もう45年以上前から管理人の脳内に住み着いてるキャラクターの、稚拙な妄想小説のお披露目場です。
ご笑覧下されば幸いです。

・時系列に置いてあります。
・但し最新作は先頭に。
・中断&書きかけ御容赦。
・感想&ツッコミコメントは「田毎の月」へでもこちらへ直接でもOKです~vもちろんメールでも。

・暇つぶしにネタばらしブログもどうぞ→管理人ざんげ室 

「なんかあったの?」

風呂場の外に声がした。

見ると、井戸の蓋(落下防止に作ったの)の上に箱行灯を持ち出して、小夜が風呂場の壁に寄りかかっている。
窓から横顔が見えている。

「そんなとこに立ってちゃ風邪ひくよ」

「大丈夫よ。今夜は暖かいもん。それより居眠りしないでね」

さっきも斎藤先生に隈が出来ていると言われたし、疲れているのが判ったんだろう。
湯船で居眠りしないように話相手になるつもりのようだった。

全く良い湯加減であったので、ホントなら居眠りのひとつもしたいところなのだが、私の頭の中はそれどころではなく、小夜への言い訳が渦巻いていたところ。

今ここで言ってしまえば、その瞬間の顔を見ずに済む。
きっと、悲しむだろうから。
ってか、私もつられるだろうから。

もっとちゃんと報告しなくちゃという想いも有りながら、誘惑に負けそうになる。

「あのさぁ・・・」

「うん?」

窓の外で、小夜はお下げの先をいじくっている。
下を向いているそのうなじは、まだなんだか子供っぽい。

やっぱり後からちゃんと伝えた方がいいかな・・・。

「なによ。早く言いなよ」

「うーん・・・」

口元まで、お湯に浸かる。
ぶくぶく息を吐いてみる。

「やだ!ちょっと寝ないでよ」

小夜は驚いて窓の桟にしがみつき、こちらを覗き込んだ。
湯船の縁に頭を乗っけて、

「寝てましぇーん・・・」

「ばか。もう、びっくりするじゃん」

風呂場の天井は湿気で黒くシミになってきているはずだが、幸い暗くてよく見えない。
凝った筋肉がほぐれていくのと同時に、何とも言えない寂寞感が沸き起こり、

「もっとびっくりすることがあってさ・・・」

「だから、なに?」

「山南先生が亡くなったんだ」

のっけから切腹したとは、さすがに言えなかった。

亡くなった、と自分の口から言ってしまうと、なんだかたまらなかった。
本当に、死んでしまったんだよなぁと、改めて感慨深いものがあった。

窓の外の沈黙が痛い。

問い詰められたら、なんと返そうかと一生懸命考えながら、

「切腹したんだ。脱走して、捕まって、・・・切腹だ」

「うそ・・・。なんで?」

答えに迷った。が、

「・・・わからない」

逃げ、なのかもしれない。

だが脱走した・・・変調を来たした原因はいろいろ思い当たる節は有るにせよ、全て憶測の域を出ない。

「どうして切腹なの?脱走すると切腹なの?どうして脱走とわかるの?」

当たり前のごく妥当な疑問と、小夜らしい鋭い突っ込みを、更に彼女らしく畳み込んで来る。
でも悲しいけれど、やはり私には答えられない。

「さぁ。どうしてかな」


風呂を出ると、ようやく顔を見せた朧の月の下、寝巻きの上に引っ張りを着て小夜が佇んでいる。
ほっそりと頼りなげに見える。
黙っている。

「もう、訊かないの?」

「だって、答える気、無いみたいだし」

気の無い返事を責めているのか。

「話したほうがいいと思えば、自分から話してくれるもんね。無理矢理訊いても後味悪くなりそうだし。別にいいよ」

「ごめん」

「訊いて死んだ人が生き返る訳も無し。新選組の事情をアンタに責めてもしょうがないじゃん」

箱行灯を手に、母屋に上がる。
障子を開けると、フクチョーが足元にまとわりついてきた。

座敷に並んでふたつ、布団が伸べてある。
大役をこなして、緊張感の抜けた体を横にする。

ああ、楽だ。
すぐにでも寝入りそう。

「夕飯、食べたの?お腹空かない?」

台所から声がする。

「まだだけど、あんまり空いてないや」

「疲れてるんだよ」

「このまま寝るからいい。お構いなくぅ」

何も要らないといったのに、既に用意はしていたらしく、お盆にお茶碗と箸を乗っけて長火鉢に戻ってきた。
鉄瓶から湯を注ぎながら、

「お茶漬けしか無いんだけどさ。ちょっと食べて寝た方がぐっすり眠れるよ」


「泣かないんだね」

火鉢の縁に頬杖をついて、茶漬けを啜る私の仕草を黙って見ている小夜に言ってみた。

たっぷりした黒髪をお下げにして、象牙色の肌にきっぱりとした眉と目。ちょっと上を向いた鼻に尖った顎。
全体の印象はシャープなのに、ふっくらした口元と桜色の唇が少女らしい。

彼女は困ったように眉を上げて、

「ピンと来ないもん。急に死んだって言われても」

まっすぐな黒い睫を伏せた。

そうかもしれない。
間近に見た私と違って。

「わかんない。薄情なだけかもしんない」

それは私も同じだ。
間近に見たくせに、涙も出ない。

「今夜はフクチョーを貸したげる」

へ?

「ウチのバク猫」

はぁ?

「悪い夢、見そうなときは役に立つよ」

ウインクされた。

翻訳すれば、フクチョーはバクのように悪い夢を食べてくれるから今夜貸してあげる、ということらしい。

「ありがと」

私の様子から、何か感じるものがあったんだろう。
子供みたいに敏感なヤツ。

でも、ヘタに慰めたり詮索しないのが楽でいい。
常を装いきれない自分が情けないが、確かにオーバーワーク気味ではあるし、甘えてもいいかな。



通夜も葬儀も参列できないので初七日には墓参りしたい、という小夜の希望を受けて、切腹から六日目の夕暮れ、山南先生の墓のある光縁寺の山門を潜る。

なぜ、六日目かといえば、亡くなった日から数えて七日目だからだ。
正式の初七日では他の墓参者に出会う可能性も高いし。
夕暮れという時間帯を選んだのもそういう訳。
この時代、普通の感覚なら墓参りは朝に済ませる。

他の墓参者に会わせたくないのは、彼女が土方副長の囲い者、という立場にあるからで。
風当たりの強い今、その風には当てたくなかったからだ。


墓参りとは言え、外の空気が吸えるのは久々のことだったようで、朝から髪を結ってもらった小夜は結構上機嫌だった。

庭に咲いていた薄紅の木瓜を一枝と雪柳、それだけかと思ったら花鋏を帯に差して来ていて、来る途中の道端で菜の花を結構沢山摘んで来た。
甘い香りがむせるよう。

足の怪我が治って間もない小夜はまだ少しびっこを引く。
午後遅く、ゆっくり歩いて来たら日はかなり傾いてしまった。

墓にはまだ石が無くて、卒塔婆が立っているばかり。
花入れの青竹にはまだ新しい花があって、持ってきた花が入りきらない。水を汲んできた手桶を臨時の花入れにした。

線香を供えて手を合わせ、

「山南先生、寒山拾得が来ましたよぅ」

苦笑。
・・・小夜らしいなぁ、と思う。

「ごめんね。まだ桜が咲いてなくって・・・」

言い訳をする彼女の着物は桜色。
萌黄に黄色と鳶色の格子縞の帯はたんぽぽみたいな配色だ。

言い訳の続きは、なんと念じているのやら。
頭を垂れた結髪のうなじが、お下げの時と違ってなんだかちょっと大人っぽく見えた。

「あ痛てて。この体勢はまだちょっとキツイな」

刀傷のある左のふくらはぎをさすりながら立ち上がる。
湿っぽい様子が無いのに救われる。

選手交代して、今度は私の拝む番。
ほんとは余り真剣には拝みたくはない。
恨み言を念じてしまいそうになるからだ。

だからいつも、「怖がってすいませんでした(笑)」と、「みなさんを守ってください」ってだけ。
「許してください」とは・・・私が言うにはおこがましい。

立ち上がって振り返ると、すぐそこに小夜が棒立ちになっていた。
表情が厳しい。

視線の先には、線香と水桶を手にした副長が、そちらも面食らったように棒立ちになっている。

初七日に人目をはばかって、という目的が同じなら、鉢合わせするのも無理はないが、私たちが今日この時間に墓参りをするという報告は受けていなかったのだろうか。
山崎さんに願い出て、留守居を置いて出てきたのに。

きっと、反対されるのを承知で山崎さんは黙って来させてくれたのだ。
そのことを、副長もたぶん今気付いて密かに苦笑しているのだろう。

だがそれを、小夜にすぐここで察しろと言うのは無理な話だった。
この場で説明するのも、本人を目の前にはばかられる。

一瞬の戸惑いの後何事もなかったように山南先生の墓の前に歩いてくる自分の主人を、肩を怒らせて睨んでいるその様はまるで仇にでも出会ったようだ。

こんなところでケンカでも始めようというのか。

「帰ろう」

副長にゆっくり墓参りをさせてやりたくてそう促すが、言うことを効く相手ではない。

一通り拝するのを待って、無言で立ち去ろうという相手に、

「初七日は明日でしょ?墓参りがなんで今日なの」

「俺がいつ墓参りしようがお前の知ったこっちゃねぇだろ」

後を向いた春物の単の羽織の裾から大刀の黒鞘が覗いている。
袴は着けておらず、足元も素足に雪駄だった。

そのまま行ってしまいそうになるのを、小夜はどうでも引き止めたかったようだ。

「山南先生、脱走したんですって?どうして脱走と判ったの?」

いきなり核心をつく疑問を突きつけた。

ああ、と私は思い当たる。

新選組の事情をあなたに責めてもしょうがない、と彼女はあの時言ったのだ。
ならば副長を責めようということか。
この機会を待ち構えていたというのか。

狙い通りに、副長は背中を見せたまま立ち止まった。
その背中に畳み掛ける。

「脱走したら即切腹なんて安直な規則だとは思うけど、それが組織の規則で皆で守ろうって決まってるんなら、部外者の私が何も言うことはありません。でも、山南先生が脱走したって誰が決めたの?切腹に追い込んだのは一体誰?」


脱走理由について、噂は持ちきりだった。
だが、ここまではっきり疑惑の本人に事件の説明要求を突きつけたのは彼女が最初で、たぶん最後かもしれない。

「脱走をでっち上げたとでも言いたいのか?」

副長は背中を向けたまま横顔を見せ、非難を鼻で笑う余裕。
小夜の怒りが加速した。

「脱走なんて状況判断じゃないの!判断する方に手心があれば助けられたはずだわ。どうにでも話は作れたのよ。あなたに助ける気が有ったら山南先生は切腹なんてせずに済んだはずだわ!」

確かにそれはそうなのだが。

事実を知っているのに、私には副長を弁護することも出来ない。

洗いざらい話せばきっと判ってくれるという誘惑に目をつぶり真実を棺桶の中にまで持って行くには、こんな痛みを何度乗り越えなければならないのだろう。
こんなにまっすぐな友を死ぬまで騙し続けなければならないのだ。

「それとも、脱走する人がわざわざ『これから脱走致します』とでも書いて行ったってわけなの?」

痛烈な皮肉だった。
こんな皮肉は彼女にしか言えないだろう。
部外者という他に、少女らしい潔癖さが彼女をして言わしめているのだ。

だが、それは真実を知る者にとっては謂れの無い非難でしかなく、さぞや胸をえぐられるような心持だろうと思わず目をつむったのに、

「そうだな」

副長の反応がやけに軽い。
・・・見れば口元に笑みさえ浮かべている。

・・・まさか・・・。

「書置きがあったのだ」

うそだ。

「俺の話しか聞かん局長に嫌気がさしたとさ」

うそだ。

「江戸に帰るから追うなと、書置きがあった」

なんてこと言うのか!

小夜がめちゃくちゃ言ったのを、脱走の理由付けに利用しようというのか。
それこそめちゃくちゃじゃないか。

せっかく今、あなたの痛みを共有できたと思えたのに!
と呆れていたら、

「だが、そんな話を公に出来ると思うのか?」

ゆっくりと向き直った副長に真っ向から夕陽が当たって、彼はまぶしそうに目を細めた。
目の下に細かくシワが出て、疲れている様子が窺える。

「山南さんの死に汚点を残すような真似をした方が良かったと言うか」

・・・なるほど。
話の持って行き方が上手いな。

・・・おっと、つい感心してしまった(汗)。

息を三つもするくらいの時間、二人は睨み合っていた。
いや、副長は余裕の表情ではあったが。

「それで脱走した本当の理由を隠しおおせるなら、あなたは山南先生に感謝すべきだわ」

そう言った小夜の声が低く震えていたので、泣いているのに気がついた。

「死を持って訴えようとしたことを体良く握りつぶしただけじゃない。卑劣だわ」

そうじゃないんだ、と喉元まで出かかる。
これでは責められる者も責める者も辛すぎる。
なんとも出来ずにおろおろ見守ることしかできない自分がもどかしい。

だが、副長はこれぐらいでは怖じけない。

「そうかぇ?死んだ後のことなどどうだというのだ。訴えたけりゃ生きて訴えたら良かったのだ。逃げる方が卑劣だろう」

それは思わずこぼれた彼の本音であったのかもしれない。

「己の作った新選組じゃないか。どんなことが起きたとて途中で投げ出すなんざ無責任だろう。俺のすることが気に入らないなら反対すればいい。なぜ逃げなきゃならんのだ」

これはきっと、山南先生に言いたかった言葉だ。

興奮して声が大きくなっているのを自分で気付いて抑え込む。

「それでも上洛以来の同志。あの人の死を無駄にするつもりは無い。せいぜい新選組のために使わせてもらうさ」


山南先生は新選組に戻りたいと言ったという。
それは副長も知っていることだ。
その切なさは計り知れない。

だから山南先生を『同志』と呼ぶのはこの人なりの愛情表現なのだろうと思う。
その死まで、新選組のために使うことが故人のためであると信じて疑わないのだ。

しかしそれはいかにも愛情過多だ。
死んでまで同志としての奉仕を要求されるのも・・・端から見れば気の毒な話なんだけど。


そんなことを考えているうちに、

「死を無駄にしないですって?命を無駄にしておいて?何言ってんのアンタ!バカじゃないの?カッコつけてんじゃないわよ!」

小夜さんボルテージ上がりまくり(汗)。
たしなめて連れ出そうとしても、私の腕を振り払い、

「同志だから死んだことさえ新選組のために使わせてもらうって、そんなの詭弁よ!いい迷惑じゃん!」

ああ、・・・言っちまってるし(大汗)。

「アタシが山南先生なら、そんな余計なお節介大迷惑だわ!」

これにはさすがの副長もキレ加減で、

「いい加減にしろ!お前如きが山南さんを騙るな!今の言葉そのままそっくり返してやる。お前なんかに弁護される方がいい迷惑だ。お前に何が判ると言うのだ」

言われて彼女はまなじりを吊り上げ、歯を食いしばり、言葉を失ったかに見えた。
唇が震えた。

「なんとか言いなさいよ・・・」

私に言ったのかと思った。

「え?」

だが、それは違っていた。

「私がこんなに言われてるのに・・・!なんとか言いなさいよ!」

傍らの卒塔婆に向かって、声を絞る小夜の目から、ぼろぼろと音を立てそうなくらい大粒の涙がこぼれている。

「なんで黙ってるのよ!なんで死ぬのよ!なんで何も言わずに死んじゃうのよ!なんで言い訳してくれないのよ!なんで死んじゃうの!?そんな簡単に。悔しくないの?・・・簡単過ぎるよ。信じらんないよ。なんとか言いなさいよ!」

そうだ。悲し過ぎるよな。
残された者こそ悲し過ぎる。
号泣する小夜の震える肩が悲し過ぎる。

それでも、泣くのを我慢されるよりは余程いいのかもしれなかった。
呆然と立ち尽くす副長の顔を、辛くてまともには見れない。
泣いてしまえるのはまだ幸せなのだ。

だが、彼もきっと判ってくれたに違いない。
同じなんだもの。

ふたりとも、独りよがりに逝ってしまった山南先生を恨んでいる。



泣き崩れる彼女の体を支え、引きずるように寺を後にした。

「信じらんない。何も言わずに死んじゃって。死んだことさえいい様に使われて。ばかだわ。ばかみたい」

泣きじゃくりながら帰る夕暮れの道々。
悪態をつけばつくほど、故人を惜しむ気持ちが突き刺さる。



「今夜はウチに泊って行くんでしょ?」

春宵一刻値千金。夜風が心地よい。
べそをかいて甘えモードの小夜におっけーと答え、花鋏を借りて道端に咲く菜の花を摘む。

「でも今夜はアンタが抱いて寝た方が良さそうだ、フクチョーは」

すると涙を拭いていた手拭で思い切り洟をかんで、

「失敗したよね、アイツ・・・」

何のことかと思ったら、

「同じ名前にしなきゃ良かった。なんだかムカツク」

「自分でつけたくせに」

「へへ。そうでした」

笑う彼女の睫はまだ涙に濡れているが、菜の花の束を手渡すと、甘い匂いを嗅ごうと深呼吸して、鼻の頭を花粉だらけにしている。

ついさっき、あれほど感情を爆発させたのに、女の子って他愛ない。
泣いてスッキリしたのかも。

『おぼろ月夜』の合唱練習をしながら帰宅する頃には、これから合宿でも始めるようなテンションになっていた。



九尾の狐の話はその晩のおとぎ噺となった。

山南先生が副長を九尾の狐になぞらえていたことは黙っていた。
いつかは副長の陰口として小夜の耳に入るだろう。
その時に本当の九尾の狐の話を思い出してくれさえすればいいのだ。

同情されることを、副長は望まないだろうから。
できたら故人と自分だけの秘密にでもしておきたいんだろうから。

彼にそんな感傷的なところが有るなんて、小夜に教えるのはもったいない気がしたしね。
もっとも、言ったとて信じてくれやしないだろうけど(笑)。


桜が咲いたらまた手向けに行こう。

そう約して、その夜は菜花の香りの中で眠った。


小夜よりは、少しだけ大人になった気がした17歳の春の夜だった。



       - 了 ―
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