もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。
・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。
・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室
ご笑覧下されば幸いです。
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・但し最新作は先頭に。
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「あの男は照葉と言う女に惚れてるわけではねぇぞ」
私が火鉢の側に戻ると、彼は唐突に話し出した。
傍らの炭入れから火箸で炭を注いでいる。
炭の置く場所を神経質そうに微調整している。
あの男とはもちろん沖田さんの事だろう。
「判ってる」
と答えると、意外だったのか目を上げた。
重そうな二重瞼が余計眠そうに見える。
「最初からそう思ってた。単なる同情かもしれないって」
女の子的には恋愛至上主義で動きたかったけどね。
好きな女性のために、というのが動機だと素敵だったんだけどさ。
現実はそうじゃなかったな
好きな女の人に対してあんな冷静な分別が出来るか普通(怒)。
「でもそれでも良かったの。だって沖田さんがテルちゃんをあそこから出してあげたかったってのは事実だもの」
暗く湿った納戸の中の光景が目に浮かぶ。
大丈夫、私には伝染らない、・・・と言った沖田さんの言葉も。
「沖田さんがそう思うんだったら、何でも叶えてあげたいじゃない。そうでしょ?」
ああだめだ。
昨日から泣きっ放しで涙腺が決壊したまま復旧の見通しつかず。
「照葉さんを帰すっていうのだって、それは周りの迷惑を考えたからであって、それがなければ帰そうなんて思わなかったはずだもの。そんな分別、哀しいだけだし」
顎の先から滴った涙で、火鉢の灰にボトボトと小さなクレーターが出来た。
手拭を探して、顔を覆った。
「いつかはバレるから・・・って沖田さんが言ったの。いつかはバレるから、隠し通すことは出来ないから、だからせめて今は黙っててくれって。だから私、出来るだけ長く黙っていようと思ったの」
土方さんは何も言わない。
「黙ってるのは辛かったけど、こんなこと知ったら幸は・・・。私でさえ辛いんだもの、私よりもっと沖田さんと親しい人達がこんなこと知ったら、もっともっと辛いに決まってる。沖田さんだって辛いに決まってるもん。そうでしょ?」
泣き声が出たついでにちょっと泣く。
でないと胸がいっぱいで喋れない。
隣で煙草を吸いつける気配がした。
冷静に聞いててくれるのが助かる。
「でもそれじゃあ沖田さんの体が心配だった。ちゃんとお医者に診て貰わなくちゃ。周りに隠すために治療も出来ないんじゃ病気が悪くなっちゃう」
「だから照葉を使ったと言うのか」
さすがに察しがいい。
「そう。だって沖田さん、テルちゃんと引き離された時、そのままお医者にかかるのやめようとしたんだよ?そんなことさせられないでしょ?テルちゃんにお医者を呼ぶなら誰も変に思わないし、そのためには休息所を持つのが一番都合が良いと思って。女の人と一緒なら幸も遠慮するし、二人きりにできる。そこにお医者を呼べば良い」
しばし間があって、煙草の煙と共に、
「そうか。・・・考えたな」
お前にしては、と言外に聞こえた。
バカにしやがって。
「私だって一生懸命考えた・・・っ」
ブーたれて手拭から顔を上げると、
煙管をくわえた口元が微笑っている。
苦笑っていうか・・・。
それは機嫌が直ったってことなの?
「それで相談なんだけど」
「急だな」
反射的に眉間にシワを寄せた。
煙管を灰吹きに叩く。
「もう言いたいことは判るでしょ?」
「昨日聞いた」
煙草入れから再び刻みを詰めている。
見覚えのある、青い蝦夷錦の煙草入れ。
山崎さんから返されたらしい。
「状況が変わったんだ、総司を・・・沖田を医者に診せるのにその女は要らん」
・・・うそ。
沖田さんが不治の病と判れば、きっと協力してくれると思ったのに!
そんなことって・・・!
「で・・でっででも!・・」
予想外の展開に上手い理屈が出て来ない。
パニくっている私を他所に、土方さんは火鉢から煙草にスパスパと火をつけ、自分の口元から立ち上る煙に顔をしかめ、
「だが・・山崎が勝手な真似しやがって・・」
え?
「面白そうだから交渉させてくれと言い出して、女を借りに行ったぜ」
ええっ?!
「お前、ヤツに何か入れ知恵したろう?」
えええっ?
「一日一分(=1/4両)に値切るそうだ」
ええええ・・・!!
「しかもそこから薬代を差し引いて、飯は島原の料理屋から運ばせるとさ」
えええええ!!!!!
「おまけに看護人を交代で出させてその手当も向こう持ちと来た。店は赤字だ。ざまあみろ」
煙を吐きながら愉快げに破顔している。
・・・それって単にアンタの負けん気の問題じゃあ・・・(--;
というツッコミは置いといて!
「それ、ほんとなのね?テルちゃんを連れて来るって事なのね?」
私はもう目がハート状態(爆)。
土方さんが(びびって?)顔をしかめたくらい。
「間違えるな。山崎が勝手にやったことだからな。俺は知らん。知らんが首尾は報告に来る」
ここへ来ると言うことか・・・!
!!!!!!!!!!!!!!!!!
やった!!
「ありがとう・・!」
余りにも嬉しくて舞い上がっちゃって、その後一瞬記憶が無い(爆)。
「よせ馬鹿!」
と怒鳴られて、長火鉢の縁に置いた湯呑みをひっくり返し、ひと騒ぎしたのを覚えているぐらいだ。
フクチョーをぎゅうぎゅう抱きしめて引掻かれそうになったことぐらい・・・。
でも、歓びは持続しなかった。
ひとしきり歓んだらすっかり気が抜けてしまい・・・。
畳にぺったり座り込んで涙が滝のように流れて来たけど、それがどういう涙なのか自分でも良く判らなかった。
最初は嬉し涙のはずだったんだけど・・・。
一緒に歓んで欲しい人は今、私の側には居ない。
捨てられた子供みたいに、いくらでも涙が出た。
ゆきぃ・・・。
頭の中で叫び声がぐるぐる回っていた。
雨が降っているから傘を差す。
それぐらいの理性は働いたんだな。
理性っていうか、条件反射か。
途中で気付いてびっくりしたよ。
そう、途中だ。
「ヤツは労咳だ」
と聞いてから後、西本願寺前の堀川通りで、立派な駕籠が五条通り方向に上って行くのを見かけるまでの間、どうも記憶が飛んでいる。
我ながらいっぱいいっぱいだったんだな(苦笑)。
駕籠は安普請の町駕籠ではなく、網代の囲いに塗りの屋根の付いた立派な物で、明らかに高位の人物を乗せているのだと思われた。
駕篭かきも奴姿だ。
もしそれが沖田さんを診た医者だとするなら、余程名の通った医者なんだろう。
傘を打つ雨音の中、“まさか”という期待が押し潰れて行く。
もとより、副長が冗談で沖田さんを労咳だなどと言う訳も無く、事実を本人に確認したいという私の想いも、ただの悪あがきに過ぎないことは判っているのだが。
沖田さんが労咳だなんて、俄かには信じられない。
確かに時折咳をすることはあっても、何も変わった様子は無かった。
そんな人が。
あとどれくらい生きられるのだろう?
年寄りと呼ばれるまでは無理だとしても、あとどれくらい?
十年?五年?
それとももっと短いのか。
屯所の歩哨には知らぬ顔が立っていた。
顔パスは無理なので、
「鬼丸と言います。土方副長の用向きで来ました」
「鬼丸?知らんな」
若い門番は蓑をガサガサ鳴らし、かぶった笠を持ち上げてこちらの傘の下から不躾に覗き込んで来る。
挙句に、
「なんや、お前女か」
驚きと安堵と侮蔑と怒りを一緒くたに吐き出した。
「ええそうです」
それを、全部認める。
毎度の事だ。
そういう反応は予測済みなんである。
腹立たしいわけでもない。
彼等のそういう反応を理解できるぐらいは、こちらも既に男の感覚に近くなっていた。
ただ、
「女が男の姿なんぞしおって・・・」
という反発行動に付き合うのが面倒なだけだ。
なので、
「・・・おい!」
と、もうひとりの門番が相棒の腕を引いてくれたのは助かった。
仲間同士でこそこそと耳打ちしている。
「どうぞ」
と、道を開けられ、会釈して通る傘の中に、
「あれが例の・・。へー、初めて見たわ」
という、呟きと、シっとそれをたしなめる声が低く響いた。
例の、に続く言葉は何通りかある。
曰く『副長の飼い犬』、『副長室のお庭番』。
このところ副長の私室周りをうろついてることが多かったのでそんなあだ名を頂いたらしい。
ま、どっちも結構気に入ってはいるんだけど、でも『副長のイロ』という有難くないものもあるのも確か。
私が女だと思うとどうしてもそっち方面でくっつけたがるんだよね。
上司のプライベートに口さがないのは男も女も関係無い。
他にも『番外隊士』だの『女監察』だの『幹部付き御用聞き』だの。
まあ、言いたいように言われてはいる。
おしなべて好意的な呼び名ではない。
小姓職を差し置いて、直々に雑用を言い付けられるのを目の当たりにすれば、彼等としては面白くないんだろう。
でも言い付かるのはホントに雑用なんだけどさ。
「おい、鼻紙買って来い」
とかさ。
それが時に煙草だったり筆だったり、洗濯屋への使いだったり花街への文だったりするだけだ。
回廊の欄干のところから身を乗り出して、下から見上げる私に小銭を放ってよこす。
その様子は鯉に餌をやってるみたいで。
いっそ『副長室の池の鯉』ってのがいいんじゃないか?(自爆)
彼はそういう、純然たる私用に小姓を使うようなことはしない。
小姓職は飽くまで新選組の仕事絡みの時にだけ使ってる感じだ。
もちろん、買い物ついでに市内を回って来いという暗黙の指令は有るんだけどさ。
ざくざくと玉砂利を踏む自分の足音ばかりが傘の内で耳につく。
雨降りで、誰も境内に出ていないのはラッキーだった。
副長室の縁の下へダイレクトに入れる。
知り合いに声をかけられたり、逆に反感を持つ者に白い目を向けられたり。
それに答えたり無視したりするのも、こんな日には面倒なだけだから。
門番の片割れが私の正体を知っていた訳は程なく判った。
屯所である北集会所の軒下に入って、傘を閉じようとした時に気がついたのだ。
借りた傘は副長の私物だった。
濃紺に白丸の蛇の目傘。
・・・派手だ(汗)。
どう見ても遊び人風(--;
普通の、武士と呼ばれる人達なら絶対使わないよ、これ。
目立つったら。
あの人の趣味ってイマイチ変わってるよなぁ。
っていうかそれにも気付かず、ここまで差して来た自分っていうのもどうよ(爆)。
寺の建物は高床式と言ってもいいぐらいな物で、回廊の下は人が屈んで入れるぐらい空いている。
こんな雨の日も床下の地面は腰を下ろしても濡れないぐらいには乾いていた。
夏の日差しも遮られるし、風は通るし、昼寝するにはもってこいだ。
冬場は寒くて居られないけどね。
まあ3シーズンは大丈夫。
特別用事でも無ければ毎日、日に何度かはここで時間を過ごす。
ひとりになれるのがいい。
職員室の窓の下、みたいな雰囲気だからめったに誰も寄っては来ない。
用事が有れば上から声がかかるし、無ければまた、人ごみに紛れに出る。
そういう意味では『飼い犬』というより野良犬(の巡回・笑)に近い。
頭上の部屋はしんとしている。
医者が出て行ったなら、沖田さんはもうここには居ないんだろう。
ていうか立ち会ったであろう局長も。
きっと医者を見送って、後は自室に帰ったか、局長に恨み言でも言われているか・・・。
昨日、小夜の状態が落ち着くのを見届けて屯所へ戻る山崎さんが、出がけに言っていたことを思い出した。
「沖田先生は夏風邪こじらしたとか。先刻幸はんが出たあとで酷く咳き込んどられましたが、あんなことは良くあるンでっしゃろか?」
「ええ。風邪を引いたのは照葉さんと知り合う・・・だいぶ前ですから、病気が伝染ったというのじゃないと思いますよ?」
きっとそれを心配しているんだと思ったのでそう答えた。
すると彼は笑って、
「ああ、そうですな。で、近頃幸はんはずっと照葉さんの看病についてらした?」
「ええ、そうですけど。私はぜんぜん大丈夫です。小夜も」
それは宜しい、とニコニコ帰って行ったけど。
あれはさぐりを入れていたんだな、と今更思い当たる。
このひと月程の間、私は沖田さんと行動を共にすることは無かった。
彼が島原に入り浸るようになるまでは、暇をみつけては金魚のフンのようにくっついていたというのに。
つまりこのひと月、彼の体調の変化に気付く程、彼の近くには誰も居なかったということで・・・。
うまく騙されたな、と思った。
と言うより、うまく離されたってことか。
気付かせないために側から離されたんだ。
照葉さんの世話を担うことさえ、その理由になったわけだ。
彼女に夢中になったふりをして島原に通い詰めになったのも、私を振り払うのが狙いだったのか・・?
何時からだ?
夏風邪などと言って咳をし始めたのはいったい何時からだった?
山崎さんが居ない穴を埋めるべく、副長が私を使い出したのは何時からだっけ?
それに時間を取られて、金魚のフンの役にも立たなくなってしまったのは?
雨が強さを増したようだ。
周りの景色が雨にぼやけて見える。
湿った空気がまとわりつく。
「正しいかどうかなんて問題じゃない」
「本来ならこの人が言うべきわがままなのよ」
頭の中に小夜の言葉が蘇る。
彼女は知っていた。
それで辻褄が合う。
全て説明がつく。
この二、三日の狂乱ぶりが全て。
「どうして・・・」
雨音のカーテンの中で呟いてみる。
他でもない沖田さんの事であれば、私が先に知りたかった・・。
どうして、小夜だったんだろう。
どうして私は気付かなかったんだろう。
どうして・・・私じゃないんだろう。
軒下で、雨垂れが地面に開けた小さな水溜りの列が、それぞれに飛沫を放っている。
それをぼんやり眺めながら、絶望的な疲労感が肩にのしかかって来るのをどうすることも出来ない。
私はいったい何をしていたのか。
騙されていたのではあるけれど。
それは彼等の(小夜と沖田さんの)立場ならば当然の成行きなのだろうけど。
その企みにまんまとはまってしまったのは私自身の迂闊さのなせる業で。
おかしい・・・と思ってたじゃないか。
いったい小夜はどうしてしまったんだ?と。
狂ってしまったのか?と。
あれほど思っていたのに。
小夜はそんな子じゃないと判っていたのに。
わがままではあるけれど、あんな風に理不尽に無理を通すような人間じゃない。
それを何故、追求もせずに見逃そうとしたのか。
「目くらましが効いたな・・・」
照葉さんだ。
あれに騙された。
いや、彼女に騙す気などは無いのだから、私が勝手に騙されたんだ。
そうだ。
私が悪い。
何も気付かなかった。
小夜の人道主義を鵜呑みにした。
「ちぇっ・・」
舌打ちが、縁の下に響く。
「ああ見えて大したタヌキじゃんか」
まんまとしてやられたさ。
あんな・・・へたっぴぃな芝居に、まんまと。
ヒステリーかましやがって。
泣き喚いて。
自家中毒で倒れるぐらいに・・・ぎりぎりまでひとりで突っ張って。
でも結局周りを巻き込んで大騒ぎになるんだ、いつも。
そうさ、いつもだ。
何やってるんだか・・・。
まったく、ひとりで何やってるんだよ!
腹立たしさが胸につかえて苦しかった。
でもその腹立たしさが小夜に対してのものなのか、・・・自分に対してのものなのか判然としない。
・・・いや、判然としないのではなくてさせたくないのだと、薄々気付いてる。
それを認めたくない自分が居る。
蚊帳の外にされたことに腹が立っているのだと・・・思い込みたかった。
でもそれは違う。
蚊帳の中に入ろうと思えば入れたのだ。
中を見るのが怖かっただけだ。
はっきり意識はしなかったものの、異変を察知しながら、そこに何かとてつもないものが待っている気がして、本能的に目を背けていただけなんだ。
小夜が私に隠し事をするなんて、余程の事に決まっているもの。
しかも・・・そう思うのもなんだか気が引けていて。
彼女にとって自分はそんな大それた存在じゃない、と。
隠し事されるなんてそんなに驚くようなことじゃない、と。
だからたぶん、大したことないさ、と。
ヒステリーだってわがままの延長さ。
何か気に障るとこでもあって、キーキー騒いでいるだけだ・・・。
そう思い込んで。
意識的にそう思い込もうとして・・・きっと逃げていた。
目の前に現れた異変のサインを、故意に見逃した。
口にこそ出さなかったけれど、小夜は必死にSOSを発していたじゃないか。
なのに私はなんだ。
何してたんだ。
「ちくしょう・・・」
気付かぬふりをしたのはたぶん、相手の気持ちに踏み込むことに迷いが有ったからだ。
言わぬことなら訊かずに置くのがいい、と。
それがいつもの自分のやり方ではあるのだったが、結果的にはただただ見て見ぬふりをしていただけに過ぎず。
頼って来ない小夜に苛立ちを覚えながら、その理由を追求しようとはしなかった。
なぜだ。
怖かったのか?
なにが?
確かに、でしゃばりとも思えるような行動を取る小夜に、ついていけないと思う自分は居た。
もういい加減にしろよと思いながら、それを指摘することもできなくて。
上っ面だけ付き合ってたんだ。
冷たいと思われるのが怖かったから。
周りにでしゃばりと思われるのも嫌で、小夜に冷たい人間と思われるのも嫌で、上っ面だけ適当に取り繕ってた。
最低だな。
自分自身に唾したいぐらいだ。
「ああもうっ!くそっ!」
結髪を抱え込んで(小声で)叫んだら、
「お前さぁ、いったい誰と話してんだ?」
突然頭の上から声が降って来た。
驚いて立ち上がったら床材に思いきり頭を打ってしまう。
痛くて声が出ない。
「縁の下にタヌキなんて居たかい?」
何時からそこに居たんだろう?
ぶつけた頭を押さえつつ縁の下から出て見上げると、講武所風の月代もくっきりと、爽やかな笑顔の沖田さん。
回廊の欄干から身を乗り出して見下ろしている。
「なんだ、また頭ぶつけたのかい?存外おっちょこちょいなヤツだね」
普段通りの軽い口調で、笑顔もいつもの気の抜けたようなファニーフェイスだ。
この人が労咳だなんて信じられない。
手の込んだドッキリじゃないのか?
頭に手をやったまま言葉の出てこない私の様子に、彼は視線を逸らしながら、
「土方さん・・・副長から聞いて来たんだろ?黙ってて悪かったよ」
男の子っぽくぶっきらぼうに、照れたようにそう言った。
まるで雨の音にかき消されないうちに、大事なところだけでも早く言ってしまおうとでも思っているようで。
そんな子供じみたところも、私は好きで。
どうしてこの人が、不治の病なんかにならなくちゃいけないんだろう。
「・・・居たんですか」
胸が詰まって来るのを飲み下しながらそう言うと、
「今朝から局長に絞られちまってさァ。あの人、感極まると泣きが入るだろ?副長が途中から逃げ出しちまって・・。ようやく解放されたと思ったら、騒ぎになるからしばらく自室に戻るなってお達しでさ。ところで小夜さんは?まだ具合は良くないのかぃ?」
昨日、倒れた小夜を山崎さんに託して、副長はこの人をここへ連れ帰った。
それを心配していた。
「もうすっかり・・。副長が一緒に居てくれてるので・・・」
「あの人には悪いことしちまったな。苦しい立場に追い込んじまった。お前、まさか自分に黙ってたからって小夜さんを恨むなんてことしないだろうね?あの人が事情を知っちまったのは偶然なんだ。恨むんなら私を恨みなさいよぉ?」
冗談めかして語尾は明るかったけれど。
どうして自分が先じゃないんだと考えていたのを見透かされたようだった。
恥じ入った。
自分の小ささを指摘されたようで。
「はい。判ってます」
目を合わせられない。
「判ってんのかい?」
聞き返す沖田さんの声音は、確かめるような軽いものではなく、念を押すような重さがあった。
「判ってます」
まっすぐ見返して返事をすると、彼は安堵したようにひとつ、ため息をついた。
「そか。まぁ、さっきから縁の下でなにやらぐずぐず言ってたようだからなー」
にやにや笑っている。
やっぱり聞いてやがった。
私が火鉢の側に戻ると、彼は唐突に話し出した。
傍らの炭入れから火箸で炭を注いでいる。
炭の置く場所を神経質そうに微調整している。
あの男とはもちろん沖田さんの事だろう。
「判ってる」
と答えると、意外だったのか目を上げた。
重そうな二重瞼が余計眠そうに見える。
「最初からそう思ってた。単なる同情かもしれないって」
女の子的には恋愛至上主義で動きたかったけどね。
好きな女性のために、というのが動機だと素敵だったんだけどさ。
現実はそうじゃなかったな
好きな女の人に対してあんな冷静な分別が出来るか普通(怒)。
「でもそれでも良かったの。だって沖田さんがテルちゃんをあそこから出してあげたかったってのは事実だもの」
暗く湿った納戸の中の光景が目に浮かぶ。
大丈夫、私には伝染らない、・・・と言った沖田さんの言葉も。
「沖田さんがそう思うんだったら、何でも叶えてあげたいじゃない。そうでしょ?」
ああだめだ。
昨日から泣きっ放しで涙腺が決壊したまま復旧の見通しつかず。
「照葉さんを帰すっていうのだって、それは周りの迷惑を考えたからであって、それがなければ帰そうなんて思わなかったはずだもの。そんな分別、哀しいだけだし」
顎の先から滴った涙で、火鉢の灰にボトボトと小さなクレーターが出来た。
手拭を探して、顔を覆った。
「いつかはバレるから・・・って沖田さんが言ったの。いつかはバレるから、隠し通すことは出来ないから、だからせめて今は黙っててくれって。だから私、出来るだけ長く黙っていようと思ったの」
土方さんは何も言わない。
「黙ってるのは辛かったけど、こんなこと知ったら幸は・・・。私でさえ辛いんだもの、私よりもっと沖田さんと親しい人達がこんなこと知ったら、もっともっと辛いに決まってる。沖田さんだって辛いに決まってるもん。そうでしょ?」
泣き声が出たついでにちょっと泣く。
でないと胸がいっぱいで喋れない。
隣で煙草を吸いつける気配がした。
冷静に聞いててくれるのが助かる。
「でもそれじゃあ沖田さんの体が心配だった。ちゃんとお医者に診て貰わなくちゃ。周りに隠すために治療も出来ないんじゃ病気が悪くなっちゃう」
「だから照葉を使ったと言うのか」
さすがに察しがいい。
「そう。だって沖田さん、テルちゃんと引き離された時、そのままお医者にかかるのやめようとしたんだよ?そんなことさせられないでしょ?テルちゃんにお医者を呼ぶなら誰も変に思わないし、そのためには休息所を持つのが一番都合が良いと思って。女の人と一緒なら幸も遠慮するし、二人きりにできる。そこにお医者を呼べば良い」
しばし間があって、煙草の煙と共に、
「そうか。・・・考えたな」
お前にしては、と言外に聞こえた。
バカにしやがって。
「私だって一生懸命考えた・・・っ」
ブーたれて手拭から顔を上げると、
煙管をくわえた口元が微笑っている。
苦笑っていうか・・・。
それは機嫌が直ったってことなの?
「それで相談なんだけど」
「急だな」
反射的に眉間にシワを寄せた。
煙管を灰吹きに叩く。
「もう言いたいことは判るでしょ?」
「昨日聞いた」
煙草入れから再び刻みを詰めている。
見覚えのある、青い蝦夷錦の煙草入れ。
山崎さんから返されたらしい。
「状況が変わったんだ、総司を・・・沖田を医者に診せるのにその女は要らん」
・・・うそ。
沖田さんが不治の病と判れば、きっと協力してくれると思ったのに!
そんなことって・・・!
「で・・でっででも!・・」
予想外の展開に上手い理屈が出て来ない。
パニくっている私を他所に、土方さんは火鉢から煙草にスパスパと火をつけ、自分の口元から立ち上る煙に顔をしかめ、
「だが・・山崎が勝手な真似しやがって・・」
え?
「面白そうだから交渉させてくれと言い出して、女を借りに行ったぜ」
ええっ?!
「お前、ヤツに何か入れ知恵したろう?」
えええっ?
「一日一分(=1/4両)に値切るそうだ」
ええええ・・・!!
「しかもそこから薬代を差し引いて、飯は島原の料理屋から運ばせるとさ」
えええええ!!!!!
「おまけに看護人を交代で出させてその手当も向こう持ちと来た。店は赤字だ。ざまあみろ」
煙を吐きながら愉快げに破顔している。
・・・それって単にアンタの負けん気の問題じゃあ・・・(--;
というツッコミは置いといて!
「それ、ほんとなのね?テルちゃんを連れて来るって事なのね?」
私はもう目がハート状態(爆)。
土方さんが(びびって?)顔をしかめたくらい。
「間違えるな。山崎が勝手にやったことだからな。俺は知らん。知らんが首尾は報告に来る」
ここへ来ると言うことか・・・!
!!!!!!!!!!!!!!!!!
やった!!
「ありがとう・・!」
余りにも嬉しくて舞い上がっちゃって、その後一瞬記憶が無い(爆)。
「よせ馬鹿!」
と怒鳴られて、長火鉢の縁に置いた湯呑みをひっくり返し、ひと騒ぎしたのを覚えているぐらいだ。
フクチョーをぎゅうぎゅう抱きしめて引掻かれそうになったことぐらい・・・。
でも、歓びは持続しなかった。
ひとしきり歓んだらすっかり気が抜けてしまい・・・。
畳にぺったり座り込んで涙が滝のように流れて来たけど、それがどういう涙なのか自分でも良く判らなかった。
最初は嬉し涙のはずだったんだけど・・・。
一緒に歓んで欲しい人は今、私の側には居ない。
捨てられた子供みたいに、いくらでも涙が出た。
ゆきぃ・・・。
頭の中で叫び声がぐるぐる回っていた。
雨が降っているから傘を差す。
それぐらいの理性は働いたんだな。
理性っていうか、条件反射か。
途中で気付いてびっくりしたよ。
そう、途中だ。
「ヤツは労咳だ」
と聞いてから後、西本願寺前の堀川通りで、立派な駕籠が五条通り方向に上って行くのを見かけるまでの間、どうも記憶が飛んでいる。
我ながらいっぱいいっぱいだったんだな(苦笑)。
駕籠は安普請の町駕籠ではなく、網代の囲いに塗りの屋根の付いた立派な物で、明らかに高位の人物を乗せているのだと思われた。
駕篭かきも奴姿だ。
もしそれが沖田さんを診た医者だとするなら、余程名の通った医者なんだろう。
傘を打つ雨音の中、“まさか”という期待が押し潰れて行く。
もとより、副長が冗談で沖田さんを労咳だなどと言う訳も無く、事実を本人に確認したいという私の想いも、ただの悪あがきに過ぎないことは判っているのだが。
沖田さんが労咳だなんて、俄かには信じられない。
確かに時折咳をすることはあっても、何も変わった様子は無かった。
そんな人が。
あとどれくらい生きられるのだろう?
年寄りと呼ばれるまでは無理だとしても、あとどれくらい?
十年?五年?
それとももっと短いのか。
屯所の歩哨には知らぬ顔が立っていた。
顔パスは無理なので、
「鬼丸と言います。土方副長の用向きで来ました」
「鬼丸?知らんな」
若い門番は蓑をガサガサ鳴らし、かぶった笠を持ち上げてこちらの傘の下から不躾に覗き込んで来る。
挙句に、
「なんや、お前女か」
驚きと安堵と侮蔑と怒りを一緒くたに吐き出した。
「ええそうです」
それを、全部認める。
毎度の事だ。
そういう反応は予測済みなんである。
腹立たしいわけでもない。
彼等のそういう反応を理解できるぐらいは、こちらも既に男の感覚に近くなっていた。
ただ、
「女が男の姿なんぞしおって・・・」
という反発行動に付き合うのが面倒なだけだ。
なので、
「・・・おい!」
と、もうひとりの門番が相棒の腕を引いてくれたのは助かった。
仲間同士でこそこそと耳打ちしている。
「どうぞ」
と、道を開けられ、会釈して通る傘の中に、
「あれが例の・・。へー、初めて見たわ」
という、呟きと、シっとそれをたしなめる声が低く響いた。
例の、に続く言葉は何通りかある。
曰く『副長の飼い犬』、『副長室のお庭番』。
このところ副長の私室周りをうろついてることが多かったのでそんなあだ名を頂いたらしい。
ま、どっちも結構気に入ってはいるんだけど、でも『副長のイロ』という有難くないものもあるのも確か。
私が女だと思うとどうしてもそっち方面でくっつけたがるんだよね。
上司のプライベートに口さがないのは男も女も関係無い。
他にも『番外隊士』だの『女監察』だの『幹部付き御用聞き』だの。
まあ、言いたいように言われてはいる。
おしなべて好意的な呼び名ではない。
小姓職を差し置いて、直々に雑用を言い付けられるのを目の当たりにすれば、彼等としては面白くないんだろう。
でも言い付かるのはホントに雑用なんだけどさ。
「おい、鼻紙買って来い」
とかさ。
それが時に煙草だったり筆だったり、洗濯屋への使いだったり花街への文だったりするだけだ。
回廊の欄干のところから身を乗り出して、下から見上げる私に小銭を放ってよこす。
その様子は鯉に餌をやってるみたいで。
いっそ『副長室の池の鯉』ってのがいいんじゃないか?(自爆)
彼はそういう、純然たる私用に小姓を使うようなことはしない。
小姓職は飽くまで新選組の仕事絡みの時にだけ使ってる感じだ。
もちろん、買い物ついでに市内を回って来いという暗黙の指令は有るんだけどさ。
ざくざくと玉砂利を踏む自分の足音ばかりが傘の内で耳につく。
雨降りで、誰も境内に出ていないのはラッキーだった。
副長室の縁の下へダイレクトに入れる。
知り合いに声をかけられたり、逆に反感を持つ者に白い目を向けられたり。
それに答えたり無視したりするのも、こんな日には面倒なだけだから。
門番の片割れが私の正体を知っていた訳は程なく判った。
屯所である北集会所の軒下に入って、傘を閉じようとした時に気がついたのだ。
借りた傘は副長の私物だった。
濃紺に白丸の蛇の目傘。
・・・派手だ(汗)。
どう見ても遊び人風(--;
普通の、武士と呼ばれる人達なら絶対使わないよ、これ。
目立つったら。
あの人の趣味ってイマイチ変わってるよなぁ。
っていうかそれにも気付かず、ここまで差して来た自分っていうのもどうよ(爆)。
寺の建物は高床式と言ってもいいぐらいな物で、回廊の下は人が屈んで入れるぐらい空いている。
こんな雨の日も床下の地面は腰を下ろしても濡れないぐらいには乾いていた。
夏の日差しも遮られるし、風は通るし、昼寝するにはもってこいだ。
冬場は寒くて居られないけどね。
まあ3シーズンは大丈夫。
特別用事でも無ければ毎日、日に何度かはここで時間を過ごす。
ひとりになれるのがいい。
職員室の窓の下、みたいな雰囲気だからめったに誰も寄っては来ない。
用事が有れば上から声がかかるし、無ければまた、人ごみに紛れに出る。
そういう意味では『飼い犬』というより野良犬(の巡回・笑)に近い。
頭上の部屋はしんとしている。
医者が出て行ったなら、沖田さんはもうここには居ないんだろう。
ていうか立ち会ったであろう局長も。
きっと医者を見送って、後は自室に帰ったか、局長に恨み言でも言われているか・・・。
昨日、小夜の状態が落ち着くのを見届けて屯所へ戻る山崎さんが、出がけに言っていたことを思い出した。
「沖田先生は夏風邪こじらしたとか。先刻幸はんが出たあとで酷く咳き込んどられましたが、あんなことは良くあるンでっしゃろか?」
「ええ。風邪を引いたのは照葉さんと知り合う・・・だいぶ前ですから、病気が伝染ったというのじゃないと思いますよ?」
きっとそれを心配しているんだと思ったのでそう答えた。
すると彼は笑って、
「ああ、そうですな。で、近頃幸はんはずっと照葉さんの看病についてらした?」
「ええ、そうですけど。私はぜんぜん大丈夫です。小夜も」
それは宜しい、とニコニコ帰って行ったけど。
あれはさぐりを入れていたんだな、と今更思い当たる。
このひと月程の間、私は沖田さんと行動を共にすることは無かった。
彼が島原に入り浸るようになるまでは、暇をみつけては金魚のフンのようにくっついていたというのに。
つまりこのひと月、彼の体調の変化に気付く程、彼の近くには誰も居なかったということで・・・。
うまく騙されたな、と思った。
と言うより、うまく離されたってことか。
気付かせないために側から離されたんだ。
照葉さんの世話を担うことさえ、その理由になったわけだ。
彼女に夢中になったふりをして島原に通い詰めになったのも、私を振り払うのが狙いだったのか・・?
何時からだ?
夏風邪などと言って咳をし始めたのはいったい何時からだった?
山崎さんが居ない穴を埋めるべく、副長が私を使い出したのは何時からだっけ?
それに時間を取られて、金魚のフンの役にも立たなくなってしまったのは?
雨が強さを増したようだ。
周りの景色が雨にぼやけて見える。
湿った空気がまとわりつく。
「正しいかどうかなんて問題じゃない」
「本来ならこの人が言うべきわがままなのよ」
頭の中に小夜の言葉が蘇る。
彼女は知っていた。
それで辻褄が合う。
全て説明がつく。
この二、三日の狂乱ぶりが全て。
「どうして・・・」
雨音のカーテンの中で呟いてみる。
他でもない沖田さんの事であれば、私が先に知りたかった・・。
どうして、小夜だったんだろう。
どうして私は気付かなかったんだろう。
どうして・・・私じゃないんだろう。
軒下で、雨垂れが地面に開けた小さな水溜りの列が、それぞれに飛沫を放っている。
それをぼんやり眺めながら、絶望的な疲労感が肩にのしかかって来るのをどうすることも出来ない。
私はいったい何をしていたのか。
騙されていたのではあるけれど。
それは彼等の(小夜と沖田さんの)立場ならば当然の成行きなのだろうけど。
その企みにまんまとはまってしまったのは私自身の迂闊さのなせる業で。
おかしい・・・と思ってたじゃないか。
いったい小夜はどうしてしまったんだ?と。
狂ってしまったのか?と。
あれほど思っていたのに。
小夜はそんな子じゃないと判っていたのに。
わがままではあるけれど、あんな風に理不尽に無理を通すような人間じゃない。
それを何故、追求もせずに見逃そうとしたのか。
「目くらましが効いたな・・・」
照葉さんだ。
あれに騙された。
いや、彼女に騙す気などは無いのだから、私が勝手に騙されたんだ。
そうだ。
私が悪い。
何も気付かなかった。
小夜の人道主義を鵜呑みにした。
「ちぇっ・・」
舌打ちが、縁の下に響く。
「ああ見えて大したタヌキじゃんか」
まんまとしてやられたさ。
あんな・・・へたっぴぃな芝居に、まんまと。
ヒステリーかましやがって。
泣き喚いて。
自家中毒で倒れるぐらいに・・・ぎりぎりまでひとりで突っ張って。
でも結局周りを巻き込んで大騒ぎになるんだ、いつも。
そうさ、いつもだ。
何やってるんだか・・・。
まったく、ひとりで何やってるんだよ!
腹立たしさが胸につかえて苦しかった。
でもその腹立たしさが小夜に対してのものなのか、・・・自分に対してのものなのか判然としない。
・・・いや、判然としないのではなくてさせたくないのだと、薄々気付いてる。
それを認めたくない自分が居る。
蚊帳の外にされたことに腹が立っているのだと・・・思い込みたかった。
でもそれは違う。
蚊帳の中に入ろうと思えば入れたのだ。
中を見るのが怖かっただけだ。
はっきり意識はしなかったものの、異変を察知しながら、そこに何かとてつもないものが待っている気がして、本能的に目を背けていただけなんだ。
小夜が私に隠し事をするなんて、余程の事に決まっているもの。
しかも・・・そう思うのもなんだか気が引けていて。
彼女にとって自分はそんな大それた存在じゃない、と。
隠し事されるなんてそんなに驚くようなことじゃない、と。
だからたぶん、大したことないさ、と。
ヒステリーだってわがままの延長さ。
何か気に障るとこでもあって、キーキー騒いでいるだけだ・・・。
そう思い込んで。
意識的にそう思い込もうとして・・・きっと逃げていた。
目の前に現れた異変のサインを、故意に見逃した。
口にこそ出さなかったけれど、小夜は必死にSOSを発していたじゃないか。
なのに私はなんだ。
何してたんだ。
「ちくしょう・・・」
気付かぬふりをしたのはたぶん、相手の気持ちに踏み込むことに迷いが有ったからだ。
言わぬことなら訊かずに置くのがいい、と。
それがいつもの自分のやり方ではあるのだったが、結果的にはただただ見て見ぬふりをしていただけに過ぎず。
頼って来ない小夜に苛立ちを覚えながら、その理由を追求しようとはしなかった。
なぜだ。
怖かったのか?
なにが?
確かに、でしゃばりとも思えるような行動を取る小夜に、ついていけないと思う自分は居た。
もういい加減にしろよと思いながら、それを指摘することもできなくて。
上っ面だけ付き合ってたんだ。
冷たいと思われるのが怖かったから。
周りにでしゃばりと思われるのも嫌で、小夜に冷たい人間と思われるのも嫌で、上っ面だけ適当に取り繕ってた。
最低だな。
自分自身に唾したいぐらいだ。
「ああもうっ!くそっ!」
結髪を抱え込んで(小声で)叫んだら、
「お前さぁ、いったい誰と話してんだ?」
突然頭の上から声が降って来た。
驚いて立ち上がったら床材に思いきり頭を打ってしまう。
痛くて声が出ない。
「縁の下にタヌキなんて居たかい?」
何時からそこに居たんだろう?
ぶつけた頭を押さえつつ縁の下から出て見上げると、講武所風の月代もくっきりと、爽やかな笑顔の沖田さん。
回廊の欄干から身を乗り出して見下ろしている。
「なんだ、また頭ぶつけたのかい?存外おっちょこちょいなヤツだね」
普段通りの軽い口調で、笑顔もいつもの気の抜けたようなファニーフェイスだ。
この人が労咳だなんて信じられない。
手の込んだドッキリじゃないのか?
頭に手をやったまま言葉の出てこない私の様子に、彼は視線を逸らしながら、
「土方さん・・・副長から聞いて来たんだろ?黙ってて悪かったよ」
男の子っぽくぶっきらぼうに、照れたようにそう言った。
まるで雨の音にかき消されないうちに、大事なところだけでも早く言ってしまおうとでも思っているようで。
そんな子供じみたところも、私は好きで。
どうしてこの人が、不治の病なんかにならなくちゃいけないんだろう。
「・・・居たんですか」
胸が詰まって来るのを飲み下しながらそう言うと、
「今朝から局長に絞られちまってさァ。あの人、感極まると泣きが入るだろ?副長が途中から逃げ出しちまって・・。ようやく解放されたと思ったら、騒ぎになるからしばらく自室に戻るなってお達しでさ。ところで小夜さんは?まだ具合は良くないのかぃ?」
昨日、倒れた小夜を山崎さんに託して、副長はこの人をここへ連れ帰った。
それを心配していた。
「もうすっかり・・。副長が一緒に居てくれてるので・・・」
「あの人には悪いことしちまったな。苦しい立場に追い込んじまった。お前、まさか自分に黙ってたからって小夜さんを恨むなんてことしないだろうね?あの人が事情を知っちまったのは偶然なんだ。恨むんなら私を恨みなさいよぉ?」
冗談めかして語尾は明るかったけれど。
どうして自分が先じゃないんだと考えていたのを見透かされたようだった。
恥じ入った。
自分の小ささを指摘されたようで。
「はい。判ってます」
目を合わせられない。
「判ってんのかい?」
聞き返す沖田さんの声音は、確かめるような軽いものではなく、念を押すような重さがあった。
「判ってます」
まっすぐ見返して返事をすると、彼は安堵したようにひとつ、ため息をついた。
「そか。まぁ、さっきから縁の下でなにやらぐずぐず言ってたようだからなー」
にやにや笑っている。
やっぱり聞いてやがった。
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