もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室 

こないだ独りでチヂミを食べてるところを見られたのはマズかった。

・・・らしいな、たぶん。
次の日から毎日二度、岡持ち下げて仕出屋が来た(汗)。

始めのうちはおさんどんしなくて済むので悦んでいたのだけど、生真面目な日本食のメニュー(結構質素っていう意味ね)を毎日食べ続けるのは・・・飽きるんだよなぁ、年寄りじゃないんだから。
なので食事の支度は自分でするから、と、なんとかそれを一度に減らし、仕出屋ではなく幸が宅配をするようになった十二月も始めの午後、

「ボロたまっておまへんかぁ。紙屑、ボロたまっておまへんかぁ~」

いつものように遠くの方から無駄に景気のいい(笑)屑拾いの声がやって来る。
本来であればウチみたいな一人暮らしの家なんか十日にいっぺんでもいいんだけど、このところ訳有りで三日に一度は来るんである。
幸も私も近頃は慣れっこになって、すぐさま受け入れ準備を始める。
準備と言っても、私は首まで浸かっていた炬燵からズルズル這い出て綿入れ半纏を着込んだだけ。
縁側で腕立て伏せをしていた幸は、軒下からそれ専用の筵を引っ張り出して、朝の霜柱が消えてカフカフになった黒い地面の上に広げる。

屑拾いのオジサンは、門口からこちらを無言でスタスタとやって来る。
急ぐんである。

「ごめんやす」

「いらっしゃーい」

小柄でごま塩髭のオジサンは五十代ぐらいだろうか。脚半に草鞋履きで、いい色に退色した手拭で頬かむりをしている。
早速、背負ってきた籠を筵の上に逆さにして、集めてきたゴミを広げた。
そこから反古紙を拾うのが私達の仕事なんだな。

墨書きしてある紙屑だけを拾い集め、残りのボロ布等は筵を持ち上げて再び背負い籠の中に返す。

「ごくろうさまでしたー」

「へえ、おおきに、おやかまっさんどした」

ぺこりと頭を下げてオジサンは戻って行き、大通りの角からはまた甲高い掛け声が尾を引いていく。
ほんとならお茶でも淹れてゆっくりさせてあげたいのだが、屑拾いがこの家に毎日のように寄って行くのはオカシイから、ということで許されていない。
ここに入ってくるとき声を潜めるのもそのため。
この家に寄るのを辺りに悟られないようにする配慮なのである。
名前も知る必要が無いと言われ、教えられていない。
愛想が良くて話せば楽しそうなオジサンなのに、と私はちょっと不満。

不満と言えば、この仕事もかなり不満。
縁側でガサゴソと、皺くちゃになった紙屑を一枚ずつ手で延ばしながら、幸に愚痴ってみる。

「やだなぁ、こんなゴミ漁りが仕事だなんて」

「そんなこと言わないで手伝ってあげなさいよ。監察も人手不足なんだからさ」

相変わらず学級委員な幸ちゃんです。

「人手不足って、江戸から新しい人達いっぱい入ったんじゃないの?」

ああ、手が冷てーよ。
家ん中入ろ。縁側の板目が冷たくて座ってられん。

「新しいのが入ったからってすぐ監察には使えんでしょ」

幸も追いかけてきて、火鉢で手を焙りながら反古紙を一枚一枚チェックし始める。

この時代、紙は貴重品なので反古といってもタダでは捨てないのである。
たいていは上から何度も手習いに使って真っ黒になっている。
その中から読み取れるものを選り分けているのだ。

「こんなことやって、何の足しになるワケ?」

既に一抜けしてお茶を淹れ始めた私に、仕方ないなと言わぬばかりに幸は苦笑して、

「情報収集の一環でしょ」

「あっそ」

めまいがしそうだ。
人んちのゴミ箱あさって情報収集ねぇ。
そんなんでホントに何か判るんだろうか?
いったい何が知りたいんだろ?
つーか、

「誰がこんな手のかかること考えつくワケ?」

「決まってんじゃん、あんたのご主人」

なんだか聞いたようなセリフだな。
即答して、してやったりとニヤつく相手の顔を見て、げんなり。
ああそうかい。やっぱりアイツが元凶なわけだ。
ずずずとお茶をすすったら、

「ちょっとぉ、私にもお茶淹れてよー」

「あ?ああ、ごめん」



幸の言うのには、この反古紙は西本願寺とその周辺のものだそうだ。
新選組は以前からの懸案事項として屯所の移転を考えていて、候補地を探していたらしいのだが、副長の土方さんはどうも西本願寺に目をつけているんだという。
これは幸の読みで、ほぼ間違いないとは言うものの、まだオフレコにしとけって。
彼自身まだ表立っては誰にも言っていないらしい。
それでも自分の手の者に下調べはさせていて、その中には監察も含まれる。
屑拾いのオジサンが来た後には必ず、監察の人がやって来るのである。


この日の当番は林さんという若い隊士。
この日二度目の配給を持って現れた。
幸はすぐにピンと来たらしいのだが、私って自分でも察しが悪い方なんだと思う。

「あれ?ウチはもう仕出し貰いましたよ」

昼前に幸が持って来ていたのだ。
なのでてっきり他の休息所へ持っていくのを間違えてウチに来たのだと思ったら、

「いいえ。副長の分も持って上がりましたので」

マジかよ・・・。
それって夕飯食べに来るってことだろ?

そのまま顔に出たらしい。そんな顔しちゃダメ、とでも言うように、幸が目をつむって小さく首を振って見せた。
白い額に一筋、後れ毛が揺れる。

彼女はようやく伸びた前髪が元結に届くようになった。
つまり前髪を上げれるようになったのである。
襟足はまだ届かずザンバラのまま、鳩羽色の襦袢の襟に刺さっている。
それをさもウザそうに、時々引っ張ったり後ろに跳ね上げたりするのが近頃の癖だ。

林さんが反古紙の中から判読できそうなのを選り分けながら、時々チラと視線を走らせるのに気付く。
視線の先はきっと顕わになった幸の白いおでこ。
あるいはうっすらとそばかすの散った頬骨の辺りか。
作業する林さんのすぐ横に顔を寄せて、後れ毛を弄びながら覗き込んでいるのだ。

あーあー、幸ちゃんてば美人の自覚が無いんだからなー。
と私は、カサカサと音を立てる紙の山に、今まさに突進しようという体勢のフクチョーを押さえ込みつつ溜息をついたりするわけだ。

「こんな字、よく読めますねぇ」

伏し目になった睫に陽が反射してきれい。
なのに相手が閉口しているのにも気付かず、色気の無い質問してるし。

「お前、こんなのも読めんのか?」

幸は新選組の誰からも「お前」呼ばわり。
かわいそうな気もするし、親しげで羨ましい気もする。

林さんが持ち上げた反古を見れば、二重に三重に書きなぐった筆記体の・・・ひらがな?

「ぜんぜん」

と幸が肩をすくめる。
釣られて私も。

ちなみに私は林さんの前では、副長の手掛けぶりっこ。
もったいをつけて作業の側には寄らない。
フクチョーを抱いて茶の間のコタツから眺めているだけ。

着物も普段の縞木綿から柔らかものに着替えていた。
椿の意匠の総柄の小紋に細かな梅鉢模様のえんじの帯をひとつ結び。
髪は下ろしていて、じれった結びというヤツ。

監察の林さんって真面目そうな感じの人だけど、それでも山崎さん程には土方さんの信用は無いらしくて(これは島田さんもそうなんだけど)私もあまり馴れ馴れしくはできない。

「やっとうばかりに夢中になってないで、手習いもしないことには話にならんな。書かぬことには読めやしないぞ」

言われてギャハハと笑っている幸が羨ましい。
フクチョーまでが仲間に入りたがって着物の胸元に爪を立てて、抱いている腕から抜けようとするし。


林さんと幸が帰って行ったあと、使い物にならなかった残りの反古紙を焚き付けにして風呂を点てていると、木戸が鳴ってこの家の亭主が姿を現した。
対の着物を着流して首巻きをしている。懐手をして言葉もなく縁側から座敷に上がった。
こちらを見もしない。

寒気に鼻先を赤くしている。
色白なのだ。
口元をへの字に結んだ横顔が、いかにも不機嫌そうだった。

陽は傾きかけていたが、食事を出すにはまだ早い。
誰かと待ち合わせなんだろうか?
お茶でも淹れるべきか?

と考えている間に、閉め切っていた家の障子戸をせわしなく開け放たれてしまう。

・・・せっかく暖まっていたと思ったのに。
でも、文句を言ったらケンカになりそうだしなー。機嫌悪そうだし。

座敷に上がった土方さんは首巻きを取り、羽織も脱ぐ様子。

「お出かけですか?」

着替えてどこかへ行くのかと思ったのだけれど、

「風呂」

は?

「まだ入れねぇかぇ?」

なんだよ。無視した割には風呂点ててたのしっかり見てんじゃん。

「入れないことは無いけど、まだぬるいかも」

「構わん。焚いとけ」

言ってる間にも下帯ひとつになって、手拭片手にたったか湯殿へ入って行く。
全くせっかちなオヤジ。

と思う間に、水音と鋭い舌打ちが聞こえてきた。

「まだ水じゃねぇか!」

焚口にしゃがんで火吹き竹を使っていたのだが、降って来た怒声に思わず立ち上がり、

「だからまだぬるいって言ったじゃないですか」

湯殿の窓は普通の女の人なら高くて覗き込めない。
が、私の身長なら湯船の中まで見える。

窓の格子のすぐそこに相手の顔が有った。
目を剥いている。

「入れないことは無いと言ったぞ!」

水というほどぬるくはないはずなんである。大袈裟なのだ。

「入ってんじゃん」

「ばか!これは入れるとは言わん!」

何モンク言ってんだろ?勝手に入ったくせに。

「だったら上がればいいでしょ?」

「この寒空に俺を殺す気か!うじゃうじゃ言ってねぇで早いとこ焚きやがれ!」

なんだとぉ!

「なによ!後から来て先に入ったくせに!ほんとは私が一番風呂なのにぃー!」

「やかましい!早く焚かんか馬鹿者!」

ムカツク~~!!!
ちっくしょー!釜茹でにしてくれるぅ~!

って力んで焚いたんだけど、敵は熱くなる前に上がって来ちゃって・・・(←ばか)。
自分の番になって熱くて入れなかったよー(涙)。


湯加減が温くなるのを待つついでに夕飯にしちゃおうかと思い、先程林さんが岡持ちで運んできた料理をお膳に並べていると、

「俺は要らんぞ」

見ると、地味な綿服に着替えている。袴姿だ。今度こそ出かけるのか?

「でも、二人分なんですけど」

「明日の朝飯にでもすりゃあいい」

・・・そういう問題かよ。

「また同じモン食べるなんてヤダ」

あーあ、出かけるんなら最初から言ってくれれば幸と一緒に食べたのにー。

でも、それは出来ない相談なのだ。
この人は、ここに泊まったふりして出かけるんだから。
ってことはたぶん、きっと女の人のところへ。

以前にも何度かあったもの。
何も言いはしないけど、きっと絶対女の人のところ。

そういえば、近藤局長が江戸へ行っている間は無かったな。
局長代行の間は行き先を明らかにしておく必要が有ったのかも。
局長が帰ってきたので安心して遊びに出るということなのかも。
その割には、ここに来た時の表情が険しかったけど・・・。

メインディッシュはお刺身(この寒いのに。酒の肴ってことなんだろう)だったので、フクチョーと一緒に食べることが出来た。

土方さんは妙なところから出かけて行った。
納戸の隠し扉だ。
内側からしか開かないし、鍵も内側なので、冷え切った納戸の戸締りに付き合わされていい迷惑。

「余計なことは言うなよ」

と言われたけど、口止め料に何せびろうか?

ピラピラした柔らかものを着ていたこともあり、納戸の氷のような板の間で冷え切ったこともあり、寝床に入る頃にはなんだか寒気が。
その夜はフクチョーを湯たんぽ代わりに抱いて寝た。



底冷えの朝は起きて身支度するのが億劫。
だけど一日中寝床に居る訳にもいかぬし、起きなきゃ火も熾せない。

「フクチョー、雨戸開けてよー。そいから火鉢に炭継いどいてね」

猫の手を借りても無理な話だし・・・。

潜り込んだ布団の中でしばしの逡巡。
掛け布団と敷布団の隙間から部屋の中を覗いて見る。
雨戸の節穴から朝日がこぼれ、障子戸に水玉模様ができている。
隙間からの光だけで既に家の中は明るい。

光の筋が白っぽく見えるのは、枕元の有明行灯の煤と、一晩中細々とでも火鉢の火が燃え続けていたためだ。
部屋の上半分に煙が白くわだかまっている。
朝日に照らされて、空中にホコリが対流しているのが見える。

天気は良さそうだな。
起きるか。

着るものの在りかと順番をイメトレしてから、いちにのさん!で寝床から飛び起きた。
寝床を出てから着物を着るまでが一番無防備で寒いんだもの。

充分着膨れてから雨戸を・・・換気と明り取りに一枚だけ開けて火鉢に炭を足す。

いつもなら朝からご飯を炊くんだけれど、夕べのご飯が余ってるんだよね。
でも、暖かいものが食べたかったのでおじやにしようと思った。
茶粥は苦手だしね。

薄暗かったけれど寒いので勝手口は閉めていた。
鍋に昆布と夕べの刺身の残りで出汁を取りながら、大根を刻んでいた時だった、始めに木戸の開く音がした。

私は主人が帰ってきたものだと思ったから、次に勝手口が開けられた時、

「おかえんなさい」

包丁を使う手元が、ぱぁーっと明るくなったのにちょっと感動した。
足元に冷たい空気が押し寄せては来るが、陽の当たっている手元が暖かい。

お日様の力ってすごいなぁ。

が、勝手口に立っている影が動かない。
溜息をつく。
女のとこからの帰りだっていうのに、今日も不機嫌なのかよ。
全くもう。

初めてそちらを見やる。
逆光が眩しくて一瞬見間違いかと思った。

「誰?」

背格好が土方さんではなかった。



殺気というものがどんなものなのか私には判らないが、コイツは危ないな、と思った。

この家の性格上、いろんな人がいろんな格好をしてやって来るのには慣れっこになっていたが、どんな強面のオジサンであろうと、無言で勝手口まで入ってくるなどと無礼なことはしないのである。
監察方の関係者はもっと遠慮深くて、木戸を潜る前に必ず声をかける。
この家の主人以外に無言でづかづか入り込んでくるヤツなど居ないのだ。

「土方はどこだ?」

明るさに目が慣れず、顔が見えない。
声の感じは・・・結構オヤジ。
埃まみれの袴は折り目が無くなってい、草鞋履きの足元も泥まみれ。
土方さんより背は低い。

「誰ですって?」

手にした包丁を握り締めて、逃げる算段をする。
後を向いて座敷に上がって納戸に入る前に・・・、

「隠し立てをすると怪我では済まんぞ」

斬られるだろうなぁ・・・。
すらり、と刀を抜いて、相手は一歩踏み出した。

「見ればいつぞや逢ったような顔だ」

ぎょっとした。

台所の暗みにゆっくりと入って来るのをよくよく見れば、あの雨の夜、西本願寺の脇の通りですれ違いざま声を掛けられたあの男・・・のような気がしないでもない。

まずい。
逃げ切れない。

「さぁ、なんのことやら」

どうしようか。

「とぼけると怪我をすると言っている」

また一歩、にじり寄った。
こちらもゆっくりと一歩下がる。
背中にはもう後が無い。

「ヤツはどこだ。奥に隠れているのであろう?」

「誰も居ませんよ。私ひとりです」

相手も一人なら、あるいはなんとかなるかもしれない。
外の物音に耳を澄ますが、何も気配は感じられない。

「嘘を申すでない。昨日ここに入るのを見ている」

見られたのかよアイツったら。
撒いて来いよな。
全くいい迷惑だ。

「あれから出掛けたんですよ」

「あれから誰も出て来ぬわ」

そりゃそうだろうな、と思ってから、まだあの隠し扉の存在が知られていないなら尚更家捜しさせるわけにはいかぬと思った。

「嘘じゃないよ。あの人がここに居るなら今頃飛んで出てくるはずじゃん」

ちょっとだけ、男は私の言うことを信用しかけたらしくて、黙って私を見つめている。

「ほら、そこの障子の影に潜んでたりして・・・」

と、座敷と台所を隔てている障子戸を目で示すと、相手は用心深げに私と障子戸を交互に見、何か思案している様子。

「何なら開けて見せましょうか?」

すると、そいつは顎をしゃくって開けろという仕草。
こいつはこのままなだめすかせば大人しく帰るかもしれない。

私は相手の気持ちを逆立てないよう、ゆっくりした動作で、包丁をまな板の上に置き、障子を開ける。
鍋から上がるだし汁の匂いに釣られたのか、フクチョーが側までやって来ていて、私の顔を見るなりニャアと啼いた。

「ね、誰も居ないでしょ?」

顎を撫でてやる。

「そのようだな。だが、こうすればどうかね?」

え?っと思って見れば男はゆっくり刀を振りかぶっているところ。

斬る気だ。

あるいはこの家の主人をおびき出そうと図ったのかもしれない。
悲鳴を上げながらそこら辺にある包丁やら大根やら茶碗やらを手当たり次第に投げつけたが、全て刀にはじかれてしまう。
進退窮まって最期の手段、鉄鍋の乗っかったカマドを思い切り蹴飛ばした。
鍋がひっくり返り、湯気と灰神楽がもうもうと上がる。
熱湯の飛沫に相手がひるんだ隙に、上がり框を飛び上がって座敷に逃げた。

が、刀は振り下ろされた。

狭い家の中で、それほど大きな動きは出来ない。
相手にしてみればほんの小手先のことだったのだろうが、こちらのダメージは大きかった。

左手に痛みを感じて、奥の六畳間に続く襖を背にしながら、腕を抱え込む。
いつの間にか左の袂が斜めにすっぱり落とされて、残った袂も血に汚れていた。
押さえた右手の指の間からぬるぬると血が流れているのが見ずとも判った。

「私を殺す気なの?」

ゆっくりと、男は座敷に上がって来て、

「お前のために私の仲間が命を落とす羽目になった」

あの後、土方さんを付け狙った犯人を、新選組はつきとめたらしい。
コイツはその生き残りなのだろうが、

「それはお気の毒でした。初めて聞いたわ。でも私はあなたの仲間を殺そうと思ってあんなことをした訳じゃありません」

傷を受けた腕がズキズキ痛んで来た。
血も止まらないどころか畳に滴る音まで聞こえる。
イライラした。
早いとこ、こんな面倒くさい時代劇は終わりにしたい。

「黙れ。この期に及んで女々しい言い訳はするな」

「そりゃ女々しいですよ、これでも女ですからね。スイマセンけど」

「貴様!俺を小馬鹿にする気か!」

生まれて初めて刃物で傷つけられ、しかも生まれて初めて血が流れるような大怪我をしてイラついていた上に、馬鹿みたいに興奮した怒声を浴びせられて、ますますイラついた。

「あのさー!あんた、この場で私を殺すより、さらって行って脅した方が利口だとは思わないワケ?」

「さすがに悪知恵の働く女だな。だが俺はそういう汚いやり方は好かん。本人と直接対決だ」

「あんたバカじゃねーの?そんなんじゃ土方歳三になんか勝てやしないわよ」

その土方歳三がどれ程のものかは、ほんとは良く知らないけどな。
ケンカの口上に使って効果はあるんでしょ。

「なんだと!」

相手がいきり立って足元に火鉢があるのを忘れるぐらいだから。

ずいっとヒステリーオヤジの方に歩み寄りながら、

「だから、こうすればいいのよ!」

火鉢を蹴飛ばすと、乗っていた鉄瓶がひっくり返って灰神楽第二弾だ。
煙に紛れて縁側へ逃げた。
納戸へ逃げればその存在を知られてしまう。

「おのれ!」

二度、同じ手は効かなかったらしい。
相手もそれほど馬鹿ではないのだ。
行く手を遮っていた障子戸を開けるという手間が、何より致命的だった。

背中にツララでも押し当てられたような感じだった。
肩先から噴き出した血が、目の端にチラリと見えた気がした。
氷の感覚は瞬時に炎のような痛みに変わった。
痛みと、体の力が抜けて行くのとで、思わず雨戸に取りすがる。
悲鳴が泣き声になりかかっているのが、自分でも判る。

どうしよう。
こんな大怪我しちゃって。
このまま死んでしまうのかもしれない。

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