もう50年ほど前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

猫が畳を歩く気配で目が覚めた。

「暑っつ・・」

目覚めたとたんに全身から汗が噴き出して来る。
首筋に引っ付いた浴衣の襟が既にべったり濡れていた。

寝不足のダルさより暑さが勝って、手にしていた団扇で扇ぎつつ見やると、ぼんやりとした星明かりの中、蚊帳に描かれた露芝の向こうに、猫の尻尾が今まさに縁側の縁から消えて行くところ。

あー、アイツまた出てったよ・・。

蚊帳には入らず、それでも私の手の届くところに寝ては居たはずなんだけど。

お年頃のフクチョーは連日の夜遊び朝帰り。
雄猫なんだから仕方無いさと諦めてはいるものの、気にならないわけではない。
暑くて何度も目が覚めちゃうし、蚊帳の内より外の方が涼しそうだし、アイツの行き先も気になるし。

外に出てみようと思い立って、はっとする。

起き上がりかけた体をよじって、おそるおそる隣室を見た。
暗さに慣れていた目が、開け放たれた葦障子の間に辛うじて、藍微塵の単衣に巻かれた一本独鈷の角帯を捉える。

・・・って、ほとんど黒い塊にしか見えないんだけどさ。
その黒い塊が、規則正しく大きくなったり小さくなったり・・・。

敷居を挟んだすぐ奥に、背中を見せて土方さんが寝ていた。
肩から上は葦障子に隠れて見えていない。
足先も、暗闇の中に溶けて見えない。
寝入っている。



夕方、山崎さんに背中を押されるようにしてやって来た。
紗の黒羽織を着込んで、汗ひとつかかず、何時にも増して不機嫌な顔をしていた。
無口だった。
甲斐甲斐しく世話をする山崎さんの様子から察するに、仮眠を取りに来たのらしかった。

「うあ。凄いの連れてるよ副長・・・」

浴衣を洗濯するのを手伝ってくれていた幸が、どういう意味か顔をしかめて呟いた。

「凄いの連れてる・・って山崎さんのこと?」

丸洗いして皺を伸ばした浴衣を物干し竿に通しながら訊くと、

「いや、そうじゃなくて」

座敷に上がって行く上司を見やる顔が引き釣り気味。

「じゃあなにさ?」

そこではっとしたような顔になり、こちらに向き直って、

「アンタは判んなくていい」

・・・なんだよそれ。

「今夜はここに泊るようだから私は退散するけど・・・」

ええ?
と、急な展開に正直戸惑った。
ホントは泊って行く予定だったんだもん。

肩に掛けた手拭で額に浮いた汗を拭いながら、幸は藍染めの萩の花に隠れて声をひそめる。

「いい?触らぬ神に祟り無しだよ?逆らっちゃいけないよ?そっとしとくんだよ?っていうかいっそ近寄らない方がいいかも」

脅かすように目を細めた。
天然カールの睫毛が羨ましい。

「なんでさ」

面白くない展開だったのでふくれっ面をしてみた。
幸のせいじゃない事は確かだけど、他に当たる人も居ないし。

「何故って」

一緒に浴衣の皺を伸ばすフリをしながら小声になる。

「疲れてるだろうからさー。副長、近頃仕事がキツそうだもん。ストレス溜まってそうだし、ここんところくに寝てないはずだし。山崎さんが心配して、局長から支持を出してもらって来たんじゃないの?あの様子じゃ」

周りに休養を強要されて来たってことか。
言われてみれば、色白の目の下に隈作ってたな。

帰れと言われて出てきた山崎さんが、幸に風呂を沸かせと指示を出してから私に耳打ちしてきた。

「頼んます。出来るだけ長いこと寝かしたってや」

それが聞こえたか、間髪入れず上司の声。

「ひと寝入りしたら直ぐに戻る。余計な気を回すな」

袴を脱ぎながら座敷の奥から睨んでる。
いつも以上に目がギラ付いてる。
山崎さんにまでそんなコワイ顔するのかと、ちょっとびっくり。

こりゃ相当機嫌が悪いんだな、と、いくら私でも気を使った。
いや、機嫌だけなら気なんか使わないけど、体調も悪そうだとは山崎さんの様子で感じたので。

なので、山崎さんが持って来てくれた夕飯を大人しく(無言で)食べ、一番風呂を譲り、一つしかない蚊帳も共用して・・・。



葦障子を外さずに、二つの部屋を跨ぐように蚊帳を吊ったら、蝶が羽を広げているような形になったな(^^;
敷居を挟んですぐ隣に寝ている土方さんは、ひと寝入りしたら、なーんて言ってた割には、宵の口から死んだように寝入っているし。
時折低くイビキが聞こえるのが、疲労の深さを伺わせた。

それにしてもこの蒸し暑さをものともせずに一心に寝入ってるって凄い。
私は限界だ~。

なので音を立てないようにそおっと、蚊帳をたくし上げる。
おお!外から入る風が涼しいよ~v
呼吸と共に静かに上下運動を続けているオジサンの背中から目を離さずに寝床を抜け出した。

落ち縁に踏み込むと、ミシっと床が鳴った。
ドキっとして振り返る。
2、3秒待つ。
隣室の影は動かない。
よし、大丈夫。

開け放してあった縁側の庭下駄を・・・履かずに懐に仕舞い込み、裸足で庭を横切る。
前に下駄の音で見つかったことがあったからね。

足の裏にひんやりした地面が気持ち良い。
カラスウリの白い花が、暗い垣根に浮かぶように咲いているのがきれい。

物干しに干したままの浴衣がピクリとも動かないから、風は無い。
空を仰げば満天の星。
湿度で白っぽく煙って見えるけど、雨は降らなそう。

それにしても星が凄いな江戸時代。
余白の方が少ないんじゃない?ってぐらいに。
月は無いのに星明りで結構物が見えて、夜目の利かない私には助かりだけど。

木戸を鳴らさぬようにゆっくり閉じようとしてるところに、蚊の羽音がまとわり付いて焦った。
追い払おうにも音立てられないし。
団扇で足元を扇いだりして何とか蚊に喰われずに済んだけど、風なら音しないから気付かれなかったよね?


大通りに出てから下駄を突っかけ、よじれた浴衣の前を合わせ直し、伊達締めも結び直して、いざ。

しっとり吸い付くような夜の空気が気持ち良くて、まずは深呼吸。
月は出ていないけどご機嫌な夜だ。
夏は夜、と清少納言(だっけ?)も言ってるじゃんか。

ふふーん、とご機嫌で鼻唄が出そうになってから、ああ、いけね!猫捜しに出たんだった、と思い出す。

「フクチョー。どこー?どこに居るの?おーい。フクチョーったらー」

声をひそめつつ呼んでみる。
腰を屈めながら、家々の物陰を覗き込んでみる。

もっと遠くまで見えるかと、通りの真ん中に出て左右を見通してみる。
見渡す限り人っ子一人、それこそ猫の子一匹見当たらない。

「どこ行ったんだろね?」

元より猫の行く先など追って行けようとは自分でも思っちゃ居なかったけど。


灯りの漏れている家があるので近寄ってみるとお豆腐屋さんだったり。
店の表と言わず、開口部という開口部から全て、湯気が湧き出している。
冬場だったら凄い眺めだろう。
暗いうちからお仕事ご苦労様です。と独り言を言いながら通り過ぎた。

豆腐屋が起き出してるということは朝方なんだな。
仮眠を取りに来たヤツに合わせて寝るの早かったからさー、こんな時間に目が覚めるわけだよなー。
と納得しつつ、猫の行方を捜す(一応ね)。

歩き出すと結構蒸し暑い。
寝る時からずっと放さず手にしていた団扇でバタバタ扇ぎながら、もう猫のことなんてどうでも良くなって、夕涼みの散歩気分。
星空もキレイだし・・。

あ、そうか。
星空が見れて尚且つ涼しい所って言ったら・・・!

どれくらい時間がかかるかなんて考えもしなかった。
そこまで辿り着くまでの夜歩きも楽しかったから。

丸味を帯びて連なる家々の瓦屋根が、星明りを映して鈍色に連なっている。
出格子や犬矢来が闇の中にも陰影を作っている。
表通りの店々の看板を眺めながら歩いたら、擬宝珠の乗った橋の欄干が見えて来るまでそう長くは感じなかった。


橋の上から見る夜空は、遮蔽物の無い天然のプラネタリューム。
真っ直ぐ前を見ているだけなのに、目線の先から星の瞬く夜空だ。
白い雲がたなびくような天の川も端から端まで全部見える。

川風も涼しーい♪
腰の位置に在る低い欄干にヒジを突いて、背中から吹いてくる涼風を全身に受ける。
べたべたと纏わり付いていた汗がすぅっと引く。
首筋や頬の産毛を風が弄って行くのが気持ち良い。
時折頭上を鳥が啼きながら飛んで行く他は川音も静かだし。

こりゃたまらん。
ふうー。
極楽だぁ。

目を閉じてうっとりしてたら、

「帰るぞ」

・・・鬼が出た(爆)。

思わず欄干にしがみついちゃった。
持っていた団扇を落っことしそうになって焦る。

「起きたの?寝てていいのにぃー」

叱られると思い、そっちを見ぬまま縮こまると、

「大分寝過ごしたさ」

自分の失策をあざ笑うような、心持投げやりな声。

それならそのまま屯所に帰りゃいいのに。

と思ってから、不機嫌ではあるけれど怒声とは違うことに気付く。
恐る恐る相手を見やる。

寝姿のままの木綿の単衣に大刀だけ手挟んでいる。
前に回していた帯の結び目は後に直って。
素足に雪駄。
起き抜けでも髪の毛一筋乱れてはいない。
目の下の隈が見えないのは疲れが取れて回復したってことなのか、夜目が効かない私には、星明りの中、そこまで見えないだけなのか。

「どうした。帰るぞ」

仏頂面ではあるけど、・・・怒ってないよね?

「お前の猫なら縁の下で雌猫と宜しくやってる。煩くて寝られやしねぇ」

「ええっ!」

あらまあびっくり!

・・・っていうか猫を捜しに出たのもお見通し(^^;

「えーじゃねぇだろ?猫の夜歩き追っかけてどーすんだ馬鹿!ここまで何も無かったから良いようなものの、誘拐(かどわかし)にでも合ってみろ。馬鹿のおかげで俺まで笑い者だ」

隙無く辺りに鋭い視線を散らしながら、吐き捨てるような物言い。

ああっ・・。
やっぱ怒ってた(^^;

「猫捜しは仮の姿よ。夕涼みなの。夕涼み。ここ涼しいでしょ?」

「馬鹿。夕涼みってのは夕方するから夕涼みなんだ」

相変わらず細かいことにうるさいオヤジ。

「判ってるわよ。夜中だけど暑かったんだもん。仕方ないでしょ~?」

散歩の邪魔をされたのに素直に言うことを聞くのも癪なので、拗ねて見せたつもり。

返事にちょっと間が空いたと思ったら、

「・・・お前、毎晩こんなことやってるのか」

声の調子が変わった。

口喧嘩の心積もりだったのに肩透かしだ。
調子が狂う。

「・・まさか。そんなこと無いよ。今夜は暑くて眠れなくて、風にあたりたかったし。それに、・・・家にあなたが居てくれたしねー」

肩をすくめて見せたけど、意味が判らなかったらしく、返事が返らない。
叱られず睨まれず、それでいて疲労の痕の残るくぼんだ目からポカンと投げられただけの視線がなんだか意外で照れくさくて、欄干に体を預けて川面を眺める。

時折目の前を何かが飛んで行く気配がするのは、蝙蝠かな?
いつの間にか川の上をヒュンヒュン飛び回ってる。

「私の他には誰も居ない家だもの。夜中に空けるわけにはいかないじゃん。怖いもん。」

家をカラにしている間に誰かが入り込んで居たら、と思うと、おいそれとは家を空けられない。

「だからさ。今夜はめったに無い機会なんだー」

川風に誘われて、欄干を抱え込んだまま横板の間から両足を出す。
イスに腰掛けてる感じで。
突っかけた下駄をパタパタ動かすと足の裏にも風が通って涼しい~。

すると土方さんは危なげなのを見咎めたのか、いつものように鼻を鳴らしながら、

「たわけ。前にもあっただろ?」

・・・そうでした。
前にもありました。

「へへ」

覚えてるのか、と思ったら笑ってしまって・・。



似たようなシチュエーションだったな。
私があの家に来て間もない頃。
秋だった。
ちょうど満月で。
あんまり月がキレイだから、外に出たくなって・・・。
やっぱり橋の上。

空のずっと高いところで風が鳴って、雲が渡るのが凄く早くて。
でも月の光は真っ直ぐ降り注いでて。
月光浴には最高の夜だった。
ホント、月の光がシャワーみたいで。

連れ戻そうと私の腕を掴んだ土方さんの顔色が、というか表情がなんだか硬かったな。

「あの時、私疑われてたんだよね?脱走したと思ったんでしょ?」

たぶんそうだと思っていて。

思い込みが外れて、引っ込みがつかなくなったんだと。
それで挙動不審(笑)だったんじゃない?と。

「そうだな」

誤魔化すかと思ったら、素直に認めた。
私を見下ろしていた目が伏し目がちに動いて、川面を見やる。

「どこぞの家中の人間と接触するのかと・・な」

やっぱりね。

「心外~」

私も視線を正面に戻した。


星空は目の前から広がっている。
頭の上いっぱいにぐるっと後までだ。

「ねえ、もうすぐ七夕じゃない?」

煙のように筋を引いて見える天の川の畔を探す。

「ほら、あれ。織姫と彦星だ!判る?」

団扇で指し示す。
幕末の人にも判るよねぇ?(笑)。

「そんでその上にー白鳥座のーデネブがあってー。・・ほら、三角形になってるじゃん?あれは夏の大三角!」

私だってそれくらいは知ってるもんね!
っていうぐらいなノリだったんだけど、これは幕末の人には判らなかったかもしれない(^^;

「それから下の方に二つ赤く光ってるのはねー・・」

と続けてから、あれ?火星って言って判るのかな?と迷っていると、横からぼそっと、

「・・・旱星」

・・・へ?
ひでり星?なんだそれ?(--;

「夏に出る赤い星を旱星と言う。左側のは災い星。・・俺にもそれぐらい判るさ。ちなみにお前が白鳥と言ったのは、ありゃカササギだ」

え?そうだっけ?

懐手をして横に並んで来た。
星を見上げる口元だけ、得意げに笑っている。
それってなにげに負けん気に火がついたってこと?(笑)。

それにしても火星が災いの星とは。

「じゃあ右っ側のは災いをやっつける星なんだねー。正義の味方だね」

さそり座のアンタレスって「アンチ アレス」=「火星に敵対するもの」っていう意味だと聞いたことがあるもの。

だが、

「どうしてそう思う?」

突っ込まれた(汗)。

「だ、だってほら、あのー・・・喧嘩してるみたいだもん。明るさを競ってるっていうかさー・・」

「なるほど。そう言われりゃそうか。暑苦しいからひでり星と言うんだしな」

苦しい言い訳だったが意外に素直に信じてくれた。
なんとか上手く逃げれたみたい(^^;

「で、でも今日は月が出て無いねぇ」

まだ多少焦ってます(爆)。

「こんな時分じゃもう沈んでるだろ」

「そか」


そこからしばらく、彼は無言になった。

帰るぞと急かしもしないので不思議に思って横を見上げると、口の中で何やらぶつぶつ唱えてる。

拝んでるんだろか?
どこを見てるんだ?
何か考え事?

・・・眉間に皺が寄ったぞ。
心配事でもあるのかな?

「紅の災い燃ゆる旱星・・・」

・・・独り言?

つーか俳句かよ(爆)。

「ベタだー」

いや、・・・星を見て俳句を捻るという展開がさ。
断じて彼の句を批評したわけじゃないよ!
だって私、俳句なんて判らないもん。
なのに、こっちを睨んだ目が・・凄かった(汗)。

「橋の上 災い降らすひでり星~!」

おちゃらけて逃げるつもりの発句だったのに、ますます目を剥いて凄い顔になっちゃって・・・!

「うわ!うそうそ!ワタシ ハイク ワッカリマセン!」

慌てた拍子に思わず体が動いた。
左足から下駄がすっぽ抜けた。

「あ!」

と思う間にぽしゃん!と水音。
黒く流れる川面に波紋を広げて、赤い鼻緒の下駄が浮いている・・・はずだけど暗くて見えない。

「・・・っ!」

土方さんが懐手を解いて欄干から身を乗り出した。
下駄が流れて行くのを認めたのか、あんぐり口を開けたままのしかめっ面がこちらを向いた。
憎々しげに鼻筋に皺を寄せた顔つきが、まるで龍にでも睨まれたみたいだったが・・。
あははーと笑うより仕方なかったわ(^^;

「お前~~!そんな格好で遊んでるからだ馬鹿!早く下りろ!」

「へーい・・」

首をすくめつつ、そろそろと欄干から足を抜く。

「頭の飾りもんは?そいつも落としたんじゃあるめーな?」

暑くて結ったまま寝た結髪に櫛ひとつ付いていないのを見咎めた。
しかめっ面のままだ。

「違うよ。寝る時全部取ったもん。ウチに置いてありますぅー」

ちょっと心外だったので口を尖がらせると、彼はふん、と鼻を鳴らしざま身を翻して歩み出した。

帰るぞ、の意味とは判るが、

「ちょ、ちょっと待ってよ。下駄、片っぽしか無いんだけど・・」

このまま歩けと言うのか。

「ほーお。そうかえ?」

振り向きもしない。
僅かに猫背気味の背中が、あざ笑うようにスタスタと遠ざかる。

「ちょっとぉー!可哀想だとか思わないの?」

立ち止まった。

「可哀想?」

振り向いた。
二枚目顔をこれ以上は無いというぐらいにひん曲げて。

「お前は何か?俺に下駄を拾って来いとでも言うつもりか?」

「そんなこと言って無いでしょー」

「じゃあどうしろと言うんだ。てめーの下駄を落したのは俺じゃねーぞ」

「だからー、そんなこと判ってるって。私が間抜けなだけですー」

「それじゃあいったい・・・」

途中で言葉を切ったのは、私が彼の足元を指差したから。

「それ貸してvv」

凄い勢いで相手が目を剥いて息を吸い込んだので、怒鳴り散らされるのかと思ったら、

「・・・虫が良過ぎる・・」

鼻息荒く憤然と歩み去る。

「ちょっと待ってったらー!裸足じゃ歩けないよ」

すると今度はわざわざ引き返してきて怒鳴るではないか。

「家を抜け出す時には歩けてもか!半端な小細工しやがって。今更裸足じゃ歩けねぇだと?笑わせるな!」

なんだとぉ~!?
結局コイツは始めから判ってたんじゃないか。
知ってて後をつけて来たんだ。
途中で連れ戻すことも出来たのに、どこに行くのか確かめといて着いたとたんに連行なんて。
なんてヤツ。

「大きな声出さないで。ご近所迷惑よ。夜中なのに!」

「生憎だがもう朝だな」

私を睨みつけながら手だけ東の空を指差した。

見れば確かに夜は明けかけて、濃紺だった空がほんのり明るく藍色がかって来ている。
明の明星が一際明るく見える。
むかっ腹が立っていたのも忘れてしまうくらい。

「あらホント・・・ここで朝焼け見るのもきれいかも」

ちょっと気分が良くなったのに途端に舌打ちが返って来て、

「いい加減にしろ!もう帰るぞ。人が来る」

腕をつかまれた。
そのままずんずん歩き出す。
アタタタ!とつかまれた腕も痛かったが、カッ・・カッ・・と片っぽだけ履いた下駄が、

「歩きづらーい!」

「知ったことか。自業自得だ」

その言葉よりも、乱暴な扱いにムカついた。
腕をしゃにむに振り払い、下駄を脱ぐ。

「だから端から裸足で歩けと言っ・・・」

相手が小言を言い終える前に、空に向って下駄を放ってた。

「ええい!持ってけドロボー!」

まだ暗い空にきれいな放物線を描いて、下駄は川面に見えなくなった。
不思議と水音は聞こえなかった。

「・・お前・・」

あっけに取られたオヤジの顔が可笑しかったっけ。

「新しい下駄買ってねー♪」

舌を出しながら、固まっている彼の横をすり抜け裸足で歩き出す。

「おい何やってんだ!勿体無いことしやがって。下駄なんて片方づつ・・」

この時代、下駄屋は歯の挿げ替えからやってくれます。
でも、

「いーやーだー!ちんばの下駄なんて嫌ー!」

っていうのは嘘で、履き込んで黒く足跡の付いた下駄を新しくしたかったってだけのこと。

「ちゃんと新しいの買ってよね」

「勝手なことを抜かすな。どうして俺が買わなきゃならんのだ。下駄ぐらい自分の小遣いで買え。自分で失くしたんだろ」

「なーによケチー!お金有るくせに下駄ぐらいで何言ってんのよ。幸に聞いたわよ~。近頃『御直参』とか『御家人』?とかいうのになったらしいじゃない。給料上がったんじゃないのー?」

「きゅうりょう?俸禄のことか?」

「そうよ。私の給金は据え置きのくせしてさー・・・」

と弾劾の途中だったはずなのに、

「・・っていうか『御直参』って何?」

そっちのギモンの方に引っかかっちゃった。
我ながら集中力が無いわ(^^;

「・・・。」

目を瞑り、さも説明するのが面倒だと言わんばかりに大きな溜息をついて見せ、土方さんが歩き出す。
質問は無視と決め込んだようだ。

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