もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室 

あれは確か新政府軍が蝦夷地に上陸してすぐ、江差方面で戦闘が有って結構な数の負傷兵が箱館病院に収容になった辺りだったかな。

ランビキ(蘭引?)とかいう茶道具の建水の上に土瓶をさかさまに乗っけたような道具で、焼酎からアルコールを抽出するバイトにありついた時だった。
まだ病院に泊まり込むほど切羽詰まっては居なくて、高龍寺も分院じゃなかった。

新しく建て増したばかりの薬品室の片隅で、火鉢にかけたランビキから落ちてくるアルコール(度数は判らない)を片口に受けながら、

「もう駄目だと判ってると思うのにさ。こんなこと続けたって無駄だと思わないのかしら。バッカじゃね?」

さっきから小夜が独り言みたいにブツブツ文句を言ってるのは、きっと副長のことだったはず。
この箱館での戦争が無駄だと言ってたんだよね。
なのになんであの人達は続けようとするのかと。

副長をおゆうさんの元に帰そうというのがここ箱館へ来た彼女の本来の目的で、戦争を続けるのを諦めさせたくて、でもどうすれば良いのか判らなくて、それでバイトの合間にボロクソ言ってストレス解消してたわけ。

なので、

「それは私達のことかね?」

不意に声を掛けられてせっかく抽出したアルコールをうっかり零しそうになり、ひと騒ぎしながら平謝り。

「いえ違います!すいません!」

凌雲先生だった。
たまたま部屋の前を通りかかって耳に入ったみたいで、こっちもなんとか誤解を解こうと、

「いえ、あのちょっと身内のことで。こちらの先生方を悪く言うなんてそんな罰当たりなことは・・・」

結局しどろもどろ。

高松凌雲先生は箱館病院の院長で、フランス留学中に戊辰戦争になって途中で帰国して来たっていう(悲劇の?)エリートだそうだ。
年は副長と同じ位で小柄で痩身。
断髪を撫で付けて口髭を伸ばし、洋装で白衣を着ている。
八の字眉の困り顔なのでちょっと神経質そうに見えるけど・・・。

「いや良いんだ。良く言われるんだよ。どうせ死ぬ者を必死に生かしてどうするってね。生かす甲斐の有る者なら良いが、人殺しや親の仇を生かす意味が有るのかとね」

話し好きなのかたまたま気分転換に新顔と喋りたいと思っただけなのか、部屋に入って来て、

「加熱時間が長いと水分が多くなって蒸留した意味が無いから気を付けなさい。それと、ガラス瓶に移すまでの時間が長くなってもせっかく分離したアルコールが飛ぶから手早くね」

時間との勝負なのにお喋りしてちゃイカンって事だ。
つまりそれを注意しに来ただけなのね?
薬瓶に2本取って終わりにする。

「1本目と2本目と、判るように番号を書いておいてくれないかな?日付も忘れずにね」

「はーい」

熱くなったランビキを手拭で火鉢から降ろすまで見ていてくれた。
高い道具を雑に扱われないか心配だっただけかもしれないけど。

白衣のポケットに手を突っ込んで先程の話を続ける。

「人は必ず死ぬからねぇ。医者は必ず負けるんだ。負けの決まった戦いなんだよ。それでも目の前に死にそうな患者が居たら必死に治療するんだ。何故だと思う?」

「見捨てられないから、ですか?」

人情的なことを言ってるのかな?と思った。
まあ咄嗟にそれしか思いつかなかっただけだけど。

「そうだねぇ。それも尤もなことなんだが」

と、笑って、

「出来るだけ長く生かすのが医者の仕事だからさ。生きるか死ぬかの勝負で負けが決まってるならあとはどれだけ寿命を伸ばすかの勝負になる。つまり、負けが決まるのをどんどん先延ばしにしようという、・・・悪足掻きだな」

無意識にか片手で口ひげを引っ張りながら、

「必ずいつか負ける。いつかは負けるけれど、今は負けない。そう簡単に負けを認めちゃダメなんだよ。諦めたらそこで終わりなんだ」

自分に言い聞かせるように頷きながらそう言い切り、

「そうやって、悪足掻きしてでも天寿を全うさせたら大成功さ」

ウインクして(!)部屋を出て行こうとした。

「人殺しも親の仇も長く生かすんですか?」

小夜が揚げ足取りのようなことを言い出したので、肘で小突いてしまった。
それをまた先生は笑って、

「うーん、どうかな。生かした人間が悪人かどうか判断するのは医者の仕事じゃないと思うがね」

そういうもんか、とその時は思った。
職人気質だなぁって。






あれからまだひと月も経ってないけど。

「ごめんなさい。痛いけど頑張ってくださいねー」

竹を曲げて作られたピンセットもどきを使って皮膚に食い込んだ細かい木っ端を引き抜く作業は、やってる方だって結構ストレスの溜まる作業だ。
もちろんやられてる方はその何十倍もストレスだろうってことは判っちゃいるので気休めに宥めてみるけど、どれほどの効果があるかは判らない。

応急処置的に巻かれた晒は血で張り付いて固まってしまっている。
それをそっと(でも無理やり)剥がしながら、棘のように皮膚に刺さった大小の木片を抜き取らなければならないのだが、傷口は拭き取っても拭き取っても噴き出して来る血ですぐに異物が見えなくなる。
厄介な仕事だった。

無論こんな軽症者(!)にまで痛み止めなど行きわたるはずも無く、辛うじて使える消毒液(アルコール度数は判らない)を度々塗りながらの作業。
さぞや痛いだろうと、できる限り早く処置を終わらせようとしてはいるものの、もう既に小一時間。

痛みを堪え、汗みずくになって病床に横たわる兵士は、たぶん私等と左程年が違わない。
負傷した範囲は広く、左の肩から腰にかけてと脚にも少々。
ボロボロになったダンブクロを脱がせる手間も惜しいので、受傷した箇所の服の破け目をそのまま裂いて処置してる。

それでも、彼は歩ける分この病院まで自力で坂を登って来ていた。
歩けない同僚はこの坂の下の高龍寺の分院で、今頃病院長の手にかかって・・・外科手術中かな。

助かると良いな。と思う。
輸血も点滴も、注射さえ無い世界だもの。
外科の手術なんて傷口縫うか手に負えなきゃ腕や脚なら切断するかのどっちかだし。
手術道具なんてノコギリみたいのばっかりだし(怖)。

その上もう薬も包帯にする晒も、手拭さえ足りてない。
怪我人を寝かせるスペースだってもう無いといって良いぐらいだし、布団も足りないし、そもそも治療する手も足りなくて私がこんな事やらされてるくらいだし(嘆息)。

畳に寝かされた患者の処置は屈んだ体勢をキープしないといけなくてなかなかキツイ。
体を伸ばしついでに相棒の様子を窺うと、

「この油薬を塗ってー、油紙を当ててー、晒で巻いてー・・・。あ、油紙は残り少ないから出来るだけ節約するようにお願いしますね」

茶屋町の姐さん達をにわか看護師に、火傷の処置方法を指導中。

一昨日の夜、近所で結構大きな火事があって、幸い風向きの加減で病院は難を逃れたけど、一時は入院患者全員避難させなくちゃいけないかもと朝まで慌ただしかった。
そこへ持って来て夕べから今朝にかけて怒涛の負傷兵の引き上げがあって・・・。


昨日、矢不来が落ちた。
味方の陸軍が艦砲射撃を受けているのが、山背泊辺りからも見えていたそうだ。

海上に敵戦艦が居座っているため、夜を待って暗闇に紛れ付近の漁船で負傷者を輸送したらしい。
箱館湾を突っ切って水雷の間を掻い潜って高龍寺参道前の岸壁から負傷兵を運んで。

病院関係者は皆徹夜だった。
というか、一昨日の火事騒ぎからずっとろくに寝てない。
ろくに食べてもいない。

海上封鎖が厳しくなって・・・というか、敵戦艦が頻繁に箱館湾に入ってくるようになったために巴湾に水雷が敷設され、漁船が漁に出れなくなり入船町の雑魚場に行っても何も手に入らなくなったのだ。
町の人も避難出来る者はほとんど避難してしまい、亀田方面からの青物売りも姿を見せなくなり、4月半ば位からは入院患者が急増した為に米の備蓄が底を突くのも時間の問題。
もういつ食べれるかいつ寝れるかも判らないってところまで来ている。

救いは、箱館山の七面社や愛宕神社の辺りに避難していた山ノ上町や茶屋町の人たちが(避難生活に飽いて?)対岸で繰り広げられている戦争の状況を逐一教えに来てくれたり、どこからともなく(予想はついてるけど)食料を工面してくれたり、病院の雑用を引き受けてくれたりしてたこと。
一昨日の火事で帰る家が無くなった人達も居るはずなのにね。

それでなんとか持ってた。
不思議と今日もなんとか暮らせてる。
猛烈に忙しいけど。
そのおかげで先のことを考える暇も無く日々過ごせていたのかもしれない。

海岸沿いの林の中で戦闘中に艦砲射撃を受け、爆裂した木々の破片を浴びて受傷した患者は相当数居たけど、一人一人の処置にあまり時間はかけられず(結局目で確認出来る異物しか取り除けないし出血を抑える意味も有り)、その日の午後には大方作業は終わり。

「はい。アンタも手ェ洗って」

小夜の持って来てくれた手桶の水で血染めの両手(凹)を洗い、マスク代わりの手拭を引き下げて深呼吸すると疲れがドッと出てきた。

「うぅ~背中がバッキバキ。肩凝ったぁ」

肩を回しながら病室を出る。
休憩室なんて無いので、とりあえずもう一度ちゃんと手を洗いに井戸端に向かう。

誰が貰って来たのか(作ったのかも)知らないけど、この病院には石鹸が有って、手の消毒用に使ってる。
もちろん血膿に汚れた包帯類を洗うのにも。
それがゴツくて硬い洗濯石鹸みたいなヤツで、そもそもあんまし泡が出ない。
勢い、ガシガシ手を擦り合わせてムキになって洗う。

爪の中まで処置した患者の血が入り込んじゃってて凹む(手袋欲しーい!)。
感染症なんて考えてる暇も無くやってるけど、本当ならかなりヤバイ状況だと思うわ、うん。
適当なところで横から小夜が釣瓶の水を垂らしてくれる。
私の心の声が漏れ聞こえてたのか、

「アンタも大変ねぇ、ご苦労さん」

他人事みたいに言って来る。

アタシは不器用だから無理!って雑用に逃げたヤツのセリフは余裕(--)。
まあ、軽症にしろ見た目の出血範囲が広いからビビるのは仕方ないけどね。
と、石鹸を洗い流しながら返事も流してしまっていたら、

「ところでもう先生方1人も居ないんだけど。みんな下(=高龍寺)行っちゃった。私等こっちで待機で良いのかな?手伝に行った方が良いと思う?」

えー?これ以上私に何をしろと?!とうんざりして手を漱ぎながら見ると、こちらを向く小夜の顔の周りに下がる後れ毛が大変なことになっているのに気が付いた。
もう何日も風呂も使えず髪も洗えてなくて、姉さん被り用の手拭もマスク代わりにしてしまって、髪を覆う何も無いし髪を梳る暇も無いので後れ毛出まくり。
やつれて見える。

というか、実際やつれてる。
食べれないし寝れないし。
それは私も同じだけれど・・・。

小夜の着物の襟が垢じみてヨレヨレだった。
もうずっと箱館に来る前から着たきり雀の翁格子の黒地の紬。
綿入れだったのを、ついこの間綿を抜いて。
まだ朝晩冷え込む日もあったけど、治療に使う消毒綿が無くなって、急遽着物から抜いて1センチ大に丸めて消毒液に浸して代用にした。
結構大量に作ったと思ったけど、それももう今日明日で無くなりそうだ。

けどその前に、

「アルコール、また作んないとなー」

マスク用に使っていた手拭を濯いで顔を拭く。
集中してたから汗でベタベタで。

「作るったって原料が無きゃさー・・」

と小夜が答えかけたところに、

「ああ、此処さ居だ」

勝手口から顔を出したのは、近頃ちょくちょく病院に応援に来てくれてる町医者の酒井先生。
いつもニコニコ笑っているような顔付きで、人懐こくて腰が低くて人当たりの優しい人。
額兵隊付きの医師で箱館病院の医師でもある伊東先生のお友達(訛りが一緒なのでたぶん同郷)。

額の汗を拭う洗い晒しの藍木綿の作務衣の袖や胸元に、黒っぽい血の染みが転々と散っている。

「分院の方は大丈夫なんですか?私等手伝いに行きます?」

小夜のその問いに首を振り、

「いや、それは大丈夫。それより院長がこれを」

封書を差し出した。

「大町の萬屋(よろずや)さんさこの手紙と薬を届けて欲しいとことづけがあって。病院からはもう薬は出せねぇので途中で薬を預かって行って下さいと。場所は・・・」

「待ってください。大町の萬屋さんって?」

副長の宿舎だ!と思い当たり、聞き返したのは私だった。

「ああ、んだ。土方先生が戻って来たそうで。二股口方面は夕べのうちに撤退したそうです」

言われて初めて気が付いた。
敵軍の2つの行軍ルートのうち、海沿いの矢不来が敵の手に落ちたなら、副長の守る内陸ルートも手を引かなければ孤立してしまうんだ。と。

勝ち続けていると聞いていたのに。
副長の持ち場を放棄しなければならない悔しさはどれほどのものなのか。

それからハッとして小夜を見やる。
頬を強張らせ何か迷っているように見えたのは一瞬のこと、すぐに、

「薬を調達してから行けってことね?場所はどこ?」

先程とは顔色が変わっている。

「旅籠町です。行ったり来たりになってしまいますがすぐそこなので。これは処方箋と・・・」

手紙と処方箋、それから薬屋の場所を示したらしい地図書きを受け取るのももどかしそうに、

「薬って何?」

と問うたのへ、

「痛み止めです」

小夜も私も息を飲んだ。
それに気付いたのか、酒井先生が眉を下げて、

「ああ、安心してください。負傷はしてねぇと聞きました」

「負傷してないのに痛み止め?」

と思わず聞くと、

「凌雲先生が念のためと考えて五稜郭から申し寄越したんでしょ。つまりご本人の要望ではないってこと」

副長は昨年の宇都宮城での戦いで、左足の先(中指と薬指の根元の辺り)に銃弾を受け、その傷を会津で湯治をしながら治したと聞いた。
だがその傷の影響で、その後の蝦夷地上陸戦と松前江差での戦闘では凍傷にかかってしまって・・・。

なのでおそらくは五稜郭に収容された負傷者を診ていた高松先生が副長の後遺症を心配して、ということなのだろうが、

「副長・・土方先生は五稜郭には留まらず宿舎に戻ったってことですか?」

本営に事情説明してさっさと帰って来たってことか。
もしくは榎本総裁あたりに休めと言われて来たとか。

「そのようです。これを持って来た従者の方の話し振りだと、五稜郭に帰陣されて幹部の方々と会合の後、称名寺の屯所さ寄って今後について指示下され、それから暫時休養を取ると御自身で申し出られて宿舎へ収まったということの様です」

高松院長は五稜郭で副長を診たんだな。
その上での投薬指示か。
しかも自分から休養宣言したってことは。

・・・嫌な予感がした。

僅かの間ながら病院で日々負傷者の治療を目にしていれば薄々判ることだが、

「痛み止めの薬って・・・」

「阿片です」

ズバリと返されて(予測が当たっていたにも関わらず)ドキリとした。
しかしさすがに相手は蘭医だ。
毛ほどの特別感も無い様子で、

「正式にはアヘンチンキというものです。麻薬などでなく歴とした薬ですけれども、服用にはくれぐれも気をつけねばなりません。間違いの無いよう、用法をちゃんと聞いて、ちゃんと患者に教えて」

そこで何故かにっこりと微笑んで、

「投薬した後もちゃんと監視して下さいよ?」

その時はまだ何を言っているのかピンと来てなかったけど、何か違和感。

「病院の先生方はこの忙しさですし、ロシア病院さもそうそう頼ることも出来ず、私もお役に立てません」

彼は去年ロシア正教に入信したとかで、ロシア病院とは懇意と聞く。
ロシア領事館に併設されたロシア病院は無償で病人を診てくれるので庶民(貧民)の味方的存在だった。
ただ、今は箱館から外国人が強制退去させられてるので閉院してるのかもしれない。
それまでは箱館病院にも薬の融通をしてくれたこともあったみたいだけど。

「せめてこちらの留守番を務めさせて頂きますので、お使いはあなた様方に頼みます。よろしくお願いしましたよ?」

無精髭の伸びた顎の下に、拭い残した血飛沫を見つけてしまったけど(怖)、笑顔が優しくって恐縮する。

「でも私等二人一緒に抜けちゃって大丈夫ですか?取り敢えず負傷兵の皆さんの傷の手入れは済ませておきましたし、火傷の皆さんの処置は山ノ上町の女の人達にお願いしてあるので。食事の支度とか、汚れ物の洗濯とかも」

「ああ、それはありがでぇ。今日は私がこちらを診るので大丈夫ですので。分院の方も落ち着き次第、誰かしら戻って来っことになってますし、夕方には五稜郭から凌雲先生が戻られると思いますので」

何故か嬉しそう。
三日月目になってる。
もしかして照れ笑い?

「お姐さん方は毎日同じ人が来てくれる訳ではないので。あの人達結構気まぐれだし気を付けてください。あと治療器具や包帯用の晒なんかの煮沸消毒はまだ全然教えてないのでお願いします」

「はい。判りました」

終いにはクスクス笑い出した。
徹夜明けでヘロヘロなのかも?
疲れてると体から力が抜けて顔の筋肉が緩みがちになることって有るよね?

「もう、そんなに心配なら幸は病院に居て良いよ!私行くからね!」

のんびりしたやり取りに痺れを切らした小夜が庭履きのまま玄関まで廊下を突っ切りそうな勢いで飛び出そうとするのへ、

「ああ、ちょっと待って。これをお渡ししなければならねがった」

そう言って酒井先生が懐から取り出したのは、金色な長方形の、

「一分金?」

「あの人方は掛け払いには応じてくれませんので。しかもコガネじゃねーと相手にされね。手強いですよ?」



小夜がこんなに食い付くとは正直思っていなかった。

おゆうさんのために副長を連れ戻すんだと言って、苦労して蝦夷地に渡って来たのに、箱館に来てからは何故か急に熱が冷めたようになっちゃって。
まあ、理由は・・・判る気はしたけど。
ここでは副長の周りに人が多すぎて、容易に近づけないってことも有るし。

それでも何か意識的に距離を取っているような、ずっと遠巻きに見てるような何か煮え切らない様子で。
その分、お茶屋でバイトしてみたり異人さんと遊んでみたり、他のことで気を紛らわしているような。
見ている方が気が揉めてた。

たぶんもう、何カ月も言葉を交わしていないんじゃないかと思う。
それでも心の中でずっと気になっているのは確かで、副長が南部の宮古まで軍艦に乗って行ったと聞いた時にはかなり動揺していたのが(本人は隠してつもりらしかったけど)容易に判った。

それからずっと、何か考え込んでる風で。
聞いても言わない。
言いたくないなら、と聞かずに居たが。
それが、あんなことになろうとは。



「こんなとこに薬屋なんてあったっけ?」

西日を遮るように目の前にかざしたメモ書きを見ながら、小夜が眉間に皺を寄せてる。
確かに薬種問屋なら大町辺り、小さい店なら大黒町とか地蔵町とかにも在ったと思うけど、こんな街外れに薬を扱う店なんて在ったかなぁ。
しかも、

「みんな閉まってるし!」

通りの両側に宿屋が並ぶ、その名も旅籠町。
病院からは歩いて1分無いかも。
緩い坂道を下って3分も歩けば北の外れの魚見坂。
東に視線を巡らすと、目の前の巴湾には・・・黒船(軍艦)がいっぱい浮かんでる(汗)。
北に目を凝らせば対岸の矢不来から上磯辺りの山並みもはっきり見え、岸にへばりつくように溜まっているのは西軍の艦船なんだろう。
煙突から煙が出てるのも居るし。

つーか、今にも攻撃して来そうな敵艦が毎日目の前に見えてるってどんな状況だよ。
プレッシャー半端ないわ(呆)。
こんな状況で生活出来てる事が信じられない。

弁天台場の手前の小さな入り江に結構な数の小舟が溜まっているのが見える。
2、3日前まで天気の良い日は毎日漁に出ていて、病院からもしょっちゅう買い出しに来ていた。
予算乏しい中、新鮮な小魚を安価で手に入れられて助かってた。
山ノ上町のお茶屋やら旅籠からの仕入れ人とか、近辺の家々からも日々の肴を買い出しに来ていて結構賑わってたんだけどな。
いよいよ漁が出来なくなってみんなどこかへ避難しちゃったみたいで、出歩く人もまばら。
弁天台場と山背泊の台場に挟まれてるような立地だから、海戦が始まったなら敵艦からの攻撃に巻き込まれるのは目に見えてるし仕方ない。

魚見坂下、神明社の方向に目を向ければ、一昨日の火事の焼け跡が生々しく広がっていて。
まだ少し、風に乗って焼け焦げた臭いが漂って来てる。

そうか。
これもあってこの辺りの人達みんなどっかへ避難したってことか。
病院も危なかったなー。

メモ書きと照らし合わせつつ、石コロ葺き(って名前かどうか判らないけど、箱館の民家や商家はみんなコレ)の、軒の低い二階家を端から数えて行く・・・のかと思ったら。

「ここだ!この端っこの店」

北東(巴湾)向きの角店。
北西(箱館湾)側と2方向から風に晒されているせいか外壁が灰色に風化してる。
燃えやすそう(コラ)。
一昨日はここもだいぶヤバかったんじゃないの?
しっかし箱館の火事って風任せだよなぁ。
風次第の運任せ?

「どう見ても薬屋じゃないなコレ」

普通に宿屋だ。
二階家だけど、あまり大きい店ではなく木賃宿って感じの。

もともとここら辺は北前船の船員が宿泊するための宿が集まってるエリアみたいで、リーズナブルな宿ばかりなのも茶屋町に近いのも、すぐ裏の山手にも新地っていう遊女屋街があるのも、この時期客が居ないのもそんな訳。
そういえば、病院に入院患者が溢れたらこの界隈に移すかって医師達が話しているのを聞いたことがある。
病院から近いし寝具も有るしv

周りの宿もほとんど全部そうだけど、窓という窓には全て雨戸が立ててあって、入口も板戸が閉めてある。
無論人気も無い。

「誰か居ませんかー?」

小夜が大きな声で叫びながら、覗き込める隙間は無いかと探してるが。

誰も居ないな。空振りだ。
他の薬屋にあたった方が良いと小夜に声を掛けようとした時、二階から微かに物音がした。
見上げた瞬間、雨戸の隙間に黒い影が動いたのが見えた。

「居るな。誰か居る」

「すいませーん!病院から来たんですけどー!」

小夜が戸を叩き始める。

「開けて下さい。薬を分けてもらいに来たんです!怪しい者じゃありません」

避難せずに家に残っている者が居る。
見つかると咎められると思って隠れてるのかもしれない。
なので、ガタっと音がして板戸がスーッと開き始めたのを見て安心したと同時に、ああそういうことかと思い当たった。

全開になると思っていた戸はほんの5センチ程しか開けられず、勢い込んで前のめりになってた小夜は板戸に体当たりしそうになって、

「うぉっ!あぶねっ。ちょっと何」

と言いながら、中を覗き込み、

「暗くて見えないよ。ちゃんと開けてよー」

って言ってるんだけど。

「小夜!上!上見て上!」

後から見てたからすぐ判ったけど、板戸の向こうから長身の人物が小夜のこと見下ろしてたんだよね(たぶん)。
背の高さに軒の低さが相まって、鴨居に隠れて顔が良く見えない。
黒っぽい着物を着てるらしく、隙間から覗いたぐらいじゃ小夜には何だか判らなかったのかも。

相手のデカさに反射的に刀の柄に手をやってしまって・・・やべっ!患者の処置の邪魔だからって刀外して薬品室に置いたまま来ちゃった!と焦る間に、

「んぎゃっ」

暗いと思って覗き込んでいたものが相手の着ている物だと判って(笑)驚いた小夜が飛び退って抱きついて来た。

「やだ!何よアレ!」

ビビる彼女の変顔が可笑しくて、ごめん、ちょっと笑いそうになった。

見れば戸の隙間から手が出てる。
指先だけ。
おそらく5センチでは掌全部は出せなくて。

「小夜、処方箋。渡して早く」

「えー?大丈夫?顔も見えないし何も言わないし変じゃない?」

確かに怪しいことは怪しい。
でも確信は有った。
正規の薬屋じゃないって。

公には出来ない薬の売買なんだろうと見当がついたんだ。
つまり相手も警戒してる。
こちらの用向きを明らかにしないと協力してくれないかもしれない。
戸を開けてくれたのは、さっき小夜が「病院から来た」と言ったからだと思う。
だって本当に怪しい危ない人物ならば酒井先生が私等を使いに寄越す訳が無いしね。

恐る恐る懐から出した紙片を戸の隙間に差し入れる・・・か否かという速さで、ピシャリと戸が閉められて、小夜が首をすくめた。

「うわ!何よちょっとぉ失礼ね!びっくりするでしょ!手ェ挟んだらどうすんのよ!」

って吠えてるのをまあまあと宥めて待つこと数分。
すーっと戸が、今度は全開になり、無言のうちに手招きされた。

先に入って行こうとする小夜を押し留め、自分が入る。
一応、先にね。

実はこの時ちょっと気になったことがあって。
相手の手招きの仕方に違和感が有ったんだ。
なので、無意識に脇差の柄元を左手で握って敷居を跨いだと思う。

そして閉めっきりで薄暗い土間に入って相手を見上げる瞬間、違和感の正体に気付いた。
手招きの掌が上向きだったって。

つまりこの人、日本人じゃない。


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