛られることも無いのになんで?」

うーん。
そう言われればそうだけど。

「おゆうさんだけじゃない、皆そうでしょ?女の人は何で家で待ってるだけなの?なんで諦められるの?待ってれば好きな人が無事に帰って来るって信じてるの?またすぐに会えると思ってるの?戦争なのに?」

そうじゃないだろ、とは思ったので、

「戦争だからでしょ。危ないとこへ付いてったって足手まといになるだけだし迷惑かけたくない・・・」

「一緒に歩いて行くわけじゃないじゃん後から付いてきゃ良いんだから。近場に宿取っても良いんだしさー」

と不満げに口を尖らせた。

「だってそんなのお金かかるでしょ?」

「その理屈ならお金持ちの妻女は皆追いかけて来れるはずだけど?そんなの余計に見たこと無いよ?」

「そーだけど。でも全く誰も追いかけて来てない訳じゃないし」

言いながら、屁理屈こねる小夜が小夜らしくてちょっと嬉しくなってしまう。

「でも極少数派でしょ?髪結いさんとか水商売とか、身軽で自分でお金稼ぎながら旅できる人とか」

「だからそういう条件でも揃わなきゃ無理って話でしょ?」

幼い子供も面倒みるべき家族も無く、住まいを引き払えて(もしくは長期空き家に出来て)しかも路銀の心配もせずに長旅に耐えうる体力がある女性って。

するとちょっとむくれっ面を作って見せながら、

「まあそうなんだろうとは思うけどさ。引き留めようとか行けるところまで行ってみようとか、最初から最後まで一緒に居ろって訳じゃないんだから。そんなこともしないですぐさま行ってらっしゃいって言えるってさー」

文句を言いたいだけとは判っていたけど、こっちもついつい反論してしまう。

「すぐさまってことは無いでしょ。好きな人を危険な所へ送り出すんだから誰だって葛藤は有るでしょ」

「だからさー、その葛藤の末にでも追いかけてくって選択はほとんど無いってどうなの?って話。だってさー、外国行けって言ってるんじゃないんだよ?国内よ?日本語通じるしお金だって一緒だし着物着てご飯食えるんだよ?」

不機嫌そうに喋り方が大袈裟になって、普段の小夜に戻った気がした。
なので言い合いをしてても悪い気分じゃない。

「まあね」

「女は家に居るべきっていう世間に染み付いた慣習を尊重してんのか、女の出る幕じゃねーっていう男のエゴの犠牲になってんのかってことでしょ?」

お?今度はそっち方向行く?と思ったら、

「腹立つから追っかけて来たわけ。おゆうさんの代わりに」

急に結論出して来たな(爆)。

なるほど。
おゆうさんのことは(大好きなので)責めたくないから、代わりに男社会(この場合は副長だね)に腹を立てて追いかけて来た、と言いたいのかな?

「でも」

と今度は溜息を吐き、

「ここまで来る間に薄々気が付いては居たんだよね。女の人達がなんで家に留まるのか」

喋りのトーンが落ちた。
また俯いて、自分の足が止まっていたのに気付いて再び歩き出す。

「きっと後顧の憂いを断つため、だよね?断ってあげるって言うか。好きな人が目の前の目標に集中できるように、家の事は自分がしっかり守るから安心して行って来いってことでしょ?」

お!そこまで気付いたか!
と彼女の沈んだ様子とは裏腹に私はちょっと感動。

「納得して追いかけて来ないんだよね。追いかけて来たくても来れないって訳じゃない。追いかけたい気持ちをひたすら我慢して・・・」

一度口元を真一文字に黙り込む。
そこから一転、茶化すような口調になり、

「そんで、その方が男の人にとっても楽だよね。有難いよねぇ。家で無事で居る嫁の姿とか想像して幸せな気分になれるよねぇ・・・」

ん?コイツ何が言いたいんだ?

「私だったら家で待ってるなんて、しおらしいふりして諦めるなんて絶対嫌!と思ってたけど。男の人にしてみれば仕事の邪魔されるよりは全然良いんだよね?」

そこまで話した時、丁度通りがかった沖の口番所の門から戎服の兵卒が出て来て称名寺坂の方へ走り去るのとすれ違う。
弁天台場の事件のせいなのかバタついてる雰囲気だ。

それを見送ってから、

「アタシさ、あの人の邪魔ばっかして来た。ていうか邪魔しかしてない。今回だってあの人の軍隊潰すとか言って・・・」

ようやく反省してるのかと思ううちに歩みが止まり、

「でも邪魔したかった訳じゃない。私はただ・・・」

瞼に涙が盛り上がった。
続けたい言葉を飲み込んだように思う。

「なのにどうしてこうなるんだろ?いつも」

庇睫毛の先からポロリと涙が零れた。

「おゆうさんが覚悟して納得の上で送り出して。あの人だってそんなおゆうさんの気持ち、判らないはず無い。二人が納得して決めた事を私がひっくり返そうとしたって・・・無駄なお節介。やろうと思っても無理だった」

涙を抑えようと一生懸命息を整えながら途切れ途切れにそう言った。
おゆうさんの元へ帰そうと(理由付けして)今まで必死にやって来た事も、全て無駄な悪足掻きと自裁して。


そういう事か、と思った。

副長の戦にかける決意に負けたってだけじゃないんだな。
おゆうさんと副長の硬い絆に歯が立たなかったって事でもあるんだ。

キッツイなぁ。
これはある意味失恋、大失恋と言えるかも。
死にたいと思うのも無理は無い、か。

かける言葉を探して、風に流れる霧の影が黒く湿った地面の上を走るのを目で追う。

そもそも小夜は副長にどう思われたかったんだろ。
さっき涙と共に飲み込んだ言葉はたぶん「ただ傍に居たかっただけなのに」だよね?
おゆうさんに勝とうとか、副長を振り向かせようとか、そんな大それた事考えてた訳じゃないよね?
大き過ぎて今まで気付けなかった二人の間の揺ぎ無い絆の存在に今更気付いて、ちっちゃな恋心がちょっとビビっちゃっただけじゃない?

もしそうだとしたら、ちょっと効きそうな薬は有る。

「ねぇ小夜、気付いてた?この何日か萬屋さんに居る間、副長、一度も帰れって言わなかったよ」

思えば石巻以降、顔を合わせる度に「お前等は帰れ」と言われて来た。
その度に何処へ帰りゃ良いんだよ!と不貞腐れる小夜が居て。

「病院に戻れとは言った。避難しろって。でも帰れとは言わなかった。最後まで」

この戦争ももう末期。既に安全な場所へ帰す術も無くなったから、と言われればそうかもしれない。
でも本気で帰そうと思うなら船を手配して強引に乗り込ませることだって、副長になら出来るはず。
それをしないということは・・・。

「いつも邪魔ばかりして来たと言うけれど、大丈夫。副長はアンタの事嫌ってなんかいない。どうしていつもそうなるのか、きっとアンタの気持ち判ってくれてるよ」

その証拠にそのおでこのキスマーク!
・・・と、本人が気付いてないものを今言っちゃったらエライ騒ぎになりそうなのでそれはまだ言わないでおいた方が良いかな。


「うん。でも、もう良い」

そう言うと、小夜は両手で涙を拭って顔を上げた。

「?」

「もう良いんだ」

御愛想にニッコリ笑った目に、拭い損ねた涙が光ってる。
やはり私の言う事なんて気休めに聞こえるか、と落胆したが。

「今私が何をしてもあの人を止められない事は判った。だったら・・・後は何?」

「え?」

私に訊いたのかと思ったけど、自問自答していると判り。

「何すれば良い?私に出来る事は何?」

息を飲んで答えを待った。

霧が僅かにしぶき始めたので持っていた傘を広げ、小夜に差しかける。


何をすればいいかって、副長の望むようにすれば良いんじゃないか。
それって・・・結局この戦を終わらせる事だろう。
しかも出来るだけこちらに有利に。
被害も出来る限り少なく。

副長は既に自分の斬刑を覚悟してるし。
ならば後は・・・。

「後顧の憂いを断つ?」

と先の小夜の言葉から思い当たったのと、

「1人でも多く兵を逃がす!」

と小夜が宣言したのとは同時。

それって、言ってることは昨日までと同じでも目的は・・・。

「軍を潰す為にではなく、敗残兵を助けるために?」

「そゆこと。だからやっぱ船はもう一艘借りるわ」

え!っと驚いた私に、

「私の事は心配しなくて良いよ。お金持ちのお手掛けなら美味しいもん食べて綺麗な着物着て遊んで暮らせるんだし。それに何しろ相手は独身で優しくて超絶男前だしー」

おどけた口調でそう言い、傘から抜け出てトトっと小走りに駆けて行く。
私はそれについて行くことが出来ない。

慰めるより先に自力で浮上しやがって!という小気味良い驚きと、副長と小夜のふたりの想いがようやく一致したじゃないか!という感激とが同時に押し寄せて来て。

「1度死んで、生まれ変わったよね~v」

と振り向いた小夜はもうケロッと笑ってる。

「まあ、実際やろうとしてることは何も変わってないんだけどサ。・・・って、やだ!幸ってば泣いてる?!」

言われて気付いた。

「だって!・・・良かった!」

安心したら涙出た!ってヤツ。
アンタが副長を裏切るつもりだと知った時、どんだけ驚いたと思ってるんだ!心臓潰れそうだったんだから!
と言いたいのに喉が詰まって声が出せない。

「うわぁぁ!ちょっと!ごめん!ええー?なんでぇ~?!」

普段人前で泣くことなんて無い。
なので派手に狼狽える小夜の声で恵比寿屋さんから人が出て来てしまい、ちょっとした騒ぎになった。
せっかく傘で隠した泣き面を小夜が(面白がって)覗き込むのを、グルグル逃げ回って終いには笑い出してしまって。



一度死んだから、という小夜の言葉は、自分自身のわがままを殺して副長のために働こうという彼女の覚悟の現れだと思っていた。

が、それは言い換えれば、副長のためならいくらでも自分の気持ちを殺せるという危なっかしい愛情表現の言葉でもあったし、これからは自分の気持ちを殺して事の流れに身を任せるしか生きようが無いと自覚した、「絶望」と同義の苦しい決断の言葉でもあったんだ。

私はそれに気付いておらず、やっと小夜と副長、二人の方向性が一致したと喜び浮かれており、目標が決まったならそれに向かって全力を尽くすのみと気合を入れ・・・。
そして、最終的にこの戦が終わったなら副長を含め徳川脱走軍の人達はどんな処分を受けるのだろうと、兵卒たちはどんな扱いを受けるのだろうと、そればかり考えて居た。


そう。

終戦のその日まで、副長は戦い続けるものと思い込んでた。






その日間も無く始まった敵艦からの砲撃に追われるように、雨の降り始めた中を箱館山に避難する街の人々と一緒に坂を上り、私たちは病院に戻った。

5月も4日になっていた。







                    ― 了 ―




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